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10 失われた記憶②

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杉並中央警察署の事務所にて。
康介は、まず楓が意識を取り戻したことを木野井に報告した。
会話もスムーズに出来たことを伝えると、仲間たちも嬉しそうに喜んでくれた。
ただ、この“嬉しそう”には含みがあったことに、康介は気付いていなかった。
気付く余裕など無かった。
また、為すべき書類仕事は思っていたより多く、全てをこなすのに結構な時間がかかってしまった。
康介がようやく楓の元に戻ってこれた時、時刻は夜の6時過ぎだった。
楓は眠っていた。

(すぐに終わらせて戻るって言ったのにな。俺のバカ)

自己嫌悪で項垂れる。
「すぐに戻るから」「今日は早く帰るから」そう言って、これまで何度もその言葉を破ってきている。
刑事という職業柄仕方がないことが多いのは事実だが。
それでも楓は、「全然大丈夫だから、気にしないで」「お仕事大変だったんでしょ?お疲れ様」などと言って、いつも笑顔で康介を労ってくれていた。
今は、その労いの言葉は聞けない。聞くわけにはいかない。

「ごめんな、楓」

眠る楓に向けて、そっと囁いた。
その後、ギリギリ最後まで粘ったが、楓と話をすることは叶わなかった。
面会可能時間を終えて、康介は病院を後にする。
楓が意識を取り戻したことで緊急性が無くなり、
その結果、康介は夜間の付き添いが出来なくなった。
なんとか付き添いを継続させて欲しいと食い下がったが、
「病院のスタッフだけで大丈夫ですから」と断られた。
とどのつまり、「邪魔だから帰れ」ということだ。

夜の9時。
自宅に帰り着く。暗くて静かで寂しい。
カップ麺やコンビニ弁当で適当に食事を済ませる。
安っぽい味だったが、ここ2日ほどで散々咀嚼した苦しみの味を思えば、充分に美味かった。



翌日。
今日から月曜日だが、当然ながら楓は学校に行けるような状態ではない。
康介は、親の責務として担任に連絡し、簡単に事情を説明した。
担任は突然のことに驚き詳細を知りたがっていたが、適当に誤魔化した。
なんせ、事件はまだ捜査中なのだ。外部の人間には言えないことの方が多い。

(とは言え、いずれはちゃんと説明しなければならないんだよな)

事件のことも。楓が受けた被害のことも。

(どこまで話して良いものか)

少し先のことを考えて頭を悩ませつつ、康介は自宅マンションを出た。
真っ直ぐに職場である杉並中央警察署に向かう。
今日の楓は午前中に検査の予定が入っている為、康介は病院に居ても意味が無い。
良い機会だから、今の内に溜まっていた事務処理を済ませておくことにした。

捜査第一課の事務所にて。
浦坂実の捜査に携わる刑事たちは殆ど出払っていた。
恐らく、手がかりを求めて方々を歩き回っているのだろう。
康介は事務所で淡々と書類仕事をこなした。

そうして午後1時頃、康介は事務所を出て楓の居る病院に向かった。
もう既に検査も終わっているはずだ。
楓の体調次第では、一緒に昼食を食べることも出来るかもしれない。
康介は足を弾ませて楓の待つ病室へ向かった。

「え⁉︎」

驚き、目を見開いて康介は足を止めた。
彼の目の前には、同僚の刑事が二人、立っていた。
年配のベテラン刑事・米寺啓之よねでらのりゆきと若手刑事・高倍京二たかべきょうじだった。
彼らはたった今、楓の病室から出てきたのだ。

「よお、藤咲」
「何やってるんですか、あんたら……」
「何って仕事だよ。被害者からの事情聴取。
 楓君が話せる状態になったって、昨日お前が教えてくれただろ」
「俺はそんなつもりで言ったわけじゃない」
「心配するな。医者の許可もちゃんと取ってある」
「だからって、楓はまだ記憶も精神状態も不安定なんです。
 無理をさせて、治療に支障が出たらどうしてくれるんですか⁉︎」

尊大な態度の米寺に向かって康介が食ってかかる。
それを、高倍が申し訳なさそうな顔で宥めた。

「すみません、藤咲さん。僕らとしても心苦しかったんですが、
 立場上やらざるを得なくて」
「まあ、そんな怖い顔をするな。坊やをあんまり怖がらせないように、
 俺たちも出来るだけ優しくしてやったからよ」
「楓と何を話したんですか?」
「事件のことについて、何か覚えてることは無いかって聞いただけだ」
「楓は、事件のことは何も覚えてないんです」
「ああ、そう言ってたな。だが、一時的に忘れてるだけで、
 きっかけがあれば何か思い出すかも知れんだろう?」
「思い出させたくないんですよ。あんな忌まわしい記憶なんか……!」
「なあ、藤咲。親として子供を守ってやりたい気持ちは分かるが、
 これが俺たちの仕事だろ?
 お前だって、今までずっとこうやって仕事をしてきたんだから分かるだろ?」
「…………」
「ま、そういうわけだ。何か思い出したら、また教えてくれ」

何も言い返すことが出来ず、険しい顔のまま黙ってしまった康介を置いて、二人の刑事はその場を立ち去る。
康介は悔しい気持ちを堪えるように、握った拳を震わせた。

(悔しいが……確かにそうだ。
 俺は今まで、傷付いて悲しみの最中にいる被害者に事情聴取をしてきた。
 捜査の為、被害者の為と言って。それが仕事だった。それが正しいと思ってた)

被害者とその家族がどれだけ辛い思いに耐えながら事情聴取に応じてくれていたのか……今になって思い知る。

(クソッ……!)

忌々しい思いを拳の中に押し込めて、康介は病室の扉を開けた。

「楓……?」

楓はベッドの上で上体を起こしていた。
俯いて何か考え込んでいる、その顔は暗く色が悪い。

「楓? おい、楓!」

呼びかけても反応がなかった為、軽く肩を揺さぶる。
すると楓はビクッと体を震わせて、怯えたような視線を向けた。
が、そこに居るのが康介だと分かると、すぐに緊張を解いた。

「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「そうは見えなかったが」

楓はぼんやりなどしていなかった。むしろ逆だった。

「さっき刑事の奴らが来ただろう? そいつらに何か言われたか?」
「えっと、事件のことについて何か覚えてることはないかって聞かれた。
 でも、何も覚えてなかったから、何も答えられなくて……」
「良いんだよ、それで。何も思い出さなくて良い。全部忘れろ。
 事件のことも、あの刑事どものことも、お前は何も気にしなくて良いから」
「でも、思い出せたら康介さんの役に立てるって」
「あいつら、そんな風に吹き込んだのか」

楓から無理にでも情報を引き出そうとする、そのやり口に康介は大いにため息をつく。
そして康介は楓の両肩を掴み、しっかりと顔を向かい合わせた。

「なあ、楓。俺のお願いを聞いてくれるか?」
「え? う、うん」
「事件のことなんか考えないで、自分の体を治すことだけに専念してほしい。
 俺からのお願いだ。……聞いてくれるな?」
「……はい」
「よーし、良い子だ」

楓が素直に首を縦に下ろしたのを見て、康介は満足げに笑った。
そして、よしよしと優しく頭を撫でる。
ちょうどその時、病室の扉が開き、配膳担当の看護師が現れた。
なるほど、少しは食べられるようになってきたのだろう。

ほどなくして、楓の為に用意された食事がベッド用テーブルに並べられた。
薄いお粥とスープだけの寂しいメニューだったが、今はこれが精一杯なんだろう。

「さてと、じゃあ昼飯にするか。
 今日は一緒に食べれるかもって思って楽しみにしてたんだよな」
「康介さんは何を?」
「コンビニで弁当を買ってきた」
「そっか」
「あーあ、早く楓の手料理が食いてえな」
「うん。僕も作りたい」
「じゃあ、さっさと体を治さないとな」
「うん、頑張るね」
「よしよし、やっぱり楓は良い子だな」

満足のいく答えが聞けて、康介は嬉しそうに笑った。
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