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一章、嘘 ――Drug Trip――

14.山本一葉、きみは誰?(1)

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 四日程、夜響やきょうのことを考えまいと過ごした後で、ぽっかりあいた休日に、広松ははやる心を抑えきれず、東京は足立区に車を走らせていた。昨日は実際に寝込んでいた義母を見舞い、織江おりえを恨みがましく思ったことを恥じた。まもるはなんでも買ってくれる祖父に甘やかされ、始終ほくほくしている。

「お父さん、昨日有名人に会ったよ、誰だと思う」

「誰だろうな」

「お父さんテレビ見てないの、やきょうっていう人、知ってるでしょ?」

 ここに出たか、と苦い顔。守の話をしたとき、会いたいと言っていたっけ。思い出せば、夜響にはかわいいところもあり、無視を努めるのは非情に思える。

「うちに来たんだよ、ぼくがお庭で縄跳びの練習してたらね、そこんとこに現れたの。屋根の上から飛んできたんだよ」

 と、背伸びして、垣根と屋根を交互に指さす。近頃夜響は街を騒がせ、オニだと名乗るので、いつかの猿騒動のように「東京鬼騒動」と呼ばれて、テレビや新聞をにぎわすようになっていた。被害といっても、店先の苺をつままれた、とか、屋台の焼き鳥が勝手に風に吹かれて頭上で待機していた子供に食べられた、とか、なぜだか政治家の秘書が大事に抱えていた黒い鞄を盗まれた、とかそんなものだったが、未成年だから「保護」しなけりゃならず、自治体や警官が捕獲に出かけるのだが、そうそう捕まるわけもなく、その攻防戦はおもしろおかしく人々の耳に届き、ちょっとした人気を博していた。

「それでなんか、怖いことをされなかったかい」

「なんで、そんなことあるもんか。やきょうちゃん、遊んでくれたよ。それでいつの間にか、前飛び十回も出来るようになってたの。すごいでしょ」

「そりゃすごい」

 頭をぐりぐり撫でてやると、守はまぶしそうに目を細めた。

「でもお母さんは気付かなかったんだよ、やきょうちゃんに。なんでだろ。ここからぼくに声かけたんだよ、お昼よって」

 縁側の床をぱんぱんとたたく。

「お母さんには、夢が見えないんだな」

「なあにそれ」

 守が首をかしげたとき、後ろから祖父が甘い声をかけた。「守くん、お風呂出た後、いつまでも縁側にいちゃあいけないよ。お風邪をひいちゃうから、早くお布団に入りなさい」

 守は、はあい、と織江や広松は聞いたこともないいい返事、

「おじいちゃんがね、ぼくが寝るまでお話してくれるんだって」

 と自慢して、祖父の方へちょこまかと走っていった。

 広松はまず区役所へ行き、三十分いくらで住民票を閲覧し、山本やまもと一葉いちはの住所と家族構成――両親と、二つ下の妹・双葉ふたば――を知った。

 近所の人の助けもありほどなくして、込み入った住宅街の一角に、一葉いちはの家はみつかった。小さな庭なし二階建てで、裏の団地の影になる上、二、三分おきに電車の轟音が響く。玄関の引き戸は開けっぱなし、夏の風が自由に出入りし、長のれんを揺らしている。

 インターホンを押すと、しゃこしゃこと手応えのない音がするだけ。

(壊れてるんじゃないか?)

 どうしようかときょろきょろしていると、はす向かいの家に宅配人がやって来たところ、インターホンも押さずに同じく開けっぱなしの玄関から、

「お届けもんでーっす。すいませーん、宅配便ですよー」

(あれをやれと……?)

 逡巡しながらふと見下ろした車庫の隅、放られたひまわりの鉢、縁には、「6―1 山本ふたば」、がらっと玄関脇の窓があいて、その本人が顔を出した。写真で見た姉の一葉いちはより、はっきりとした目鼻立ち、気は強そうだが華やいだ印象を与える。

「どなたですか。あ、それ壊れてるんですよ」

 と、インターホンに目を向ける。やっぱり、と指先に目を落とすと、土埃で黒くなっていた。鞄からホームページのコピーを出すと、

「何これ。お母さんが作ったのかな」

 双葉ふたばは、り硝子から身を乗り出して、きょとんとしている。それからふと哀しい目をした。「お母さん、ほとんどパソコンなんか使えなかったのに」

 娘を捜し出したい一心で覚えたのだろう。心を砕いて待つ人を、かえりみることなく消えた百合子ゆりこ一葉いちは、何がそこまで彼女らをかき立てたのか。守が姿を消したなら、自分はいても立ってもいられない。夜響を人に戻さねば、と広松は強く思った。

 双葉は玄関に回り、

「おじさん、いっちゃんをみかけたの?」

 名を告げたあとで、百合子ゆりこの時と同じように、知人が家出少女をかくまっているという話をする。しかし今回は写真があるので、白々しくならぬよう、

「随分雰囲気が違っていてね。髪の色とか長さとか」嘘はついていない。「だから彼女について、もう少し教えて欲しいんだ」

「いっちゃんがどんな人かって」双葉は急に不機嫌になる。「人によって人格変わるから、あたしが知ってんのはあたしの前のいっちゃんだけですよ。あたしの前ではほんと子供。怒れば物投げ、気にいらなけりゃふくれるの。機嫌が良ければ入道雲が食べたい、とか言う」

 話すうちに双葉のふくれっ面は、次第にかげってゆく。

「それがお母さんたちの前じゃあ、いい姉さまになりやがる。そりゃあばれるときゃあばれるけど、あたしも応戦して手ぇ出しちゃうから、向こうの一方的な八つ当たりでも、喧嘩両成敗、運悪けりゃあたしだけ怒られる」

 一葉いちはが家にいるのが当然だったときには、とどこおりなくぶちまけられた怒りが、今は胸に痛い思い出話になってしまう。

 知らない人は家にあげちゃいけない、とかで、上がりかまちに並んで腰掛けると、風に揺れる長のれんに、時折膝小僧をくすぐられる。

 ご両親は、と尋ねると、

「二人とも仕事。でもお母さんはもう辞めるって言ってる」

 いくら待っても一葉いちはが帰らず、疲れきってしまったのだろう。姉の帰りを信じて、明るく振る舞う双葉の横顔も、ともすればかげりがち、家族が一人減って火の消えたような家が、崩れかかるさまが目に映る。

「夕食のときも、しんとしてるんだよ」

 また、呪術関係に興味を持っていなかったかと尋ねると、

「古いもんが好きだったみたいだけど。数百年前でも、数十年前でも、昔のものはすごいと思ってんじゃないの」

「違うんじゃないかな」

 馬鹿にする口調の双葉をたしなめて、

「消えてゆくもの、消えてしまったものだからだよ」

 散る桜が美しいように、儚いものはいとおしい。夢も幻も、すくう指の間からこぼれてゆくものを、人は必死でかきあつめ、抱きしめたくなる。

「じゃあ特別、鬼とか呪文とかに興味を持っていたわけではないのか」

「おじさん、鬼って信じる?」

「どうして」

 普通の大人をよそおって、さりげなく聞き返す。

「昨日夜響を見たの。友だちとね――男の子なんだけど、一緒に歩いてたら――って二人きりじゃないよ、みんなで遊びに行ったんだよ。でもそんときは、並んで歩いてたの」

 想いを寄せている相手なのかも知れない。

「そしたらいきなりオニが現れてね、みんなすっごい騒いで。オニは片手にアイスバー持ってたんだけど、それが急に溶けて、あたしと三澤みさわくんを追っかけるの。夜響やきょう、頭の上で、超げらげら笑ってた。でも最後にはちゃんともとのアイスに戻って、おなかすいてるあたしたちの目の前で、自慢げになめながら去ってったの」

 夜響らしい、と広松は笑う。

「オニってなんなんだろうね」

  双葉は揺れるのれんをみつめている。広松は、分かっているのに知らない振りなど出来ない。幾度か口をひらきかけ閉じた後で、相手は子供、と言い聞かせて口をひらいた。

「少し前に、着物姿の女が疑われた連続殺傷事件があったのを覚えてるか。私はあの女をオニと見ていた。まあ、奴はとある者の手によって追い払われたのだが、弱った彼女の力を吸い取って、オニになった子供がいた。それが夜響だ」

「最初のオニを封じたのが、おじさん?」

 なかなか鋭い。いや、などと口ごもる広松に、どうなの、とたたみかける。

「まあ言っても信じてはもらえまいが」

 渋々と認めてしまった。双葉はじっと広松の目をみつめて、

「おじさんなら、夜響を人に戻せるの?」

 広松は腹をくくって、しっかりとうなずいた。「やってみるつもりだ」

 こっくりうなずいた双葉に、

「この辺りに、塚とか古びたほこらとかないかな」

「ないと思うけどどうして」

 ひびきは急に現れ殺傷事件を起こした。そそのかされてひびきを目覚めさせたのは、夜響になった少女だろう。ひびきの名を知っていたことも証拠になる。この地にひびきが封じられていた痕跡があれば、一葉いちはを夜響とほぼ確定できるのだが。
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