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32 雨音②
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一晩中、猛威を振るった雷雨は形を潜め、朝には小降りの雨になっていた。
「…………」
隣で眠る楓を、康介は複雑な顔で見つめる。
結局、朝方近くまで楓の悪夢は続いた。
魘されて悲鳴を上げて飛び起きる……それを何度も繰り返す。
その度に康介は楓を抱き締めて慰めの言葉を与えた。
そうして楓が完全に力尽きて気を失うことで悪夢のサイクルは途絶え、今に至る。
(これじゃあ、やつれるわけだよな)
青白い顔で力無く横たわる姿は、まるで死体のようだった。
不安になって頬に手を当てると、人間らしい温度が確認できた。
(とりあえず熱は下がったみたいだ。良かった)
気掛かりの一つが解消されて小さく息をつく。
それから、康介は指先で楓の目の下の黒ずんだ部分をなぞった。
(またクマが濃くなってる。……そりゃそうか。まともに眠れてるはずがないもんな)
疲れ切ったその様子を気の毒な思いで見つめる。
そんな中、不意に楓が目を開けた。
「あ……」
ぼんやりとした目の焦点がやがて合わさり、康介の姿を明確に映し出す。
どうやら、今は悪夢の中にはいないようだ。
「おはよう、楓。気分はどうだ? 大丈夫か?」
にっこりと笑い、軽い調子で声をかける。
すると楓は、既に散々泣き腫らしたその目を、再び苦しげに歪めた。
「康介さん……」
「ん?」
「辛そう」
「え? 俺が?」
「何で俺が?」と言いそうになった康介だが、心当たりはある。
鏡を見てないので今の自分がどんな顔をしているのかは分からないが、
昨夜から殆ど寝ておらず疲れているのは事実だった。
「ごめんね。僕が悪夢に魘されておかしくなってたから、そのせいでしょ?」
「楓が怖い夢を見て苦しんでるのに、放っておくわけにはいかないだろ。
お前は何も悪くないんだから、そんな顔をするな」
「でも、僕のせいで康介さんに迷惑がかかるのは嫌だよ」
「俺は、楓が一人で苦しい思いを我慢してる方が嫌だな」
「…………」
「と言っても、傍に付いていてやることぐらいしか、俺には出来ないけどな」
やはり軽い調子で笑い、康介は楓の髪をくしゃりと撫でる。
「それに、俺は仕事で夜勤とかしょっちゅうだから。夜寝ないことには慣れてるよ」
何でもないような顔で笑い、楓の目尻からこぼれそうになっていた涙を拾う。
「傍にいることぐらいしか出来ないけど、少しでも楓の支えになれたら俺は嬉しい」
「…………」
「とにかく、迷惑なんかじゃないってのは分かってくれたか?」
「うん」
「じゃあ、変な遠慮なんかするなよ。むしろ、もっと甘えてみろ」
「え? うーん」
「その方が俺は嬉しいんだが?」
「そう、なの? じゃあ、そうする」
「よーし、良い子だ」
楓が小さく頷くと、康介は少し大袈裟に笑って頷いた。
「ところで、体の方はどうだ? 昨夜は熱を出していただろう?」
「うん。今はもう大丈夫。……あれ? なんか服が違うような」
「ああ、高熱出して汗もかいてたから、着替えさせたんだよ」
「え? そうなの??」
「今は大丈夫そうだな。良かった良かった」
もう一度、楓の額に手を置いて発熱が無いことを確認する。
楓は、気まずそうに眉を寄せて俯いた。
「あの……ごめん」
「どうかしたか?」
「その……傷跡とか気持ち悪かったでしょ」
申し訳なさそうに目を伏せる楓を見て、康介は昨夜のことを思い出す。
背徳的な美を感じてしまった、あの白い肌を。
「そんなこと、あるわけないだろ!」
後ろめたさを隠そうとして少し語気を強めてしまった。
楓が少し驚いてビクッと身を震わせる。
「ご、ごめんなさい」
「いや、そうじゃなくて……
何があっても、お前を気持ち悪いなんて思うわけがないってことでだな」
「う、うん。ありがとう。なんか、ごめんね」
「ありがとうだけで良いんだよ。次から『ごめん』は禁止」
「え?」
「謝る場面じゃないのに『ごめん』って言うの禁止。次やったら罰ゲームな」
「え? 罰ゲームって?」
困惑している楓に顔を近付けて、康介がその頬に軽いキスをした。
「え? え? え?」
完全な不意打ちだった。
驚いて固まる楓に向かって康介がニヤリとほくそ笑む。
「どうだ? 恥ずかしいだろ。これが罰ゲームだ」
呆然とする楓の顔がみるみる赤く染まってゆく。
それを見て康介は笑って楓の頭を撫でてやった。
「おやおや、せっかく熱が下がったのに、またぶり返しちまったか?」
「…………」
康介にからかわれて、楓はシーツに顔を埋めて真っ赤になった顔を隠す。
そんな彼の肩をポンポンと二度ほど叩き、康介が言った。
「さーて、寝不足で食欲は無いだろうけど、
医者から処方されてる薬があるから胃に何か入れないとな。
お粥を用意しておくから、熱が下がったらリビングにおいで」
「…………」
毛布に顔を埋めた格好のまま楓が頷くのを確認して、康介は寝室を出て行った。
寝室を出て扉を閉める。
それと同時に康介は顔を押さえてその場に蹲った。
(あーーーー、やっちまったか。やっちまったのか、俺)
会話の途中でつい、昨夜のことを思い出して楓に強い言葉を向けてしまった。
それで怯えた楓に焦って、話を誤魔化そうとした流れであんなことをしてしまったわけだが……
(大丈夫だよな。冗談の範疇だと思ってくれるよな)
後悔からか照れからか、康介の顔も結構な赤みを帯びていた。
それからしばらくして、レトルトのお粥を温めた食卓を二人で囲んだ。
お互いに頑張って何も無かったかのような顔をして、天気や芸能ニュースなど他愛ない会話をして過ごした。
最初は何となくぎこちなかったが、食事を終える頃には今までのような家族感覚に戻っていた。
その日は、実に穏やかな時を過ごすことが出来た。
一緒に家の掃除をしたり、買い物に行ったり、散歩をしたり、うたた寝したり……
穏やかで幸せな日常を取り戻したような気分でいられた。
時折、楓が『悪魔の声』に苛まれることもあったが、
康介がすぐに気付いてそれを追い払った。
しかし、ささやかな幸福を引き裂く魔の手は、もうすぐそこまで迫っていた。
「…………」
隣で眠る楓を、康介は複雑な顔で見つめる。
結局、朝方近くまで楓の悪夢は続いた。
魘されて悲鳴を上げて飛び起きる……それを何度も繰り返す。
その度に康介は楓を抱き締めて慰めの言葉を与えた。
そうして楓が完全に力尽きて気を失うことで悪夢のサイクルは途絶え、今に至る。
(これじゃあ、やつれるわけだよな)
青白い顔で力無く横たわる姿は、まるで死体のようだった。
不安になって頬に手を当てると、人間らしい温度が確認できた。
(とりあえず熱は下がったみたいだ。良かった)
気掛かりの一つが解消されて小さく息をつく。
それから、康介は指先で楓の目の下の黒ずんだ部分をなぞった。
(またクマが濃くなってる。……そりゃそうか。まともに眠れてるはずがないもんな)
疲れ切ったその様子を気の毒な思いで見つめる。
そんな中、不意に楓が目を開けた。
「あ……」
ぼんやりとした目の焦点がやがて合わさり、康介の姿を明確に映し出す。
どうやら、今は悪夢の中にはいないようだ。
「おはよう、楓。気分はどうだ? 大丈夫か?」
にっこりと笑い、軽い調子で声をかける。
すると楓は、既に散々泣き腫らしたその目を、再び苦しげに歪めた。
「康介さん……」
「ん?」
「辛そう」
「え? 俺が?」
「何で俺が?」と言いそうになった康介だが、心当たりはある。
鏡を見てないので今の自分がどんな顔をしているのかは分からないが、
昨夜から殆ど寝ておらず疲れているのは事実だった。
「ごめんね。僕が悪夢に魘されておかしくなってたから、そのせいでしょ?」
「楓が怖い夢を見て苦しんでるのに、放っておくわけにはいかないだろ。
お前は何も悪くないんだから、そんな顔をするな」
「でも、僕のせいで康介さんに迷惑がかかるのは嫌だよ」
「俺は、楓が一人で苦しい思いを我慢してる方が嫌だな」
「…………」
「と言っても、傍に付いていてやることぐらいしか、俺には出来ないけどな」
やはり軽い調子で笑い、康介は楓の髪をくしゃりと撫でる。
「それに、俺は仕事で夜勤とかしょっちゅうだから。夜寝ないことには慣れてるよ」
何でもないような顔で笑い、楓の目尻からこぼれそうになっていた涙を拾う。
「傍にいることぐらいしか出来ないけど、少しでも楓の支えになれたら俺は嬉しい」
「…………」
「とにかく、迷惑なんかじゃないってのは分かってくれたか?」
「うん」
「じゃあ、変な遠慮なんかするなよ。むしろ、もっと甘えてみろ」
「え? うーん」
「その方が俺は嬉しいんだが?」
「そう、なの? じゃあ、そうする」
「よーし、良い子だ」
楓が小さく頷くと、康介は少し大袈裟に笑って頷いた。
「ところで、体の方はどうだ? 昨夜は熱を出していただろう?」
「うん。今はもう大丈夫。……あれ? なんか服が違うような」
「ああ、高熱出して汗もかいてたから、着替えさせたんだよ」
「え? そうなの??」
「今は大丈夫そうだな。良かった良かった」
もう一度、楓の額に手を置いて発熱が無いことを確認する。
楓は、気まずそうに眉を寄せて俯いた。
「あの……ごめん」
「どうかしたか?」
「その……傷跡とか気持ち悪かったでしょ」
申し訳なさそうに目を伏せる楓を見て、康介は昨夜のことを思い出す。
背徳的な美を感じてしまった、あの白い肌を。
「そんなこと、あるわけないだろ!」
後ろめたさを隠そうとして少し語気を強めてしまった。
楓が少し驚いてビクッと身を震わせる。
「ご、ごめんなさい」
「いや、そうじゃなくて……
何があっても、お前を気持ち悪いなんて思うわけがないってことでだな」
「う、うん。ありがとう。なんか、ごめんね」
「ありがとうだけで良いんだよ。次から『ごめん』は禁止」
「え?」
「謝る場面じゃないのに『ごめん』って言うの禁止。次やったら罰ゲームな」
「え? 罰ゲームって?」
困惑している楓に顔を近付けて、康介がその頬に軽いキスをした。
「え? え? え?」
完全な不意打ちだった。
驚いて固まる楓に向かって康介がニヤリとほくそ笑む。
「どうだ? 恥ずかしいだろ。これが罰ゲームだ」
呆然とする楓の顔がみるみる赤く染まってゆく。
それを見て康介は笑って楓の頭を撫でてやった。
「おやおや、せっかく熱が下がったのに、またぶり返しちまったか?」
「…………」
康介にからかわれて、楓はシーツに顔を埋めて真っ赤になった顔を隠す。
そんな彼の肩をポンポンと二度ほど叩き、康介が言った。
「さーて、寝不足で食欲は無いだろうけど、
医者から処方されてる薬があるから胃に何か入れないとな。
お粥を用意しておくから、熱が下がったらリビングにおいで」
「…………」
毛布に顔を埋めた格好のまま楓が頷くのを確認して、康介は寝室を出て行った。
寝室を出て扉を閉める。
それと同時に康介は顔を押さえてその場に蹲った。
(あーーーー、やっちまったか。やっちまったのか、俺)
会話の途中でつい、昨夜のことを思い出して楓に強い言葉を向けてしまった。
それで怯えた楓に焦って、話を誤魔化そうとした流れであんなことをしてしまったわけだが……
(大丈夫だよな。冗談の範疇だと思ってくれるよな)
後悔からか照れからか、康介の顔も結構な赤みを帯びていた。
それからしばらくして、レトルトのお粥を温めた食卓を二人で囲んだ。
お互いに頑張って何も無かったかのような顔をして、天気や芸能ニュースなど他愛ない会話をして過ごした。
最初は何となくぎこちなかったが、食事を終える頃には今までのような家族感覚に戻っていた。
その日は、実に穏やかな時を過ごすことが出来た。
一緒に家の掃除をしたり、買い物に行ったり、散歩をしたり、うたた寝したり……
穏やかで幸せな日常を取り戻したような気分でいられた。
時折、楓が『悪魔の声』に苛まれることもあったが、
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