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第7話、二度目の逃避行は青空の下

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 魔界では見たこともないほどあざやかな青空の下、あたしとジュキの二度目の逃避行が幕を開けた。城壁の外に伸びる街道を下に見ながら、なるべく王都から遠ざかるべく風魔法を操り空を行く。

「ジュキ、あたし自分で飛ぶわ」

 いつまでもあたしを強く抱きしめたままの彼に、

「何か不安なことでもあるの?」

 と、つい無神経な質問をしてしまう。

「俺はもう二度とあんたを失いたくない。絶対にこの手で守りきるって誓ったんだよ」

 案の定、ぶっきらぼうな声が返ってきた。

 街道を走る荷馬車を見つけ、あたしたちはそっと荷台に降り立った。強い日差しを避けるように、積み上げられた木箱の影に腰を下ろし、

「あたしを守りきるって―― あなたはもう自由なのよ。あたしは魔界から追放されたんだから、ジュキは護衛の任務から解放されたってこと」

 兄が追放すると言ったのはあたしだけ。ジュキは魔界に戻って生活できるのだ。

「これまで十年間、あたしに仕えてくれてありがとう」

 胸の痛みを無視してあたしはほほ笑んだ。

 だが返ってきたのは予想外の反応だった。

「俺―― 昨日あんなに姫さんを傷付けたもんな…… 当然のむくいだよな」

 彼は唇をかみしめ、うつむいた。あぐらをかいたひざの上で握りしめたこぶしは、かすかに震えている。

「ジュキ―― 泣いてるの?」

 あたしは手を伸ばして、彼の顔を隠す銀髪を指先でそっと左右に分けた。

 彼はふるふると首を振って、

「後悔してるんだ」

 と言ったが、その銀細工のようなまつ毛は濡れていた。

「後悔なんてすることないわ。ジュキはまだ十六歳でしょ、人生これからよ! いつまでもあたしに情をかけてないで、魔界に戻っていい出会いでも見つけなさい」

 後半、心にもないことを言うあたしの声は震えていたかもしれない。でもあたしは、自分に忠実だった騎士の旅立ちを心から喜ぶ心の広い貴族として振る舞いたいのだ。もはや貴族ではないのだけれど。

「――分かった」

 ジュキは暗い瞳のままうなずいた。「俺はもう姫さんの護衛じゃない。だから最後に一人の男として言わせてくれ」

 涙に濡れたエメラルドの瞳がまっすぐあたしを見つめた。

「レモ、俺はずっときみに恋をしていた――」

「へ?」

 あたしは場違いにも、あり得ないくらい間抜けな声を出した。

「だって昨日、あたしを愛さないって言ったじゃない……」

 自分の声がかすれているのが分かる。

「悪かった!!」

 ジュキはその場で頭を下げた。「きみの幸せと魔界の平和を守るために俺は、心にもないことを言うしかなかったんだ!」

「ジュキ、顔を上げて――」

 彼を抱き起こそうと両手を伸ばしたとき、がばっと抱きしめられた。「レモ、子供のころからずっとずっと好きだった――」

 その高い声から察するに―― ジュキったらまた泣いてるわね!? 魔術と剣技をきわめてどんなに強くなっても、彼は美しい歌声で敵の戦意を喪失させるほうが似合っている人。子供のころからずっと、そんなやさしい性質を持つジュキが大好きだった――

「レモ、全部話すよ……」

 あたしを抱きしめたまま耳元でささやくのは、きっと泣き顔を見られたくないからなんでしょう。ちゃんと男の子としてのプライドもあるのよね。

「俺は二年前、魔王城の地下牢から救出された日、アンリの兄貴に誓ったんだ――」

 それはまったくあたしの知らない話だった。お兄様とそんな約束をしていたなんて―― たった今までかわいいと思っていたジュキが一人前の大人に思えた。彼は想いを殺してあたしを守り続けてくれたんだ―― なのにあたしは――

「ジュキ、ごめんなさい! あなたをたくさん苦しめて――」

「ええっ!?」

 ジュキは本気で驚いた。「なんであんたがあやまるんだよ! あんたを傷つけたのは俺のほうなのに……」

 この二年間の彼の気持ちを考えると涙があふれてきて、あたしは何も言えずに首を振った。



 街道の先に宿場町が見えてきたころ、あたしたちは無賃乗車がバレないよう風魔法を使って街道に降り立った。

 魔族が人間界をうろついたら大変なことになるのではと危惧していたが、彼らはアルトゥーロ王子同様、魔族はもっと化け物じみた姿をしていると信じていた。肩から枝分かれしたツノを生やしたジュキを見ても、

「見慣れない種族だねぇ、どこから来たんだい?」

 と、とぼけた質問をされるくらいで、あたしたちは胸をなでおろした。

 あたしは動きにくいウエディングドレスを引き取ってもらい、かわりに庶民の服を手に入れた。

 ジュキはあたしをよほど深窓の令嬢だと思い込んでいたらしく、

「姫さん、服や飯を買うにもお金ってもんがいるんだぜ」

 などとカッコつけて説明してくれる。魔王城から出たことなくても本で読んでるから知ってるのよ……

「安心して、ジュキ。魔王城の大蔵卿おおくらきょうからたくさん金貨を受け取って、ここに巻いて持ってきたから」

 おなかのあたりをぽんぽんとたたくあたしを見て目を丸くしている彼に、

「あたしどこにも行けなかったから、名所図会めいしょずえや道中記を読むのが趣味だったの。そういう本に治安の悪い土地を旅するときは、お金を布に包んでおなかに巻いておくって書いてあったのよ」

「レモはやっぱり賢いな!」

 自分のことのように自慢げな彼がいとおしい。

「俺なんかブルクハルト城に竪琴たてごとおいてきちまったよ……」

「あたしだってトランクに入れたたくさんの――」

 あなたからもらった手紙やプレゼントを全部とっておいたのに、とは言えずに口をつぐんだ。あたしはまだ彼に自分の気持ちを打ち明けていないのだ。どうしよう? 完全にタイミングを逃したわ…… と思っているとジュキがさりげなくあたしを抱き寄せる。その横を、馬車でも来るのかと思いきや人が走っていくだけ。

 石段一つまたぐにも手を差し出してくれたり、庶民しかいない酒場の扉を場違いなほどうやうやしく開けてくれたり、夕方ともなれば、

「風が冷たくなってきたな」

 と自分の長上着ジュストコールを脱いであたしの肩にかけてくれたり……

「ジュキってこういう人だったっけ?」

 幼馴染なのでつい、あたしも本音が出る。

「いいだろ、ずっと夢だったんだから。こうやって街に出て、姫さんの恋人みたいに振る舞うのがさ」

 ふいっと目をそらしてしまった。「この二年間ずっと、自分の気持ちを押さえてきたんだよ」

「あたしもよ」

 短く言って彼の腕を抱きしめる。ちょっと驚いたようにあたしを見つめてから、幸せそうに笑う彼の表情を見ると、ちゃんと気持ち伝わったかな?



 * * *



 街道沿いの宿屋の一室、質素なベッドが二つ並んだうす暗い部屋――

 俺たちはそれぞれのベッドに腰かけて向かい合っていた。

「あのトランクの中、実は今までにジュキからもらった手紙やプレゼントが入ってたの」

 レモは恥ずかしそうに打ち明けてくれた。

「全部とっておいてくれてたのか――」

 なんていとおしいんだろう…… 俺はまたレモを抱きしめたい衝動に駆られる。いけねぇ、押さえなくちゃ! 一時の衝動に身を任せるより俺は、彼女を大事にしたいんだ! そもそも節約のために部屋を一つしか取らなかったのが間違いだったのか!?

「ジュキ、どうかした?」

 レモがいたずらっぽい瞳で俺をのぞきこむ。

「い、いや、あのな、むかしの手紙やプレゼントがなくったって、今は俺自身がいるからいいだろってことよ!」

 慌ててしどろもどろになる俺。

「うふふ、そうね!」

 レモは大胆にも俺の隣に座ってきた。

「あたし今、すごく幸せよ!」

 満足そうにほほ笑む彼女の笑顔が、うす暗い部屋をぱっと明るくする。

 俺も幸せだって言おうとして、でもこんなうす暗い部屋で二人きり、そんな話したら――などと躊躇していると、

「大きなベッドが一つの部屋の方がよかったかしら?」

 と、からかわれた。

「俺はレモの護衛じゃなくなったってあんたを守りたいんだ! 襲っちまったらシャレになんねぇだろ?」

「でもあたし、守られてるだけの女の子じゃないのよ?」

「――――!」

 レモの朱い唇が近づいたと思ったら、俺の口もとを軽くかすめた。

 うわぁぁぁ、いま絶対キスされた!! 心臓が飛び出しそうになるのがバレないよう、レモを抱きしめる。強く、強く―― 十年分の想いがあふれてきて、どんなにかたく抱擁ほうようしても足りなかった。 



 ――もうお前は魔界の姫ではない。ただのレモネッラだ――

 アンリの兄貴が言ったように、ようやく俺たちは姫と騎士という立場から自由になったのだ。

 だがその言葉には続きがあった。

「――ジュキエーレよ、私の大切な妹を幸せにしてやってくれ……」

 礼拝堂の天井から飛び立つ前、俺の頭の中には確かにアンリの声が響いたのだ。おそらく彼は魔法でテレパシーを送ったのだろう。



 もちろんだよ、アンリ閣下。これからは護衛としてじゃなくて恋人として、レモを守ろう。そして俺がこの手で彼女を幸せにするんだ!
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