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二章、加速 ――Tumbling Down――

06.腐敗魂も尽きせぬ夢想も抱えて生きてゆく

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 百万の星が一斉に落ちてきて、ステージは踊る色と光に満たされた。アイを中心に、Braking Jamの面々が姿を現すと、ざわめいていた会場の空気は一気に昂揚する。悲鳴にも近い歓声が巻き起こり、飛び跳ね手を振り彼らを迎える。

 ステージに立つアイを見た瞬間、ゆりの中でも何かが弾け飛んだ。憧れ続けた彼女がそこにいる、夢じゃない、声の届く距離にいるんだ! 心臓が爆発し、全てを忘れて叫んでいた。オニになったときとは比べ物にならない衝動、生きてるんだと強く感じる。胸に刺さった小さな棘など、熱い涙に押し流されてしまう。そう、約束したのに、夜響は来なかった。

 ジンがギターをかき鳴らし、アイがスタンドからマイクをもぎ取った。

「Oh, Yeah!」

 赤と黒に染め分けた髪を振り乱し、一声叫ぶ。ドラムが入り曲が始まる。振動と爆音が体を揺さぶる。畳みかけるように刻むビート、弾ける電子音、アイはビブラートを効かせた特徴ある声で、矢継ぎ早に歌詞を叫ぶ。ほかのメンバーと合わせて、

「ヘイ、カモン!」

 を連発するサビの間に、皆の興奮は否応いやおうなしに高まってゆく。

(アイは一瞬にして、こんな大勢に魔法をかけられるんだ)

 女装したルウと絡むジャケットのアイを見たときに、足下あしもとからぞくぞくと這い上がってきたあの興奮、あれが今もっと大きくなって、ここにいる皆を包んでいる。全てを忘れさせる激しい鼓動、こぼれる涙さえ気付かぬほど。正しいとか間違っているとか、冷静な基準が用を為さない野性のままの叫びに、ゆりは解き放たれてゆく。単純に美しいもの、楽しいものを、たらふく食べるみたいに。

「音楽は仮面だ!」

 一曲目が終わると同時に、ベースの妖介ようすけが前に躍り出て、アイの手からマイクを奪い叫ぶ。「伝えたい程のものも、伝えられる程の価値も、俺たちにはない! みんなただ感じてくれ。今夜は狂わせてやる、エレキの音でイカせてやるっ!」

 隣でアイが手を叩いて喜んでいる。最年少の妖介は、ラジオ番組ではほとんど口を利かない自称「ヤク中」のくせに、ライブとなると妙に元気だ。二曲目が始まり、飛び回る妖介に、皆口々に叫んで返す。

(墜ちてゆくだけだ)

 ゆりは思う。

(人は生まれる瞬間から、死に向かって歩いてる。待つものなんて死しかない。どこまで行ったって、光なんかありはしない)

 夜響やBraking Jam、ネオンサインがみせる作り物の光は、まばゆく輝くけれども、夜が明ければ消えてしまう。散る花のように。土に落ち朽ちるように。だけど、限りがあるからいとおしい。

(上澄みだけ飲んでキレイ事で終わるより、底の底まで這いもぐって、せめて生きてることだけでも感じたい)

 今強く、鼓動を感じる。オニになったゆりは、何も恐れない。墜ちてゆくことも。爆音に包まれ恍惚としたまま跳び続ける。きらめくステージはまるで銀幕の夢、理想の幻が、架空の美が、皆を包んでいる。

<全ての感覚が研ぎ澄まされて 体中がマヒしちまいそうだ!>

 低く叫んで曲が始まる。

 今はも、自分を消したいなんて思わない。世界は、もっと、ずっと広い。行き場なんていくらでもある。踏み出すことさえ恐れなければ。

 ――あたしが誰だか気付かせてくれる――

 それが、ゆりのみつけたもっともふさわしい言葉だった。

<ああみえるわ
 思いがそのまま黒い炎になって
 この影が消えないことを祈るよ 太陽に照らし出されぬよう
 ――夜が大好きなんだ>

 アイは歌う。ゆりの中の、もうひとりのユリを言い当てるように。「私」と呼べるのは、決して一人じゃない。「B.B.Girlz」の服に包まれ鏡の前に立つとき、ゆりの中に潜む少年が、鏡の虚像に心を奪われている。夜タオルケットに包まれ、夢うつつの物語の中、まなこばかり光らせているとき、少女の心は暗闇に惹かれてゆく、夜の瞳を持つ少年に。

<夜が大好きなんだ>

 アイは繰り返す。強いビートに乗って。

 卑屈に否定し続けた過去や暗い欲求を、ごく自然に認めるうち、いましめはひとつづつ解け、ゆりは手の届かないところへ上がってゆく。不思議な雲の上で満ち足りている。

<そんなものは
 消そうとしたって消えるものじゃないことを
 アタシは知ってる
 ああステキだわ 手の平の上の世界
  回りながら輝いてる>

 大きく手を振り、声をあわせて歌っていると、涙がこぼれた。消そうだなんて、もう思わない。そんなふうに自分を否定し傷付けて、何が楽しいの? 昨日までの愚かな自分のために、ゆりは泣いた。

 負けるもんか。この腐敗魂ふはいこんを、尽きせぬ夢想を、自らの手で絞め殺したりするもんか。狂った星のもとに生まれ落ちた。あの星は異端者を生むけれど、神も悪魔もそこから生まれるんだ。

 アイは、女装したルウと一本のマイクに唇を寄せあい、身をくねらせる。赤と青のライトが、二人を妖しく照らし出す。

<ハンディも性も美醜も乗り越えるべきもの
 アタシはもう越えてるの?>

 それはゆりの大好きな曲、神にも悪魔にもなれる、と確信に満ちて歌う最後が、なんと言っても好きなのだけれど。

 Braking Jamは、ほぼ同時に二枚のアルバムを出した。一枚目は、ピアノやアコースティック・ギター、ストリングスが絡み、透明感に満ちた音色ねいろを、ゆったりと聴かせる。詩に現れる夏祭りや水辺が、疲れた体を包み込む。だが故郷を映すみなもには次第に不安な波が寄せ、情景は壊されてゆく。やがて彼女は「肥大化したカラダの中で、心臓は空洞だわ」と泣き叫ぶのだ。

 ライブでアイは、大きなシーツにくるまってステージに現れた。少女のようなアイを見た途端、ゆりは彼女を自分だけのものにしたい衝動に駆られた。今も、あのときの写真を雑誌で見るたび、胸がきゅんとする。

<アタシを消さないで、アタシはここにいる>

 そんな曲を最後に歌って「恐怖心」をかたどったアイは消えてゆく。

 もう一枚が発売されて、前作を蝕んだものが黒い欲望だと分かった。思い出は感傷を呼び、素敵な欲望に恐怖を抱く。あたしを尻込みさせる邪魔者だと、悪魔のような出で立ちでアイは一蹴する。前作のツアーが終わらぬうちに、今回のツアーを始め、前作のほうは今作に呑まれるように終了した。

 挑発的なアルバムのイメージそのままに、アイは髪を逆立さかだて眉を剃り、目を吊り上げて、黒い口紅とひきかえに、頬には過激な紅を重ねている。黒いロングコートは、色とりどりの照明を悪魔的にはね返し、それを脱ぎ捨てると、歓声がドームの天井を突いた。スパンコールをちりばめたベストから、大胆にのぞく胸元、時折へそピアスがきらりと光る。大きな薔薇を描いたジーンズにも厚底ブーツにもラメが散り、全てが輝いている。

 二枚のアルバムには、題と詩と編曲を変えて、同じ曲が収められている。詩の入る箇所が交互になっているので、あわせれば二つの心の対話とも聞こえる。

<きみは力 アタシを狂わせる
 息が止まる
 ふるえる>

 ――呪いのコトバばかり唱えてるわ
   アタシにも セカイにも――

 ゆりはもう一方の詩を、心の中で口ずさむ。

<ねえでも今きみが現れて 心は姿を変える>

 この部分は、もう一方も同じ言葉。

<アタシは誰だっけ――?>

 ――ああこわい 変わらずにいて――

<そんなこと 忘れていい>

 ――ああやめて 殺さないで――

<人は気付くかしら
 アタシが人でない何かに変わったこと
 昨日までのアタシは消えちまったわ
 心は昇華されて雲の上 霞になった>

 ――高いところはこわいのよ
   うちはどこ? 帰らせて――

<きみはアタシに命ずるの
 コワセって
 ああ分かってる 今やるわ 何よりきみが大切だから
 きみのためならこの胸引き裂くわ>

 ――何も見えない 雲ばかり
   堕ちてゆくわ 霞の中闇の中
   助けて 転げ落ちる――

<なんだって出来る
 こわいのはこの陶酔から醒めることだけ>

 根本的な恐怖に襲われた。幾度も聴いた曲なのに。拳を握って、目の前の空気をにらみつける。指が、冷たい汗にぬるりとした。

(皆、死ぬのはいけないことだと言う。だからそんな悪いことをしないで済むよう、思い通りやるだけだ)

 アイは歌う。

<何が悪い 全て欲しいんだ!>
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