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5 壊された宝物①
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午後5時半頃。
人通りの少ない道路に佇んでいる白いワゴン車があった。
しばらくすると、遠くから制服姿の少年が現れる。
中性的な顔立ちで、一見すると男子か女子か分からないその少年が、停まっていた白ワゴン車の横を通りかかる。
次の瞬間、車のドアが勢いよく開き、二人組の男が飛び出てきた。
二人がかりで襲われて、少年は何の抵抗もできないまま無理やり車の中に押し込められる。
そうして車は急発進して走り去って行った。
後には、何も無かったかのような静寂だけが残された。
「間違いありません。この少年は楓……俺の、息子です」
提供された防犯カメラの映像を見つめながら、康介は低い声で唸るように答えた。
河戸晴子が拉致された状況とほぼ同じだった。
二人組の犯人──その内の一人は、浦坂実で間違いない。
恐らくは、彼が主犯だろう。
「しかし、何でまた君の息子が狙われたんだ」
「これは俺への復讐です」
「復讐?」
訝しがる木野井係長に、康介は例の封書を手渡す。
「これは……!」
「河戸正憲に送られたものと全く同じものです。今日、俺宛に届いてました」
「なんと……! しかし、君と浦坂に何の接点がある?」
「10年前、浦坂実を逮捕したのが俺なんです」
「……! そうか。そうだったのか」
「全てを失った浦坂は、自分が逮捕されるきっかけを作った河戸さんと、
手錠をかけた俺のことをずっと恨んでたんです」
「その復讐が“大切なものを奪い取ってやる”、なのか」
「………」
重い空気の中、木野井係長が康介の肩に手を置いた。
「後の捜査は我々だけでやる。藤咲、お前は自宅で待機しておけ」
「でもっ……!」
「今のお前では捜査員として使いものにならない」
「…………」
「命令だ。自宅で待機しておけ。何かあったらすぐに連絡する」
「……分かりました」
唇を強く噛みしめて、康介は捜査本部を立ち去った。
怒り、後悔、恐怖……
あらゆる苦しみの感情が綯い交ぜになって渦を巻き、康介を内側から壊そうとしてくる。
「…………」
暗い自宅のソファに腰を下ろし、康介はひとり不安に耐えていた。
ふと見ると、時計の針が9時を過ぎようとしている。
楓が拉致されてから、既に3時間以上が経っていた。
河戸晴子の場合は、拉致されてから3時間後に殺害されたことが判明している。
もしかすると、楓も今頃──
(やめろ!やめろ!やめてくれ!!)
起こり得る未来の一つとして、最悪の事態が脳裏を過ぎる。
耐え難いストレスで吐きそうになった。
胃から喉に迫り上がる苦味を押し込めて、両手で頭を抱える。
その手は、カタカタと震えていた。
その時、不意にインターホンの音が鳴り響いた。
康介はハッと我に返る。
玄関を開けると、そこには同僚の横井祐子が立っていた。
いつからそうだったのか、彼女の背後では強い雨が降り注いでいる。
「横井……」
「どうも」
「捜査に何か進展があったのか⁉︎」
「いえ、今のところはまだ」
「そうか。じゃあ、何でここに?」
「係長の命令です。藤咲さんが一人で無茶をしないよう、
傍に付いておくようにとのことで」
「見張り役か」
「見守り役です」
そう言って祐子はぶら下げていたコンビニ袋を持ち上げて見せた。
「温かいココアを買ってきたんです。
食欲なんて無いと思いますけど、これだけでもどうですか?」
「ああ、ありがとう。とりあえず上がってくれ」
「お邪魔します」
リビングに通された祐子は、棚の上の写真立てに目を落とす。
そこには、若き日の康介と桜と、幼い楓が笑顔で写っている写真があった。
「これ、亡くなった奥様ですか?」
「え? ……ああ、そんなところだ」
「本当に今の楓くんとよく似てますね」
「ああ、顔は似てるな。性格は違うけど」
「どんな風に違うんですか?」
「母親の桜は細かいことは気にしないでいつも笑ってるタイプだったな。
楓はその逆で、繊細で傷付きやすいところがあるんだ。
その分、他人への気配りがよくできて……」
楓のことを話しながら、康介は肩を落として俯く。
「あんな良い子が、俺のせいで……!」
「藤咲さん、貴方のせいじゃありませんよ」
「いや、俺のせいだ。俺のせいであいつは浦坂に拉致されたんだ」
「藤咲さん、どうか自分を責めないで下さい」
「俺は刑事だから、立場上恨みを買うことぐらい珍しくないし、
恨みの矛先が俺に来る分には何とも思ってなかったんだ」
「…………」
「でも、その矛先が楓に向けられるなんて……
あいつは何も悪くないのに。俺のせいで!」
力無く項垂れる康介にそっと寄り添い、祐子は彼の背中を優しくさすった。
「信じましょう。楓くんの無事を」
「…………」
室内に雨音が響く中、ソファに座る二人の距離がよりいっそう近くなる──
その時、不意に電話の呼び出し音がけたたましく鳴り響いた。
「あ、すみません。係長からです」
祐子が携帯端末を取り出して電話に応じる。
「はい。はい、こっちは大丈夫です。
……新宿ですか。分かりました。では、私は引き続きここで」
電話を切った時、祐子の眼前には康介が迫っていた。
「今、新宿と言ったか?」
「えっと、それは……」
「楓の居場所が分かったんだな⁉︎」
「まだ、そうと決まったわけでは……」
「頼む、教えてくれ!新宿のどこに行けば良い⁉︎」
「…………」
「頼む、どうか……」
康介に両肩を掴まれて、祐子は困惑する。
しかし、悲壮感に満ちた康介の顔を前にして、ついに折れてしまった。
「西新宿にあるアパート『夕顔荘』の105号室です」
「そこに楓がいるんだな⁉︎」
「確証はありません。浦坂が違法薬物の売買に使っていた場所がその部屋だと判明しただけで……」
「ありがとう」
祐子の話を最後まで聞かず、康介は部屋を飛び出した。
「ちょっと! 今から向かうつもりですか⁉︎」
康介は祐子の問いかけに答えない。
「せめて私も一緒に……」
祐子は康介の背に手を伸ばす。
が、その目の前でバタンと玄関の扉は閉じられてしまったのだった。
人通りの少ない道路に佇んでいる白いワゴン車があった。
しばらくすると、遠くから制服姿の少年が現れる。
中性的な顔立ちで、一見すると男子か女子か分からないその少年が、停まっていた白ワゴン車の横を通りかかる。
次の瞬間、車のドアが勢いよく開き、二人組の男が飛び出てきた。
二人がかりで襲われて、少年は何の抵抗もできないまま無理やり車の中に押し込められる。
そうして車は急発進して走り去って行った。
後には、何も無かったかのような静寂だけが残された。
「間違いありません。この少年は楓……俺の、息子です」
提供された防犯カメラの映像を見つめながら、康介は低い声で唸るように答えた。
河戸晴子が拉致された状況とほぼ同じだった。
二人組の犯人──その内の一人は、浦坂実で間違いない。
恐らくは、彼が主犯だろう。
「しかし、何でまた君の息子が狙われたんだ」
「これは俺への復讐です」
「復讐?」
訝しがる木野井係長に、康介は例の封書を手渡す。
「これは……!」
「河戸正憲に送られたものと全く同じものです。今日、俺宛に届いてました」
「なんと……! しかし、君と浦坂に何の接点がある?」
「10年前、浦坂実を逮捕したのが俺なんです」
「……! そうか。そうだったのか」
「全てを失った浦坂は、自分が逮捕されるきっかけを作った河戸さんと、
手錠をかけた俺のことをずっと恨んでたんです」
「その復讐が“大切なものを奪い取ってやる”、なのか」
「………」
重い空気の中、木野井係長が康介の肩に手を置いた。
「後の捜査は我々だけでやる。藤咲、お前は自宅で待機しておけ」
「でもっ……!」
「今のお前では捜査員として使いものにならない」
「…………」
「命令だ。自宅で待機しておけ。何かあったらすぐに連絡する」
「……分かりました」
唇を強く噛みしめて、康介は捜査本部を立ち去った。
怒り、後悔、恐怖……
あらゆる苦しみの感情が綯い交ぜになって渦を巻き、康介を内側から壊そうとしてくる。
「…………」
暗い自宅のソファに腰を下ろし、康介はひとり不安に耐えていた。
ふと見ると、時計の針が9時を過ぎようとしている。
楓が拉致されてから、既に3時間以上が経っていた。
河戸晴子の場合は、拉致されてから3時間後に殺害されたことが判明している。
もしかすると、楓も今頃──
(やめろ!やめろ!やめてくれ!!)
起こり得る未来の一つとして、最悪の事態が脳裏を過ぎる。
耐え難いストレスで吐きそうになった。
胃から喉に迫り上がる苦味を押し込めて、両手で頭を抱える。
その手は、カタカタと震えていた。
その時、不意にインターホンの音が鳴り響いた。
康介はハッと我に返る。
玄関を開けると、そこには同僚の横井祐子が立っていた。
いつからそうだったのか、彼女の背後では強い雨が降り注いでいる。
「横井……」
「どうも」
「捜査に何か進展があったのか⁉︎」
「いえ、今のところはまだ」
「そうか。じゃあ、何でここに?」
「係長の命令です。藤咲さんが一人で無茶をしないよう、
傍に付いておくようにとのことで」
「見張り役か」
「見守り役です」
そう言って祐子はぶら下げていたコンビニ袋を持ち上げて見せた。
「温かいココアを買ってきたんです。
食欲なんて無いと思いますけど、これだけでもどうですか?」
「ああ、ありがとう。とりあえず上がってくれ」
「お邪魔します」
リビングに通された祐子は、棚の上の写真立てに目を落とす。
そこには、若き日の康介と桜と、幼い楓が笑顔で写っている写真があった。
「これ、亡くなった奥様ですか?」
「え? ……ああ、そんなところだ」
「本当に今の楓くんとよく似てますね」
「ああ、顔は似てるな。性格は違うけど」
「どんな風に違うんですか?」
「母親の桜は細かいことは気にしないでいつも笑ってるタイプだったな。
楓はその逆で、繊細で傷付きやすいところがあるんだ。
その分、他人への気配りがよくできて……」
楓のことを話しながら、康介は肩を落として俯く。
「あんな良い子が、俺のせいで……!」
「藤咲さん、貴方のせいじゃありませんよ」
「いや、俺のせいだ。俺のせいであいつは浦坂に拉致されたんだ」
「藤咲さん、どうか自分を責めないで下さい」
「俺は刑事だから、立場上恨みを買うことぐらい珍しくないし、
恨みの矛先が俺に来る分には何とも思ってなかったんだ」
「…………」
「でも、その矛先が楓に向けられるなんて……
あいつは何も悪くないのに。俺のせいで!」
力無く項垂れる康介にそっと寄り添い、祐子は彼の背中を優しくさすった。
「信じましょう。楓くんの無事を」
「…………」
室内に雨音が響く中、ソファに座る二人の距離がよりいっそう近くなる──
その時、不意に電話の呼び出し音がけたたましく鳴り響いた。
「あ、すみません。係長からです」
祐子が携帯端末を取り出して電話に応じる。
「はい。はい、こっちは大丈夫です。
……新宿ですか。分かりました。では、私は引き続きここで」
電話を切った時、祐子の眼前には康介が迫っていた。
「今、新宿と言ったか?」
「えっと、それは……」
「楓の居場所が分かったんだな⁉︎」
「まだ、そうと決まったわけでは……」
「頼む、教えてくれ!新宿のどこに行けば良い⁉︎」
「…………」
「頼む、どうか……」
康介に両肩を掴まれて、祐子は困惑する。
しかし、悲壮感に満ちた康介の顔を前にして、ついに折れてしまった。
「西新宿にあるアパート『夕顔荘』の105号室です」
「そこに楓がいるんだな⁉︎」
「確証はありません。浦坂が違法薬物の売買に使っていた場所がその部屋だと判明しただけで……」
「ありがとう」
祐子の話を最後まで聞かず、康介は部屋を飛び出した。
「ちょっと! 今から向かうつもりですか⁉︎」
康介は祐子の問いかけに答えない。
「せめて私も一緒に……」
祐子は康介の背に手を伸ばす。
が、その目の前でバタンと玄関の扉は閉じられてしまったのだった。
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