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七之巻、かみなり和尚のお出ましでぃっ!(後篇)
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庭の飛び石を踏んではしゃぐ来夜に、砂利道を小走りに追いかけてゆく平粛。二人の後ろ姿を書斎から眺めながら、和尚はひとつ溜め息をついた。疲労ゆえではない、苦渋の色がにじんでいた。
あの日、十一歳の少女は、拳を握りしめていた。
――父ちゃんも母ちゃんも殺されたんだ、あいつらに。
その瞳に涙はなかった。ただ暗い怒りと怨念の炎だけで。
(九つになった来夜に、伝えるべきなんじゃろうか……)
言わぬうちに、来夜は寺から出て行ってしまった。
(せめて雪花と再会できてからでも、遅くはあるまい)
眉根にしわを寄せたまま、和尚は書斎を離れた。
蝉の声が行く手をふさぎ、夏の日が照りつける。駕籠や大八車が駆け抜ける表通りから一本入った裏道にある木戸の傾いた家が、盗み屋マルニンの隠れ家だ。開け閉めしにくい戸は開けっ放してすだれを掛けている。
一年中湿っている土を踏んで、来夜はにこにこ笑顔で戻ってきた。そのわけは、右手にさげた葛餅、大きな葉で包んで紐をかけてある。帰りに平粛が買ってくれたのだ。
すだれの陰から顔をのぞかせて、
「ただいまぁ」
「おう、お頭。帰りやしたか」
うちわ片手にごろんと横になってた陶円明が怠惰な声を出す。「暑いですなあ。ほんとに夏ってなあ、やりきれませんわ」
「どうでした? 何か収穫はありやしたかい?」
板の間にあぐらを掻いた金兵衛は、西瓜の種をぺっと土間に吐き捨てる。
来夜は早速、金瑞宇和尚から聞いた話を披露し、「夜来」の紙を見せた。
陶円明は、半開きの目をこすりながらのぞき込み、常々の睡眠欲を季節のせいにする。
「暑いとどうも眠気が……」
「うわぁっ、よだれ垂らさないでよ!」
慌てて大切な紙を引っ込めた来夜に、金兵衛はちょっと真面目な顔をした。
「その字、見覚えありますぜ」
「えっ」
「これを書いた人を知っているということですか?」
粛さんも話の輪に加わる。
「知っちゃいねえが。梅乃屋の花魁の部屋にでけぇ柱があるんだが、そこに書き付けてあるのが、これと同じ蹟だ」
梅乃屋は、金兵衛馴染みの妓楼だ。
「襖の開いてるときに前を通りゃあ分かるが、夜と来るって字の下に確か、『化石』とか書いてあるんだ」
「続けると『夜来化石』か……。一体何のことやら」
と円明。
「その花魁は宴小町なんですか。金の瞳を持つという」
大きな店なら花魁は数人いる。そうだ、と金兵衛がうなずくと、粛さんは興奮気味に、
「来夜殿、確かその紙はお姉さんがご両親の形見として瑞宇和尚に預けたのでしたな」
「宴小町を来夜殿の姉上と仮定すると……」
円明も首をかしげて、
「それじゃあその字は、花魁が書いたんだろうかねえ」
「それはありますまい。和尚にこの紙を渡したとき、槻雪花さんは十一歳、これから学問をしたいという子が『夜来化石』なんて字が書けるわけないでしょう。ですから槻雪花さんを宴小町と仮定すれば――」
そこへ金兵衛が口を挟む。
「でも旦那の話だと、旦那の姉さんは学問がやりたくて旦那を寺に預けたんだろ? それなのに今は花魁じゃあ……」
「悲劇ですね」
ずばっと結論をくだした平粛に来夜は、
「でも花魁って人気があって儲かるんでしょ?」
無邪気なことを言う。「それにいっぱい綺麗な恰好が出来るし」
来夜にとってはそれが羨ましいらしい。「ねえちゃん、すっごいかわいかったから、花魁にだってきっとなれると思う」
離れ離れになってから六年間、空想の中でしか会えないうちに、姉・雪花は来夜の憧れの存在になってしまったようだ。
平粛はちょっと淋しそうな笑みを向けただけ。
「ねえ金兵衛、花魁の右肩に刀傷ってない?」
なぜです、と問うた金兵衛に、来夜は昔自分を強盗からかばってくれた雪花の話をした。
「ねえちゃんがそんな大きな怪我負ってたなんて、俺も今日初めて聞いたんだけど」
「だけど旦那、遊女として稼ぐためにゃあ、そんな傷物の腕は付け替えちまってやすよ」
そっか、と来夜はうつむいた。ねえちゃんが、綺麗な恰好で花魁道中などやっているのは、嬉しいけれど、二人をつなぐ印が消えてしまうのは淋しい。
(なんか俺、わがままだな)
しゅんとした来夜に金兵衛、
「何はともあれ、宴小町についてはもっと調べてみるしかねえな。まだ旦那の姉上と決まったわけじゃあねえし。『夜来化石』の柱書きも、おんなじこった。吉藁方面はあっしに任せてくんなせえ」
また調子のいいことを言う。
「任せたくないな」
「旦那~~」
「今夜俺もう一度、梅乃屋に忍び込んでみるよ。夜来化石の字も見たいし、宴小町にも会いたいからな」
昨日は巴宇に邪魔され、それどころではなかった。
「じゃあ、あっしは表からゆくんで必要経費おろしてくんなせえよ」
「いいってば。ついて来ないで」
来夜はとことんつれない。
「粛さん、遊郭に旦那ひとりでやるなんて駄目だよな!」
「ええ、まあ確かに……」
過保護な粛さんは、思わず頷いてしまう。だが金兵衛が次の句を継ぐ前に、
「それではひとまず葛餅としよう!」
待ちきれなくなった来夜は、わくわくしながら草包みをほどきだした。
あの日、十一歳の少女は、拳を握りしめていた。
――父ちゃんも母ちゃんも殺されたんだ、あいつらに。
その瞳に涙はなかった。ただ暗い怒りと怨念の炎だけで。
(九つになった来夜に、伝えるべきなんじゃろうか……)
言わぬうちに、来夜は寺から出て行ってしまった。
(せめて雪花と再会できてからでも、遅くはあるまい)
眉根にしわを寄せたまま、和尚は書斎を離れた。
蝉の声が行く手をふさぎ、夏の日が照りつける。駕籠や大八車が駆け抜ける表通りから一本入った裏道にある木戸の傾いた家が、盗み屋マルニンの隠れ家だ。開け閉めしにくい戸は開けっ放してすだれを掛けている。
一年中湿っている土を踏んで、来夜はにこにこ笑顔で戻ってきた。そのわけは、右手にさげた葛餅、大きな葉で包んで紐をかけてある。帰りに平粛が買ってくれたのだ。
すだれの陰から顔をのぞかせて、
「ただいまぁ」
「おう、お頭。帰りやしたか」
うちわ片手にごろんと横になってた陶円明が怠惰な声を出す。「暑いですなあ。ほんとに夏ってなあ、やりきれませんわ」
「どうでした? 何か収穫はありやしたかい?」
板の間にあぐらを掻いた金兵衛は、西瓜の種をぺっと土間に吐き捨てる。
来夜は早速、金瑞宇和尚から聞いた話を披露し、「夜来」の紙を見せた。
陶円明は、半開きの目をこすりながらのぞき込み、常々の睡眠欲を季節のせいにする。
「暑いとどうも眠気が……」
「うわぁっ、よだれ垂らさないでよ!」
慌てて大切な紙を引っ込めた来夜に、金兵衛はちょっと真面目な顔をした。
「その字、見覚えありますぜ」
「えっ」
「これを書いた人を知っているということですか?」
粛さんも話の輪に加わる。
「知っちゃいねえが。梅乃屋の花魁の部屋にでけぇ柱があるんだが、そこに書き付けてあるのが、これと同じ蹟だ」
梅乃屋は、金兵衛馴染みの妓楼だ。
「襖の開いてるときに前を通りゃあ分かるが、夜と来るって字の下に確か、『化石』とか書いてあるんだ」
「続けると『夜来化石』か……。一体何のことやら」
と円明。
「その花魁は宴小町なんですか。金の瞳を持つという」
大きな店なら花魁は数人いる。そうだ、と金兵衛がうなずくと、粛さんは興奮気味に、
「来夜殿、確かその紙はお姉さんがご両親の形見として瑞宇和尚に預けたのでしたな」
「宴小町を来夜殿の姉上と仮定すると……」
円明も首をかしげて、
「それじゃあその字は、花魁が書いたんだろうかねえ」
「それはありますまい。和尚にこの紙を渡したとき、槻雪花さんは十一歳、これから学問をしたいという子が『夜来化石』なんて字が書けるわけないでしょう。ですから槻雪花さんを宴小町と仮定すれば――」
そこへ金兵衛が口を挟む。
「でも旦那の話だと、旦那の姉さんは学問がやりたくて旦那を寺に預けたんだろ? それなのに今は花魁じゃあ……」
「悲劇ですね」
ずばっと結論をくだした平粛に来夜は、
「でも花魁って人気があって儲かるんでしょ?」
無邪気なことを言う。「それにいっぱい綺麗な恰好が出来るし」
来夜にとってはそれが羨ましいらしい。「ねえちゃん、すっごいかわいかったから、花魁にだってきっとなれると思う」
離れ離れになってから六年間、空想の中でしか会えないうちに、姉・雪花は来夜の憧れの存在になってしまったようだ。
平粛はちょっと淋しそうな笑みを向けただけ。
「ねえ金兵衛、花魁の右肩に刀傷ってない?」
なぜです、と問うた金兵衛に、来夜は昔自分を強盗からかばってくれた雪花の話をした。
「ねえちゃんがそんな大きな怪我負ってたなんて、俺も今日初めて聞いたんだけど」
「だけど旦那、遊女として稼ぐためにゃあ、そんな傷物の腕は付け替えちまってやすよ」
そっか、と来夜はうつむいた。ねえちゃんが、綺麗な恰好で花魁道中などやっているのは、嬉しいけれど、二人をつなぐ印が消えてしまうのは淋しい。
(なんか俺、わがままだな)
しゅんとした来夜に金兵衛、
「何はともあれ、宴小町についてはもっと調べてみるしかねえな。まだ旦那の姉上と決まったわけじゃあねえし。『夜来化石』の柱書きも、おんなじこった。吉藁方面はあっしに任せてくんなせえ」
また調子のいいことを言う。
「任せたくないな」
「旦那~~」
「今夜俺もう一度、梅乃屋に忍び込んでみるよ。夜来化石の字も見たいし、宴小町にも会いたいからな」
昨日は巴宇に邪魔され、それどころではなかった。
「じゃあ、あっしは表からゆくんで必要経費おろしてくんなせえよ」
「いいってば。ついて来ないで」
来夜はとことんつれない。
「粛さん、遊郭に旦那ひとりでやるなんて駄目だよな!」
「ええ、まあ確かに……」
過保護な粛さんは、思わず頷いてしまう。だが金兵衛が次の句を継ぐ前に、
「それではひとまず葛餅としよう!」
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