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三之巻、花の吉藁いくさ傳(でん)、尋常に勝負せよ!(後篇)
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髪の乱れた遊女から、無理矢理引き離され暴れているその男、細い目と細い顎を持ったこの男こそ、初代マルニン頭目、二年前まで天下一だった金巴宇その人だった。
これはちと面倒だ。一般の小悪党のようにはいかないし、卑劣な巴宇のこと、こんなに人が大勢いるところで戦ったら、どんな汚い手を使ってくるか分からない。店の者全員を守りきり、なおかつかっこよく巴宇に勝利するのは、たやすいことではない。
「禿や、庄さんを呼んできておくんなんし」
ぼんやりしていたら声をかけられてしまった。庄さんとは誰ぞやさっぱり分からないが、遊女にも、向こうで酒癖悪く暴れている金巴宇にも、変装は見破られていないようだ。
「あい」
反射的に答えて、どうしよう、と思う。いさぎよく助けるか、このまま逃げちゃうか。
(目的は金の瞳の花魁、宴小町だし……)
と逃げ腰になったとき、
「助っ人なんて呼ばれてたまるかよ!」
聞き覚えのある声と共に、頭上に殺気が走った。慌てて飛びすさる間でもなく、何者かに首の後ろに拳を打ち込まれ、声の主はあっけなく倒れる。
振り向き、倒れた男を見れば、やはり見覚えがある。金巴宇がマルニン頭目だった頃、共に盗みを働いた仲間だ。来夜が頭目となると巴宇の下に属し、敵となった。
そしてこの男を倒し、来夜を救ったのは、
「すまん、助かっ……」
見上げた先にすくと立っていたのは――
「槻来夜……? なにゆえ女装など?」
(だっぱ~~んっ!! 修理屋ふぁしるっ!)
途端に脳味噌がひっくり返る。
「やぁ、来夜くんてあのマルニンの?」
「本当かえ! 天下一の槻来夜?」
口々に叫んで遊女たちが走り寄ってくる。
押さえる人間が少なくなって、しかも宿敵来夜の名を耳にして、金巴宇までがどかどかと近付いてくる。
(やべぇっ! てゆーかなんでふぁしるの奴、俺の変装見抜いたんだ?)
益々混乱して、頭の中では銅鑼が鳴り響く。
「このくそがきぃっ、盗み方を教えてやった恩も忘れて、この俺からマルニンと、あまつさえ天下一の称号まで奪いやがって! ここで会ったが百年目、ひねりつぶしてくれるわぁっ!」
金巴宇はやる気満々。来夜はもと来た廊下を一目散に走り出す。
「逃げるかぁぁっ! 下手な女装などしやがって!」
「なんだよっ、お前見抜けなかったじゃん、俺だって」
自慢の女装を虚仮にされて、来夜は思わず涙目になる。
「あまりの趣味の悪さに、まさかと我が目を疑っただけよっ!」
「ひどいや」
小声で呟いて、粛も円明もなにやってんだろ、と不安になる。
先程窓から忍び込んだ部屋に飛び入ると、すでにそこでは芸者たちが見守る中、男と遊女が酒を酌み交わしている。
「すまねえ」
と、お膳を飛び越え窓の桟も飛び越えて、一階の屋根の上で見栄を切る。
「やあやあ、この槻来夜を倒したくば、ついてこい! 尋常に勝負せよ!」
くるりと宙で半回転、しゅたっと、二階の屋根に飛び移る。人の気配を感じて振り向けば、そこには黒い衣に身を包んだ修理屋ふぁしるの姿。
「げっ…… ふぁしる、手を出すなよ!」
来夜が屋根に上がると見越して、先程の部屋の窓から、屋根に飛び移ったのだろう。
「お前は最近都に来たばかりだから、金巴宇の悪い噂は知らねえかもしれないが――」
「いや、お前がここへ奴を呼んだのは、遊女や一般の客たちを巻き込まぬためだろう。分かっている、私はお前の戦いぶりをここで見届けよう。私の対手にふさわしい者かどうか、な」
静かな声は、確かに歳も性別も分からぬ響き。謎だらけの修理屋を前に、金巴宇がやってくるまでの短い間に、何から尋ねよう、と来夜は迷う。
「なんで俺の変装を見抜いたんだ?」
「私にとっては分からぬ方が不思議だが」
自分を幼い頃から知っている金巴宇さえ気付かなかったというのに。来夜の変装を見抜けるのは、今まで平粛だけだった。
「じゃあなんで今日ここにいた?」
「この店で仕事があった」
後ろでぶへん、と妙な音がする。先程来夜をハリセンで殴ろうとして、あっさりふぁしるに撃墜された巴宇の手下が、屋根の上で二回ほど弾跳している。
「来夜を倒せ! ぎんなん!」
下から金巴宇の怒鳴り声。
「銀杏とは臭そうな名だな」
「ええ~、おいしいよぉ」
ふぁしると来夜の食べ物談議に、男の「しろがねみなみです、お頭……」との弱々しい叫びはかき消された。
「俺はおまえと戦いたい訳じゃない、金巴宇を出せっ」
「お頭は高所恐怖症です……」
よたよたと立ち上がり、
「火箭拳っ!」
男の左手首がはずれて来夜めがけて飛んでくる。慌ててよけたその後ろで、ひゅるるる、どっかーん、などと派手な音立て、手首爆弾は色町を爆煙の渦に巻き込んだ。
「おいっ、そーゆーはためーわくな攻撃は――」
抗議しかけた来夜を遮って、
「もう一発! 火箭拳っ!」
再びあっさりよける来夜の後ろで、先程と同じ事がまた起こる。
「平気で部外者を巻き込む、そういう戦い方が野暮だって言ってんだ! お前らの姿勢は盗み屋の美学に反するっ!」
銀南はどういうわけか、それ以上攻撃してくることもなく、ちょっと短くなった両腕をぶらんと下げて、来夜の言葉を聞いているだけ。
「先に手首をはずしてしまって、他の武器が取り出せなくなったらしいな」
大棟(屋根の一番高い所)に腰掛けたまま、ふぁしるが冷静な分析を加える。
「よーっし、次は俺の番だ!」
打ち掛け脱ぎ捨て、もろ肌脱ぎになった来夜がにやりとする。女装と盗みも好きだけど、戦もはずせない。
「ゆくぞっ、練乳光線!」
くそ怪しい技名と共に、露わになった乳首から白い光線がほとばしる。慌てて逃げ出した銀南は、一方の足首を灼かれ、屋根の上から転げ落ちる。
「逃げるとは卑怯なりっ!」
別に逃げたわけではないのだが、通りの人混みに落ちてしまえば、通行人が障害になって光線戦法は使えない。これはしめた、とばかりに、痛めた足を引きずって、銀南は一目散に駆けだした。
「おーっしっ!」
来夜が彼を追って飛び降りようとしたとき、
「危ないっ!」
駆け寄ったふぁしるが来夜を突き飛ばした。風にまたたく来夜の着物の裾を焦がして、火の玉がはるか上空へ飛んでゆく。
来夜は危ういところで屋根の端に掴まったが、ふぁしるは切妻屋根を転がり、その勢いで塀の向こう、堀の中に落ちてしまった。
屋根の上に這い上がろうとした来夜の前に、いつの間に上がったのか金巴宇が姿を現した。
「卑怯だぞ!」
屋根の端を掴む指先の痛みにこらえて、来夜は巴宇をにらみつけた。
「これで貴様も終わりだ」
不敵な口許と膝が笑っている。
「高所恐怖症のくせに」
ぷっと笑う来夜を、
「うるしゃいっ」
と、一喝する。
「ゆくぞ」
変な形に両手を構えた金巴宇の首に、いきなり縄が巻き付いた。身構えていた来夜の耳に、なつかしい仲間たちの声。
「お逃げ下さい、来夜殿!」
逃げろと言うことは、この縄、仲間の協力ではなく……
ひょいと見下ろした通りには、ずらりと並んだ捕り方たちの姿。
「げっ、警察?」
再び放たれた投げ縄は、屋根から手を離した来夜の髻に、一瞬ふれたのみ。
地面に降り立った来夜の前に、平粛、陶円明、そして盗品を流しに行ったはずの紀金兵衛が現れる。
「旦那、あっしに任してくんなせえ。この町にゃあ詳しいんでさあ。捕り方どもを撒くくれぇ造作ねえ」
頼もしく笑って、三人を裏道へと導く。
「へへへ、旦那が心配で見に来ちまったんで」
はっきり嘘と分かる言い訳も、今回ばかりはおとがめなしだ。
四人は捕り方たちの叫び声を遠くに聞きながら、妓楼や商家に挟まれた細い路地を、右に左に走り抜けていった。
これはちと面倒だ。一般の小悪党のようにはいかないし、卑劣な巴宇のこと、こんなに人が大勢いるところで戦ったら、どんな汚い手を使ってくるか分からない。店の者全員を守りきり、なおかつかっこよく巴宇に勝利するのは、たやすいことではない。
「禿や、庄さんを呼んできておくんなんし」
ぼんやりしていたら声をかけられてしまった。庄さんとは誰ぞやさっぱり分からないが、遊女にも、向こうで酒癖悪く暴れている金巴宇にも、変装は見破られていないようだ。
「あい」
反射的に答えて、どうしよう、と思う。いさぎよく助けるか、このまま逃げちゃうか。
(目的は金の瞳の花魁、宴小町だし……)
と逃げ腰になったとき、
「助っ人なんて呼ばれてたまるかよ!」
聞き覚えのある声と共に、頭上に殺気が走った。慌てて飛びすさる間でもなく、何者かに首の後ろに拳を打ち込まれ、声の主はあっけなく倒れる。
振り向き、倒れた男を見れば、やはり見覚えがある。金巴宇がマルニン頭目だった頃、共に盗みを働いた仲間だ。来夜が頭目となると巴宇の下に属し、敵となった。
そしてこの男を倒し、来夜を救ったのは、
「すまん、助かっ……」
見上げた先にすくと立っていたのは――
「槻来夜……? なにゆえ女装など?」
(だっぱ~~んっ!! 修理屋ふぁしるっ!)
途端に脳味噌がひっくり返る。
「やぁ、来夜くんてあのマルニンの?」
「本当かえ! 天下一の槻来夜?」
口々に叫んで遊女たちが走り寄ってくる。
押さえる人間が少なくなって、しかも宿敵来夜の名を耳にして、金巴宇までがどかどかと近付いてくる。
(やべぇっ! てゆーかなんでふぁしるの奴、俺の変装見抜いたんだ?)
益々混乱して、頭の中では銅鑼が鳴り響く。
「このくそがきぃっ、盗み方を教えてやった恩も忘れて、この俺からマルニンと、あまつさえ天下一の称号まで奪いやがって! ここで会ったが百年目、ひねりつぶしてくれるわぁっ!」
金巴宇はやる気満々。来夜はもと来た廊下を一目散に走り出す。
「逃げるかぁぁっ! 下手な女装などしやがって!」
「なんだよっ、お前見抜けなかったじゃん、俺だって」
自慢の女装を虚仮にされて、来夜は思わず涙目になる。
「あまりの趣味の悪さに、まさかと我が目を疑っただけよっ!」
「ひどいや」
小声で呟いて、粛も円明もなにやってんだろ、と不安になる。
先程窓から忍び込んだ部屋に飛び入ると、すでにそこでは芸者たちが見守る中、男と遊女が酒を酌み交わしている。
「すまねえ」
と、お膳を飛び越え窓の桟も飛び越えて、一階の屋根の上で見栄を切る。
「やあやあ、この槻来夜を倒したくば、ついてこい! 尋常に勝負せよ!」
くるりと宙で半回転、しゅたっと、二階の屋根に飛び移る。人の気配を感じて振り向けば、そこには黒い衣に身を包んだ修理屋ふぁしるの姿。
「げっ…… ふぁしる、手を出すなよ!」
来夜が屋根に上がると見越して、先程の部屋の窓から、屋根に飛び移ったのだろう。
「お前は最近都に来たばかりだから、金巴宇の悪い噂は知らねえかもしれないが――」
「いや、お前がここへ奴を呼んだのは、遊女や一般の客たちを巻き込まぬためだろう。分かっている、私はお前の戦いぶりをここで見届けよう。私の対手にふさわしい者かどうか、な」
静かな声は、確かに歳も性別も分からぬ響き。謎だらけの修理屋を前に、金巴宇がやってくるまでの短い間に、何から尋ねよう、と来夜は迷う。
「なんで俺の変装を見抜いたんだ?」
「私にとっては分からぬ方が不思議だが」
自分を幼い頃から知っている金巴宇さえ気付かなかったというのに。来夜の変装を見抜けるのは、今まで平粛だけだった。
「じゃあなんで今日ここにいた?」
「この店で仕事があった」
後ろでぶへん、と妙な音がする。先程来夜をハリセンで殴ろうとして、あっさりふぁしるに撃墜された巴宇の手下が、屋根の上で二回ほど弾跳している。
「来夜を倒せ! ぎんなん!」
下から金巴宇の怒鳴り声。
「銀杏とは臭そうな名だな」
「ええ~、おいしいよぉ」
ふぁしると来夜の食べ物談議に、男の「しろがねみなみです、お頭……」との弱々しい叫びはかき消された。
「俺はおまえと戦いたい訳じゃない、金巴宇を出せっ」
「お頭は高所恐怖症です……」
よたよたと立ち上がり、
「火箭拳っ!」
男の左手首がはずれて来夜めがけて飛んでくる。慌ててよけたその後ろで、ひゅるるる、どっかーん、などと派手な音立て、手首爆弾は色町を爆煙の渦に巻き込んだ。
「おいっ、そーゆーはためーわくな攻撃は――」
抗議しかけた来夜を遮って、
「もう一発! 火箭拳っ!」
再びあっさりよける来夜の後ろで、先程と同じ事がまた起こる。
「平気で部外者を巻き込む、そういう戦い方が野暮だって言ってんだ! お前らの姿勢は盗み屋の美学に反するっ!」
銀南はどういうわけか、それ以上攻撃してくることもなく、ちょっと短くなった両腕をぶらんと下げて、来夜の言葉を聞いているだけ。
「先に手首をはずしてしまって、他の武器が取り出せなくなったらしいな」
大棟(屋根の一番高い所)に腰掛けたまま、ふぁしるが冷静な分析を加える。
「よーっし、次は俺の番だ!」
打ち掛け脱ぎ捨て、もろ肌脱ぎになった来夜がにやりとする。女装と盗みも好きだけど、戦もはずせない。
「ゆくぞっ、練乳光線!」
くそ怪しい技名と共に、露わになった乳首から白い光線がほとばしる。慌てて逃げ出した銀南は、一方の足首を灼かれ、屋根の上から転げ落ちる。
「逃げるとは卑怯なりっ!」
別に逃げたわけではないのだが、通りの人混みに落ちてしまえば、通行人が障害になって光線戦法は使えない。これはしめた、とばかりに、痛めた足を引きずって、銀南は一目散に駆けだした。
「おーっしっ!」
来夜が彼を追って飛び降りようとしたとき、
「危ないっ!」
駆け寄ったふぁしるが来夜を突き飛ばした。風にまたたく来夜の着物の裾を焦がして、火の玉がはるか上空へ飛んでゆく。
来夜は危ういところで屋根の端に掴まったが、ふぁしるは切妻屋根を転がり、その勢いで塀の向こう、堀の中に落ちてしまった。
屋根の上に這い上がろうとした来夜の前に、いつの間に上がったのか金巴宇が姿を現した。
「卑怯だぞ!」
屋根の端を掴む指先の痛みにこらえて、来夜は巴宇をにらみつけた。
「これで貴様も終わりだ」
不敵な口許と膝が笑っている。
「高所恐怖症のくせに」
ぷっと笑う来夜を、
「うるしゃいっ」
と、一喝する。
「ゆくぞ」
変な形に両手を構えた金巴宇の首に、いきなり縄が巻き付いた。身構えていた来夜の耳に、なつかしい仲間たちの声。
「お逃げ下さい、来夜殿!」
逃げろと言うことは、この縄、仲間の協力ではなく……
ひょいと見下ろした通りには、ずらりと並んだ捕り方たちの姿。
「げっ、警察?」
再び放たれた投げ縄は、屋根から手を離した来夜の髻に、一瞬ふれたのみ。
地面に降り立った来夜の前に、平粛、陶円明、そして盗品を流しに行ったはずの紀金兵衛が現れる。
「旦那、あっしに任してくんなせえ。この町にゃあ詳しいんでさあ。捕り方どもを撒くくれぇ造作ねえ」
頼もしく笑って、三人を裏道へと導く。
「へへへ、旦那が心配で見に来ちまったんで」
はっきり嘘と分かる言い訳も、今回ばかりはおとがめなしだ。
四人は捕り方たちの叫び声を遠くに聞きながら、妓楼や商家に挟まれた細い路地を、右に左に走り抜けていった。
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