真面目くさった女はいらないと婚約破棄された伯爵令嬢ですが、王太子様に求婚されました。実はかわいい彼の溺愛っぷりに困っています

綾森れん

文字の大きさ
19 / 44
第三幕:再び動き出した王族暗殺事件

19、歌手アルカンジェロの正体

しおりを挟む
「俺が、アルベルトなんだ」

 彼のとんでもない冗談に私は思わず笑い出した。

 でもすぐに、彼がロマンチックなたとえ話をしているのだと気が付いた。自分こそ私の初恋の相手になるのだと主張したいのだ。

「そうね。今の私にとってはもう、アルベルト殿下は過去の人だわ」

 私は笑いながら同意した。七歳の日の想いは、本当の恋を知った今から振り返ればあまりに幼い。

「大人になった私にとって本当の初恋の相手はあなたよ、アル」

「ありがとう。嬉しいけれど、俺が言いたいのは、そうじゃなくて――」

 アルカンジェロの表情は真剣だった。

「あの日、俺は使用人の目を盗んで王宮の裏口から、こっそりと庭園へ遊びに行ったんだ。母上が茶会を催したから、テーブルのセッティングや訪問客の対応に、使用人たちが駆り出されている隙を見計らってね」

 彼の静かな声は、とても冗談を言っているようには聞こえない。

「ウンベルト兄上が暗殺されてから使用人たちの縛り付けが厳しくなって、宮殿中がピリピリしていて限界だったんだよ。俺はまだ子供だったから、大好きなウンベルト兄様を失ってただでさえ悲しいのに、使用人たちが急に怒りっぽくなって、どこでもいいから逃げ出したかった」

 自由を愛する彼の表情は、過去の傷口が開いたように曇った。私は相槌さえ打てずに、彼の話に耳を傾けていた。

「世話係の目を盗んで中庭に逃げ込んだとき、どこからともなく愛らしい歌声が聞こえたんだ。素直な歌い方に心惹かれて、俺はふらふらとリラの花園へ迷い込んだ」

 私は目を見開いた。アルカンジェロに、アルベルト殿下との思い出を語ったことはない。あの日、あの場所で起こったことは、私と侍女マリアだけの秘密だった。

「歌っていたのはまだ小さな少女だった。プラチナブロンドの髪と、リラの花そっくりな薄紫の瞳が美しかった」

 アルカンジェロは嬉しそうに腕の中の私を見つめ、優しい手つきで髪を撫でながら、またささやくように歌い出した。

「初恋はリラの花のように
 僕の胸に今も香る」

 彼の唇からなつかしいメロディがあふれ出し、私の心の奥底からも熱いものがこみ上げてきた。

「リラの花が咲くたび思い出す
 きらめく春の陽射しを浴びて
 君を追いかけた少年の日」

 彼と共に歌いながら、私は自分が泣き出しそうになっていることに気が付いた。 

「俺は一緒に歌おうって君を誘ったよね」

 私は言葉もなくコクコクとうなずいた。

「君の元気な声が、俺の教育された歌声に重なった」

 彼が自嘲気味に笑ったので、私はようやく口をはさんだ。

「あなたの声、とても綺麗だったわ!」

 私が十年前に恋に落ちたのは、教育された歌声なんかじゃない。優しく透き通ったソプラノだった。

「十年前も君は、俺の声を褒めてくれた。とても綺麗だって。教育係たちのおべっかとは全く違う素直な反応に、俺は嬉しくてたまらなくなった」

 初夏の陽射しのように明るい彼の笑顔が、十年前のアルベルト殿下と重なる。

 あの日、十歳の少年は本当に幸せそうに笑ったのだ。初夏の陽光に透ける少年のやわらかい巻き毛はブロンドに近い明るい色に見えたが、大人になった彼の髪色はしっとりとしたブルネット。印象が大きく異なることもあって、私の中で二人のアルは結びつかなかった。

 でも優しいチョコレートブラウンの瞳に浮かぶ甘い輝きは、ずっと変わらない。

「俺は君のまっすぐな歌声に魅せられたんだ」

 私は幼い頃の向こう見ずな行動を思い出して赤面した。自分ではうまく歌えると思い込んで、王宮の中庭で歌い出すなんて、七歳とはいえ淑女にふさわしい行いとは言えない。マリアはずいぶん肝を冷やしたらしく、「ここで起きたことは私とお嬢様だけの秘密ですよ」と口酸っぱく繰り返していた。

 篝火に照らされた私の頬が赤くなっていることに気付いたのか、アルはクスっと笑いをもらした。

「十年前の君は、初対面なのにまったく臆する様子もない、しっかりした子という印象だった」

 彼の言葉に私は合点がいった。グイードから婚約破棄された夜会の夜、彼は私を「本来は無邪気で天真爛漫で、恐れ知らずの少女だったはず」と決めつけて怒らせた。相手が第三王子と知らなかったとはいえ、王宮で歌い出す少女は恐れ知らずもよいところ。いつも私の本質を見てくれるアルのまなざしに不思議な気持ちになっていたけれど、彼は十年前から私を知っていたのだ!

「俺は君が褒めてくれた歌声を失いたくなくて、ずっと歌の訓練を欠かさなかった。かなり低くなっちゃったけど」

 彼は、はにかむように笑った。子供時代ソプラノだったアルベルト殿下の声は、今はふくよかなコントラルトだが、どちらも美しい。

「俺はずっと、君にまた会いたかった。またアルって呼んで欲しかったんだ。だから偽名に『アルカンジェロ』という名を選んだ」

「アル――」

 私はこみあげてくる涙をこらえながら彼の首に両腕を回し、耳たぶに口づけを落とした。

「だからあの夜会の日、私に気付いて『初恋はリラの花のように』を歌ってくれたのね」

「そうだよ。君は十年前、名前を教えてくれたから、俺は王都の貴族名鑑からリラ・プリマヴェーラ伯爵令嬢にたどり着いた。だけどその後すぐに毒殺未遂事件が起こって、俺は教会に身を隠すことになった」

 そう、毒殺事件は未遂に終わっていたのだ。第三王子が亡くなったと発表することで、王家は暗殺者の目をそらそうと考えたのだろう。だから父は関係者に対して聞き取り捜査もできなかったのだ。

 アルは私の額にまた口づけを落とし、うるんだ瞳で見つめた。

「十年間ずっと、またリラと声を合わせて歌いたいと願ってきた。でもその機会はなかなか訪れなかった」

 彼の切ない表情に胸が締め付けられる。

「夜会で何度か見かけても、用もないのに歌手がお嬢様に声をかけるわけにもいかない。それで思いついたのが――」

「私たちの思い出のアリアだったのね」

「そう。でも十年前のアリアだからプログラムにも入れられなかった」

 それで彼は弾き歌いしてくれたのだ。楽団でリハーサルを重ねることはできなかったから。夜会で出会ったあのときすでに――いや、十年前からずっと、彼は私を想ってくれていた。

 いとおしさがこみ上げてきて、私は彼を強く抱きしめた。

「大好きよ、アル――ベルト殿下」

「これまで通りアルとお呼びください」

「でも――」

 私は戸惑った。伯爵家の娘が王子殿下を愛称で呼び捨てにするなんて――

「俺の命を守るためだと思って」

 彼は耳元でささやいて、人差し指の腹でそっと私の唇に触れた。

「今後も俺のことはアルカンジェロとして接してください」

 彼の命を狙った首謀者は今も捕まっていないのだ。納得して深くうなずいた私の頬を、アルは片手のひらでそっと包み込んだ。

「リラお嬢様、愛しています」

 彼がいつもの口調でささやいたとき、ヒュルルルと花火の上がる音が聞こえた。

 彼が優しく首を傾けたので、私はそっとまぶたを伏せた。二人の距離がゆっくりと近づく。

 唇が触れ合った刹那、夜空に大輪の花が咲いたのだろう。周囲が一瞬、昼間のように明るくなって、ひとつになった私たちを轟音が揺さぶった。

 彼のやわらかい唇が離れてゆく。

 私たちは熱に浮かされたように見つめ合った。篝火に照らされた彼の白磁の頬は、炎のように色づいて見える。

「リラお嬢様――」

 低い声で話しかける彼に、私は甘えた声でお願いした。

「ねえ、二人きりのときはリラって呼んで」

 彼は少年のように嬉しそうな笑みを浮かべ、

「はい、リラ」

 と呼んでくれた。だがすぐに少し不安そうな表情になって尋ねた。

「大建国祭最終日の夜、俺とブリタンニア王国へ逃げてくれますか?」

「ずいぶん急なのね?」

 尋ねた私の声は緊張して硬くなっていた。甘い夢が現実となって迫ってきて、心の準備が整っていなかったことに気付かされた。



─ * ─



大建国祭の最終日はわずか四日後。急な申し出に戸惑うリラ。アルの真意は?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

【完結】幼い頃からの婚約を破棄されて退学の危機に瀕している。

桧山 紗綺
恋愛
子爵家の長男として生まれた主人公は幼い頃から家を出て、いずれ婿入りする男爵家で育てられた。婚約者とも穏やかで良好な関係を築いている。 それが綻んだのは学園へ入学して二年目のこと。  「婚約を破棄するわ」 ある日突然婚約者から婚約の解消を告げられる。婚約者の隣には別の男子生徒。 しかもすでに双方の親の間で話は済み婚約は解消されていると。 理解が追いつく前に婚約者は立ち去っていった。 一つ年下の婚約者とは学園に入学してから手紙のやり取りのみで、それでも休暇には帰って一緒に過ごした。 婚約者も入学してきた今年は去年の反省から友人付き合いを抑え自分を優先してほしいと言った婚約者と二人で過ごす時間を多く取るようにしていたのに。 それが段々減ってきたかと思えばそういうことかと乾いた笑いが落ちる。 恋のような熱烈な想いはなくとも、将来共に歩む相手、長い時間共に暮らした家族として大切に思っていたのに……。 そう思っていたのは自分だけで、『いらない』の一言で切り捨てられる存在だったのだ。  いずれ男爵家を継ぐからと男爵が学費を出して通わせてもらっていた学園。 来期からはそうでないと気づき青褪める。 婚約解消に伴う慰謝料で残り一年通えないか、両親に援助を得られないかと相談するが幼い頃から離れて育った主人公に家族は冷淡で――。 絶望する主人公を救ったのは学園で得た友人だった。   ◇◇ 幼い頃からの婚約者やその家から捨てられ、さらに実家の家族からも疎まれていたことを知り絶望する主人公が、友人やその家族に助けられて前に進んだり、贋金事件を追ったり可愛らしいヒロインとの切ない恋に身を焦がしたりするお話です。 基本は男性主人公の視点でお話が進みます。 ◇◇ 第16回恋愛小説大賞にエントリーしてました。 呼んでくださる方、応援してくださる方、感想なども皆様ありがとうございます。とても励まされます! 本編完結しました! 皆様のおかげです、ありがとうございます! ようやく番外編の更新をはじめました。お待たせしました! ◆番外編も更新終わりました、見てくださった皆様ありがとうございます!!

【完結】虐げられて自己肯定感を失った令嬢は、周囲からの愛を受け取れない

春風由実
恋愛
事情があって伯爵家で長く虐げられてきたオリヴィアは、公爵家に嫁ぐも、同じく虐げられる日々が続くものだと信じていた。 願わくば、公爵家では邪魔にならず、ひっそりと生かして貰えたら。 そんなオリヴィアの小さな願いを、夫となった公爵レオンは容赦なく打ち砕く。 ※完結まで毎日1話更新します。最終話は2/15の投稿です。 ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。

辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

コテット
恋愛
侯爵令嬢リーナは、王子からの婚約破棄と義妹の策略により、社交界での地位も誇りも奪われた。 だが、彼女には誰も知らない“前世の記憶”がある。現代薬剤師として培った知識と、辺境で拾った“魔草”の力。 それらを駆使して、貴族社会の裏を暴き、裏切った者たちに“真実の薬”を処方する。 ざまぁの宴の先に待つのは、異国の王子との出会い、平穏な薬草庵の日々、そして新たな愛。 これは、捨てられた令嬢が世界を変える、痛快で甘くてスカッとする逆転恋愛譚。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

結婚前夜に婚約破棄されたけど、おかげでポイントがたまって溺愛されて最高に幸せです❤

凪子
恋愛
私はローラ・クイーンズ、16歳。前世は喪女、現世はクイーンズ公爵家の公爵令嬢です。 幼いころからの婚約者・アレックス様との結婚間近……だったのだけど、従妹のアンナにあの手この手で奪われてしまい、婚約破棄になってしまいました。 でも、大丈夫。私には秘密の『ポイント帳』があるのです! ポイントがたまると、『いいこと』がたくさん起こって……?

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

婚約破棄されたはずなのに、溺愛が止まりません!~断罪された令嬢は第二の人生で真実の愛を手に入れる~

sika
恋愛
社交界で名高い公爵令嬢・アイリスは、婚約者である王太子に冤罪をでっち上げられ、婚約破棄と同時にすべてを失った。 誰も信じられず国外に逃れた彼女は、名を偽り辺境の地で静かに生きるはずだった――が、そこで出会った青年将軍が、彼女に異常なまでの執着と愛を向け始める。 やがて明らかになる陰謀の真相、そして王都から彼女を探す“元婚約者”の焦燥。 過去を乗り越え、愛を選ぶ彼女の物語は、痛快な逆転劇と甘く濃密な溺愛とともに幕を開ける。

処理中です...