上 下
12 / 45

六之巻、ひそやかなるつぼみ、ほころびて

しおりを挟む
 修理屋ふぁしるが意識を取り戻したのは、日も暮れる頃だった。

 身を起こせば、見慣れぬ場所にいる。丸窓の竹格子の向こうにはすでに夕闇が落ちている。枯れ草の飛び出た土壁を、そっと撫でる。

「ここは―― どこだ?」

 簡素だが清潔な長椅子、枕元の卓にはかごが乗り、みかんが積まれている。かごで押さえた短冊には「お食べなさい」と、上品な墨文字。

「なんと素晴らしいだろう……」

 ふぁしるは思わず和紙を手に取る。それから着ているものに目をやって、あ、と顔をしかめた。

(誰かに着替えさせられている)

 それはいつもの黒い服ではなく、藍色の男物の着物だった。

 次第に頭がはっきりしてくる。

「逃げなきゃ……」

 立ち上がると、地面がぐらりと揺れ、同時に腕の古傷が痛み、肩を抱いたまま壁にもたれた。おぼつかない足取りで戸へ向かう。

(いけない。吉藁よしわらに風呂敷包み置いてきた)

 包んだ木箱には、修理屋の仕事道具が入っている。

 木戸は簡単に開いた。ほっとして、夕暮れの中に足を踏み出す。

 傾いて半開きになった木の門まで、飛び石が続いている。石のひとつひとつは色や模様が微妙に異なり、形も面白い。

(私を看病してくれたのは、どんな風流人だろう)

 しげった笹や、秋に向け伸び始めたすすきは、自然のままに見せて実は手入れされているのだろう。

 門から出たとき、細い川の向こうに人影が見えた。真っ直ぐ吊り橋へ近付いてくる。

(みつかる……!)

 腰をかがめて、茂みの陰を移動する。吊り橋から少し離れたところに、朽ちかけた丸太がかけてあった。

 男は吊り橋に足をかけた。

 ふぁしるは丸太のすぐ横ではいつくばるように身を低くする。だが――

「ふぁしる殿――」

(みつかった!)

 もう身を隠しても意味がない。立ち上がり、丸太に向かって走り出す。

「いけません! そっちの橋は――」

 丸太にかけた片足が、ぐらりと下に沈む。

 まためまい――ではなかった。

「うわっ……あぁぁっ!」

「危ないっ!」

 男が走る。

 だが伸ばした彼の手は、ふぁしるの髪をかずめただけだった。



「着替えますか?」

 頭からつま先までまたびしょぬれになって、長椅子に腰掛けたふぁしるに、男は暗緑色の着物を差し出す。

「ああ、すまぬ」

 ふぁしるはそれを受け取ると、男に背を向け帯を解いた。

 男は慌ててその場を離れ、ついたてを引いてくる。

「なぜお逃げになったのか、などとは聞きますまい。ですがご婦人、私のことは――」

「私を女扱いするな。原警部」

 ぶっきらぼうに遮られて、原亮は複雑な面持ちになる。「私のことは御存知でしたか」

「ここらへんはあなたの管轄内だと聞いたからな。私もこういう商売をしているから、世話になってはたまらぬと、事前に顔くらいは調べておいた。だがこういう形で世話になるとはな。――ついたては邪魔だ。どけてくれ」

 亮はどこか不本意そうに、ついたてをかたす。

「食べませんか」

 と、みかんのかごを差し出すと、

「いらぬ。これ以上世話にはなりたくない」

「そんなふうにおっしゃらずに。水を大量に飲まれて、朝からずっと眠っておられたのですよ。何も食べていないし、今日はここに泊まっていかれると良い。私が邪魔ならば、私は町へ戻りますから」

「嫌味なほど親切だな、原警部」

 やさしくされて腹を立てる者も珍しい。原亮はちょっと眉をひそめた。

「私の服を返してくれ。これは――」

 と、暗緑色の着物の袖を広げ、「洗って返そう」

 立ち上がり、部屋から出ようとする。

「お待ちなさい、ふぁしる殿」

 亮は慌ててあとを追う。「女性は体を大切にせねば」

「私を女扱いするなと言っておろうが……」

 叫ぼうとした語尾が消えかける。両の足から力は抜け、かくんと膝を折ったふぁしるは亮の腕の中にいた。

「あっ」

 その手をはねのけようとするが、体に力が入らない。

「二、三日泊まってゆきなさい、ふぁしる殿」

 やさしい瞳のまま強く言われて、ふぁしるは顔をそむけた。「情けない」

「情けないなどと……」

 困ったように眉根を寄せた亮のおもてに、やさしさが浮かぶ。仕事以外はおだやかな男だが、こんな顔は誰にも見せたことはない。

「私に…… 触れるな――」

 苦しげにふぁしるは言葉を吐き出す。

 腕に寄りかかる彼女の体は、意外なほど軽い。自分から顔をそむけ、眉を逆八の字にして、鼻の上に気むずかしそうなしわを作っている様子は、意地っ張りな子供のようで、その細い肩を抱き寄せたい衝動に襲われる。

「失礼」

 亮は呟いて、ふぁしるを軽々と抱き上げると、長椅子まで運んでいった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

最強のコミュ障探索者、Sランクモンスターから美少女配信者を助けてバズりたおす~でも人前で喋るとか無理なのでコラボ配信は断固お断りします!~

尾藤みそぎ
ファンタジー
陰キャのコミュ障女子高生、灰戸亜紀は人見知りが過ぎるあまりソロでのダンジョン探索をライフワークにしている変わり者。そんな彼女は、ダンジョンの出現に呼応して「プライムアビリティ」に覚醒した希少な特級探索者の1人でもあった。 ある日、亜紀はダンジョンの中層に突如現れたSランクモンスターのサラマンドラに襲われている探索者と遭遇する。 亜紀は人助けと思って、サラマンドラを一撃で撃破し探索者を救出。 ところが、襲われていたのは探索者兼インフルエンサーとして知られる水無瀬しずくで。しかも、救出の様子はすべて生配信されてしまっていた!? そして配信された動画がバズりまくる中、偶然にも同じ学校の生徒だった水無瀬しずくがお礼に現れたことで、亜紀は瞬く間に身バレしてしまう。 さらには、ダンジョン管理局に目をつけられて依頼が舞い込んだり、水無瀬しずくからコラボ配信を持ちかけられたり。 コミュ障を極めてひっそりと生活していた亜紀の日常はガラリと様相を変えて行く! はたして表舞台に立たされてしまった亜紀は安らぎのぼっちライフを守り抜くことができるのか!?

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。

克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります! 辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

高校生とUFO

廣瀬純一
SF
UFOと遭遇した高校生の男女の体が入れ替わる話

【淀屋橋心中】公儀御用瓦師・おとき事件帖  豪商 VS おとき VS 幕府隠密!三つ巴の闘いを制するのは誰?

海善紙葉
歴史・時代
●青春真っ盛り・話題てんこ盛り時代小説 現在、アルファポリスのみで公開中。 *️⃣表紙イラスト︰武藤 径 さん。ありがとうございます、感謝です🤗 武藤径さん https://estar.jp/users/157026694 タイトル等は紙葉が挿入しました😊 ●おとき。17歳。「世直しおとき」の異名を持つ。 ●おときの幼馴染のお民が殺された。役人は、心中事件として処理しようとするが、おときはどうしても納得できない。 お民は、大坂の豪商・淀屋辰五郎の妾になっていたという。おときは、この淀辰が怪しいとにらんで、捜査を開始。 ●一方、幕閣の柳沢吉保も、淀屋失脚を画策。実在(史実)の淀屋辰五郎没落の謎をも巻き込みながら、おときは、モン様こと「近松門左衛門」と二人で、事の真相に迫っていく。 ✳おおさか 江戸時代は「大坂」の表記。明治以降「大阪」表記に。物語では、「大坂」で統一しています。 □主な登場人物□ おとき︰主人公 お民︰おときの幼馴染 伊左次(いさじ)︰寺島家の職人頭。おときの用心棒、元武士 寺島惣右衛門︰公儀御用瓦師・寺島家の当主。おときの父。 モン様︰近松門左衛門。おときは「モン様」と呼んでいる。 久富大志郎︰23歳。大坂西町奉行所同心 分部宗一郎︰大坂城代土岐家の家臣。城代直属の市中探索目附 淀屋辰五郎︰なにわ長者と呼ばれた淀屋の五代目。淀辰と呼ばれる。 大曽根兵庫︰分部とは因縁のある武士。 福島源蔵︰江戸からやってきた侍。伊左次を仇と付け狙う。 西海屋徳右衛門︰ 清兵衛︰墨屋の職人 ゴロさん︰近松門左衛門がよく口にする謎の人物 お駒︰淀辰の妾

処理中です...