【本編完結/番外編追加】真・誓いの指輪〜彼のことは家族として……そして、人生の伴侶として愛することを心に決めました〜

山賊野郎

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番外編

その後の日常③雨音の中で

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激しい雨音が轟いている。
そんな暗がりの中に、康介は佇んでいた。

ここはどこなのか?
なぜ、こんな所にいるのか?

そんな疑問を抱く彼の足元には──

「か、楓⁉︎」

愛する息子が……命より大切な存在が倒れていた。
血まみれで、体のあちこちに酷い暴行の痕が刻まれていた。

「くそ、何でこんな……」

無惨な姿で倒れていた楓に駆け寄り、抱き起こす。

これは、いつか見た光景。
康介に恨みを持つ男がしでかした的外れな復讐劇。
その犠牲となった楓。
康介にとって大切な存在であったからこそ、狙われた命。

「楓、しっかりしろ」

抱き起こし、揺さぶる。
しかし、楓は固く目を閉じたまま何の反応も返さない。

「まさか……」

首筋に手を当てる。

「──!」

脈が無かった。

「そんな……」

そうだ。あの時もそうだった。
すぐに蘇生をするべく、康介は楓を床に寝かせて彼の胸の上に両手を置く。

「楓、逝くな。戻ってこい!」

鼓動の再開を促す為に手に力を込める──その際、気付いた。
あの時とは違う。
楓の体は既に冷たくなっていた。

「嘘だろ? なあ、おい」

絶望的な思いが全身を駆け巡り、口元が引き攣る。
目の前にある事実が受け入れらない。

「楓……」

震える手でその頬に触れる。
氷のように冷たかった。
固く閉じられた目は、もう二度と開くことはないんだと頭が理解する。心は拒絶する。

(なぜだ? 楓は俺が取り戻したじゃないか)

死に瀕していた楓を蘇生して、事件は解決したはず。
その後、紆余曲折の末に親子の関係を超えた愛情で結ばれたはず。

(それなのに何で……)

全ては幻だったのか?
本当はあの時、楓は助からなかったのか?
楓と一緒に笑い合い、時に泣いて、そして体を重ねた日々は……
ずっと自分に都合の良い妄想を見ていたのか?

(違う、そんなはずはない。違う違う違う!)

拒絶する思いから心臓が激しい鼓動を打ち鳴らす。
酷く煩わしくて、苦しい。

「うああああああああああっ……!」

激しい雨音が響く中、楓の亡骸を掻き抱いて康介は嘆きの声を上げた。







「──!」

弾かれるように飛び起きた。
バクバクと心臓が煩いぐらいに鳴っている。
頬から顎に冷たい汗が流れ落ちる中、康介は乱れた呼吸を整える。
やがて落ち着きを取り戻して、自分が寝室のベッドの上に居ることを理解した。

(……夢か。酷い悪夢を見せられたもんだ)

ふう、と大きく息を吐くと外から伝わる強い雨音が耳に届いた。
悪夢の原因はこれだろう。
──そう思った時、康介は傍らにあるはずの温もりが無いことに気付いた。

「楓っ⁉︎」

一緒に寝ていたはずの楓がいない。
雨音に怯えて震えているはずの、楓の姿が無い。
そこには空虚があるのみだった。

「…………」

途端に収まりかけていた鼓動が再び跳ね上がる。
悪夢の続きにいるような気がしたのだ。
慌てて立ち上がり、康介は寝室を出た。

(頼む、居てくれ。幻なんかじゃないって証明してくれ……!)

祈るような思いでリビングへの扉を開ける。

「あ……」

切なる思いは天に届いたらしい。
寒くて薄暗いリビング。
そこに楓は居た。
ダイニングチェアに座り、じっとしていた。
目を閉じて俯き、両手で耳を塞いでいた。
耳に響く雨音と、それに付随するトラウマから身を守るように耳を塞いでいた。
だから、康介が現れたことに気付かなかった。

「楓」
「──!」

不意に触れられて、楓はビクンと肩を震わせた。
顔を上げ、その方を見る。
怯えた顔をしていたが、その目に康介の姿を映し出すとすぐに安堵の表情に変わった。

「どうした? 大丈夫か?」
「うん。ちょっと喉が渇いただけ」

青白い顔で無理やり微笑んで見せる。
確かに、テーブルには水の入ったコップがあった。
だが、それと共に薬の殻もあった。
医者から処方されている、精神を安定させるための薬だ。

「起こしちゃったかな。ごめんね」

目の端に涙を浮かべながら、楓は無理やり微笑んで見せる。
心配をかけまいとする姿がいじらしくて、康介は胸が締め付けられる思いに駆られた。

「無理をするな。怖い夢を見たんだろう?」
「…………」

優しい手つきで康介が楓の頭を撫でる。
すると楓の目から、溜まっていた涙がポロポロとこぼれ落ちた。
雨音は、いつでも楓を恐ろしい悪夢の中に導く。
拉致されて、暴行を受けて、殺されかけた記憶の中に。

「気付いてやれなくてごめんな」
「そ、そんなこと……な……」

涙で上手く喋ることができない楓の頭を、康介がよしよしと撫でる。
それから背中をさすって安心を促した。
やがて落ち着いてきた頃、涙の痕が残る顔で楓は康介を見上げた。

「ありがとう。もう大丈夫」
「立てるか?」
「うん」
「じゃあ、ベッドに戻ろう」
「うん」

頷いて楓は椅子から立ち上がった。
少しフラついたので、すかさず康介が楓の肩を抱く。
そうして二人で一緒に寝室に戻った。





部屋の中には相変わらず強い雨音が響いていた。
再びベッドに横になり、毛布を被る。
毛布の中で康介は楓を抱きしめた。
それから、肩や背中や腕に手を這わせて何度も何度もその存在を確かめる。
先程の悪夢を払拭するように、腕の中の温もりを味わった。
それに呼応するように、楓も康介の服を掴み、彼に縋り付く。

「実を言うと、俺も酷い悪夢を見たんだ」
「え? そうなの?」
「ああ。楓を喪う夢だった」
「え……」

否、夢なんかじゃない。
あれは、もう一つの現実だった。
あの時、楓の蘇生に成功したのは色んな偶然が重なった結果だった。
助からない可能性の方が、よっぽど高かった。

「気が狂いそうだった。いや、多分夢の中で俺は発狂していた」
「…………」

康介の言葉を受けて、楓は眉を顰める。
そしてより一層、康介にしがみついた。

「でも良かった。あれは悪い夢だ。現実にはちゃんと楓がいた」
「うん」

体を寄せ合って、お互いの体温と心音を感じる。
その存在に安心すると同時に、絶対に失いたくない不安も付き纏ってくる。
先程の悪夢を思い出しながら、康介は楓の髪を撫でてその額に慈愛のキスをした。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

二度目の『おやすみ』を交わして目を閉じる。
しかし、康介は眠る気になれなかった。
眠ってしまえば再びあの悪夢の中に引き戻されるような気がしたから。
このまま楓の温もりを腕に抱いて朝まで過ごそうかと思っていた。
明日の仕事にひびくだろうが、別に構わない。そう思っていた。

「康介さん」

不意に話しかけられて目を見開く。
眠りに就いたはずの楓が目を開けて康介をじっと見つめていた。

「眠るのが怖い?」
「……ああ、そうかもな」
「僕も同じ」
「そうか」

自らも不安を抱えながら心配そうにこちらを見つめる楓が愛おしくて、
康介は口元に温かい笑みを浮かべる。

「じゃあ、朝まで一緒に起きておこうか」
「良いの?」
「良いんだよ。眠りたくなるまで起きておこう」
「でも、仕事が……」
「いざとなったら体調不良だと言って休めば良い。学校もな」

何でもないことのように康介が言うので、楓もほっとしたように笑った。
そうして、改めてお互いの体を寄せ合う。

「何か話をしようか」
「うん」
「楽しい話が良いな」
「うん」
「そうだ。近い内に、一緒にどこかに行かないか?」
「良いね。行きたい」
「どこか行きたい所とかあるか?」
「うーん。水族館なんてどう?」
「ほお、良いな」
「康介さんはどこに行きたい?」
「そうだな。楓と温泉旅行にでも行きたいな」
「わあ、良いね。僕も行きたい」
「仕事柄、あんまり遠出はできなくて悪いけど」
「ううん。康介さんと一緒に居れるなら、どこでも嬉しいよ」
「ははは、可愛いこと言ってくれるなあ」

話しながら自然と笑みがこぼれてくる。
悪夢によって掻き乱された不安な心が少しずつ解れてゆく。
体を寄せて、時に手を握ったりして愛しい人の存在を噛み締めた。



人はどうしようもない苦しみを前にした際、
逃げ道の一つとして快楽に身を任せることがある。
雨音の響く夜、トラウマに苦しむ楓を前にした康介は、
彼に快楽を与えて一時的にでも楽にしてやろうかと考えたこともあった。
しかし、結果的にその手段は選ばなかった。

雨の日の夜はひたすら優しく抱きしめるようにした。
泣いて怯える楓を抱きしめて、頭を撫でて背中をさすり、温かい言葉をかけた。
この時ばかりはそれ以上の行為には及ばない。
それが、康介なりの愛情表現だった。



「じゃあ、水族館に近いところにある温泉宿を探さないとな」
「ふふ、楽しみ」

楽しい夢を語るような心地で微笑み、楓は目を閉じた。
どうやら眠ってしまったらしい。

「…………」

可愛い寝顔に頬を緩めて、康介は楓の頭を優しく撫でる。
そして、もう一度抱きしめた。

「続きは夢の中で話そうか」

微笑みを浮かべ、康介もまた目を閉じた。

相変わらず、辺りには強い雨音が響いている。
いつか、このトラウマから解放される日が来ることを祈りつつ、
康介は穏やかな眠りの中に身を任せたのだった。




(終)
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