夢幻宵祭り ~自らに呪いをかけ鬼となった、とある少女の物語~

綾森れん

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三章、夢 ――Stardust――

04.たとえ姿が変わっても、必ず君をみつけ出す

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 つづみのリズムの後ろで玄関のチャイムが鳴った。ゆりが忘れ物でもしたのかと扉のレンズからのぞいてみれば、額を押さえて爪先を見下ろす白い頭が見える。

夜響やきょう

 どくんと波打つ。慌てて扉を開けた。

「どうしたの、怪我してるじゃない!」

 ハルカの声が跳ね上がる。腰をかがめて、額を押さえる白い手を、そっと外した。

「だいじょぶだよ」

「とてもそうは見えないよ」

 白髪はくはつを染める鮮血に、遥は悲しげに首を振った。

「オニの力を使うと痛み出すんだ。それで血も出る、だけど」

「いいから入って」

 夜響の言葉をさえぎって、遥は夜響をベッドの上へと促す。玄関にちょこんと並んだ赤い鼻緒の草履に、様々な思いが絡み合い突き上げる。

 角を生やした夜響は、ベッドに座って足をぶらぶらさせながら涙目で見上げる。「痛い。ハルカ、痛いの」

 Tシャツに朱が移るのも構わず、遥は夜響を抱きしめていた。「もうオニの力なんて使わないで。そんなものに頼んないで。ずっとここにいてよ、夜響」

「ありがとう」

 ちょっと驚いた遥の前をすり抜けて、夜響は流しで手を洗う。ふと傍らに目を止めて、

「これなあに」

「さっきユリちゃんが来てね、夜響に渡してって」

 傷の手当てをしてもらいながら、夜響はCDを袋から出し、ひらりと膝に落ちた紙を手に取った。床にひざまずいた遥ものぞき込む。

「あいつ、市野沢いちのざわ百合子ゆりこっていったんだ」

 見下ろすまなざしに、小さな怒りと哀しみ、不安と安堵、理解と疑問が交錯する。夜響はそっと、CDをプレイヤーに乗せた。

<薄汚れたバニードール 路地裏に転がってる
 捨てられ忘れ去られて 猫さえも寄りつかない>

 聞き覚えのある曲が流れ出す。明るいのにねじれた雰囲気と、作られたかわいらしさに憧れていたゆりを思い出す。

<ねえ
 黒いコートと黒いマントをちょうだい
 悪魔になって世界の底まで堕ちてみたいの
 今のまんまじゃただのゴミだから>

「ゆりちゃん、今はもう家に着いた頃だよ」事の顛末てんまつを告げるように遥は言った。「夜響は帰らないの?」

「もう帰ってる」

 え、と見上げると、

「夜響の家はここでしょ?」

「うん」

 遥はにっこりとうなずいた。

<小悪魔姿で路地を抜ければ
 眠らぬ町はぎらぎら光をぶちまけて
 夢もドラッグも犯罪も
 ごちゃ混ぜにして呑み込んでる
 誰も気にしない あたしの姿なんか
 くたびれたサラリーマンも 一瞬ぎょっとしただけ
 すぐに去ってくわ ほら他人の振り>

 歌に耳を傾けている夜響の額から、紅く染まったガーゼをそっとはがして、

「誰かに手当てしてもらったの?」

「うん、織江おりえさん」

「織江さん?」

「所長の奥さんだよ」

 遥はちょっと首をかしげる。不可解だ。慎重に言葉を選びながら、

「夜響は、所長って人が好きなんじゃないの?」

 言ってみたら充分露骨だった。

「夜響はオニ、所長は陰陽師おんみょうじ、夜響を封じるべき人さ。だけど彼は迷ってる、なかなか夜響を封じられないんだ。だって彼は知っているからね、夜響が力を失ったら、何の魅力もない、地味でつまらないガキに戻っちまうって」

「まだそんなこと言ってるの?」口調が険しくなる。「夜響をつくったのは、あんたでしょ!」

 夜響の肩にしっかりと手を置き、

「夜響はもうひとりのきみ、きみ自身なんだよ!」

 夜響はまっすぐ、遥の目をみつめている。

「あんたが夜響なんだ。あんたの魅力は――」

 ゆっくりと、白い髪に指をすべらせる。

「消えやしまいよ」

「魔法がとけても?」

 遥はこくんとうなずく。「かぼちゃの馬車が消えても、美しいドレスを脱ぎ捨てても、王子がシンデレラを探し出したように」

 二人の顔がゆっくりと近付く。すがるような赤い瞳、夜響は目尻に涙をためたまま、そっとまぶたをおろす。遥はその唇を奪った。熱い、音のない、果てしない一瞬。

「あたしは必ずあんたを探し出す」

 遥が立ち上がる。夜響は熱に浮かされた少女のように、夢うつつなまなざしで見上げている。

「人に戻ったきみを本当に愛せるのは、あたしだけだ」

 ぱっと花が咲くように、夜響の顔に笑顔がさす。

「だってあたしに夢を見せてくれたのは――」

 言いかけた遥に、

「あたし、一葉いちはっていうの」

「そう、ほかでもない一葉いちはなんだから」

 夜響はベッドから飛び上がって、遥の首に抱きついた。わお、と声を上げて、遥はベッドに転がる。ふたりは抱き合ったまま床に転がり落ちて、みつめあい笑いあった。ちょんと頬にキスをくれた夜響の髪を、やさしく撫でながら、

「大丈夫、もう痛まない?」

「平気だよ」

 と、硬い角を指でなぞる。「力を使わなければ、痛まないから。ここまで飛んできたから、さっきは血がたくさん出たの。ハルカに早く会いたかったんだよう」

 胸に頬を寄せて、甘えた声を出す。

「もう一度、ハルカを月まで連れてゆきたかった」

 ふと哀しい目をした。

「行けるよ!」遥はぱっと立ちあがる。「ついてきて!」

 玄関から飛び出し、夜響の手を引き走る。非常階段を五階へのぼり、行く手をふさぐ鉄の柵に足をかけたとき、向こうの部屋の扉があいて、一瞬二人は息を呑む。大学生らしい青年が、非常階段など振り返りもせずに、背を向けて歩いて行った。

「平気だった」

 くすくすと笑いがもれる。遥がまず柵の向こうへ下り、続く夜響を抱きとめる。

「重いじゃん!」

 遥は叫び、二人して階段にしりもちついた。

「ハルカより軽いもん、絶対」

「あたしはあんたより背が高いから」

 ちび、と夜響の頭を叩いて、階段を駆けのぼる。待ってよ、と夜響も慌てて立ち上がり、後に続く。

 夜の空の下、四角い屋上が広がっている。

「わあお」

 夜響が歓声を上げ、

「今夜は三日月だね」

 遥は手に届きそうな星空を見上げた。それから振り返って、

「なんか食べ物持ってこよう!」

 と、階段へ舞い戻っていった。

 ひとり屋上に残された夜響は、膝を抱え、果てしなく続く夜空を見上げる。

「ハルカ、夜響はいましあわせだよ」

 初めて遥に会った夜から次々と、所長が夜響を救ってくれた日、恐ろしく冷たいひびきの仕打ち、骨董品屋で壺を割ったとき、それから学校や家、憎ったらしい妹のこと、記憶は時をさかのぼる。

「ほんとは、一葉いちはだったときから倖せだったんだ。ただ気付けなかっただけで。あたしは、誰でもないと思ってた。別の誰かになることが、自由だと思ってた。だけど今、自由を求めて心を失うくらいなら、不自由でいい」

 織江さんは、不自由だから、望みも叶った喜びもあると言った。彼女は頭の中の自由な世界を、夜響に気付かせてくれた。

「それだけで充分じゃないか、現実では、頭の中では出来ないことをするほうがいい。自分以外の誰かが、いるんだから。それを、自分の時間が奪われると思って避けてきた一葉いちはは、馬鹿だったんだ」

 あたしを好きんなって、夜響。心のずっと底から、一葉いちはの思いが響く。だが夜響は哀しげに首を振る。

「夜響は誰も好きにはなれないんだ。ハルカにも所長にも、好きだとは言っていない。だけど、ううん、だからこそ、全ての人に愛して欲しい」

 ――オニになったんだね、あたし――

 涙がこぼれる。

「泣くな、一葉いちは!」

 声に出したそばから、夜響は袖を濡らしていた。一葉いちはは夜響という理想像を、頭の中の自由の国に作った理想像を、誰よりも愛しているのに、夜響は、自己否定を続ける一葉いちはを――

「夜響ー!」

 片手に大きな袋をげた遥が、こちらへ駆けてくる。

「夜響、お酒飲めるよね?」

 やや不安げにうなずくと、

「よーっし、今宵は宴会ぞ!」

 夜響は、遥が下のコンビニで買ってきた、袋の中身をのぞきこむ。「なんで日本酒……」

「太巻きも買ってきたの。あとお菓子。今夜は飲むぞー」

 ちらりと夜響を見下ろして、遥は横から抱きついた。

「夜響、大好きだよ」

 遥は変わった、と夜響は胸の内で呟く。オニにならなくても、変われるんだ。

一葉いちはちゃんって呼んでいい?」

 夜響が恥ずかしそうにうなずくと、遥は呼ぼうとして、結局照れてやめてしまった。視線をそらす遥を、夜響はかわいいと思う。

 曼珠沙華の消えた着物の裾には、鞠がひとつ描かれている。夜響はこめかみの傷を気にしながら、それを手のひらに乗せた。月をめがけて投げ上げれば、夜気を切ってぐーんと月より小さくなる。それを追って遥が走る。次第に大きく近付く鞠を、飛び上がって両手に挟んだとき、遥は夜の中に浮いていた。

「夜響! じゃなくて一葉いちはちゃん、見て、あたし浮かんでる!」

「無理に呼ばないで」

 夜響は頬を赤らめる。走って鞠に飛びつく。

「ハルカ、目ぇつぶって。このままあの三日月まで飛んでゆけるよ」

 二人は手を取りあって目を閉じる。心に幻を描いて目をひらけば、四角い屋上も月の上になった。足の下は淡く発光し、三日月は二人を乗せて、ゆらりゆらりと揺れている。

「あ、あんなところにごちそうがある」

 さっき持ってきた袋を指さして、遥がふざけて言った。夜響が先に走って行って、お菓子の袋を独り占めすると、遥は笑いながら怒って、逃げようとする夜響の帯をつかむ。月の上を転げ回り、はしゃぎ疲れて足を投げ出し、ネオンサインにきらめく街を見る。誰かと並んで見る夜の街は、淋しくなんてない。青春だとか友情だとかは、遠い世界のたわごとだと思っていたけれど、もしあるならば、今、これがそうなんだ。

「オニの力なんて、いらなかった」

 夜響が初めて言った。

「そうだよ、あたしたちなんでも出来る。夜になれば、見えないものも見えるから」

 真っ黒い空の一点を指さし、

「あそこに見える、青い輪のある星ね、あたしあそこから来たんだよ、三百年前に」

 自由が悪い訳じゃない、欲望が悪い訳でもない、排除せねばならぬものなど何もない。罪も恥も捨て去ればいい。ただ、否定することが、世界の輝きを奪ってしまうだけ。

「じゃあ夜響はあの星に礼を言おう。ハルカに会えて良かった」

「あたしも、地球上の全てのものに感謝する、一葉いちはちゃんに会えたから。あたしの心の奥にも眠ってた、『夜響』の存在を思い出させてくれたから」

 夜響はきょとんとした目で振り返る。

「夜響は、あたしにオニの気を入れたんじゃない、あたしが封じ込めてたものを、もう一度起こしてくれたの」

 紙コップに月を浮かべて杯を交わす。永遠を誓いあったみたいに、透明に溶けた月の光は、身体からだを突き抜け手足をこうっと熱くする。しっとりとした夜風に吹かれて広い場所で取るディナーは最高、遥はかんぴょう巻を頬張りながら、

「あたし小さい頃から弟が欲しいと思ってたの、ずっと。でも今はそれ撤回だよ、一葉いちはちゃんみたいな妹がいい」

「夜響もハルカの妹がよかったよ。あんなやな奴の姉じゃなくて」

 妹がいるの、と意外そうな顔する遥にうなずいて、

「すっごい憎ったらしい奴」

「夜響だってかわいくない」

 またいじわるな遥に、べーっと舌を出してやった。

 酒に心をとろかされ、夜響は饒舌になる。

「うちの近くに怪しい骨董品屋があってね、そこがおもしろいんだ」

 遥は初めて、今話している子供がどこから来たのか、誰なのか、確かな手触りの中で向き合っている気がする。今なら夜響に手が届く。

「その骨董品屋ね、読めない字で書かれた昔の書物もいっぱいあるんだよ」

「変体仮名ね。夜響も昔のもの好きなんじゃん、あたしの江戸好き馬鹿にしないでよ。うちの国文こくぶん来る?」

「留年して待っててくれんの?」

「馬ーっ鹿。あたしは院に行くの」

 夜響の額を指ではじいた。
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