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終之巻 風の音にぞおどろかれぬる(前篇)
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暑さもすっかりやわらいで、すだれからすべりこむ風は早くも秋色の匂い。路地裏には最後の蝉がひっくり返り、高い空には赤とんぼが飛び交う。
盗み屋マルニンの隠れ家は住人が増えにぎやかだ。修理屋ふぁしること槻雪花と、梅乃屋の振袖新造だった萩だ。来夜たちが無事逃げおおせたのは、ひとえに萩ちゃんのお陰、その萩ちゃんが、自分のせいで遣り手に苛められるのはかわいそうだ、とけちな来夜も首を縦に振り、彼女を身請けすることになったのだ。
来夜は亡き両親を思ったのかもしれない。
そんなわけで、金兵衛はほくほくしていた。
「おい金兵衛」
近頃始終にやついている金兵衛に、ふぁしるがクギを刺す。
「お萩さんや子供を泣かせるようなことをしたら、この私が許さないからな」
「分かっていまさあ。お萩ちゃん、子供だってよ、なんて名前つけようかねえ」
金兵衛は益々顔の肉をゆるませて、まだ身籠もってもいない萩のおなかをさすりだす。
「金さんったら」
萩も笑って、
「やめておくんなんしよ」
やんわりその手を押し返し、盆に並べた湯呑みに茶をつぎだした。
湯呑みを受け取りながら粛さんは、
「いやぁ、お萩さんが来てくだすって助かりますなあ。家事が分担できますから」
「それは家のことが一切出来ぬ私への当てつけか?」
「いえいえそんな」
粛さんは慌てた。「ふぁしる殿には私たちが盗んだ物を仕事に使って頂き、そのお代を家計に充てるのですから、まさかそんな家のことまで頼んだりは……」
粛さんはふぁしるが苦手なのかもしれない。
来夜たちは盗んできた物をただ売るより修理に使う方が儲かるし、ふぁしるも仕入れ代がかからずに済む。
「私のことは雪花でよい」
ふぁしるは憮然としたままだ。
「そういえばねえちゃん、なんでふぁしるって名乗ってたの?」
熱いお茶をふうふうしながら、来夜が上目遣いに尋ねる。
「ああ、五百年くらい昔に滅びた言葉で、化石という意味なんだ。五百年前に大戦争が起きたのは知ってるだろ?」
「そうなの? うらしま太郎が竜宮城に行ったのが、そのくらいだと思ったけど」
「それは嘘だ」
指差して子供の夢を壊すふぁしる。「五百年前にはまだ体を取り外し出来ない人間も残ってたんだ。だが彼らは大戦争を生き延びられなかった。大戦争後、保護区に立て籠もり、それまでの文明を拒否したのが、私たちの祖先だ」
「へぇ~」
来夜と萩、金兵衛が口をそろえて感心する。粛さんは、書物で読んだことがあるのだろう。円明は一人、部屋の隅でこちらの話に耳も傾けず、長持を机代わりに筆を動かしている。
「何を書いていなんすのだえ?」
誰にともなく尋ねた萩に金兵衛が、
「円明の奴ぁあまりに詩の才がねえもんで、芦屋さんに戯作を書いてみねえかと勧められたんだよ。今回の梅乃屋の事件をもとにしてな。今都で人気の盗み屋マルニンと亮警部が出て、しかも舞台が遊郭となりゃあ、大当間違いなしってもんよ。しかも驚いちゃいけねえぜ、主人公はこの俺よ。そしてお萩ちゃんとの愛を軸に物語は展開し――」
金兵衛が益々乗ってきたところで、
「なんだ好色物か」
とふぁしるが興ざめな声を出した。それから来夜の方に向きなおり、
「私からもひとつ訊いていい?」
「うん、なんなりと」
「くぅぅ、旦那まであっしの話を聞いてくれねえたぁ……」
金兵衛は嘘泣きして萩に頭を撫でてもらう。ふぁしるは気にも留めずに、
「来夜はしょっちゅう女装していたけど、なんで?」
これには来夜も固まった。
「いや、あのね」
一生懸命、言葉を探す。
「俺は、ねえちゃんみたいになりたかっただけなの」
「私みたいに?」
真っ向からみつめられて、来夜はうつむいた。「うん。憧れてたの。ねえちゃんと離れてから、ねえちゃんのことばっか考えてて頭の中の人になっちゃってから、どんどん神秘的な美しい人だったような気がしてきて、俺もああなりたいって」
「すまないな。本物はこんながさつな奴で」
「ううん、全然!」
来夜は慌てて首を振る。
「来夜はまだ私みたいになりたいの?」
どこか不安そうなふぁしるに、
「ううん、もういいや。なんかねえちゃんに会えたら、み~んな満たされちゃった。俺、ねえちゃんのこと大好きなのに、ぶつける相手がなくて、それで募るばかりの気持ちが有り余って、ほかの方向に向かっちゃっただけなの」
話すことも手をつなぐことも出来ず思い出が消えてゆくのが怖くて、幻に形を与えたかった。だけどそばにいてくれるなら、もう不安はない。
「ごめんね、本当に」
「そんな淋しそうな目しないでよ。俺ねえちゃんのその目に弱いんだから」
ふぁしるは少しだけ笑って、
「来夜、そのままでいてね」
なんとはなしに場がしんみりしたところで、急に表が騒がしくなった。
盗み屋マルニンの隠れ家は住人が増えにぎやかだ。修理屋ふぁしること槻雪花と、梅乃屋の振袖新造だった萩だ。来夜たちが無事逃げおおせたのは、ひとえに萩ちゃんのお陰、その萩ちゃんが、自分のせいで遣り手に苛められるのはかわいそうだ、とけちな来夜も首を縦に振り、彼女を身請けすることになったのだ。
来夜は亡き両親を思ったのかもしれない。
そんなわけで、金兵衛はほくほくしていた。
「おい金兵衛」
近頃始終にやついている金兵衛に、ふぁしるがクギを刺す。
「お萩さんや子供を泣かせるようなことをしたら、この私が許さないからな」
「分かっていまさあ。お萩ちゃん、子供だってよ、なんて名前つけようかねえ」
金兵衛は益々顔の肉をゆるませて、まだ身籠もってもいない萩のおなかをさすりだす。
「金さんったら」
萩も笑って、
「やめておくんなんしよ」
やんわりその手を押し返し、盆に並べた湯呑みに茶をつぎだした。
湯呑みを受け取りながら粛さんは、
「いやぁ、お萩さんが来てくだすって助かりますなあ。家事が分担できますから」
「それは家のことが一切出来ぬ私への当てつけか?」
「いえいえそんな」
粛さんは慌てた。「ふぁしる殿には私たちが盗んだ物を仕事に使って頂き、そのお代を家計に充てるのですから、まさかそんな家のことまで頼んだりは……」
粛さんはふぁしるが苦手なのかもしれない。
来夜たちは盗んできた物をただ売るより修理に使う方が儲かるし、ふぁしるも仕入れ代がかからずに済む。
「私のことは雪花でよい」
ふぁしるは憮然としたままだ。
「そういえばねえちゃん、なんでふぁしるって名乗ってたの?」
熱いお茶をふうふうしながら、来夜が上目遣いに尋ねる。
「ああ、五百年くらい昔に滅びた言葉で、化石という意味なんだ。五百年前に大戦争が起きたのは知ってるだろ?」
「そうなの? うらしま太郎が竜宮城に行ったのが、そのくらいだと思ったけど」
「それは嘘だ」
指差して子供の夢を壊すふぁしる。「五百年前にはまだ体を取り外し出来ない人間も残ってたんだ。だが彼らは大戦争を生き延びられなかった。大戦争後、保護区に立て籠もり、それまでの文明を拒否したのが、私たちの祖先だ」
「へぇ~」
来夜と萩、金兵衛が口をそろえて感心する。粛さんは、書物で読んだことがあるのだろう。円明は一人、部屋の隅でこちらの話に耳も傾けず、長持を机代わりに筆を動かしている。
「何を書いていなんすのだえ?」
誰にともなく尋ねた萩に金兵衛が、
「円明の奴ぁあまりに詩の才がねえもんで、芦屋さんに戯作を書いてみねえかと勧められたんだよ。今回の梅乃屋の事件をもとにしてな。今都で人気の盗み屋マルニンと亮警部が出て、しかも舞台が遊郭となりゃあ、大当間違いなしってもんよ。しかも驚いちゃいけねえぜ、主人公はこの俺よ。そしてお萩ちゃんとの愛を軸に物語は展開し――」
金兵衛が益々乗ってきたところで、
「なんだ好色物か」
とふぁしるが興ざめな声を出した。それから来夜の方に向きなおり、
「私からもひとつ訊いていい?」
「うん、なんなりと」
「くぅぅ、旦那まであっしの話を聞いてくれねえたぁ……」
金兵衛は嘘泣きして萩に頭を撫でてもらう。ふぁしるは気にも留めずに、
「来夜はしょっちゅう女装していたけど、なんで?」
これには来夜も固まった。
「いや、あのね」
一生懸命、言葉を探す。
「俺は、ねえちゃんみたいになりたかっただけなの」
「私みたいに?」
真っ向からみつめられて、来夜はうつむいた。「うん。憧れてたの。ねえちゃんと離れてから、ねえちゃんのことばっか考えてて頭の中の人になっちゃってから、どんどん神秘的な美しい人だったような気がしてきて、俺もああなりたいって」
「すまないな。本物はこんながさつな奴で」
「ううん、全然!」
来夜は慌てて首を振る。
「来夜はまだ私みたいになりたいの?」
どこか不安そうなふぁしるに、
「ううん、もういいや。なんかねえちゃんに会えたら、み~んな満たされちゃった。俺、ねえちゃんのこと大好きなのに、ぶつける相手がなくて、それで募るばかりの気持ちが有り余って、ほかの方向に向かっちゃっただけなの」
話すことも手をつなぐことも出来ず思い出が消えてゆくのが怖くて、幻に形を与えたかった。だけどそばにいてくれるなら、もう不安はない。
「ごめんね、本当に」
「そんな淋しそうな目しないでよ。俺ねえちゃんのその目に弱いんだから」
ふぁしるは少しだけ笑って、
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