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番外編
その後の日常⑤熱の日*
しおりを挟む「楓?」
夜の11時。
仕事を終えて自宅に帰ってきた康介を迎えたのは、暗く静まり返った空間だった。
いつかの事件を思い出して不安に駆られる。
廊下の電気を点けて、焦った足取りで部屋に入った。
「楓!」
リビングへの扉を開けた康介の目に、倒れている楓の姿が映し出される。
ソファーの上でぐったりとしていた。
「楓、どうした? 大丈夫か?」
慌てて駆け寄り軽く揺さぶるが、楓の目は硬く固く閉ざされたままだった。
その時、康介は気付いた。
腕の中に伝わる、異常な体温に。
「酷い熱だ」
顔を険しくさせて、康介は楓の体を抱き上げる。
そのまま寝室に運んだ。
丁寧にベッドの上に横たわらせて、改めて様子を見た。
辛そうに顔を歪めていて、その額や頬には汗が浮かんでいる。
そっと額に手を当てると、あからさまな高熱が確認できた。
苦しそうに吐き出される息もまた熱い。
「辛そうだな。可哀想に」
いつからこんな状態だったのだろうか。
夕方に電話した頃は、受け答えはフワフワしていたが意識はあった。
仕事の都合で帰りが遅くなることを伝えたのだが……倒れたのはその後だろう。
(この様子だとまともに食事もとってないだろうな)
今からでもお粥の一口で良いから何か食べて欲しいと願う。
が、現状ではとても無理だろう。
小さくため息をついて、せめてもの慰めにと康介は楓の頭を撫でた。
それから、襟元のボタンを外して服を緩める。
少しでも体を楽にしてやりたい一心だった。
(解熱剤を飲ませてやった方が良いかな)
風邪などの場合、体内のウイルスを殺す為に熱は出してしまった方が良いと聞くが……
この苦しみに満ちた顔は見ていられない。
解熱剤を求めて、康介はリビングにある薬棚を目指した。
「ええと、解熱剤は……と、あった。これだな」
市販の解熱剤の箱を見つけ出す。
既にいくらか減っていたことが気になったが、今は構っていられない。
冷水をたっぷり入れたコップと共に、康介は再び寝室に戻った。
「さあ、楓。辛いだろうがちょっとだけ起きてくれ」
声を掛けて軽く揺さぶるが、やはり反応は無い。
仕方なく無理やり抱き起こす。
相変わらずの高熱に心が痛みを覚えた。
「楓、解熱剤を飲もうな。少しは楽になるだろうから」
優しく呼びかけるが、楓はぐったりとしだままだった。
「……仕方ないな」
意を決した康介は、錠剤を取り出して自らの口に入れた。
次いで、水も口に含む。
そして、そのまま楓と唇を重ねた。
深い口付けをするときと同じように舌を捻じ込み、解熱剤を押し入れる。
口から零れ落ちてしまわないように、しばらくの間ずっと唇を重ね続けた。
やがて楓の喉が動く。
無事に解熱剤を飲み込んだようだ。
ひとまず安心して、康介は唇を離した。
(まだ水を飲ませないとな)
発熱の影響で汗をかいている。
今の楓には、本人の意思とは関係なく沢山の水分が必要なはずだ。
康介は、コップに残っていた冷水を口に含み、再び楓と唇を重ねた。
口移しで水を与える。
「んん……」
何度目かの口移しを終えたとき、俄かに楓の瞼が震えた。
やがて、その目がゆっくりと開かれる。
「楓!」
ぼんやりとした眼差しに康介の姿が映し出される。
楓への心配で歪んだ顔をしていた。
「康介……さん?」
「楓、大丈夫……なわけがないよな」
苦笑いを浮かべて、康介は楓の頭を撫でた。
楓は熱に浮かされながら苦しそうに浅い呼吸を繰り返す。
「とにかく、楽になるまで寝ておくといい」
言いながら、康介は楓の体を横たわらせる。
楓は、操り人形の如く康介にされるがままだった。
「水、飲めるか?」
コップを手に取って見せるが、楓はぼんやりとした顔のまま明後日の方を眺めていた。
「じゃあ、口移しだな」
小さく苦笑して、康介は再び自身の口の中に水を含ませた。
そして、楓と唇を重ねる。
口伝いに水分を押し込む。
喉が動いて水を飲みこんだと思ったとき、楓はぼんやりと開けていた目を閉じた。
体の全てを康介に預けるようにして意識を失う。
よしよし、と慈しむような手つきで頭を撫でて、康介は楓の体を横たわらせた。
それから一旦寝室を出る。
ほどなくして戻ってきた康介の腕には、タオルと着替えの服が抱えられていた。
「結構汗をかいてるみたいだから、着替えような」
意識の無い相手に話しかける。
当然、返事は無い。
それでも康介は口元に微笑みを浮かべながら、楓の服に手をかけた。
自分が親らしいことをしている、と実感していた。
ボタンをひとつひとつを丁寧に外し、服を脱がせる。
素肌が露わになった。
細く白い裸体が、呼吸に合わせて揺らめく。
汗ばんだ生肌は妙に艶かしくて、康介は心臓が高鳴るのを自覚した。
「あ……」
タオルで汗を拭いてやっていた康介の手が、意図せず彼の胸の飾りに触れる。
ピクンと楓は体を震わせた。
意識は無いはずなのに、その体は敏感に反応しているようだった。
悩ましく寄せられる眉、荒い吐息……それらの全てが魅惑的に映し出される。
「…………」
汗を拭いていた手を止めて、康介はじっと楓を見つめた。
そして、思わず唇を奪う。
先ほどまでの、口移しで水を飲ませていたものとはわけが違う、
貪るような深い口付けだった。
舌を捻じ込むと、強い熱が伝わって来る。
それはますます康介を興奮させた。
ついさっきまで親としての慈愛に満ちていた康介だったが、今は雄の顔になっていた。
「んん……」
息苦しさから楓が顔を背ける。
すると康介は、唇から首筋へ目的地を移動させた。
皮膚を甘噛みすると、楓は小さく喘いだ。
それに気を良くした康介は、更に歯を立てる。
「あ……あ……」
喘ぎながら楓は更に胸の辺りに汗を滲ませた。
それを舐めとりながら、康介は甘い味わいを堪能する。
更に胸の先端を口に含み舌で転がして吸い上げると、熱の影響か楓は普段よりも素直に喘いだ。
すっかり雄のスイッチが入った康介は、目下のご馳走に喉を鳴らす。
が、僅かに残っていた理性が彼に静止を促した。
(もうよせ。相手は病人なんだぞ。これ以上は駄目だ)
強く拳を握り締め、己を抑制する。気持ちを鎮める。
反応してしまった生理現象については風呂かトイレで処理してしまおう。
そう思って体を離した時、不意に伸ばされた楓の手が康介の服の裾を掴んだ。
「あ、楓?」
「康介……さん」
ぼんやりとした眼差しにたっぷりの潤みを乗せて、楓は康介を見つめる。
それは、彼の理性を壊すには充分な色気を伴っていた。
しかし、相手が病人であることをもう一度思い出して、康介は踏みとどまろうとした。
「ごめん。体、辛いよな」
「康介さん、お願い……お願い……」
目を潤ませて息も絶え絶えに何かを懇願するその様は、康介の理性にとどめを刺そうとする。
「んっ……う……」
箍の外れた康介は、勢い任せに楓を掻き抱いた。
そして、思うがままに口付けをする。
唇を、首筋を、胸を、激しく貪るように食らい付いた。
意識があるのか無いのか分からない顔のまま、楓はされるがままにひたすら喘ぐ。
そして康介が更に深い行為に及ぼうとした時だった。
「…………」
不意に彼の手がピタリと止まる。
消えかけていた理性が復活して、その目に光が宿った。
「楓?」
彼の口から漏れる熱い吐息。
その中に、“たすけて”と声が聞こえたのだ。
蚊の鳴くような声だったが、康介の耳には確かに届いた。
それは、昂りかけていた康介の意識を正気に戻した。
「……そうだな。すまん」
頷いて、康介はそっと体を離す。
それから、もう一度だけ愛情をたっぷり込めた優しいキスをした。
「続きは体調が良くなってからだな」
とうに意識を手放している楓は返事をしない。
だが、彼が拒否などしないことを康介はよく知っている。
微笑みながら、伸ばした手で楓の頭を優しく撫でた。
そうして、持ってきたタオルで体の汗を拭き服を着替えさせてやる。
しばらく様子を見ていると、薬が効いてきたのか高熱に苦しんでいる様子は感じられなくなってきた。
顔色は良くないが、眠りが穏やかになってきたことを悟る。
少しばかり安堵してほっと息をつく。
その時の康介は、間違いなく優しい父親の顔になっていた。
「さてと、今のうちに俺もやるべきことを済ませておくか」
思えば、帰ってきてそのままのスーツ姿だ。
扉を開けるなりぐったりとしている楓を目の当たりにしたのだから、仕方ないことだが。
「とりあえずシャワーでも浴びるてくるかな」
楓の様子も落ち着いてきたのを認めて、康介は立ち上がる。
身を翻して部屋の外に向かおうとした、その時──
「?」
服の裾を引っ張られる感覚があった。
弱々しい力だったが。
「楓?」
振り返ると、意識を取り戻したらしい楓が手を伸ばしていた。
その顔はぼんやりとしていて、目の焦点は合っていなかったが。
「……で」
「ん?」
「……いで」
「どうした?」
「行かないで」
懸命に紡がれた言葉。
その懇願には深い悲愴感が滲み出ていた。
目に浮かぶ涙は発熱にるものだけではなかった。
「…………」
康介の脳裏に11年前の光景が甦る。
突然母親を喪い、一時的に祖父母の元で過ごしていた楓の姿を。
彼らは楓のことを孫として受け入れていなかった。
それどころか、ぞんざいに扱っていた。
桜子の為に線香を上げにきた康介が帰ろうとした時、楓はその足にしがみついた。
「行かないで」と訴えた。
しかし、当時はまだ書類上の他人だった康介は、幼い楓の手を取ってやることができなかった。
その後、楓は親戚の男に引き取られて……そこで酷い虐待を受けた。
約1年後、康介によって発見されるまで、ずっと。
あの日、楓の手を取ってやれなかったことを後悔しない日は無かった。
だから、今の康介は迷わず手を伸ばした。
「大丈夫。ここにいるよ。どこにも行かない」
微笑みながら頷いて、康介は楓の手を握った。
両手でしっかりと楓の手を包み込んで、安らぎを与える。
「俺は、もう二度と楓を置いていくようなことはしないから」
甘く優しい声で康介が囁くと、楓は深く息をついて目を閉じた。
再びの眠りには、安らかな寝顔が伴われていた。
「だから、安心しておやすみ」
そう言って、もう一度楓の頭を撫でてやる。
それから康介は、スーツの上着を脱いでネクタイを外して、ベッドに横になった。
約束した通り、楓のそばから離れない選択を取ったのだ。
「なあ、楓。……楓も、俺を置いていったりしないでくれよ」
祈りを込めて、康介は楓を抱きしめる。
普段よりも熱い体温を感じながら、愛する思いを噛み締めるのだった。
(終)
─────────────────
最初はどさくさ紛れに主人公が理性を手放す話にするつもりでしたが、
書いてる途中で思い直して今回の話の運びになりました。_(:3」z)_
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