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第01話、魔物は空気を読まずに襲い来る
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「魔術が使えたら特別な存在になれるんじゃないかって――」
俺にもそんなことを思っていた時期がありました……
――ってなんでこんな黒歴史うちあけなきゃなんねーんだ!!
「へぇ、それで樹葵は王立魔道学院に入学したのね」
玲萌は明るい声で言った。つぶらな瞳に好奇心があふれる。
興味しんしん質問されて、つい本音を話してしまったのだ。
「ば、馬鹿っ、今はそんなこと思ってねーぞ! 四年くらい前の話だっ」
慌てるあまり、うっかり声が高くなっちまった俺に、
「それでもう一度学院に戻るつもりはないの?」
と首をかしげた。湖をわたる風が、小袖の肩ではねる桃色の髪をゆらした。
故郷を離れて二年。俺は旅先で玲萌に出会った。
偶然というか必然というか、彼女は俺が卒業前に飛び出した王立魔道学院の学生だったのだ。
俺は学院時代にいい思い出なんてねえ。友人もいねぇし成績も悪かった。だがそんなことをうちあけるのは癪だ。
ちょっと考えてから、
「今の俺が戻ってなにを学ぶんだ? 無尽蔵の魔力と、伝説の水龍から受け継いだ能力のおかげで、学院で習うような基礎魔術は呪文も唱えずに発動できるんだぜ?」
なにも力を求めたわけではない。だが俺は人間の姿とひきかえに、強力な水龍の魔力を手に入れた。
「えぇ~」
玲萌は不満そうな声をあげた。「樹葵といっしょに学べたら楽しいと思ったんだけどなぁ」
湖に浮かべた船の上で、両手を頭のうしろで組んで空をあおぐ。着物の袖がするりと下がって、きめこまやかな肌がのぞいた。きれいな瞳に空がうつり、形のよい鼻が上を向く。ひかえめな口元をとがらせる彼女は、はっきり言ってかわいい。なんでこんな美少女が俺を一生懸命、学院に誘ってくれるのか謎である。
「ん?」
そのとき、かすかに妙な揺れを感じて船べりから湖面をのぞいた。
「船の下になにか――」
俺がつぶやいたのと、
「沼のぬし!?」
振り返った船頭がさけんだのはほぼ同時だった。
「てめぇが呼んだんだな、魔物の仲間め」
櫂を振り上げた船頭が、俺を憎らしげににらむ。
「なんでだよ――って、うわぁっ!」
小舟が大きくかたむいたかと思うと、水面からうろこの生えた触手がすごい速さで伸びてきた。
「きゃぁぁぁっ‼」
「玲萌!」
大人の腕より太い緑の触手が玲萌の胸にからみつき、彼女の体を空高く持ち上げた。着物の胸元がはだけるのもかまわず、玲萌は空中で印を結ぶ。だが呪文を唱えはじめたとき――
「んぐぅっ」
花弁のような唇をこじ開けて、別の触手がもぐりこんだ。
「玲萌を離せ!」
俺の意志に応じて湖の水が大きく波打ち、魔物の触手に襲いかかるが、激しく揺れてかわしやがった。
「水よ! 我が怒りの具象となれっ!」
気をこめてさけぶと、水は鋭利な刃となって縦横無尽に荒れ狂う。玲萌に巻き付いていた太い触手も切り刻まれ――
「いやぁっ、落ちる!」
「しまった!」
ざばぁぁぁん!
触手から自由になった玲萌がまっすぐ湖面へ落下してゆくのを追って、俺も小舟から飛び降りる。水に沈む寸前、
「あんな全身白い化け物なんざ乗せるんじゃなかったぜ」
と船頭が舌打ちするのが聞こえて、俺は唇をかんだ。この美しいあやかしの姿が、そんなひでぇ言い方されるなんて――
悲嘆にくれる心を振り払うように、水かきのついた両手で流れを押し分け、湖底へと沈む玲萌を追う。あと少し――
玲萌の腕に指先が触れる寸前、彼女のうしろに巨大な蛇のような頭がぬっとあらわれた。水中はうす暗いので定かではないが、その尾は十本くらいに枝分かれして見える。おそらくあれが触手の正体だろう。
魔物が口を開けた。びっしりと牙が並んだその巨大な洞から、魔力の衝撃波が――
「させるかっ!」
間一髪、俺の手は玲萌の腕を引き寄せた。「玲萌は俺が守るんだ!」
彼女の細い身体を抱きしめ、俺は魔物に背を向ける。
――結界!
衝撃波が大波を起こすが、一瞬早く張った結界にはばまれて俺たちへは届かない。結界のまわりで水草が竜巻のように回転する。
「大丈夫か、玲萌?」
結界のなかで声をかけるが返事がない。しまった、ふつうの人間は水中で息できないんだった! 俺も二年前までヒトだったのにうっかりするとかあり得ねえ。
上へ向かって急浮上する俺に向かって、大蛇の魔物がまた衝撃波を放とうと大口を開けた。
「効かねえんだよ!」
俺は結界の中からにらみつけた。玲萌を苦しめた魔物に怒りがわく。彼女の背中と腰にまわした腕に力がこもったとき、周囲の水が俺の感情に反応して魔物へ襲いかかった。
『グ、ギグッ』
水中に響くこもった音は魔物が発したのか? 水の渦にのまれて俺たちから遠ざかる大蛇は、驚いたように目を丸く見開いていた。沼の主のはずが、沼の水がまったく思い通りにならず驚いているのだろうか。
「ぷはぁっ!」
俺はようやく湖面に顔を出し、口から空気を吸い込んだ。水中では前腕と足首についたヒレから直接体内に酸素を取り込むので、呼吸している感覚がないんだが、やっぱ鼻と口から吸う空気はうまい。
「おーい船頭さん、ここまで戻ってきてくんねぇか!」
ぐったりとした玲萌を左腕に抱きかかえながら、ずいぶん遠ざかった小舟へ右手を振る。
「ひえぇぇっ 白蛇の小僧め、沼のぬしに勝ちやがった! 恐ろしい!」
ひとりごとのつもりかもしれないが、俺のとがった耳には聞こえている。舳先に立って必死で櫂を動かすうしろ姿へ、
「玲萌の――女の子の意識がないんだ! 頼むよ旦那!」
と声をかけながら、右手と両足を動かして立ち泳ぎする。
「追いかけてくるな、化け物め!」
船頭は振り返ってさけんだ。その声はなかば悲鳴のようだ。拒絶された悲しみに胸がふさぎ息がつまる。うつむくと濡れた髪から頬へ、水滴がしたたり落ちた。だが落ち込んでいる場合ではない。
「玲萌を介抱しなきゃ」
俺は目をふせると意識を頭上に集中した。体が水から持ち上がり、風に包まれて宙に浮いた。
「外見でひとのこと判断するとか古代人かよ」
向こうの岸に到着した小さな人影に向かって吐き捨てる。
「あっちまで飛んで行くのは遠すぎるな」
玲萌の体調が心配だ。俺は湖のなかほどに突き出した岩の上に降り立った。
「けほっ」
着地の衝撃で玲萌が水を吐いた。
「樹葵――?」
「玲萌、気付いたか!?」
ふらつく玲萌をなるべくていねいに岩の上へ寝かせてから俺はあぐらをかき、彼女の肩と頭を自分の足に乗せた。
「ここは……?」
愛らしい瞳が不安にゆれて、俺を見上げた。
「湖ん中に突き出た岩の上だよ。船頭のやつビビって俺たちを置いて先行っちまいやがった」
「客捨てて逃げ出すなんて情けないやつ」
玲萌は笑った。その笑顔はまだ弱々しい。「あたしを守って戦ってくれた樹葵とは大違いね」
「いやあいつ、俺の外見が湖の魔物に似てるってんで逃げちまったんだ。すまねえな、俺がこんな姿してるせいで」
船頭のおびえた声がまだ耳に残っている。
「はぁ!? 樹葵はあんな魔物とは似ても似つかないわよ?」
玲萌は心底驚いた顔で、細い指先を俺の頬へと伸ばした。「きれいな翠玉の瞳……」
俺は彼女のか弱い手をしっかりと握る。玲萌はやさしくほほ笑んだ。「そんな悲しそうな顔しないで、樹葵。あたしきみの笑顔が――」
言いかけて、恥ずかしそうに目をそらす。
「大好きなんだから……」
消え入りそうな声で言ってくれたのがかわいくて、俺はもう片方の手でそっと彼女の濡れた髪をなでた。
「くちゅんっ」
玲萌が小さなくしゃみをしたので、俺は慌てて両手から魔力の熱を発した。玲萌はひじをついて身を起こすと、
「濡れた着物は脱がないとだめね」
と冷静な声で言いながら帯を解いた。俺に背を向けると手早く小袖を脱ぎ、ついでに肌襦袢の帯まで解いた。きめ細やかな肌に肩甲骨が浮き出た華奢なうしろ姿が、わずかに震えている。
「玲萌、寒いのか?」
「体が冷えちゃったみたい……」
「いま魔力であたためてるんだが――」
背骨がやわらかい曲線美を描く少女の肌に、俺は両手をかざす。
「ありがと、背中がぽかぽかする。でも樹葵も脱いだほうがいいわ。濡れた着物は体温を奪うから」
無駄に恥じらったりせず、玲萌はてきぱきと指示した。俺が巻帯をほどいているあいだに、
「紅灼溶玉閃、汝が紅、あえかに宿り我が身を包み給え」
と呪文を唱え、自分で暖をとる。
「はっくちゅん」
「まだ寒いんじゃねえか?」
ふたたび小柄な背中に手をかざしてやると、
「樹葵も自分をあたためなきゃだめよ。あの、あたし聞いたことあるんだけど、えぇっと――」
言いよどむなんて玲萌らしくない。「お互いの体であたためあうのが効率いいって―― だから樹葵が、その…… もし嫌じゃなかったら――」
嫌なわけない。俺はすぐに両腕をひらいた。だが玲萌を抱きしめる寸前、自分の腕に視線を落として動きを止めた。腕の外側を覆う真っ白いうろこが、陽射しを浴びて発光するように美しく輝いている。
「さっき玲萌、うろこ生えてる触手にからみつかれたじゃん。なのに俺なんかに近づかれて怖くねえの……?」
「怖いわけないじゃない!」
玲萌は大声を出すと、いきおいよく振り返った。
「あっ」
それから一糸まとわぬ自分の姿に気が付いて、慌てて控えめな胸を両手で隠す。耳まで赤く染めてうつむいたまま、
「意識失う寸前のこと、あたし覚えてるのよ。魔物が吐いた衝撃波を樹葵が身代わりになって受けようとしたこと。そこまでして守ってくれた人のこと、どうして怖いなんて思えるの!?」
顔をあげると、そのふっくらとしたまぶたには涙がたまっていた。「すごくかっこよかった――」
玲萌はゆめみごこちなまなざしで俺をみつめた。
「きみは―― あたしの英雄よ!」
さけぶやいなや、玲萌は俺に飛びついてきた。細い両腕を俺の首にまわして抱きしめる。彼女のやわらかい乳房が俺の鎖骨の下に触れた。まだ肌が乾ききっていないせいか、吸い付くような感触に俺の鼓動は早くなる。やべっ、これドキドキしてんの玲萌にバレてね? こんな密着してたら鼓動も伝わるよな!?
だが玲萌は、そんな下世話なことなどみじんも気にしていないようで、
「遠のいてく意識の中で、あたしすっごく怖かったの。樹葵が死んじゃったらどうしようって――」
玲萌は泣いているようだ。耳のうしろに熱い吐息を感じる。
「あたし絶対に樹葵を失いたくないんだからっ――」
「大丈夫だよ、玲萌」
俺はやさしく彼女の背中をなでた。背骨のかすかなくぼみに指先をすべらせながら、
「魔物ごときに俺はやられねえから」
「そうよね! 樹葵は最強だもんね」
玲萌が俺の髪に頬をすり寄せる。「樹葵が無事で本当によかったわ……」
俺も彼女を強く抱きしめた。
「玲萌が無事で本当によかったよ――」
俺にもそんなことを思っていた時期がありました……
――ってなんでこんな黒歴史うちあけなきゃなんねーんだ!!
「へぇ、それで樹葵は王立魔道学院に入学したのね」
玲萌は明るい声で言った。つぶらな瞳に好奇心があふれる。
興味しんしん質問されて、つい本音を話してしまったのだ。
「ば、馬鹿っ、今はそんなこと思ってねーぞ! 四年くらい前の話だっ」
慌てるあまり、うっかり声が高くなっちまった俺に、
「それでもう一度学院に戻るつもりはないの?」
と首をかしげた。湖をわたる風が、小袖の肩ではねる桃色の髪をゆらした。
故郷を離れて二年。俺は旅先で玲萌に出会った。
偶然というか必然というか、彼女は俺が卒業前に飛び出した王立魔道学院の学生だったのだ。
俺は学院時代にいい思い出なんてねえ。友人もいねぇし成績も悪かった。だがそんなことをうちあけるのは癪だ。
ちょっと考えてから、
「今の俺が戻ってなにを学ぶんだ? 無尽蔵の魔力と、伝説の水龍から受け継いだ能力のおかげで、学院で習うような基礎魔術は呪文も唱えずに発動できるんだぜ?」
なにも力を求めたわけではない。だが俺は人間の姿とひきかえに、強力な水龍の魔力を手に入れた。
「えぇ~」
玲萌は不満そうな声をあげた。「樹葵といっしょに学べたら楽しいと思ったんだけどなぁ」
湖に浮かべた船の上で、両手を頭のうしろで組んで空をあおぐ。着物の袖がするりと下がって、きめこまやかな肌がのぞいた。きれいな瞳に空がうつり、形のよい鼻が上を向く。ひかえめな口元をとがらせる彼女は、はっきり言ってかわいい。なんでこんな美少女が俺を一生懸命、学院に誘ってくれるのか謎である。
「ん?」
そのとき、かすかに妙な揺れを感じて船べりから湖面をのぞいた。
「船の下になにか――」
俺がつぶやいたのと、
「沼のぬし!?」
振り返った船頭がさけんだのはほぼ同時だった。
「てめぇが呼んだんだな、魔物の仲間め」
櫂を振り上げた船頭が、俺を憎らしげににらむ。
「なんでだよ――って、うわぁっ!」
小舟が大きくかたむいたかと思うと、水面からうろこの生えた触手がすごい速さで伸びてきた。
「きゃぁぁぁっ‼」
「玲萌!」
大人の腕より太い緑の触手が玲萌の胸にからみつき、彼女の体を空高く持ち上げた。着物の胸元がはだけるのもかまわず、玲萌は空中で印を結ぶ。だが呪文を唱えはじめたとき――
「んぐぅっ」
花弁のような唇をこじ開けて、別の触手がもぐりこんだ。
「玲萌を離せ!」
俺の意志に応じて湖の水が大きく波打ち、魔物の触手に襲いかかるが、激しく揺れてかわしやがった。
「水よ! 我が怒りの具象となれっ!」
気をこめてさけぶと、水は鋭利な刃となって縦横無尽に荒れ狂う。玲萌に巻き付いていた太い触手も切り刻まれ――
「いやぁっ、落ちる!」
「しまった!」
ざばぁぁぁん!
触手から自由になった玲萌がまっすぐ湖面へ落下してゆくのを追って、俺も小舟から飛び降りる。水に沈む寸前、
「あんな全身白い化け物なんざ乗せるんじゃなかったぜ」
と船頭が舌打ちするのが聞こえて、俺は唇をかんだ。この美しいあやかしの姿が、そんなひでぇ言い方されるなんて――
悲嘆にくれる心を振り払うように、水かきのついた両手で流れを押し分け、湖底へと沈む玲萌を追う。あと少し――
玲萌の腕に指先が触れる寸前、彼女のうしろに巨大な蛇のような頭がぬっとあらわれた。水中はうす暗いので定かではないが、その尾は十本くらいに枝分かれして見える。おそらくあれが触手の正体だろう。
魔物が口を開けた。びっしりと牙が並んだその巨大な洞から、魔力の衝撃波が――
「させるかっ!」
間一髪、俺の手は玲萌の腕を引き寄せた。「玲萌は俺が守るんだ!」
彼女の細い身体を抱きしめ、俺は魔物に背を向ける。
――結界!
衝撃波が大波を起こすが、一瞬早く張った結界にはばまれて俺たちへは届かない。結界のまわりで水草が竜巻のように回転する。
「大丈夫か、玲萌?」
結界のなかで声をかけるが返事がない。しまった、ふつうの人間は水中で息できないんだった! 俺も二年前までヒトだったのにうっかりするとかあり得ねえ。
上へ向かって急浮上する俺に向かって、大蛇の魔物がまた衝撃波を放とうと大口を開けた。
「効かねえんだよ!」
俺は結界の中からにらみつけた。玲萌を苦しめた魔物に怒りがわく。彼女の背中と腰にまわした腕に力がこもったとき、周囲の水が俺の感情に反応して魔物へ襲いかかった。
『グ、ギグッ』
水中に響くこもった音は魔物が発したのか? 水の渦にのまれて俺たちから遠ざかる大蛇は、驚いたように目を丸く見開いていた。沼の主のはずが、沼の水がまったく思い通りにならず驚いているのだろうか。
「ぷはぁっ!」
俺はようやく湖面に顔を出し、口から空気を吸い込んだ。水中では前腕と足首についたヒレから直接体内に酸素を取り込むので、呼吸している感覚がないんだが、やっぱ鼻と口から吸う空気はうまい。
「おーい船頭さん、ここまで戻ってきてくんねぇか!」
ぐったりとした玲萌を左腕に抱きかかえながら、ずいぶん遠ざかった小舟へ右手を振る。
「ひえぇぇっ 白蛇の小僧め、沼のぬしに勝ちやがった! 恐ろしい!」
ひとりごとのつもりかもしれないが、俺のとがった耳には聞こえている。舳先に立って必死で櫂を動かすうしろ姿へ、
「玲萌の――女の子の意識がないんだ! 頼むよ旦那!」
と声をかけながら、右手と両足を動かして立ち泳ぎする。
「追いかけてくるな、化け物め!」
船頭は振り返ってさけんだ。その声はなかば悲鳴のようだ。拒絶された悲しみに胸がふさぎ息がつまる。うつむくと濡れた髪から頬へ、水滴がしたたり落ちた。だが落ち込んでいる場合ではない。
「玲萌を介抱しなきゃ」
俺は目をふせると意識を頭上に集中した。体が水から持ち上がり、風に包まれて宙に浮いた。
「外見でひとのこと判断するとか古代人かよ」
向こうの岸に到着した小さな人影に向かって吐き捨てる。
「あっちまで飛んで行くのは遠すぎるな」
玲萌の体調が心配だ。俺は湖のなかほどに突き出した岩の上に降り立った。
「けほっ」
着地の衝撃で玲萌が水を吐いた。
「樹葵――?」
「玲萌、気付いたか!?」
ふらつく玲萌をなるべくていねいに岩の上へ寝かせてから俺はあぐらをかき、彼女の肩と頭を自分の足に乗せた。
「ここは……?」
愛らしい瞳が不安にゆれて、俺を見上げた。
「湖ん中に突き出た岩の上だよ。船頭のやつビビって俺たちを置いて先行っちまいやがった」
「客捨てて逃げ出すなんて情けないやつ」
玲萌は笑った。その笑顔はまだ弱々しい。「あたしを守って戦ってくれた樹葵とは大違いね」
「いやあいつ、俺の外見が湖の魔物に似てるってんで逃げちまったんだ。すまねえな、俺がこんな姿してるせいで」
船頭のおびえた声がまだ耳に残っている。
「はぁ!? 樹葵はあんな魔物とは似ても似つかないわよ?」
玲萌は心底驚いた顔で、細い指先を俺の頬へと伸ばした。「きれいな翠玉の瞳……」
俺は彼女のか弱い手をしっかりと握る。玲萌はやさしくほほ笑んだ。「そんな悲しそうな顔しないで、樹葵。あたしきみの笑顔が――」
言いかけて、恥ずかしそうに目をそらす。
「大好きなんだから……」
消え入りそうな声で言ってくれたのがかわいくて、俺はもう片方の手でそっと彼女の濡れた髪をなでた。
「くちゅんっ」
玲萌が小さなくしゃみをしたので、俺は慌てて両手から魔力の熱を発した。玲萌はひじをついて身を起こすと、
「濡れた着物は脱がないとだめね」
と冷静な声で言いながら帯を解いた。俺に背を向けると手早く小袖を脱ぎ、ついでに肌襦袢の帯まで解いた。きめ細やかな肌に肩甲骨が浮き出た華奢なうしろ姿が、わずかに震えている。
「玲萌、寒いのか?」
「体が冷えちゃったみたい……」
「いま魔力であたためてるんだが――」
背骨がやわらかい曲線美を描く少女の肌に、俺は両手をかざす。
「ありがと、背中がぽかぽかする。でも樹葵も脱いだほうがいいわ。濡れた着物は体温を奪うから」
無駄に恥じらったりせず、玲萌はてきぱきと指示した。俺が巻帯をほどいているあいだに、
「紅灼溶玉閃、汝が紅、あえかに宿り我が身を包み給え」
と呪文を唱え、自分で暖をとる。
「はっくちゅん」
「まだ寒いんじゃねえか?」
ふたたび小柄な背中に手をかざしてやると、
「樹葵も自分をあたためなきゃだめよ。あの、あたし聞いたことあるんだけど、えぇっと――」
言いよどむなんて玲萌らしくない。「お互いの体であたためあうのが効率いいって―― だから樹葵が、その…… もし嫌じゃなかったら――」
嫌なわけない。俺はすぐに両腕をひらいた。だが玲萌を抱きしめる寸前、自分の腕に視線を落として動きを止めた。腕の外側を覆う真っ白いうろこが、陽射しを浴びて発光するように美しく輝いている。
「さっき玲萌、うろこ生えてる触手にからみつかれたじゃん。なのに俺なんかに近づかれて怖くねえの……?」
「怖いわけないじゃない!」
玲萌は大声を出すと、いきおいよく振り返った。
「あっ」
それから一糸まとわぬ自分の姿に気が付いて、慌てて控えめな胸を両手で隠す。耳まで赤く染めてうつむいたまま、
「意識失う寸前のこと、あたし覚えてるのよ。魔物が吐いた衝撃波を樹葵が身代わりになって受けようとしたこと。そこまでして守ってくれた人のこと、どうして怖いなんて思えるの!?」
顔をあげると、そのふっくらとしたまぶたには涙がたまっていた。「すごくかっこよかった――」
玲萌はゆめみごこちなまなざしで俺をみつめた。
「きみは―― あたしの英雄よ!」
さけぶやいなや、玲萌は俺に飛びついてきた。細い両腕を俺の首にまわして抱きしめる。彼女のやわらかい乳房が俺の鎖骨の下に触れた。まだ肌が乾ききっていないせいか、吸い付くような感触に俺の鼓動は早くなる。やべっ、これドキドキしてんの玲萌にバレてね? こんな密着してたら鼓動も伝わるよな!?
だが玲萌は、そんな下世話なことなどみじんも気にしていないようで、
「遠のいてく意識の中で、あたしすっごく怖かったの。樹葵が死んじゃったらどうしようって――」
玲萌は泣いているようだ。耳のうしろに熱い吐息を感じる。
「あたし絶対に樹葵を失いたくないんだからっ――」
「大丈夫だよ、玲萌」
俺はやさしく彼女の背中をなでた。背骨のかすかなくぼみに指先をすべらせながら、
「魔物ごときに俺はやられねえから」
「そうよね! 樹葵は最強だもんね」
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