【完結】誓いの指輪〜彼のことは家族として愛する。と、心に決めたはずでした〜

山賊野郎

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30 悪魔の声③

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自宅に帰り着いた楓は、一人で悶々と考え込んでいた。

「…………」

ソファーテーブルに残されたままのヘアピンを見つめる。
アメジストの飾りが付いた、横井祐子のものと思われるそれを。

(あの人は何であの時、僕の方を見て笑ったんだろう)

さっき、タクシーに乗り込む直前に見た光景が頭によぎる。
康介に腕を絡めながら、楓の方を見て笑う祐子の姿。

(たまたま目が合ったから、会釈しただけ。そう考えるのが自然だよね。でも……)

そう思って納得しようとした。
しかし、肌で感じた違和感がそれに異議を唱える。

(何でだろう)

祐子が見せた微笑みからは優越感のようなものが感じられた。

(康介さんは自分のものだって見せつけられたような気がする)

美しい女性、康介と肩を並べて渡り合える刑事、康介と腕を絡め合うような間柄……
息子で、いつも康介に守ってもらって、世話になって、迷惑をかける存在でしかない自分とは違い過ぎる。

(誰かと付き合ったり、結婚したいのなら僕や母さんに遠慮しないでって
 いつもそう言ってたのは僕の方なのに……)

これまで、楓の知る限り康介に女性の影は無かった。
だから、心配してそう言っていた。
……否、本心は違う。
女性との交際や結婚の話を振ると、康介は決まって全否定するのだ。
「そんなものには興味がない。大切なのは楓だ」と。
そう言ってもらえるのが嬉しくて、確信犯的に話を振っていた。

(それなのに、いざ本当に康介さんに女の人の影が見えたらこんなに動揺するなんて)

自分の心の弱さと醜さを実感する。
ブンブンと首を横に振って、自分のあるべき姿を思い描く。

(こんなの、康介さんに知られてはいけない。
 良い息子として、あの人との交際を応援するべきなんだ)

なぜだか心臓がバクバクと高鳴る。

(康介さんの人生の邪魔をしてはいけない。だから、だから……)

呼吸が忙しくなる。息苦しい。

──死ね。消えろ──

『悪魔の声』が聞こえる。
あの女の人とよく似た声で響く、あの声が。

──お前は邪魔だ。迷惑な存在だ──
──お前のせいで、康介さんは幸せになれないんだ──
──お前がいなくなれば、康介さんは幸せになれるんだ──

「…………」

視界がぼやける。
涙を流しているのだと、楓はどこか他人事のように認識した。

──いなくなれ。いなくなれ──

あの女の人とよく似た声で響く『悪魔の声』。
それは、彼女のことを快く思っていない自分の醜い心が反映されているような気がして、ひどい自己嫌悪に苛まれる。

──死ね。お前なんか死ね──

心臓が痛い。目が霞む。指先が痺れる。
苦しい。
苦しい。
苦しい。

「…………」

“助けて”──その言葉を飲み込んだ時、楓の意識は深いところに落ちていった。






頬に冷たい何かが触れて、落ちていた意識が掬い上げられる。
そうやって目を覚ました楓が見たのは、眼前に迫る康介の顔だった。
なぜか鬼気迫る形相をしていて、その威圧感に息を呑む。

「あ、起きた」

目が合うと、途端に康介から威圧感が消えた。
「ああ、良かった」と言いながら、康介は大きく息をつく。
楓はまだ意識がぼんやりとしたまま、ゆっくりと体を起こした。

「あ、お帰りなさい。いつ帰ってたの?」
「たった今だよ」
「ごめん。寝てて気付かなかった」
「良いんだよ、そんなこと。それより、どこか具合が悪いのか?」
「ううん。ちょっとうたた寝してただけ」

そう言って楓は体を縮こまらせて小さく震える。
康介がその額に手を当てると、少しばかり熱を帯びているのが分かった。

「微熱かな。こんな所でうたた寝するんじゃなくて、
 ちゃんとベッドで横になっていた方が良い」
「うん、そうする」

よろよろと立ち上がった楓が自分の部屋に行こうとしたので、康介が止めに入った。

「おいおい、そっちじゃないだろ」
「え?」
「今日から寝るのは俺の寝室だって言っただろ」
「でも」
「でもじゃない。ほら、行くぞ」

康介に引っ張られるようにして楓は寝室へ連れて行かれた。

「外に出て疲れちまったのかな。
 後でお粥でも作って持っていってやるから、大人しく寝てるんだぞ」
「うん、ありがとう」

楓を寝かしつけてリビングに戻った康介は、ソファに座って一息ついた。
煙草に火をつけて今日の流れを思い返す。

楓の通院に付き添い、その後一緒にカフェに行ったまでは良かった。
職場から呼び出しを受けて、急遽、警察署に赴く羽目になった。
浦坂実への捜査状況ついての全体会議だった。
内容は、これまでの事件をおさらいする程度のもので、進展らしいものは無かった。

(同僚の中に浦坂の協力者がいると踏んではいるが、
 今のところは尻尾が掴めてないんだよな)

今日も同僚の刑事たちの行動・言動をそれなりに観察していたが、誰もこれといったボロを出さなかった。
そうして会議を終えて外に出ると、辺りは既に真っ暗で雨が降っていた。
小雨程度のものだったが、楓のことが心配で急いで自宅に戻った。

帰宅すると、楓はソファで横になっていた。
胸の辺りを押さえて苦しそうにしていたので、慌てて駆け寄った。
頬に触れると楓はすぐに目覚ました。
聞けば、うたた寝をしていただけとのことだった。
起きてからは胸を押さえたり苦しんでいる様子は無かったので、取り敢えず安心する。
そして微熱があったので、楓を寝室のベッドに寝かしつけて今に至る。

(また、例の悪夢を見ていたのかな)

やり切れない思いを紛らわせようと、煙草に火をつける。

(あいつに聞こえる『悪魔の声』も、悪夢と一緒で心因性のものだろうな。
 無理もない。やはり、近いうちにカウンセリングに行かせるべきか)

煙を吐き出しながら、これから先のことに思いを巡らせる。

「……ん?」

吸い終えた煙草を灰皿に押し付けた時、不意に康介は気付いた。
ソファーテーブルの端に置かれていたヘアピンの存在に。

「何だこれ。誰のだ?」

訝しく思いつつ、アメジストの飾りを見てピンと閃く。

「ああ、横井のだな。多分」

昨日ここに来た時に落としていったのだろうか。
それとも、もっと前に来た時だろうか。

(まあ良いか。次に会った時にでも返しておこう)

アメジストのヘアピンを胸ポケットに入れて、康介はソファから立ち上がった。

「さて、楓の為にお粥を作ってやらないとな。
 いくら俺だって、お粥ぐらいは作れる……よね?」

腕を回してキッチンに赴いた康介だったが、鍋の中身を吹きこぼしたり、鍋の底を焦がしたりした末に、近所のコンビニに行ってレトルトのお粥を買うことになるのだった。
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