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26 不安の影③
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明けた月曜日。
この日は朝から冷たい雨が降り注いでいた。
薄暗くどんよりとした街並み。
天気の影響なのか、今日は行き交う人の姿がやけに少ない気がする。
昼食後のひと時、康介は近所のコンビニに向かって雨の中を歩いていた。
煙草を切らしていたので、買い足しに行ったのだ。
楓と一緒に暮らすようになってからは殆ど吸わなくなった煙草。
たまに吸うことがあるとすれば、どうしようもなくやり切れない感情を誤魔化す時だ。
酷い事件を担当した時、犯人に然るべき罰が下されなかった時、犯人に同情的になってしまった時、それから……
楓のことで思い悩むことがある時。
今がまさにその時だった。
この10日で何箱も消費している。さすがに吸い過ぎだろうと自覚はしている。
しかし、止められない。
「…………」
楓は朝から酷く疲れた顔をしていた。
どうしたのか?と聞くと、夜中に怖い夢を見て起きてしまったと苦笑いで答えた。
どんな夢を見たのか?と聞けば、それは忘れてしまったという。
下手な嘘だと思った。
恐らく、浦坂に捕らえられていた時の記憶が夢の中で再現されたのだろう。
入院中にも何度かそんな様子を見た。
その影響か、食欲も失せてしまったらしく、朝食も昼食も殆ど食べなかった。
食事も睡眠も疎かにして、退院明けの体が保つはずがない。
せめて食事はしっかり取るようにと康介は強めに促した。楓の体を心配してのことだった。
その結果、楓は頑張って胃の中に食べ物を押し込んだ。程なくして吐き出してしまった。
さすがにどうしてやれば良いのか分からなくなって、康介は頭を抱えた。
ちょっと煙草でも吸って頭をリラックスさせようと思ったら、在庫が切れていたことに気付いた。
そういうわけで、康介は今、煙草を求めてコンビニに向かっている。
(昨日はまだ良い感じだったんだけどなぁ。まあ、こういうのは一進一退か)
ため息をつく。吐いた息が雨の中に溶けていった。
(精神的なものからきてるのは分かってる。
出来ることなら、愚痴でも泣き言でも何でも聞いてやりたいが、
トラウマを抉るような真似はしたくないし……)
どうしたものかと思考を巡らせている内に、康介はコンビニまで辿り着いていた。
傘を閉じて入店すると、すぐ目に付く場所に秋のスイーツフェアのコーナーがあった。
(楓に何か買っていってやろうかな)
楓は甘党でこの手のスイーツが大好きなはずだ。
何でも良いから、美味しいと思って食べてもらいたい。
そう思って商品を物色する。
(お、プリンがあるな。プリンかあ……)
ふと、康介は昔のことを思い出す。
康介と楓と、楓の母親である桜と3人で過ごしていた頃のことだ。
夜職の為、深夜に家を空ける桜に代わり、康介が楓の面倒を見ることがよくあった。
ある夜、桜が居ないのを良いことに、康介は楓にこっそりプリンを与えたことがある。
「ママには内緒だぞ。二人だけの秘密な」と言って、一緒にプリンを食べた。
その時、楓は心底嬉しそうに笑っていた。朗らかで、可愛らしい笑顔だった。
「…………」
甘い思い出に浸り、康介ははほんのりと口元に笑みを浮かべた。
++++++++++++++++
「ちょっとコンビニに行ってくる」と言って康介が自宅を出た後、楓は掃除に勤しんでいた。
10日間、手入れが行われていなかった部屋は、あちこちに汚れがたまっている。
はたきであちこちの埃を落とし、台拭きでテーブルや棚を拭き、掃除機をかけて床に落ちているゴミを掬い上げる。
そうやって掃除をすることに意識を集中させて、低いところへ落ちてゆく自分の心を踏み止まらせようとしていた。
昨夜、夜中に悪夢によって叩き起こされた後、楓は朝までずっと眠れなかった。
それは顔色の悪さに出ていたようで、真っ先に康介に指摘された。
悪夢のせいか寝不足のせいか、何も食べる気になれなかった。
そのことで康介を心配させてしまったので、無理やり口に入れて飲み込んだ。
その後、胃が押し返してきた。
康介にバレないよう、こっそりと吐いた。
(情けないよなあ)
自分の不甲斐なさを思ってため息をつく。
(結局、康介さんに迷惑かけてるじゃん)
落ち込む気持ちを誤魔化すように掃除に勤しんだ。
油断すると涙が込み上げてくるので、目に力を入れて耐える。
「ん?」
リビングのソファーテーブルに台拭きを置いた時、楓はそこに異物があることに気付いた。
「ヘアピン?」
アメジストの飾りが付いたシンプルなヘアピンが、そこに置かれていた。
誰の物か分からない。見当もつかない。
(誰のだろう。女性の物に間違いないと思うけど、心当たりが無い)
この10日の間に訪れた客の誰かだろうとは思った。
しかも、自宅に上げるほどの間柄の女性となると、それなりに親密な関係なのだろう。
康介のもとに引き取られてから10年、こんな事は無かったので非常に驚く。
それも、自分の入院中に……
「…………」
戸惑いながらヘアピンを眺めていると、不意にインターホンが鳴った。
康介が帰ってきたのかと思い、楓は慌てて玄関を開けた。
するとそこには、スーツ姿の見知らぬ女性が立っていた。
長身で凛とした雰囲気の美しい女性だと思った。
「こんにちは。あら……貴方、楓君ね」
「──えっ⁉︎」
楓は思わず目を見開いた。
「ああ、ご挨拶がまだだったわね。私は横井祐子。貴方のお父さんの仕事仲間よ」
「え? ええと……刑事さんなんですか?」
「ええ、そうよ。仕事のことでお父さんに用があってきたの。いらっしゃるかしら?」
「あ……その、ちょっと出掛けてまして。
でも、すぐに戻ると思うので中でお待ち頂けますか?」
「ええ、そうさせてもらうわね」
祐子は楓に向かってにっこりと笑って見せると、玄関を上がった。
その時、楓は気付いた。
ちらりと見た祐子のヘアピンが、そこに付いてるアメジストの飾りが、ソファーテーブルで見た物と同じだったことに。
(あの人が……?)
困惑しながらも、楓は来客用のお茶の用意に取り掛かった。
「どうぞ」
「あら、ありがとう」
差し出されたお茶を受け取りながら、祐子は綺麗に口角を上げる。
そんな彼女の目が、ある一点を捉えた。
「あら、そのペンダント!」
「え?」
祐子は楓が首からぶら下げていたアメジストのペンダントを指差した。
「アメジストね」
「はい。そうです」
「もしかして、藤咲さん……ああ、お父さんから貰ったの?」
「は、はい。安眠とか魔除けとかの効果があるらしいから、お守りにと」
「ああ、なるほどね。それであの時、私に聞いてきたのね」
「ええと、何のことですか?」
何も知らず怪訝な顔をする楓に向かって、祐子が得意気に笑った。
「数日前にね、藤咲さんから相談を受けたの。悪夢に効く雑貨は無いか? って。
それで、安眠と魔除けの効果があるアメジストを私がおススメしたの」
「そう、だったんですか」
「てっきり藤咲さん自身が必要としているんだと思ってたんだけど、
息子さんの為だったのね」
そう言って笑う祐子の顔は、どこか残念な気持ちを誤魔化しているように見えた。
どう反応すれば良いのか分からず、楓は黙ってしまう。
ちょうどその時、再びのインターホンが鳴った。
「すみません、出てきます」
今度こそ康介だろうと思い、楓は慌てて立ち上がった。
玄関を開けると、コンビニ袋をぶら下げた康介が立っていた。
「康介さん、お帰りなさい」
「ただいま──って、お前どうした? 顔が真っ青じゃないか」
「そんなことより、お客さんが来てる」
「客?」
「康介さんの職場の人。横井さんって女の人」
「ああ、横井か。何の用だろうな」
「さあ。仕事の話って言ってた」
「そうか。分かった」
楓の肩にポンと手を置くと、康介はツカツカと部屋の中に入っていった。
程なくして、康介と祐子の声が聞こえてきた。
親しい雰囲気が伝わってくる。
特に祐子の方は、先程まで楓に見せていた顔とは打って変わって可愛い素振りで康介に接していた。
康介の為のお茶を差し出して、二人の邪魔をしないように楓はそっと自室に篭った。
「…………」
扉を閉めると、楓はこれまでずっと首に掛けていたアメジストのペンダントを外して机の上に置いた。
そして、ベッドの上に膝を抱えて座る。
(あのヘアピンは横井さんのものだったんだ。
すごく親しい感じだったし、そういう仲なのかも)
そう意識すると、なぜだか胸の奥が疼くような気がした。
(そういうことなら、応援しなきゃ。康介さんの人生のために)
人として、息子として、正しい姿であろうと自分を戒める。
康介に捨てられないように、彼をがっかりさせないように、良い子であり続けなければならない。
(僕が迷惑をかけてはいけない。康介さんの人生を邪魔しちゃいけない)
呪文でも唱えるように、楓は自分に言い聞かせる。
それでも涙が込み上げそうになってくるので、楓は俯いた。
──お前の存在が邪魔なんだ──
「っ……!」
──お前が生きていることが迷惑なんだ──
「うっ……」
楓の耳に例の「謎の声」が響く。
どんなに耳を塞いでも強制的に聞かされる声。
──今すぐ消えろ──
──死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね──
「うう……」
容赦ない圧に耐えられず、ボロボロと涙がこぼれる。
せめてドアの向こうの二人には悟られまいと、楓は震える両手で必死に口を押さえた。
声が漏れないように。
(でも、でもね)
呼吸と心臓が苦しい。
苦しみに耐える中、楓は大きな疑問を心に宿す。
(何で……何で、あなたは同じ声をしているの?)
楓をずっと苛んでいる「謎の声」──それは、横井祐子の声とそっくりだった。
しかし、楓が裕子と直接話をしたのは、さっきが初めてだった。
それなのになぜ、「謎の声」は祐子にそっくりな声で楓を責め立てるのだろうか。
「…………」
訳が分からないまま、楓はただただ苦しい思いに耐え続けた。
この日は朝から冷たい雨が降り注いでいた。
薄暗くどんよりとした街並み。
天気の影響なのか、今日は行き交う人の姿がやけに少ない気がする。
昼食後のひと時、康介は近所のコンビニに向かって雨の中を歩いていた。
煙草を切らしていたので、買い足しに行ったのだ。
楓と一緒に暮らすようになってからは殆ど吸わなくなった煙草。
たまに吸うことがあるとすれば、どうしようもなくやり切れない感情を誤魔化す時だ。
酷い事件を担当した時、犯人に然るべき罰が下されなかった時、犯人に同情的になってしまった時、それから……
楓のことで思い悩むことがある時。
今がまさにその時だった。
この10日で何箱も消費している。さすがに吸い過ぎだろうと自覚はしている。
しかし、止められない。
「…………」
楓は朝から酷く疲れた顔をしていた。
どうしたのか?と聞くと、夜中に怖い夢を見て起きてしまったと苦笑いで答えた。
どんな夢を見たのか?と聞けば、それは忘れてしまったという。
下手な嘘だと思った。
恐らく、浦坂に捕らえられていた時の記憶が夢の中で再現されたのだろう。
入院中にも何度かそんな様子を見た。
その影響か、食欲も失せてしまったらしく、朝食も昼食も殆ど食べなかった。
食事も睡眠も疎かにして、退院明けの体が保つはずがない。
せめて食事はしっかり取るようにと康介は強めに促した。楓の体を心配してのことだった。
その結果、楓は頑張って胃の中に食べ物を押し込んだ。程なくして吐き出してしまった。
さすがにどうしてやれば良いのか分からなくなって、康介は頭を抱えた。
ちょっと煙草でも吸って頭をリラックスさせようと思ったら、在庫が切れていたことに気付いた。
そういうわけで、康介は今、煙草を求めてコンビニに向かっている。
(昨日はまだ良い感じだったんだけどなぁ。まあ、こういうのは一進一退か)
ため息をつく。吐いた息が雨の中に溶けていった。
(精神的なものからきてるのは分かってる。
出来ることなら、愚痴でも泣き言でも何でも聞いてやりたいが、
トラウマを抉るような真似はしたくないし……)
どうしたものかと思考を巡らせている内に、康介はコンビニまで辿り着いていた。
傘を閉じて入店すると、すぐ目に付く場所に秋のスイーツフェアのコーナーがあった。
(楓に何か買っていってやろうかな)
楓は甘党でこの手のスイーツが大好きなはずだ。
何でも良いから、美味しいと思って食べてもらいたい。
そう思って商品を物色する。
(お、プリンがあるな。プリンかあ……)
ふと、康介は昔のことを思い出す。
康介と楓と、楓の母親である桜と3人で過ごしていた頃のことだ。
夜職の為、深夜に家を空ける桜に代わり、康介が楓の面倒を見ることがよくあった。
ある夜、桜が居ないのを良いことに、康介は楓にこっそりプリンを与えたことがある。
「ママには内緒だぞ。二人だけの秘密な」と言って、一緒にプリンを食べた。
その時、楓は心底嬉しそうに笑っていた。朗らかで、可愛らしい笑顔だった。
「…………」
甘い思い出に浸り、康介ははほんのりと口元に笑みを浮かべた。
++++++++++++++++
「ちょっとコンビニに行ってくる」と言って康介が自宅を出た後、楓は掃除に勤しんでいた。
10日間、手入れが行われていなかった部屋は、あちこちに汚れがたまっている。
はたきであちこちの埃を落とし、台拭きでテーブルや棚を拭き、掃除機をかけて床に落ちているゴミを掬い上げる。
そうやって掃除をすることに意識を集中させて、低いところへ落ちてゆく自分の心を踏み止まらせようとしていた。
昨夜、夜中に悪夢によって叩き起こされた後、楓は朝までずっと眠れなかった。
それは顔色の悪さに出ていたようで、真っ先に康介に指摘された。
悪夢のせいか寝不足のせいか、何も食べる気になれなかった。
そのことで康介を心配させてしまったので、無理やり口に入れて飲み込んだ。
その後、胃が押し返してきた。
康介にバレないよう、こっそりと吐いた。
(情けないよなあ)
自分の不甲斐なさを思ってため息をつく。
(結局、康介さんに迷惑かけてるじゃん)
落ち込む気持ちを誤魔化すように掃除に勤しんだ。
油断すると涙が込み上げてくるので、目に力を入れて耐える。
「ん?」
リビングのソファーテーブルに台拭きを置いた時、楓はそこに異物があることに気付いた。
「ヘアピン?」
アメジストの飾りが付いたシンプルなヘアピンが、そこに置かれていた。
誰の物か分からない。見当もつかない。
(誰のだろう。女性の物に間違いないと思うけど、心当たりが無い)
この10日の間に訪れた客の誰かだろうとは思った。
しかも、自宅に上げるほどの間柄の女性となると、それなりに親密な関係なのだろう。
康介のもとに引き取られてから10年、こんな事は無かったので非常に驚く。
それも、自分の入院中に……
「…………」
戸惑いながらヘアピンを眺めていると、不意にインターホンが鳴った。
康介が帰ってきたのかと思い、楓は慌てて玄関を開けた。
するとそこには、スーツ姿の見知らぬ女性が立っていた。
長身で凛とした雰囲気の美しい女性だと思った。
「こんにちは。あら……貴方、楓君ね」
「──えっ⁉︎」
楓は思わず目を見開いた。
「ああ、ご挨拶がまだだったわね。私は横井祐子。貴方のお父さんの仕事仲間よ」
「え? ええと……刑事さんなんですか?」
「ええ、そうよ。仕事のことでお父さんに用があってきたの。いらっしゃるかしら?」
「あ……その、ちょっと出掛けてまして。
でも、すぐに戻ると思うので中でお待ち頂けますか?」
「ええ、そうさせてもらうわね」
祐子は楓に向かってにっこりと笑って見せると、玄関を上がった。
その時、楓は気付いた。
ちらりと見た祐子のヘアピンが、そこに付いてるアメジストの飾りが、ソファーテーブルで見た物と同じだったことに。
(あの人が……?)
困惑しながらも、楓は来客用のお茶の用意に取り掛かった。
「どうぞ」
「あら、ありがとう」
差し出されたお茶を受け取りながら、祐子は綺麗に口角を上げる。
そんな彼女の目が、ある一点を捉えた。
「あら、そのペンダント!」
「え?」
祐子は楓が首からぶら下げていたアメジストのペンダントを指差した。
「アメジストね」
「はい。そうです」
「もしかして、藤咲さん……ああ、お父さんから貰ったの?」
「は、はい。安眠とか魔除けとかの効果があるらしいから、お守りにと」
「ああ、なるほどね。それであの時、私に聞いてきたのね」
「ええと、何のことですか?」
何も知らず怪訝な顔をする楓に向かって、祐子が得意気に笑った。
「数日前にね、藤咲さんから相談を受けたの。悪夢に効く雑貨は無いか? って。
それで、安眠と魔除けの効果があるアメジストを私がおススメしたの」
「そう、だったんですか」
「てっきり藤咲さん自身が必要としているんだと思ってたんだけど、
息子さんの為だったのね」
そう言って笑う祐子の顔は、どこか残念な気持ちを誤魔化しているように見えた。
どう反応すれば良いのか分からず、楓は黙ってしまう。
ちょうどその時、再びのインターホンが鳴った。
「すみません、出てきます」
今度こそ康介だろうと思い、楓は慌てて立ち上がった。
玄関を開けると、コンビニ袋をぶら下げた康介が立っていた。
「康介さん、お帰りなさい」
「ただいま──って、お前どうした? 顔が真っ青じゃないか」
「そんなことより、お客さんが来てる」
「客?」
「康介さんの職場の人。横井さんって女の人」
「ああ、横井か。何の用だろうな」
「さあ。仕事の話って言ってた」
「そうか。分かった」
楓の肩にポンと手を置くと、康介はツカツカと部屋の中に入っていった。
程なくして、康介と祐子の声が聞こえてきた。
親しい雰囲気が伝わってくる。
特に祐子の方は、先程まで楓に見せていた顔とは打って変わって可愛い素振りで康介に接していた。
康介の為のお茶を差し出して、二人の邪魔をしないように楓はそっと自室に篭った。
「…………」
扉を閉めると、楓はこれまでずっと首に掛けていたアメジストのペンダントを外して机の上に置いた。
そして、ベッドの上に膝を抱えて座る。
(あのヘアピンは横井さんのものだったんだ。
すごく親しい感じだったし、そういう仲なのかも)
そう意識すると、なぜだか胸の奥が疼くような気がした。
(そういうことなら、応援しなきゃ。康介さんの人生のために)
人として、息子として、正しい姿であろうと自分を戒める。
康介に捨てられないように、彼をがっかりさせないように、良い子であり続けなければならない。
(僕が迷惑をかけてはいけない。康介さんの人生を邪魔しちゃいけない)
呪文でも唱えるように、楓は自分に言い聞かせる。
それでも涙が込み上げそうになってくるので、楓は俯いた。
──お前の存在が邪魔なんだ──
「っ……!」
──お前が生きていることが迷惑なんだ──
「うっ……」
楓の耳に例の「謎の声」が響く。
どんなに耳を塞いでも強制的に聞かされる声。
──今すぐ消えろ──
──死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね──
「うう……」
容赦ない圧に耐えられず、ボロボロと涙がこぼれる。
せめてドアの向こうの二人には悟られまいと、楓は震える両手で必死に口を押さえた。
声が漏れないように。
(でも、でもね)
呼吸と心臓が苦しい。
苦しみに耐える中、楓は大きな疑問を心に宿す。
(何で……何で、あなたは同じ声をしているの?)
楓をずっと苛んでいる「謎の声」──それは、横井祐子の声とそっくりだった。
しかし、楓が裕子と直接話をしたのは、さっきが初めてだった。
それなのになぜ、「謎の声」は祐子にそっくりな声で楓を責め立てるのだろうか。
「…………」
訳が分からないまま、楓はただただ苦しい思いに耐え続けた。
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