33 / 45
十七之巻、ただ十五夜の月ぞ残れる
しおりを挟む
いつの間にか、おみさとふぁしるは並んで柵に腰掛けていた。高い満月がぼんやりと、田んぼと畦道を照らしている。
「ごめんね修理屋さん。あんなこと言って」
ふぁしるは黒い布をあごの下までおろすと、おみさのほうを振り返り、
「なんで。私もそうだったよ。やさしくされたかったけど、同情されるとすごい腹立って」
「修理屋さん――」
目を丸くしているおみさに、ふぁしるは首をかしげる。「どうした?」
「修理屋さん、女の子だったんだ……」
「あ、うん。女の修理屋なんて珍しいだろ。だから目指したんだ。なんか男に負けるの悔しくてさ、どうすれば一番鼻を明かしてやれるかな、って」
「あたしも―― あたしもそうなんだよ、馬鹿な男子がほんっとぉぉぉに嫌いなの!」
おみさの言葉に異様に力がこもっていて、ふぁしるは思わず笑ってしまった。だがおみさは、ぷうっと頬をふくらます。
「なんでぃ、修理屋さんもおんなじなんでしょ?」
「同じなのかな。あのあと私は遠い町で住み込みで働かせてもらって、弟を育てようとした。その土地で意地悪な子供たちにいじめられてな。旦那様のお使いでお得意先を回るんだけど、私を困らせるためだけに暇な子供がその道々に潜んでいて、私が通ると貧乏人だの臭いだのブスだのって散々悪口言って仕事の邪魔をするんだ。気にすまい、無視しようとつとめても悔しくて、こんな自分がみじめで。傷つくことさえ腹が立って。夜、布団の中で一人になると自分が嫌で嫌で泣けてくるんだ。弟も段々よく食べるようになって、仕事はきついし、もう母ちゃんたちのところへ行っちまおうかとも思ったよ」
「駄目だよ、せっかく救ってもらったんだから」
おみさはおしゃまなことを言う。
「でも私は、そんなこと考えられなくて、でもただ、いつか復讐してやりたい、あいつらに痛い目見せてやる、それだけを支えに毎日過ごしてた。怒りと、曲がった自尊心が、私の命を救ったんだ。私が修理屋になったのって、すごく不謹慎な理由だよ。あの頃、勿論女の子たちも影で策動してたんだと思う。でも表で私をいじめるのは山猿以下な男どもばっかだったから、私は絶対奴等に勝てる仕事をしたかったんだ。別にブスというならそれでいい、私は女としての魅力なんていらないんだ。ただ、人として魅力的な大人になりたかったんだ」
「なんで、修理屋さん、綺麗だよ? 暗いとこだと瞳、金色に光るんだね」
「ああ、これ?」
ふぁしるは目の下に、そっと指を当てる。「母さんのが遺伝したらしい」
「それに修理屋さん、天下一の修理屋になって、夢、達成したんだね。いいな」
「達成か。でも、何か失くしてしまった気がする。人を信じることも出来ない」
原亮警部、あの人を傷付けたのだろうな、と思う。避けられ逃げられて、昔深く傷付いていたのは、自分自身なのに。ただひたすらよくしてもらったのに、きちんとした礼も出来ずに今日まで来ている。
(人が信じられないだって? 当然かもな。この自分が、あんなに小さくて私の全てを信じていた弟を裏切ったんだから)
また来るからね、そんな嘘をついた、弟との最後の日を思い出し、ふぁしるは自嘲せざるを得ない。あの日、嘘を言ったつもりはなかった。だが野望を追うことだけに必死になっているうちに、こんなにも時間が過ぎてしまった。今更どういう顔をして姉と名乗ればよいのだろう。あの子は私を覚えているだろうか。自分を捨てた姉に会いたいのだろうか。変わってしまった今の私を、姉と認めてくれるだろうか――。また悶々とし出したふぁしるを、おみさのかわいい声が引き戻した。
「それは修理屋さんのせいじゃあないよ。意地悪なガキどものせいでしょ」
その前に自分が何を言っていたかを思いだし、ふぁしるは即座に否定した。
「違う。過去にとらわれ続けるのは、私が成長出来ずにいる証拠だ」
おみさはまた何か言おうとして、小さな人影が駆けてくるのに気が付いた。
「ねえちゃんたち、こんなとこにいたの?」
「何」
急に笑みを消すおみさに、この子は何で弟相手だとこんなに怖いんだろう、とふぁしるは苦笑する。
「で、おあしのほうはどうなった?」
「あたしが修理屋さんの弟子にしてもらって、出世払いすることに決まった」
「嘘!? ねえちゃんってほんと調子いいよね。こんなにお世話になって、まだ迷惑かけるの!?」
「うるさいよ」
少年はふぁしるに向き直ると、
「この人ねえ、修理屋ふぁしるにずぅぅっと憧れてて大変だったんだよ。自分も修理屋になるとか言って。いいんですか? こんな性格問題児、弟子なんかにとって」
「いや、まだ考え中だから……」
(本当は断る気満々なんだけど)
胸の中で付け加えて、ふぁしるは思わず溜め息つく。気付かず少年ははしゃいで、
「そうだ、庄屋さんが修理屋さんへのお礼に、ご馳走食べる会するんだって! ねえちゃんも修理屋さんも早く早く!」
「なんだよご馳走食べる会って」
おみさは相変わらずそっけない。
(ずっと一緒に過ごしていたら、私もこんな姉になったものだろうか……)
満点の星空の下、駆け出す姉弟の背中をみつめ、ふぁしるは複雑な思いに駆られた。
「ごめんね修理屋さん。あんなこと言って」
ふぁしるは黒い布をあごの下までおろすと、おみさのほうを振り返り、
「なんで。私もそうだったよ。やさしくされたかったけど、同情されるとすごい腹立って」
「修理屋さん――」
目を丸くしているおみさに、ふぁしるは首をかしげる。「どうした?」
「修理屋さん、女の子だったんだ……」
「あ、うん。女の修理屋なんて珍しいだろ。だから目指したんだ。なんか男に負けるの悔しくてさ、どうすれば一番鼻を明かしてやれるかな、って」
「あたしも―― あたしもそうなんだよ、馬鹿な男子がほんっとぉぉぉに嫌いなの!」
おみさの言葉に異様に力がこもっていて、ふぁしるは思わず笑ってしまった。だがおみさは、ぷうっと頬をふくらます。
「なんでぃ、修理屋さんもおんなじなんでしょ?」
「同じなのかな。あのあと私は遠い町で住み込みで働かせてもらって、弟を育てようとした。その土地で意地悪な子供たちにいじめられてな。旦那様のお使いでお得意先を回るんだけど、私を困らせるためだけに暇な子供がその道々に潜んでいて、私が通ると貧乏人だの臭いだのブスだのって散々悪口言って仕事の邪魔をするんだ。気にすまい、無視しようとつとめても悔しくて、こんな自分がみじめで。傷つくことさえ腹が立って。夜、布団の中で一人になると自分が嫌で嫌で泣けてくるんだ。弟も段々よく食べるようになって、仕事はきついし、もう母ちゃんたちのところへ行っちまおうかとも思ったよ」
「駄目だよ、せっかく救ってもらったんだから」
おみさはおしゃまなことを言う。
「でも私は、そんなこと考えられなくて、でもただ、いつか復讐してやりたい、あいつらに痛い目見せてやる、それだけを支えに毎日過ごしてた。怒りと、曲がった自尊心が、私の命を救ったんだ。私が修理屋になったのって、すごく不謹慎な理由だよ。あの頃、勿論女の子たちも影で策動してたんだと思う。でも表で私をいじめるのは山猿以下な男どもばっかだったから、私は絶対奴等に勝てる仕事をしたかったんだ。別にブスというならそれでいい、私は女としての魅力なんていらないんだ。ただ、人として魅力的な大人になりたかったんだ」
「なんで、修理屋さん、綺麗だよ? 暗いとこだと瞳、金色に光るんだね」
「ああ、これ?」
ふぁしるは目の下に、そっと指を当てる。「母さんのが遺伝したらしい」
「それに修理屋さん、天下一の修理屋になって、夢、達成したんだね。いいな」
「達成か。でも、何か失くしてしまった気がする。人を信じることも出来ない」
原亮警部、あの人を傷付けたのだろうな、と思う。避けられ逃げられて、昔深く傷付いていたのは、自分自身なのに。ただひたすらよくしてもらったのに、きちんとした礼も出来ずに今日まで来ている。
(人が信じられないだって? 当然かもな。この自分が、あんなに小さくて私の全てを信じていた弟を裏切ったんだから)
また来るからね、そんな嘘をついた、弟との最後の日を思い出し、ふぁしるは自嘲せざるを得ない。あの日、嘘を言ったつもりはなかった。だが野望を追うことだけに必死になっているうちに、こんなにも時間が過ぎてしまった。今更どういう顔をして姉と名乗ればよいのだろう。あの子は私を覚えているだろうか。自分を捨てた姉に会いたいのだろうか。変わってしまった今の私を、姉と認めてくれるだろうか――。また悶々とし出したふぁしるを、おみさのかわいい声が引き戻した。
「それは修理屋さんのせいじゃあないよ。意地悪なガキどものせいでしょ」
その前に自分が何を言っていたかを思いだし、ふぁしるは即座に否定した。
「違う。過去にとらわれ続けるのは、私が成長出来ずにいる証拠だ」
おみさはまた何か言おうとして、小さな人影が駆けてくるのに気が付いた。
「ねえちゃんたち、こんなとこにいたの?」
「何」
急に笑みを消すおみさに、この子は何で弟相手だとこんなに怖いんだろう、とふぁしるは苦笑する。
「で、おあしのほうはどうなった?」
「あたしが修理屋さんの弟子にしてもらって、出世払いすることに決まった」
「嘘!? ねえちゃんってほんと調子いいよね。こんなにお世話になって、まだ迷惑かけるの!?」
「うるさいよ」
少年はふぁしるに向き直ると、
「この人ねえ、修理屋ふぁしるにずぅぅっと憧れてて大変だったんだよ。自分も修理屋になるとか言って。いいんですか? こんな性格問題児、弟子なんかにとって」
「いや、まだ考え中だから……」
(本当は断る気満々なんだけど)
胸の中で付け加えて、ふぁしるは思わず溜め息つく。気付かず少年ははしゃいで、
「そうだ、庄屋さんが修理屋さんへのお礼に、ご馳走食べる会するんだって! ねえちゃんも修理屋さんも早く早く!」
「なんだよご馳走食べる会って」
おみさは相変わらずそっけない。
(ずっと一緒に過ごしていたら、私もこんな姉になったものだろうか……)
満点の星空の下、駆け出す姉弟の背中をみつめ、ふぁしるは複雑な思いに駆られた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
最強のコミュ障探索者、Sランクモンスターから美少女配信者を助けてバズりたおす~でも人前で喋るとか無理なのでコラボ配信は断固お断りします!~
尾藤みそぎ
ファンタジー
陰キャのコミュ障女子高生、灰戸亜紀は人見知りが過ぎるあまりソロでのダンジョン探索をライフワークにしている変わり者。そんな彼女は、ダンジョンの出現に呼応して「プライムアビリティ」に覚醒した希少な特級探索者の1人でもあった。
ある日、亜紀はダンジョンの中層に突如現れたSランクモンスターのサラマンドラに襲われている探索者と遭遇する。
亜紀は人助けと思って、サラマンドラを一撃で撃破し探索者を救出。
ところが、襲われていたのは探索者兼インフルエンサーとして知られる水無瀬しずくで。しかも、救出の様子はすべて生配信されてしまっていた!?
そして配信された動画がバズりまくる中、偶然にも同じ学校の生徒だった水無瀬しずくがお礼に現れたことで、亜紀は瞬く間に身バレしてしまう。
さらには、ダンジョン管理局に目をつけられて依頼が舞い込んだり、水無瀬しずくからコラボ配信を持ちかけられたり。
コミュ障を極めてひっそりと生活していた亜紀の日常はガラリと様相を変えて行く!
はたして表舞台に立たされてしまった亜紀は安らぎのぼっちライフを守り抜くことができるのか!?
王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します
有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。
妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。
さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。
そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
【淀屋橋心中】公儀御用瓦師・おとき事件帖 豪商 VS おとき VS 幕府隠密!三つ巴の闘いを制するのは誰?
海善紙葉
歴史・時代
●青春真っ盛り・話題てんこ盛り時代小説
現在、アルファポリスのみで公開中。
*️⃣表紙イラスト︰武藤 径 さん。ありがとうございます、感謝です🤗
武藤径さん https://estar.jp/users/157026694
タイトル等は紙葉が挿入しました😊
●おとき。17歳。「世直しおとき」の異名を持つ。
●おときの幼馴染のお民が殺された。役人は、心中事件として処理しようとするが、おときはどうしても納得できない。
お民は、大坂の豪商・淀屋辰五郎の妾になっていたという。おときは、この淀辰が怪しいとにらんで、捜査を開始。
●一方、幕閣の柳沢吉保も、淀屋失脚を画策。実在(史実)の淀屋辰五郎没落の謎をも巻き込みながら、おときは、モン様こと「近松門左衛門」と二人で、事の真相に迫っていく。
✳おおさか
江戸時代は「大坂」の表記。明治以降「大阪」表記に。物語では、「大坂」で統一しています。
□主な登場人物□
おとき︰主人公
お民︰おときの幼馴染
伊左次(いさじ)︰寺島家の職人頭。おときの用心棒、元武士
寺島惣右衛門︰公儀御用瓦師・寺島家の当主。おときの父。
モン様︰近松門左衛門。おときは「モン様」と呼んでいる。
久富大志郎︰23歳。大坂西町奉行所同心
分部宗一郎︰大坂城代土岐家の家臣。城代直属の市中探索目附
淀屋辰五郎︰なにわ長者と呼ばれた淀屋の五代目。淀辰と呼ばれる。
大曽根兵庫︰分部とは因縁のある武士。
福島源蔵︰江戸からやってきた侍。伊左次を仇と付け狙う。
西海屋徳右衛門︰
清兵衛︰墨屋の職人
ゴロさん︰近松門左衛門がよく口にする謎の人物
お駒︰淀辰の妾
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる