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28 悪魔の声①
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鋭い雨音が部屋いっぱいに響く。
水気を含んだ冷たい空気が肌を突き刺す。
そんな中、康介が目の当たりにしたのは、窓を開けて今まさに飛び降りようとしている楓の姿だった。
「なっ……」
息を呑む。思考が止まる。
が、すぐに我に返った康介は迷わず楓に向かって手を伸ばした。
「楓っ!」
強引に引き止めた腕の中に楓を抱え込み、二人して床に転がる。
這いつくばって尚も窓に向かおうとする楓を、康介は背後から抱き止めた。
「っ……!!」
楓が声にならない悲鳴を上げたのが分かった。
碌に力も無いのに康介の腕の中から必死に逃れようとする。
絶対に逃すまいとして康介は更に強く楓を抱きしめた。
力加減を間違えると壊れてしまいそうなぐらいに痩せ細った楓の体を、精一杯に抱きしめた。
「危ないだろ。ここ、8階だぞ」
「離して、離してっ……」
「離さない」
抱き締める腕の力こそ強かったが、語りかける声は限りなく優しかった。
「離して! お願いだから……」
「駄目。いくらお前のお願いでも、こればっかりは聞いてやらない」
幼児をあやすような声で楓の耳元に囁く。
決して怒ったりなんかはせずに、優しく言い聞かせるように。
しばしの無言の間、開いたままの窓から横殴りの雨と冷たい風が入り込む。
やがて観念したのか、楓は抵抗することをやめた。
落ち着いてきたものと判断し、康介は楓を拘束していた腕の力を解いた。
その途端、楓は康介の腕を強引に振り払って再び窓の方に向かおうとした。
「おいっ!」
しかし、もはや僅かな体力も残ってなかった楓は思うように立ち上がることもできず、その場に蹲った。
その姿があまりにも哀れで、もう一度抱きしめてあげようと康介はそっと手を伸ばす。
が、その手は楓によって払いのけられた。
「楓?」
明らかな拒絶だった。
こんなことは初めてで、康介は軽くショックを受ける。
「穢い……」
「え?」
「穢いから、触っちゃ駄目……」
「──!」
血を吐くかの如く、苦痛に満ちた声が絞り出された。
悲壮感でいっぱいの目から、止めどない涙が流れ続けている。
「楓、お前……」
仕事で何度か見たことがある。これは性的暴行を受けた人間の反応だ。
その仕草で、言葉で、康介は全てを理解した。
「思い出したのか。全部」
康介の問いかけに小さく頷くと、楓はそのまま俯いた。
「いつからだ?」
「病院で襲われて首を絞められた時」
「ああ……」
「はっきりと思い出したのはその時だと思う。
でも、もともと体の痛みに違和感はあった。
気付かないようにしてただけ。それに……」
楓が何か言いかけて止まった。代わりに小さな嗚咽が漏れる。
それを覆い隠すように、雨の音がひたすら強く響く。
そんな中で、康介は片膝をついて改めて楓に向かって手を伸ばした。
やはり楓に払いのけられたが、構わず強引にその頬に触れた。
そして、涙で濡れた顔を前に向かせる。
同じ目線の高さで、正面から向かい合う形になって、康介は温かい笑みを浮かべた。
「大丈夫。楓は綺麗だよ」
「…………」
「小さい時からずっと変わってない」
目からこぼれ落ちた涙を掬い、その手で楓の頭を撫でてやろうとした。
その時──
「っ……!」
突如、楓が大きく目を見開く。
絶望的な顔で虚空を見つめたかと思うと、両手で耳を押さえた。
「やめて、やめて……」
「楓?」
「許して。お願い、もう許して……」
「楓、どうしたんだ?」
止まりかかっていた涙が再び堰を切ったようにあふれ出す。
康介の呼びかけにも応じない。
ここ数日、ずっと気掛かりだった何かがそこにあると察して、康介は楓の腕を掴んだ。
「楓!」
「ひっ……!」
「怖がらなくていい。教えてくれ。楓には何かが見えているのか?
それとも聞こえているのか?」
口調こそ穏やかだったが、康介の目にはえも言われぬ圧があった。
楓は見開いたままの目にしっかりと康介の姿を映し出し、逡巡する。
そして、唇を震わせながら答えた。
「……声が」
「声?」
「声が聞こえる」
「何て?」
「『死ね』って」
「──!」
「『生きていても迷惑だ』とか『穢れた存在』とか」
「もういい! ……やめてくれ」
堪らず制して、康介は正面から思い切り楓を抱きしめた。
「そんなものにずっと一人で耐えていたのか」
「…………」
「もっと早く気付いてやれば良かった。遅くなってごめんな」
楓の頭を優しく撫でて、これまでの苦しみを労う。
しばらく黙ってそうしていた。
やがて康介が口を開く。
「なあ、楓。そんな声に負けないでくれ」
「…………」
目を逸らして楓は小さく頷く。その力は限りなく弱そうだ。
康介は楓から体を離し、両手で彼の肩を掴んだ。
そして、しっかりとお互いの目を合わせた。
「そいつは『悪魔の声』だ。絶対に負けちゃいけない」
「うん」
「『悪魔の声』より、俺の声を信じてくれ」
「康介さんの声?」
「俺は、楓が生きててくれて嬉しい。死んでほしくない。楓、お前は綺麗だ」
「…………」
『康介の声』を受けて、楓はまた涙をあふれさせた。
だが先ほどまでと違い、その涙は温かいものだった。
「『悪魔の声』より俺の声を信じてくれるよな?」
「うん」
「でももし、『悪魔の声』に負けて死にたくなったら、その時は俺を誘ってくれ」
「え?」
「俺も一緒に死んでやるから」
突然の思いもよらない康介の言葉に、楓は泣き腫らした目を大きく見開く。
「お前を一人で死なせることはしない。
あ、こっそり先に逝っても無駄だぞ。すぐに後を追ってやるからな。
で、あの世で説教してやる。“何で俺を誘わなかったんだ?”ってな」
とんでもないことを言っているのに、康介のその顔は怖いぐらい穏やかな笑顔だった。
「ダ、ダメ! そんなのダメだよ」
「そうだよな。俺も出来ればそんなことはしたくない。
だから……生きてくれ、楓。俺と一緒に」
「うん。……うん」
涙を流しながら何度も頷く楓を、康介がもう一度抱き締めた。
抱き締めながら頭を撫で、背中をさすり、とにかく優しく労った。
しばらくして、楓の涙が収まってきた頃を見計らって、康介はそっと腕を解いた。
「少しはマシになったかな」
「うん」
「ちゃんと眠れそうか?」
「うん」
「じゃあ、寝ようか」
「うん」
楓が頷くと、康介は開けっぱなしだった窓を閉めた。
そして、おもむろに楓のベッドに入る。
「え? あの、康介さん。それ僕の……」
「一緒に寝るんだよ。ほら、おいで」
「え? え?」
「今のお前を一人にするわけにはいかないからな」
「…………」
「どうした? ほら、おいで」
「う、うん」
「よーし、良い子だ」
思いもよらない展開に楓は困惑したが、それ以上に康介の優しさに心が傾いていた。
そっとベッドに入る。
少し距離をあけて遠慮がちに毛布を被ると、康介が楓を抱き寄せてきた。
「ああ、あったかい。今日は冷えてるからちょうど良いな。
それに、こうやってると楓に何かあっても直ぐに気付くことができる」
「そ、そう?」
「でも、楓用のベッドだから、やっぱり二人じゃちょっと狭いな」
「そうだね」
「じゃあ、明日からは俺の部屋のベッドで寝ような」
「え? 明日……から?」
「そう。明日からずっと。俺の気が済むまで」
「…………」
「嫌か?」
「ううん。でもなんか、子供みたい」
「子供だよ。俺にしてみれば、今でもずっと可愛い子だ」
「…………」
和やかな雰囲気だった中、不意に楓から表情が消える。
「楓?」
「あ……」
「楓、また『悪魔の声』が聞こえたのか?」
「うん」
「何て?」
「『穢れた存在のくせに』って」
辛そうに目を伏せる。
そんな楓を抱き締めて、康介はその耳元にそっと囁いた。
「綺麗だよ。楓はずっと綺麗だ」
「……ありがとう。康介さん」
目にうっすら涙を浮かべて楓は小さく微笑んだ。
気休めのような慰めの行為だったが、楓には本当に救いになっていたのだ。
憂いに揺れていた目がそっと閉じられる。
(ああ、でもあの声があの女の人の声と似てるってことは言えないな)
一つだけ、康介に言えない秘密を隠したまま、楓は眠りについた。
「楓?」
返事が無い。
そっと頬に触れると、眠っていることが分かった。
穏やかな寝顔だった。ようやく康介もほっと息をついた。
「…………」
眠る楓の髪を撫でながら、ふと昔のことを思い出す。
楓がまだ幼い頃は当たり前のように一緒に寝ていた。
激しい雷雨の夜は、雷の音を怖がって楓はずっと泣きながら康介にしがみついていた。
そんなこともあった。
その後、康介が仕事で帰りが遅くなったり家を空けたりを繰り返しているうちに、
一緒に寝る習慣は自然と消滅していったのだが。
「雨……?」
今も尚、部屋の中に響く雨音に康介はハッとする。
楓が浦坂実に拉致されて酷い暴行を受けたのは雨の夜だった。
入院中に楓が悪夢に魘されて異常な行動をとった時も雨の日だった。
そして今日も……
(もしかして、雨の音が楓にとって精神的なトラウマのトリガーになっているのか?)
そう思った康介は、ベッドを降りて窓のカーテンを閉めた。
響く雨音が少しばかり軽減される。
(これで、悪夢を見ずに済むんなら良いけどな)
楓の穏やかな眠りが守られるようにと祈りながら、康介もまた眠りに就いた。
後には、控えめになった雨音が二人を包んでいた。
水気を含んだ冷たい空気が肌を突き刺す。
そんな中、康介が目の当たりにしたのは、窓を開けて今まさに飛び降りようとしている楓の姿だった。
「なっ……」
息を呑む。思考が止まる。
が、すぐに我に返った康介は迷わず楓に向かって手を伸ばした。
「楓っ!」
強引に引き止めた腕の中に楓を抱え込み、二人して床に転がる。
這いつくばって尚も窓に向かおうとする楓を、康介は背後から抱き止めた。
「っ……!!」
楓が声にならない悲鳴を上げたのが分かった。
碌に力も無いのに康介の腕の中から必死に逃れようとする。
絶対に逃すまいとして康介は更に強く楓を抱きしめた。
力加減を間違えると壊れてしまいそうなぐらいに痩せ細った楓の体を、精一杯に抱きしめた。
「危ないだろ。ここ、8階だぞ」
「離して、離してっ……」
「離さない」
抱き締める腕の力こそ強かったが、語りかける声は限りなく優しかった。
「離して! お願いだから……」
「駄目。いくらお前のお願いでも、こればっかりは聞いてやらない」
幼児をあやすような声で楓の耳元に囁く。
決して怒ったりなんかはせずに、優しく言い聞かせるように。
しばしの無言の間、開いたままの窓から横殴りの雨と冷たい風が入り込む。
やがて観念したのか、楓は抵抗することをやめた。
落ち着いてきたものと判断し、康介は楓を拘束していた腕の力を解いた。
その途端、楓は康介の腕を強引に振り払って再び窓の方に向かおうとした。
「おいっ!」
しかし、もはや僅かな体力も残ってなかった楓は思うように立ち上がることもできず、その場に蹲った。
その姿があまりにも哀れで、もう一度抱きしめてあげようと康介はそっと手を伸ばす。
が、その手は楓によって払いのけられた。
「楓?」
明らかな拒絶だった。
こんなことは初めてで、康介は軽くショックを受ける。
「穢い……」
「え?」
「穢いから、触っちゃ駄目……」
「──!」
血を吐くかの如く、苦痛に満ちた声が絞り出された。
悲壮感でいっぱいの目から、止めどない涙が流れ続けている。
「楓、お前……」
仕事で何度か見たことがある。これは性的暴行を受けた人間の反応だ。
その仕草で、言葉で、康介は全てを理解した。
「思い出したのか。全部」
康介の問いかけに小さく頷くと、楓はそのまま俯いた。
「いつからだ?」
「病院で襲われて首を絞められた時」
「ああ……」
「はっきりと思い出したのはその時だと思う。
でも、もともと体の痛みに違和感はあった。
気付かないようにしてただけ。それに……」
楓が何か言いかけて止まった。代わりに小さな嗚咽が漏れる。
それを覆い隠すように、雨の音がひたすら強く響く。
そんな中で、康介は片膝をついて改めて楓に向かって手を伸ばした。
やはり楓に払いのけられたが、構わず強引にその頬に触れた。
そして、涙で濡れた顔を前に向かせる。
同じ目線の高さで、正面から向かい合う形になって、康介は温かい笑みを浮かべた。
「大丈夫。楓は綺麗だよ」
「…………」
「小さい時からずっと変わってない」
目からこぼれ落ちた涙を掬い、その手で楓の頭を撫でてやろうとした。
その時──
「っ……!」
突如、楓が大きく目を見開く。
絶望的な顔で虚空を見つめたかと思うと、両手で耳を押さえた。
「やめて、やめて……」
「楓?」
「許して。お願い、もう許して……」
「楓、どうしたんだ?」
止まりかかっていた涙が再び堰を切ったようにあふれ出す。
康介の呼びかけにも応じない。
ここ数日、ずっと気掛かりだった何かがそこにあると察して、康介は楓の腕を掴んだ。
「楓!」
「ひっ……!」
「怖がらなくていい。教えてくれ。楓には何かが見えているのか?
それとも聞こえているのか?」
口調こそ穏やかだったが、康介の目にはえも言われぬ圧があった。
楓は見開いたままの目にしっかりと康介の姿を映し出し、逡巡する。
そして、唇を震わせながら答えた。
「……声が」
「声?」
「声が聞こえる」
「何て?」
「『死ね』って」
「──!」
「『生きていても迷惑だ』とか『穢れた存在』とか」
「もういい! ……やめてくれ」
堪らず制して、康介は正面から思い切り楓を抱きしめた。
「そんなものにずっと一人で耐えていたのか」
「…………」
「もっと早く気付いてやれば良かった。遅くなってごめんな」
楓の頭を優しく撫でて、これまでの苦しみを労う。
しばらく黙ってそうしていた。
やがて康介が口を開く。
「なあ、楓。そんな声に負けないでくれ」
「…………」
目を逸らして楓は小さく頷く。その力は限りなく弱そうだ。
康介は楓から体を離し、両手で彼の肩を掴んだ。
そして、しっかりとお互いの目を合わせた。
「そいつは『悪魔の声』だ。絶対に負けちゃいけない」
「うん」
「『悪魔の声』より、俺の声を信じてくれ」
「康介さんの声?」
「俺は、楓が生きててくれて嬉しい。死んでほしくない。楓、お前は綺麗だ」
「…………」
『康介の声』を受けて、楓はまた涙をあふれさせた。
だが先ほどまでと違い、その涙は温かいものだった。
「『悪魔の声』より俺の声を信じてくれるよな?」
「うん」
「でももし、『悪魔の声』に負けて死にたくなったら、その時は俺を誘ってくれ」
「え?」
「俺も一緒に死んでやるから」
突然の思いもよらない康介の言葉に、楓は泣き腫らした目を大きく見開く。
「お前を一人で死なせることはしない。
あ、こっそり先に逝っても無駄だぞ。すぐに後を追ってやるからな。
で、あの世で説教してやる。“何で俺を誘わなかったんだ?”ってな」
とんでもないことを言っているのに、康介のその顔は怖いぐらい穏やかな笑顔だった。
「ダ、ダメ! そんなのダメだよ」
「そうだよな。俺も出来ればそんなことはしたくない。
だから……生きてくれ、楓。俺と一緒に」
「うん。……うん」
涙を流しながら何度も頷く楓を、康介がもう一度抱き締めた。
抱き締めながら頭を撫で、背中をさすり、とにかく優しく労った。
しばらくして、楓の涙が収まってきた頃を見計らって、康介はそっと腕を解いた。
「少しはマシになったかな」
「うん」
「ちゃんと眠れそうか?」
「うん」
「じゃあ、寝ようか」
「うん」
楓が頷くと、康介は開けっぱなしだった窓を閉めた。
そして、おもむろに楓のベッドに入る。
「え? あの、康介さん。それ僕の……」
「一緒に寝るんだよ。ほら、おいで」
「え? え?」
「今のお前を一人にするわけにはいかないからな」
「…………」
「どうした? ほら、おいで」
「う、うん」
「よーし、良い子だ」
思いもよらない展開に楓は困惑したが、それ以上に康介の優しさに心が傾いていた。
そっとベッドに入る。
少し距離をあけて遠慮がちに毛布を被ると、康介が楓を抱き寄せてきた。
「ああ、あったかい。今日は冷えてるからちょうど良いな。
それに、こうやってると楓に何かあっても直ぐに気付くことができる」
「そ、そう?」
「でも、楓用のベッドだから、やっぱり二人じゃちょっと狭いな」
「そうだね」
「じゃあ、明日からは俺の部屋のベッドで寝ような」
「え? 明日……から?」
「そう。明日からずっと。俺の気が済むまで」
「…………」
「嫌か?」
「ううん。でもなんか、子供みたい」
「子供だよ。俺にしてみれば、今でもずっと可愛い子だ」
「…………」
和やかな雰囲気だった中、不意に楓から表情が消える。
「楓?」
「あ……」
「楓、また『悪魔の声』が聞こえたのか?」
「うん」
「何て?」
「『穢れた存在のくせに』って」
辛そうに目を伏せる。
そんな楓を抱き締めて、康介はその耳元にそっと囁いた。
「綺麗だよ。楓はずっと綺麗だ」
「……ありがとう。康介さん」
目にうっすら涙を浮かべて楓は小さく微笑んだ。
気休めのような慰めの行為だったが、楓には本当に救いになっていたのだ。
憂いに揺れていた目がそっと閉じられる。
(ああ、でもあの声があの女の人の声と似てるってことは言えないな)
一つだけ、康介に言えない秘密を隠したまま、楓は眠りについた。
「楓?」
返事が無い。
そっと頬に触れると、眠っていることが分かった。
穏やかな寝顔だった。ようやく康介もほっと息をついた。
「…………」
眠る楓の髪を撫でながら、ふと昔のことを思い出す。
楓がまだ幼い頃は当たり前のように一緒に寝ていた。
激しい雷雨の夜は、雷の音を怖がって楓はずっと泣きながら康介にしがみついていた。
そんなこともあった。
その後、康介が仕事で帰りが遅くなったり家を空けたりを繰り返しているうちに、
一緒に寝る習慣は自然と消滅していったのだが。
「雨……?」
今も尚、部屋の中に響く雨音に康介はハッとする。
楓が浦坂実に拉致されて酷い暴行を受けたのは雨の夜だった。
入院中に楓が悪夢に魘されて異常な行動をとった時も雨の日だった。
そして今日も……
(もしかして、雨の音が楓にとって精神的なトラウマのトリガーになっているのか?)
そう思った康介は、ベッドを降りて窓のカーテンを閉めた。
響く雨音が少しばかり軽減される。
(これで、悪夢を見ずに済むんなら良いけどな)
楓の穏やかな眠りが守られるようにと祈りながら、康介もまた眠りに就いた。
後には、控えめになった雨音が二人を包んでいた。
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