夢幻宵祭り ~自らに呪いをかけ鬼となった、とある少女の物語~

綾森れん

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二章、加速 ――Tumbling Down――

08.ユリの変化と策略

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 駅のほうから、傘に顔を隠して中学生くらいの女の子がひとりで歩いてくる。ネックレスもブレスレットもたくさんつけて、ピンク色の目立つ鞄を肩からさげ、一週間前のゆりよりずっと、人目を引く。

(金かけてそう、ガキのくせに)

 と思った途端、久し振りにわくわくする計画を思いついた。

(ちょうどいいや。もうじき底つくし)

 無造作に立ち上がり、傘もささずに少女へ近付く。傘で顔を隠していた少女は、慌てて脇へよけたが、前に立ちはだかったゆりに、ぐいと腕を掴まれた。

「どこ見て歩いてんだよ」

 雨が打つ傘の下で、見開かれた少女の目は、どういうわけか、ゆりを通り越してその後ろ、灰色の空に向けられていた。建物の入り口で、ビニールを張って絵を売っていた男も、空を見上げている。

「よう、ユリ」

 空から降る声の主は、振り向かなくとも知れている。もう一週間前のあたしじゃない、と無視を決め込んでいたゆりは、だがちょっと待てよ、と少女の腕から手を放した。夜響やきょうは、欲と刺激と物語の宝庫、そのうえ金も食べ物も無尽蔵。刺激が欲しい、金が足りない、ふたつの願いを一度に叶えられる。

 ぱらりぱらりと舞い落ちる雫を、えんじ色の蛇の目傘で遮り、白い袖を揺らして、垂れ込める雲を背負うよう。

「わざわざ伝えたる義理もないけど、教えといてやるよ。ハルカが心配してるぜ、早く帰って来いってな。ほどほどにしとけってさ」

 期待はずれな夜響の言葉を、ゆりは鼻で笑い飛ばす。「あんなまじめっ子の手下になんかなんないでよ、夜響。今日も一途いちずにモノレール通いでしょ、しかも動物園の隣の駅」

「ハルカを悪く言うな」

 夜響がすっと目を細めて、辺りの空気がしんと冷えた。ゆりは負けたようで面白くない。

「へ~え、ハルカの味方すんだ。知ってるよ夜響、あんたもお勉強よく出来たんでしょ。随分口も達者だし、あたしみたいな馬鹿とは違うんだよね。あたしにはもうたくさん友だちが出来たからね、ハルカんちには帰らない、そう伝えてよ。ああそれから夜響、帰る前にちょっと万札出してってよ」

 夜響はにぃっと笑った。袖の袂から巾着きんちゃくを出し、中から札束を抜き取ると、その手を高く掲げ、ゆりへ向かって投げつけた。札束は頼りない紙幣になって、曇天を雪片の如く舞う。追うゆりは、目ん玉き出し、跳ね、すがって手を伸ばす。だが掴んだ途端、紙幣は炎に包まれた。悲鳴も終わらぬまに、もろい灰と化す。次の紙幣も、そのまた次の紙幣も、灰となり雨に溶け、ゆりは札の数だけ悲鳴をあげた。

 空で夜響は大笑い、赤い巾着袋を逆さまに、地上に硬化をばらまいた。銭の雨に打たれて踊り狂い、走り回る姿は地獄絵図、ゆりを囲む人垣は、顔を失い遠巻きに、転がる銭に手は触れない。硬貨はゆりの指に触れた途端に泥と化し、雨に溶け消えていった。

「ああ気がすんだかい、あははは」

 高らかに笑い、雨にかすんで消えてゆく後ろ姿は、ゆりの目に卑劣な悪魔として映った。両手をコンクリートにつき、ずぶ濡れのまま顔を上げると、先程の少女が毒蜘蛛の死体でも見るように眉根を寄せている。四方を見回せば、同じ色の瞳が八方を囲んでいる。この雨にマスカラも口紅も流れて、醜い姿になっているに違いない。恥ずかしさと怒りが込み上げて、両眼に恨みの炎をたぎらせ立ち上がると、まず少女がぱっと身をひるがえし、ほかの群衆も我先にと他人の振りを決め込んで、人垣の輪は急速に拡散し、残されたゆりはひとり立ち尽くした。長く伸ばした黒髪が、額に、頬に、肩にまとわりつく。

(このままじゃ済まされないよ、夜響)

 先程と同じ木の下に腰掛けて、ゆりは怒りを抑えてゆっくりと、頭を働かせた。

(夜響は妙に、ハルカさんを大切にする)

 遥は、邪気に支配されていないからか。

(だけどあたしは、自制のためなんかに生まれてきたんじゃない)

 遥を傷付けたら、夜響がどんな顔するだろう、と考えて、ゆりは首を振った。

(余計に怒らせるだけか)

 それからそうだ、と思い出す。オニの弱点、すなわち肥大化しすぎた自信。

(嫌われちまえばいいんだ)

 そしてにやりとする。遥以上の適任者をみつけた。あれは確か二、三日前、真由まゆのふるまいに閉口して、憂さ晴らしに夜響と夕空を舞い遊んだ日、夜響の不安そうな横顔を見た。夜響はビルの屋上から向かいの学習塾を、目を凝らしてのぞいている。唇に何気なく指をあて、無防備な横顔をさらして、一心に誰かを探しているが、目当ての姿はないようだ。

「あんたは帰んな」

「やだよ、つまんない」

 いいから帰んなよ、と夜響は繰り返したが、帰りたくない、と言い張るゆりが面倒になり、

「勝手にしな」

 と、高速道路を飛ばすトラックの荷台や快速列車の世話になり、閑静な住宅地へ飛んだ。だが小ぎれいなアパートの部屋に明かりはなく、ほど近い、庭と縁側のある日本風家屋に向かった。夜響は斜向かいの家から伸びる松の枝に腰掛けて、庭先で仲睦まじく言葉を交わす親子をじっとみつめている。右の手には曼珠沙華が一輪、揺れていた。ゆりは木の下に座り、門の間から様子をうかがう。祭りの帰りだろう、小さな男の子と、その手を引く父親は浴衣ゆかた姿、量の多い黒髪を後ろに撫でつけ、涼しげな紺の浴衣がよく似合っている。開けた扉に寄りかかり、男の妻らしき女性の姿も見える。

「誰、あの人たち」

 ゆりは幹に寄りかかり、枝の上の夜響を見上げる。気まぐれな夏の夜風が吹きつけて、夫婦の会話が二人の耳に届く。

「じゃあ車で待ってるよ」

「すぐ行くわ」

 妻と息子は室内に消え、男は母屋の裏に止めた車へ向かう。

 風に吹かれた白い髪は、鼻の頭をくすぐり夜響の視界を遮る。だがそれを払いもせずに、まずい、と呟いた。くしゃりと右手を握れば、赤い花弁はしたたる鮮血の如くこぼれ落ちる。残った一枚を口許くちもとに、唇に触れふっと息を吹きかければ、それは藍色の空を漂って、人影消えた玄関に降り立ち、浴衣姿の男に変わった。呼ばれて妻が姿を見せる。男が何か言う。ゆりの耳には聞こえぬが、怪訝な顔で、何言ってるの、と問うた女の声は届いた。男が言葉を発するごとに、女の怪訝な顔は哀しいものへ、やがて怒りの形相へと変わってゆく。

「どこまで身勝手なの、あなたという人は!」

 甲高い声を残して、女がばたんと扉を閉めると、夜響は着物の袖で口許くちもとを隠して笑い出した。

(そう、あの男がいい)

 表参道を行き交う人をぼんやり双眸そうぼうに映して、ゆりはゆらりと立ち上がる。

「夜響、あんたはあたしが会ってから二週間、本当にやりたい放題やってきた。ちょっとくらい痛い目に遭っても、ばちはあたらない」

 ゆりはくすっと笑った。
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