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一章、嘘 ――Drug Trip――
12.市野沢百合子の好きなもの
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大宮仲町教室は、雑居ビルの五階にある。ただの大宮教室でないところがミソで、こちらは一応近代的なビルが建つ西口にあるのに対し、仲町教室の周りは古びた旧市街、昔ながらの商店街には「駅前再開発断固反対!」の垂れ幕がはためいている。
講師室も、小さな冷蔵庫のせいで人がすれ違うのも苦しい狭さ、扉代わりのついたて押して入ってきたのは、おととい本部教室で会った、市野沢百合子の担当講師だ。高木という。
「まだ帰ってないそうです、市野沢さん」
広松に告げて溜め息をつく。高木は、広松が彼女にした「知人の家に転がり込んだ家出少女が市野沢百合子かも知れない」という作り話を信じている。
「お母さんが市野沢さんの通ってる高校に行って、クラスの人たちに話を聞いたそうですけれど、何も手がかりがないそうで」
「市野沢さんはどんな子だったんだろう。彼の家にいる子は、警察には連絡しないでと頼むばかりで、何も喋らないそうなんだが」
それでもこの週末までには連れてゆくつもりだと話すと、彼女は百合子を思って、すすんで話してくれた。
「確かに百合ちゃんは無口な子でした。髪が長くて女の子らしい感じで、数学がすごく苦手だった――」
はたと口を閉ざす。それから哀しげに笑った。「あたし百合ちゃんのこと、ほとんど知らないんだなあ」
「彼の家にいる子も、口数は少ないようだが―― 呪術というのかな、例えば仏教や神道の中にも、鬼や魔を祓ったり遠ざけたりする術があるだろう、そういう話には興味があるようで、少し話していたらしいが」
呪術に興味があったから、ひびきの封印を解けたのではと仮定して訊いてみたが、高木は別世界の人を見るような、きょとんとした目をする。広松は、顔が赤くならぬことを祈った。今は自分のことを話しているんじゃない、夜響のことなんだ。「授業前に、そんな本を読んでなかったかな」
「本読んでるところは見たことないです。いつも音楽聴いてたから」
それから何かを思い出して、嬉しそうに笑った。「一度だけ打ち解けてくれたことがあって。あのときは意外な感じで驚いたんだけど――」
いつも通り二、三分遅れて教室へゆくと、市野沢百合子もいつも通りヘッドホンから流れる音に意識をあずけ、中天をみつめている。個別指導と言っても、講師一人に対し生徒は二人、だがその日はたまたまもう一人の生徒がまだ来ていなかった。
こんにちは、という高木の声に、百合子は少し慌ててヘッドホンをはずす。
「どんなの聴くの?」
今まで百合子にだけは声をかけづらかったが、この日はするりと言葉が出た。いつも人を拒む目に見えない壁が、不思議と感じられなかったのだ。
「先生、Braking Jamって知ってますか」
「知ってるよ」
女の子がボーカルをやっているバンド、くらいにしか知らなかったのだが、百合子の話が聞きたくて、うなずいた。
「今日新譜が出たんです」
鞄から、買ったばかりのマキシシングルを大事そうに取り出す。二人の女性が裸で抱き合うジャケットの写真に、高木は思わす言葉に詰まる。下になっている美女は、メイクが濃いことを除けば普通の女性に見えるが、その彼女に襲いかからんとする少女は、ボディペインティングのようにぴったりとした、ラメが輝く衣装に全身を包み、顔にもその延長のようなメイクを施している。血走った眼でこちらをにらみつけ、牙を剥く野獣のよう、体つきから辛うじて女と知れる。正確には「裸で抱き合う」写真ではないのだが、少女の扮装は全裸のように体の線が出るから、一瞬そう見えたのだ。
「ルウさん綺麗だよね。本当に女の人みたい」
言われて気付けば、下の美女のほうは写真のアングルの具合で、上の少女の髪に触れる白い腕が見えるくらい、体つきまでは分からない。どう返答して良いものか、呆然としていると、
「でもあたしはアイちゃんが好きなんだ」
ケースを手に取り、じっと写真に見入る。「どうしてこんなに哀しそうに見えるんだろう」
そう言う百合子のほうが、ずっと哀しそうだった。
「あのときくらいですね。百合ちゃんと雑談したの。あのときは、これは何って思っちゃったけど、あたし、何かに夢中になってる人を見るの好きなんです。恋してる人でも、留学目指して勉強してる人でも。くさいこと言うけど、目が輝いてるから」
俺も呪術の本を読んでるときは輝いてんのかな、などと思って黙っていたら、彼女を慌てさせてしまった。
「えっと、百合ちゃんのお母さんから聞いた話、しましょうか」
広松に頼まれて高木は、同級生に話を聞くため高校におもむいた百合子の母、淳子の話を始めた。
仕事が忙しいこともあるが、淳子は百合子から学校の話、殊に友だちの話をほとんど聞いたことがない。話すのは淳子の作った弁当の、あれがおいしかった、という話、それから数学が難しい、テストがやばい、そんなことしか言わないから、百合子が家に帰ってこなかった日も、電話をかける級友の名さえ思い浮かばなかった。百合子に友だちが少ないのは昔からだが、淳子自身もそうだったし、そんなことは気にかけない強い子に育てたつもりだ。
職員室を訪ね担任に訳を話すと、ホームルームで生徒たちに心当たりを尋ねるから、お母さんも教室にいらっしゃって下さいと、整髪料と制汗剤のにおいが充満する教室に連れてゆかれた。だが生徒たちは、市野沢百合子という級友を知らないかの如く何も話さない。クラスを間違えたのではないかという不安を覚えたほどだ。
(この教室で毎日、百合子は勉強していたのか)
冷たい刃物が胸に押し当てられたようだ。
「おととい市野沢さんが帰るところを見た人はいない?」
と尋ねた担任に、
「部活で外周回ってるとき見ましたけど。いつも通り駅のほうに歩いてゆくだけでしたよ」
「何かおかしいところは」
「別に……」
困ったような顔をする。中には早く帰らせろとばかりに、机に乗せた鞄に突っ伏している子もいる。
「いつも通り下向いて歩いてたんじゃん?」
と誰かが茶々を入れると、声をあげて笑う子と、担任や淳子から目をそらすようにうつむく子に二分された。
「近頃、市野沢さん何か話してなかった?」
一瞬の沈黙のあと、
「市野沢さんが家出の理由なんか話す人、このクラスにいませんよ」
笑った子ともうつむいた子とも違う、一風変わった感じの子が、後ろの席からはっきりと言った。真っ黒な髪が、人と違う雰囲気を醸し出しているのかも知れない。
「市川さん、そういう言い方はないでしょう。知子ちゃん、この前市野沢さんと話してたわよねえ」
急に声をかけられて、最前列に座った小柄な少女は、え、え、と困ったような笑みを浮かべて、友だちの顔を見比べる。自然な栗色の髪を肩に垂らした、感じの良い子だ。
「えっと、なんにも聞いてません……」
消え入るように答えると、同情のまなざしが寄せられる中で、あざけるように忍び笑いも漏れた。淳子は担任に向き直り、
「皆さん何もご存じないようですから、もう結構です。お時間取らせてしまって、すみません」
と担任を職員室に追い返し、
「掲示物など見ていてよいでしょうか」
と教室に残った。女子ばかりの教室は、共学校しか知らぬ淳子には怖いものさえ感じるが、折角休みを取って足を運んだのだ。グループごとに集まって放課後の時間を楽しみだした彼女らに、もう少し話を聞きたい。さすがに金髪の子らには近付きにくく、先程戸惑っていた知子らの集まりに近付く。本当は、市川さんと呼ばれた子と話したかったが、彼女はホームルームが終わると同時に、文庫本を片手に教室を飛び出していった。少しして窓から見下ろすと、本を読みながら足早に校門へ向かう姿が見えた。今のホームルーム中もずっと、机の下で読んでいたのだろう。
「市野沢さん、いつもひとりでいる人だったから、今どこにいるかなんて、わたしたち全然想像つかないんです」
と、リーダー格の子が言えば、
「でも市野沢さんだって遊ぶことあるんじゃない? 昨日一日いなかっただけでしょ、大丈夫ですよ」
「でもどこで遊んでいるか見当がつかないから、不安なのよ」
と淳子。「みんな百合子と話したことないみたいだけど、あの子クラスに溶け込んでなかったの?」
皆、困惑顔で口を閉ざす。きつい言い方をしたつもりはなかったが、彼女たちの口を重くしてしまった。
あきらめて教室を後に廊下を歩いていると、お母さん、と声をかける者がある。振り返ると、あのかわいい知子という少女だ。
「みんな否定してるのかもしれないけど、市野沢さんいじめられてたんだと思います」
職員用下駄箱の影で、知子は小声で打ち明けた。
「どんなことされてたの」
思わず険しい声になると、知子は困ったように、
「何をされてたってわけじゃないですけど、無視されたり、市野沢さんのものには皆さわらなかったり」
「どうして百合子が――」
困った顔を続ける知子に先回りして、
「みんなと話さないから? 暗いと思われてるのかな」
「多分。理由は、あると思う」益々小声になって、「わたしでも市川さんでもなく、市野沢さんなのは。みんな自分がそうされないように頑張っているんだし。中学校の時成功した子も失敗した子も」
百合子はその努力をしなかったというのか。独自性を主張し常に肩を張ることもせず、溶け込むために自分を隠す努力もせず、百合子の選んだ方法はなんだったのだろう。
「わたしは出来るだけ多くの人と友だちになって、いろんな見方を知りたいから」
そのためには隠すことも嘘をつくことも、必要なのだろう。淳子が礼を言うと、知子は深々と頭を下げ教室へ駆け戻っていった。
話し終えた高木は、一呼吸置いてから、
「百合ちゃんち、離婚してるんですよ。そのせいか、お母さんこんなわたしによく話してくれるんです。前から百合ちゃんとは正反対で、威勢のいい話好きな人でしたけど、今日はあんなに疲れた声を出して」
広松はどこか哀しげな夜響のまなざしを思い出して、
「市野沢さんは、今でもお父さんを慕っているのかな」
だが両親が別れたのは、百合子が物心つく前だった。広松は繰り返し礼を述べ、仲町教室を後にした。
講師室も、小さな冷蔵庫のせいで人がすれ違うのも苦しい狭さ、扉代わりのついたて押して入ってきたのは、おととい本部教室で会った、市野沢百合子の担当講師だ。高木という。
「まだ帰ってないそうです、市野沢さん」
広松に告げて溜め息をつく。高木は、広松が彼女にした「知人の家に転がり込んだ家出少女が市野沢百合子かも知れない」という作り話を信じている。
「お母さんが市野沢さんの通ってる高校に行って、クラスの人たちに話を聞いたそうですけれど、何も手がかりがないそうで」
「市野沢さんはどんな子だったんだろう。彼の家にいる子は、警察には連絡しないでと頼むばかりで、何も喋らないそうなんだが」
それでもこの週末までには連れてゆくつもりだと話すと、彼女は百合子を思って、すすんで話してくれた。
「確かに百合ちゃんは無口な子でした。髪が長くて女の子らしい感じで、数学がすごく苦手だった――」
はたと口を閉ざす。それから哀しげに笑った。「あたし百合ちゃんのこと、ほとんど知らないんだなあ」
「彼の家にいる子も、口数は少ないようだが―― 呪術というのかな、例えば仏教や神道の中にも、鬼や魔を祓ったり遠ざけたりする術があるだろう、そういう話には興味があるようで、少し話していたらしいが」
呪術に興味があったから、ひびきの封印を解けたのではと仮定して訊いてみたが、高木は別世界の人を見るような、きょとんとした目をする。広松は、顔が赤くならぬことを祈った。今は自分のことを話しているんじゃない、夜響のことなんだ。「授業前に、そんな本を読んでなかったかな」
「本読んでるところは見たことないです。いつも音楽聴いてたから」
それから何かを思い出して、嬉しそうに笑った。「一度だけ打ち解けてくれたことがあって。あのときは意外な感じで驚いたんだけど――」
いつも通り二、三分遅れて教室へゆくと、市野沢百合子もいつも通りヘッドホンから流れる音に意識をあずけ、中天をみつめている。個別指導と言っても、講師一人に対し生徒は二人、だがその日はたまたまもう一人の生徒がまだ来ていなかった。
こんにちは、という高木の声に、百合子は少し慌ててヘッドホンをはずす。
「どんなの聴くの?」
今まで百合子にだけは声をかけづらかったが、この日はするりと言葉が出た。いつも人を拒む目に見えない壁が、不思議と感じられなかったのだ。
「先生、Braking Jamって知ってますか」
「知ってるよ」
女の子がボーカルをやっているバンド、くらいにしか知らなかったのだが、百合子の話が聞きたくて、うなずいた。
「今日新譜が出たんです」
鞄から、買ったばかりのマキシシングルを大事そうに取り出す。二人の女性が裸で抱き合うジャケットの写真に、高木は思わす言葉に詰まる。下になっている美女は、メイクが濃いことを除けば普通の女性に見えるが、その彼女に襲いかからんとする少女は、ボディペインティングのようにぴったりとした、ラメが輝く衣装に全身を包み、顔にもその延長のようなメイクを施している。血走った眼でこちらをにらみつけ、牙を剥く野獣のよう、体つきから辛うじて女と知れる。正確には「裸で抱き合う」写真ではないのだが、少女の扮装は全裸のように体の線が出るから、一瞬そう見えたのだ。
「ルウさん綺麗だよね。本当に女の人みたい」
言われて気付けば、下の美女のほうは写真のアングルの具合で、上の少女の髪に触れる白い腕が見えるくらい、体つきまでは分からない。どう返答して良いものか、呆然としていると、
「でもあたしはアイちゃんが好きなんだ」
ケースを手に取り、じっと写真に見入る。「どうしてこんなに哀しそうに見えるんだろう」
そう言う百合子のほうが、ずっと哀しそうだった。
「あのときくらいですね。百合ちゃんと雑談したの。あのときは、これは何って思っちゃったけど、あたし、何かに夢中になってる人を見るの好きなんです。恋してる人でも、留学目指して勉強してる人でも。くさいこと言うけど、目が輝いてるから」
俺も呪術の本を読んでるときは輝いてんのかな、などと思って黙っていたら、彼女を慌てさせてしまった。
「えっと、百合ちゃんのお母さんから聞いた話、しましょうか」
広松に頼まれて高木は、同級生に話を聞くため高校におもむいた百合子の母、淳子の話を始めた。
仕事が忙しいこともあるが、淳子は百合子から学校の話、殊に友だちの話をほとんど聞いたことがない。話すのは淳子の作った弁当の、あれがおいしかった、という話、それから数学が難しい、テストがやばい、そんなことしか言わないから、百合子が家に帰ってこなかった日も、電話をかける級友の名さえ思い浮かばなかった。百合子に友だちが少ないのは昔からだが、淳子自身もそうだったし、そんなことは気にかけない強い子に育てたつもりだ。
職員室を訪ね担任に訳を話すと、ホームルームで生徒たちに心当たりを尋ねるから、お母さんも教室にいらっしゃって下さいと、整髪料と制汗剤のにおいが充満する教室に連れてゆかれた。だが生徒たちは、市野沢百合子という級友を知らないかの如く何も話さない。クラスを間違えたのではないかという不安を覚えたほどだ。
(この教室で毎日、百合子は勉強していたのか)
冷たい刃物が胸に押し当てられたようだ。
「おととい市野沢さんが帰るところを見た人はいない?」
と尋ねた担任に、
「部活で外周回ってるとき見ましたけど。いつも通り駅のほうに歩いてゆくだけでしたよ」
「何かおかしいところは」
「別に……」
困ったような顔をする。中には早く帰らせろとばかりに、机に乗せた鞄に突っ伏している子もいる。
「いつも通り下向いて歩いてたんじゃん?」
と誰かが茶々を入れると、声をあげて笑う子と、担任や淳子から目をそらすようにうつむく子に二分された。
「近頃、市野沢さん何か話してなかった?」
一瞬の沈黙のあと、
「市野沢さんが家出の理由なんか話す人、このクラスにいませんよ」
笑った子ともうつむいた子とも違う、一風変わった感じの子が、後ろの席からはっきりと言った。真っ黒な髪が、人と違う雰囲気を醸し出しているのかも知れない。
「市川さん、そういう言い方はないでしょう。知子ちゃん、この前市野沢さんと話してたわよねえ」
急に声をかけられて、最前列に座った小柄な少女は、え、え、と困ったような笑みを浮かべて、友だちの顔を見比べる。自然な栗色の髪を肩に垂らした、感じの良い子だ。
「えっと、なんにも聞いてません……」
消え入るように答えると、同情のまなざしが寄せられる中で、あざけるように忍び笑いも漏れた。淳子は担任に向き直り、
「皆さん何もご存じないようですから、もう結構です。お時間取らせてしまって、すみません」
と担任を職員室に追い返し、
「掲示物など見ていてよいでしょうか」
と教室に残った。女子ばかりの教室は、共学校しか知らぬ淳子には怖いものさえ感じるが、折角休みを取って足を運んだのだ。グループごとに集まって放課後の時間を楽しみだした彼女らに、もう少し話を聞きたい。さすがに金髪の子らには近付きにくく、先程戸惑っていた知子らの集まりに近付く。本当は、市川さんと呼ばれた子と話したかったが、彼女はホームルームが終わると同時に、文庫本を片手に教室を飛び出していった。少しして窓から見下ろすと、本を読みながら足早に校門へ向かう姿が見えた。今のホームルーム中もずっと、机の下で読んでいたのだろう。
「市野沢さん、いつもひとりでいる人だったから、今どこにいるかなんて、わたしたち全然想像つかないんです」
と、リーダー格の子が言えば、
「でも市野沢さんだって遊ぶことあるんじゃない? 昨日一日いなかっただけでしょ、大丈夫ですよ」
「でもどこで遊んでいるか見当がつかないから、不安なのよ」
と淳子。「みんな百合子と話したことないみたいだけど、あの子クラスに溶け込んでなかったの?」
皆、困惑顔で口を閉ざす。きつい言い方をしたつもりはなかったが、彼女たちの口を重くしてしまった。
あきらめて教室を後に廊下を歩いていると、お母さん、と声をかける者がある。振り返ると、あのかわいい知子という少女だ。
「みんな否定してるのかもしれないけど、市野沢さんいじめられてたんだと思います」
職員用下駄箱の影で、知子は小声で打ち明けた。
「どんなことされてたの」
思わず険しい声になると、知子は困ったように、
「何をされてたってわけじゃないですけど、無視されたり、市野沢さんのものには皆さわらなかったり」
「どうして百合子が――」
困った顔を続ける知子に先回りして、
「みんなと話さないから? 暗いと思われてるのかな」
「多分。理由は、あると思う」益々小声になって、「わたしでも市川さんでもなく、市野沢さんなのは。みんな自分がそうされないように頑張っているんだし。中学校の時成功した子も失敗した子も」
百合子はその努力をしなかったというのか。独自性を主張し常に肩を張ることもせず、溶け込むために自分を隠す努力もせず、百合子の選んだ方法はなんだったのだろう。
「わたしは出来るだけ多くの人と友だちになって、いろんな見方を知りたいから」
そのためには隠すことも嘘をつくことも、必要なのだろう。淳子が礼を言うと、知子は深々と頭を下げ教室へ駆け戻っていった。
話し終えた高木は、一呼吸置いてから、
「百合ちゃんち、離婚してるんですよ。そのせいか、お母さんこんなわたしによく話してくれるんです。前から百合ちゃんとは正反対で、威勢のいい話好きな人でしたけど、今日はあんなに疲れた声を出して」
広松はどこか哀しげな夜響のまなざしを思い出して、
「市野沢さんは、今でもお父さんを慕っているのかな」
だが両親が別れたのは、百合子が物心つく前だった。広松は繰り返し礼を述べ、仲町教室を後にした。
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