真面目くさった女はいらないと婚約破棄された伯爵令嬢ですが、王太子様に求婚されました。実はかわいい彼の溺愛っぷりに困っています

綾森れん

文字の大きさ
2 / 44
第一幕:突然の婚約破棄と、運命の出会い

02、美貌の歌手アルカンジェロ・ディベッラとの出会い

しおりを挟む
「お嬢様、お気を確かに」

 チョコレートブラウンのまなざしが愁いを帯びて、私を見下ろしていた。

 刹那、脳裏に幼いアルベルト殿下の面影がよぎる。だが違う。この人はさっきまで鍵盤楽器チェンバロを弾き歌いしていたアルト歌手。ただの音楽家とは思えない身のこなしで、風のように移動して私を助けてくれたのだ。

 茶色い瞳などこの国ではありふれたものよ。

 夢を見ようとする幼い自分を現実に引き戻しながら、私はぼんやりとした表情を心がけた。ショックを受けた令嬢の演技を続けるのだ。

 彼は私の背中を片膝に乗せ、大きな手のひらで私の頭を支えてくれる。もう一方の手で、ウエストコートの下にげていたペンダントを取り出した。銀細工の香壺ヴィネグレットのふたを指先で開け、私の鼻先に近づける。

「おぎなさい。気付け薬です」

 ツンとした香りが鼻孔を鋭く刺激する。だが後頭部に添えられたあたたかい手のひらに、私は安心感を覚えていた。

「ん――」

 意識が戻ってきた風を装って伏し目がちにしていたまぶたを見開くと、彫刻のごとく整った顔立ちが間近に迫っていて、私の鼓動は速くなった。黒々とした長い睫毛に縁どられた瞳は、シャンデリアが振りまく光の粒を反射してカラメルのように甘く輝いている。

「少し横になっていたほうがよさそうですね」

 彼は一瞬ためらいを見せたが、自分のジュストコールを脱いで私の肩にかけた。彼の体温が残る絹織物が、素肌にあたたかい。

「失礼します」

 彼が私を抱き上げて初めて、私の肌にふれないための配慮から服をかけてくれたのだと気が付いた。

「控室で彼女を看病してまいります」

 彼が声をかけた先にはクリス兄様が立っていた。

 この歌手、お兄様が私の付き添い人だって知っているのね。

 歌いながら大広間の人々を観察していれば分かることだろうか?

 私を抱きかかえ、颯爽と大広間を横切る歌手の左右で、貴婦人たちがざわめき出した。

「まあご覧になって! アルカンジェロ・ディベッラの優雅な足運び! 私も彼に介抱されたいわ」
「アルカンジェロの価値も分からない堅物令嬢にはもったいないですわ!」

 意地の悪い発言が突き刺さる。だが実際、今初めて彼の名を知った私が流行に疎いのは事実だ。アルカンジェロは歌声も顔立ちも美しく、所作も洗練されているから、王都の貴婦人たちからもてはやされるのだろう。

「ふん、半人前が」

 他方で男たちは嘲笑を浮かべている。

「なぜご婦人方というのは、あのように五体満足でない男を好むのかね」
「ディベッラ氏は大聖堂聖歌隊でソリストを務めるほどの実力があるから、人気があるのだろうよ」

 アルカンジェロの歌声をどこかで耳にしたことがあると感じたのは、大聖堂のミサで頻繁に聴いていたからだった。

 私は中二階にある聖歌隊席を見上げたりしないので、彼に助け起こされて、間近で姿を見ても気づかなかったのだ。

 多くの貴婦人たちは、明日のスターを見つけようと聖歌隊席に目を光らせているのだが。教会音楽で力をつけた歌手たちは遠からずオペラの舞台に立って、劇場の花形へと成長していく。

「あの歌手は舞台に立たないくせに、劇場の主演男性歌手プリモウォーモをしのぐ人気を得ているらしいな」
「教会歌手を貫いているのが、イメージアップの秘訣でしょう」

 どこかの令息が皮肉な笑みを浮かべる横を、アルカンジェロは表情ひとつ変えずに歩を進める。

 金と欲望が渦巻く劇場で歌わないことが彼に一層清廉なイメージをもたらし、純粋で美しい幻想に拍車をかけているようだ。

 ようやく大広間の出口にさしかかって、私はホッと胸をなで下ろした。女性たちがよこす嫉妬のまなざしと、男たちの冷笑を浴びて、針のむしろに座る思いだったから。

 だが最後に邪魔者が立ちはだかった。

「勝手な振る舞いは、この僕が許さん!」

 グイードは腕を組んでふんぞり返っていたが、如何いかんせんアルカンジェロのほうが背が高い。必然的に見上げる姿勢となり、まるで格好がつかない。

 歌手は私を抱いたまま、礼儀正しくこうべを垂れた。

「リラお嬢様はお体の具合が悪いようです。どうかお通し願えませんか」

 英雄叙事詩に出てくるうるわしの騎士のような姿に、また女性たちから感嘆のため息が漏れた。頬にかかる一房の巻き毛は少年らしさの残る彼の美貌を引き立て、黒いリボンで一つにまとめた豊かな髪は漆黒の絹糸のようだ。

 女性たちの注目を浴びる若い歌手に、心のせまいグイードは激怒した。

「お前は、我がブライデン家お抱え歌手という自分の立場が分かっているのか? 去勢歌手カストラート風情ふぜいが偉そうに!」

 グイードのあからさまな物言いに、令嬢たちは「まあ!」と頬を染め、貴婦人方は眉をひそめる。

 その間も私は意識がはっきりしないふり。気を失った令嬢って気付け薬を嗅いだらすぐに歩けるものかしら? 気絶なんてしたことないから分からないわ。

 クリス兄様はそんな私を心配そうに見つめるばかりで、グイードに物申すことなどできない。将来の騎士団長とはいえ今の兄はただの伯爵令息。公爵家のグイードに対抗する胆力など持ち合わせてはいない。

 貴族たちが楽しそうに成り行きを見守る中、クリス兄様の隣に立っていた令嬢が進み出た。

「グイード様、わたくしからもお願い申し上げますわ。女性の体は繊細なもの。どうぞ休ませてあげてくださいまし」

「ふん、王家の飼い殺し令嬢か」

 グイードは唇の端を吊り上げた。

 飼い殺し令嬢と呼ばれたエルヴィーラ・セグレート侯爵令嬢は悲しそうに目を伏せた。

 彼女は第二王子であるジルベルト殿下の婚約者だ。第二王子は十年前、第三王子アルベルト殿下と共に離宮で毒を盛られた。お体が小さかったアルベルト殿下は命を落とされたが、ジルベルト殿下は一命を取り留めた。だがお体に障害が残ってしまったため、今日まで公の場に一切姿を現していない。

 毒殺事件が起きたとき、エルヴィーラ嬢はすでにジルベルト殿下の婚約者だった。

 それから十年間、エルヴィーラ嬢は婚約者に会うことも許されず、延々と待たされている。

 なお第一王子だったウンベルト殿下は毒殺事件の一年前、北の山脈の峠道を通過中に山賊の襲撃を受けて亡くなっていた。外交使節団の筆頭として訪れた近隣のフランシア王国から帰還する際、激しい戦闘に巻き込まれたのだ。

 よって第一王位継承者は、現在寝たきりの第二王子ジルベルト殿下となっている。

 将来の王妃であるエルヴィーラ嬢の言葉に、グイードはすごすごと引き下がった。

「感謝いたします」

 アルカンジェロがグイードに冷たい声で礼を述べ、堂々たる足取りで廊下へ出た。アルカンジェロに抱えられて大広間から遠ざかる私の耳に、

「待機しているリラの侍女を呼んできます」

 というお兄様の声が聞こえた。

「わたくしも一緒に参りますわ」

 だがエルヴィーラ嬢の意外な答えに、私は思わずアルカンジェロの肩越しに二人の姿をのぞき見た。

 クリス兄様がエルヴィーラ嬢をエスコートして、廊下の角を曲がっていく。妙に親しげな二人の背中に、私は奇妙な違和感を覚えた。



─ * ─



兄貴とエルヴィーラ嬢の秘密に関しては、7話で明かされます!
次回はしばしの間、控室で二人きりになったリラとアルカンジェロのシーンです。愛が育まれるのか、それとも――?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

【完結】幼い頃からの婚約を破棄されて退学の危機に瀕している。

桧山 紗綺
恋愛
子爵家の長男として生まれた主人公は幼い頃から家を出て、いずれ婿入りする男爵家で育てられた。婚約者とも穏やかで良好な関係を築いている。 それが綻んだのは学園へ入学して二年目のこと。  「婚約を破棄するわ」 ある日突然婚約者から婚約の解消を告げられる。婚約者の隣には別の男子生徒。 しかもすでに双方の親の間で話は済み婚約は解消されていると。 理解が追いつく前に婚約者は立ち去っていった。 一つ年下の婚約者とは学園に入学してから手紙のやり取りのみで、それでも休暇には帰って一緒に過ごした。 婚約者も入学してきた今年は去年の反省から友人付き合いを抑え自分を優先してほしいと言った婚約者と二人で過ごす時間を多く取るようにしていたのに。 それが段々減ってきたかと思えばそういうことかと乾いた笑いが落ちる。 恋のような熱烈な想いはなくとも、将来共に歩む相手、長い時間共に暮らした家族として大切に思っていたのに……。 そう思っていたのは自分だけで、『いらない』の一言で切り捨てられる存在だったのだ。  いずれ男爵家を継ぐからと男爵が学費を出して通わせてもらっていた学園。 来期からはそうでないと気づき青褪める。 婚約解消に伴う慰謝料で残り一年通えないか、両親に援助を得られないかと相談するが幼い頃から離れて育った主人公に家族は冷淡で――。 絶望する主人公を救ったのは学園で得た友人だった。   ◇◇ 幼い頃からの婚約者やその家から捨てられ、さらに実家の家族からも疎まれていたことを知り絶望する主人公が、友人やその家族に助けられて前に進んだり、贋金事件を追ったり可愛らしいヒロインとの切ない恋に身を焦がしたりするお話です。 基本は男性主人公の視点でお話が進みます。 ◇◇ 第16回恋愛小説大賞にエントリーしてました。 呼んでくださる方、応援してくださる方、感想なども皆様ありがとうございます。とても励まされます! 本編完結しました! 皆様のおかげです、ありがとうございます! ようやく番外編の更新をはじめました。お待たせしました! ◆番外編も更新終わりました、見てくださった皆様ありがとうございます!!

【完結】虐げられて自己肯定感を失った令嬢は、周囲からの愛を受け取れない

春風由実
恋愛
事情があって伯爵家で長く虐げられてきたオリヴィアは、公爵家に嫁ぐも、同じく虐げられる日々が続くものだと信じていた。 願わくば、公爵家では邪魔にならず、ひっそりと生かして貰えたら。 そんなオリヴィアの小さな願いを、夫となった公爵レオンは容赦なく打ち砕く。 ※完結まで毎日1話更新します。最終話は2/15の投稿です。 ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています。

辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

コテット
恋愛
侯爵令嬢リーナは、王子からの婚約破棄と義妹の策略により、社交界での地位も誇りも奪われた。 だが、彼女には誰も知らない“前世の記憶”がある。現代薬剤師として培った知識と、辺境で拾った“魔草”の力。 それらを駆使して、貴族社会の裏を暴き、裏切った者たちに“真実の薬”を処方する。 ざまぁの宴の先に待つのは、異国の王子との出会い、平穏な薬草庵の日々、そして新たな愛。 これは、捨てられた令嬢が世界を変える、痛快で甘くてスカッとする逆転恋愛譚。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

結婚前夜に婚約破棄されたけど、おかげでポイントがたまって溺愛されて最高に幸せです❤

凪子
恋愛
私はローラ・クイーンズ、16歳。前世は喪女、現世はクイーンズ公爵家の公爵令嬢です。 幼いころからの婚約者・アレックス様との結婚間近……だったのだけど、従妹のアンナにあの手この手で奪われてしまい、婚約破棄になってしまいました。 でも、大丈夫。私には秘密の『ポイント帳』があるのです! ポイントがたまると、『いいこと』がたくさん起こって……?

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

婚約破棄されたはずなのに、溺愛が止まりません!~断罪された令嬢は第二の人生で真実の愛を手に入れる~

sika
恋愛
社交界で名高い公爵令嬢・アイリスは、婚約者である王太子に冤罪をでっち上げられ、婚約破棄と同時にすべてを失った。 誰も信じられず国外に逃れた彼女は、名を偽り辺境の地で静かに生きるはずだった――が、そこで出会った青年将軍が、彼女に異常なまでの執着と愛を向け始める。 やがて明らかになる陰謀の真相、そして王都から彼女を探す“元婚約者”の焦燥。 過去を乗り越え、愛を選ぶ彼女の物語は、痛快な逆転劇と甘く濃密な溺愛とともに幕を開ける。

処理中です...