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第2話、護衛の騎士ジュキエーレ・クレメンティとの出会い

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 ジュキがあたしの護衛として魔王城に連れてこられたのは十年前のことだった。

 魔王城から出られないあたしはいつも一人で本を読んでいた。本だけが、あたしと外の世界をつなぐ扉だった。

「ごえい?」

 首をかしげたあたしに、当時まだ十二歳だった兄は、

「そうだ。四天王の一人だったホワイトドラゴンの息子だぞ。強ぉぉぉいんだ!」

 と目を輝かせた。

 あたしは魔王城の表廊下に飾ってあるホワイトドラゴン将軍の肖像画を思い出して、

「あんな大きなのが来るの?」

 と、おびえた。

「ちがうちがう。ジュキエーレ・クレメンティはまだ子供だからずっと小さいよ。レモの遊び相手になってくれるはずだ」

 表廊下の一番目立つところに堂々とかかげられた、白く荘厳なホワイトドラゴンの絵を見上げながら、

「リザードマンみたいなのが来るのかしら?」

 と、あたしは想像していた。



「きみがレモネッラ姫?」

 大きな扉のうしろからちょこんと顔を出したのは、少女のように小柄な真っ白い子供だった。ホワイトドラゴンから遺伝した真珠のように白い肌、肩から生えた水晶のようなツノと銀髪――と全身ほとんど色がない中で、エメラルドの瞳だけが印象的に輝いていた。

「俺、ジュキエーレ・クレメンティ。ジュキって呼んでね」

 孤児院の院長をうしろに放ったままぱたぱたと走ってくると、無邪気な笑顔を振りまいた。

「あたしはレモネッラよ。レモって呼んで」

「いや、レモネッラ姫とお呼びするように」

 うしろから院長があわてて口をはさんだ。

「どうして?」

 小さなジュキは、こてんと首を傾けて彼を見上げる。「お姫様がレモって呼んでって言ってるよ?」

 孤児院で育ったせいかジュキは自由人だった。魔王城の大人たちは皆、しつけがなっていないと眉をひそめたが、あたしはジュキと過ごしていると外の自由な風を感じられる気がして楽しかった。

「大人たちの言うことなんか気にしないでね。ジュキはそのまんまでいて」

 カーペットに寝そべって絵を描きながら、あたしはジュキのふわふわとした銀髪をなでた。光に透けるような彼の髪はちょっとくせっ毛で、あたしはそれをさわるのが大好きだった。

「お姫様からの命令だね、レモ!」

 彼は描いていた絵から顔をあげると、満面の笑みを浮かべた。



 しばらくするとあたしは、護衛というのはただの名目で、彼はあたしの魔力コントロールのために連れてこられたのだと理解した。

 あたしは赤ん坊のころ、夜泣きするだけで魔力を暴走させて窓ガラスを割ったり、ぐずってシャンデリアを落っことしたり、それはそれは大変だったそうだ。

 四、五歳になって、お城から出られない自分の立場が分かってくると、

「どうしてあたしは閉じ込められているの?」

 と泣きだして、庭園の木に雷を落としたりした。

 ジュキはセイレーンのお母さんから水魔法だけでなく、聴く者の心を魅了する歌声を受け継いでいた。

「レモ、眠れないのか? じゃあ俺が子守唄を歌ってやる」

 そう言って枕元に座った彼が美しい歌声で奏でる旋律は、あたしの心をしずめ優雅な夢の世界へといざなった。

 それから不安な夜はいつでも、彼の甘美な歌声があたしの心を満たしてくれるようになった。



「ジュキも大人になったら、お父さんのホワイトドラゴンみたいになるの?」

 魔王城の庭園の中、大木からつり下げられたブランコに二人寄り添って乗っていたとき、あたしはふと心配になって訊いた。幼いあたしにとってジュキはまだ友達で、本物の兄より歳も近くていっしょに遊んでくれる、やさしいお兄ちゃんのような存在だった。

「俺、いまだってちゃんとホワイトドラゴンだよ?」

 ジュキは片手でブランコのロープをにぎったまま、あたしを抱き寄せるように支えていたもう一方の手のひらを、目の前でにぎったり開いたりしながら言った。その指間には水かきのようなうすい膜が張り、指先からは透明な鉤爪かぎづめが伸びている。

 そのときめずらしく、いつも灰色の雲が立ち込めている魔界の空の雲間くもまから、一筋の陽光が届いた。日差しを受けて、ホワイトドラゴンの真っ白いうろこにおおわれた彼の手足がまばゆく輝いていた。そのうろこはあまりになめらかで、間近で見ない限り絹のようだった。

「きれい……」

 思ったことをそのまま口にしただけなのに、自分の言葉に幼いあたしはハッとした。その日から時々、ジュキの姿を見るだけで胸が高鳴るようになった。





「あのときかけた願いが、叶ってしまうのね――」

 積み上げたトランクの上に座ったあたしは、四つ葉のクローバーのしおりをみつめながらつぶやいた。



 魔王城の敷地内でしか遊べないあたしのために、ジュキはいろいろと楽しいことを考えては提案してくれた。

 ある春の日、裏門の周りに広がる野原でジュキは、 

「四つ葉のクローバーをみつけたら、なんでも願いが叶うんだよ」

 と教えてくれた。

 二人とも無言になって、真剣に四つ葉のクローバーを探した。

「あっ、みつけた!」

 先に探しあてたのはジュキだった。

「いいなぁ」

 うらやましがるあたしに、

「レモにあげるよ」

 彼はにっこりとほほ笑んで、あたしに四つ葉のクローバーを差し出した。

「いいの?」

 驚くあたしに、

「うん。レモの願いはなに?」

「あたしは―― このお城の外を見たいの。ジュキは?」

「俺の願いはレモとずっと一緒にいることだよ」

 いつものやわらかいほほ笑みを浮かべた彼の銀髪を、春風がやさしくゆらしていた。



 あたしの願いも、ジュキとずっと一緒にいることだったのかな…… だからこんなに胸が苦しいのだろうか?

 あのあと使用人に頼んで、押し花にした四つ葉のクローバーをしおりにしてもらった。

 ずいぶん古くなったそれをみつめながら、あたしは考えていた。

「あの計画を実行に移すとしたら、今夜が最後のチャンスだわ――」



 あたしはすでに二年前――十三歳になったばかりのころ、魔王城からの脱出を試みている。

 年齢が上がるにつれて「城の外に出たら死んでしまうよ」なんてただの脅しだと思うようになってきたのだ。

 それはジュキも同じだった。

「二人でどこか遠くに逃げちまおうぜ」

 魔王城のテラスから並んで街を見下ろしていたとき、ジュキはそう言って、大理石の手すりをつかんでいたあたしの手をにぎった。

「どこに行くの?」

「決めてない。でも俺もう十四歳だし、魔法もたくさん覚えたし、レモと二人どこか知らない土地で自由に生きていけると思うんだ」

 出会ったころは、簡単な水魔法と美しい歌声以外の武器がなかった彼も、このころにはホワイトドラゴンゆずりの魔力と魔術の才能をいかして、さまざまな術を習得していた。

 ジュキと二人、知らない土地で自由に生きる――そんな夢をみて、あたしは彼と手をつないで魔王城を逃げ出した。

 そして意識を失った。

 あたしは丸一日、目を覚まさなかったらしい。

 目を覚ますとジュキの姿はなかった。彼は犯した罪の重さに恐れおののいて姿を消したと伝えられた。

「連れ戻して」

 と、あたしは頼んだ。

「ジュキはお前の命を危険にさらしたんだぞ!?」

 兄は声を荒らげた。「あいつはもうお前の護衛ではない。だから探して連れ戻す必要などないんだ」

「嫌よ! ジュキをあたしの護衛に戻さなければ何も食べないから!」

 あたしはそう宣言し、その通りにした。

 ジュキがあたしを置いて逃げたなんて、どうしても信じられなかったから。



「レモ、落ち着いて聞いてくれ」

 三日ほど経ったある日、心労からか目の下にクマを作った兄が部屋へ入ってきた。

「今日ジュキがみつかったそうだ。魔界の西を流れる髑髏どくろがわの河口で、遺体となって――」

「――嘘よ」

「レモ、信じたくない気持ちは分かるが――」

「お兄様は彼の遺体を見たの?」

「いや」

「ジュキは呪文を覚える前からセイレーンのお母さんの能力を受け継いで、水だけは操れた。いまも一番得意なのは水魔法。その彼がいくら暴れ川とはいえおぼれるはずがないわ」

 兄は一瞬息を止めると、わずかなあいだ宙の一点を凝視していた。それから何も言わず、足早に部屋から出て行った。



 あたしは本当に水以外口にしなかった。ジュキに二度と会えないなら死んでも構わないと、本気で思っていたから。

 使用人たちは試行錯誤して、水に砂糖や塩を混ぜたりしていた。

 ぐったりとベッドに横たわったまま、十三歳になったあたしはようやく気が付いた。

 ジュキはいつもいっしょにいる楽しい友だちなんかじゃなくて、あたしにとってもっとずっと大きい、特別な存在だったのだと。これが、本で読んだ恋というものなんだって。



 それからさらに三日ほどが経過したある日、兄の使用人はようやくジュキをみつけた。

 ――魔王城の地下牢で。



 ジュキはあたしの護衛に復帰した。

 でも戻ってきたジュキは、もう以前のようにあたしを気安く「レモ」とは呼ばなくなっていた。「レモネッラ姫」とか「姫さん」とか、どこかよそよそしい。

 彼が厳しい叱責しっせきを受けただろうことは容易に想像できた。彼はもう天真爛漫な野生児ではなく、誰にも打ち明けられない思いを胸に秘めているように見えた。

 二人の距離は遠くなってしまった。それでも、こんなふうに関係が変わってしまっても、せめてとなりにいてくれるなら――

 あたしは生きていこう。

 ジュキはあたしのベッドの足元にひざまずいて、声をころして泣いていた。

「こんな…… おとろえて――」

 聖女のかけた術から回復後、一切食事を取らなかったせいでベッドから動けなくなったあたしの姿に、彼は静かに涙を流していた。

 彼を悲しませないために、あたしはちゃんと食べることにした。彼のために、まだ死なないでおいてあげよう、と思った。

 重い体を起こして、彼の白い手をそっとにぎった。
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