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十一、太陽神降臨

39、太陽神あらわる

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 母ちゃんとはぐれたとべそをかく生意気盛りの少年の手を引き、スイリュウは火避け地へと急いでいた。いつもなら灯りの漏れる長屋は暗く、かわりに通りには威勢良いかけ声かけあい町火消したちが走っている。龍吐水りゅうどすい(小型の消火器)で高い炎に水をかけ、少し火から離れれば屋根に登り炎の餌食とならぬうちに家々をたたき壊してしまう。

 燃えさかる家々からかなり離れた頃、少年がスイリュウの手を引っ張った。

「兄ちゃん、あそこに誰か倒れてる」

 ねこまんま族の少年が指差すほう、スイリュは慌てて走り寄る。

「ヒノリュウ!」

「うわあっ、この人、金の騎士のヒノリュウさんだ!」

 少年のかん高い声に、ヒノリュウはうっすらとまぶたを開け、体を起こそうとした。それを少年が押しとどめる。

「いいよ、無理しないで」

「全身がしびれちまって」

「雷を落とされたんだね」

 ヒノリュウはひとつうなずいてから、

「スイリュウ、早く火避け地へ行け。俺は後から行くから心配するな」

「いや、俺がかついでいこう」

 しゃがんで背を向ける弟に、

「馬鹿。動けない俺を連れて行っても足手まといになるだけだ。せっかく体張ってロージャさんを止めたんだ。町が焼かれちゃあ、俺の努力が無駄になる。風が変わったとて、ここまで火が来る前に体のしびれくらいとれるから安心しろ」

「そうだな」

 スイリュウはうなずいたが立ち上がれない。

「早くしろ。パールちゃんが止めているはずだ、あの子の身が危ない」

「兄ちゃん、おれたちを守って、もう兄ちゃんしかいない」

 振り返ると、少年の真摯な瞳が真っ直ぐにスイリュウを見つめている。スイリュウは立ち上がると少年の手を握った。

「行こう」

 やはり、ロージャは火避け地の人々を襲っていた。パールをはじめとする比較的妖力の強い者たちが、必死で防御に徹している。妖力を防いでしまう神に対して、彼らには結界を張るくらいしかできることがない。

 少年の、手を握る力が強くなる。スイリュウはもう片方の手で小さな猫の手をやんわりと押さえ、自分から放させた。

「みんなと一緒にいろ。その方が安全だ」

 背中を押してやると、少年は一度振り返ってから、一目散に掛けだした。それをみつけたロージャのげきの先に丸い光が浮かんだ。

「やめろ!」

 立ちすくむ少年の前に、スイリュウは両手を広げて立ちふさがる。

「銀の騎士か。昨夜の傷は癒えたのかな?」

 スイリュウは唇をかんだ。

 人々とスイリュウたちの距離はほんの五、六歩。皆の不安な声が、スイリュウの耳にも届く。
「ヒノリュウ様はどこへ行かれたのか」
「銀の騎士しかいないなんてわしらはもうだめじゃ」
「あの方は己の利益のみだからなあ」

 スイリュウは思わずうつむく。剣の強さならば兄まであと一歩。だがそれ以外のものは―― それが分かっているから悔しさで、余計に力をふりかざしたくなる。全てを壊したい程に。

「どうしたぁ? 傷が痛むのか? だ~いじょうぶ。このしびれ薬で、痛みなんざすぐに消えちまわあ」

 真っ直ぐ向けられたげきの先に、再び光の玉が生まれる。

「兄ちゃん……」

 少年がスイリュウのマントにしがみついた。

「おいロージャ」

 スイリュウは逃げようともせずに、夜空を見上げる。

「おまえは何のためにこんなことをしている?」

「なんだとぉ?」

 この男何を言い出すのか、という好奇心からか、げきの先から再び光は消えた。

「妖怪たちを苦しめることに、なんの利益があるのかと訊いている」

「思い知らせてやるのさ。こいつらは毎年俺の供物くもつだけ減らしやがるからな」

 違います、と人々は口々に叫んだ。
 「不作だったんだ! 信じてくれ!」
 誰かの怒鳴り声が一際大きく響く。

 足元に群がる妖怪たちをじりじりしながら見下ろすロージャに、スイリュウは目を留める。

「おまえの供物くもつだけ減らしているという証拠はどこにもないだろう、それなのに事を大きくして、こんなに無益なことをするほど、おまえは愚かな神ではないだろう」

「黙れっ!」

 ロージャはぶん、とげきを一閃させた。その先に浮かぶ、丸いいかずち。

「狙いはおまえからそれた」

 スイリュウはかがんで耳打ちすると、少年をむらがる人々の方へ走らせた。入れ違いに群衆から走り出たのはパールだった。スイリュウの前に飛び出て九字を切る。

「すまん」

 スイリュウがつぶやいたとき、目の前が真昼の明るさに変わった。稲妻は結界に吸収され四散したが、体にも小さなしびれが残った。

「ふせいだか」

 ロージャが悔しげに舌打ちする。

「神様ってぇのは、そんな物騒なもん振り回して、妖怪たちを雷撃するようなもんじゃないでしょーっ!」

 パールの言葉に邪神は嘲笑を浮かべた。

「それではその後ろの男は何だ? 神に向かって剣など振り回して。剣とは生き物を殺すための武器だ。人とはそういうものか?」

「違う」

 スイリュウの静かな声は夜の闇によく通る。
 
「俺はこの剣を人を殺すためではなく、人を生かすために用いたいんだ。強さとは、誰かを守れることだからな」

「俺に―― 何が言いたい?」

 ロージャの顔が再び怒りに歪んだ。

「やめてロージャ様! 私、族長になるために、何においても誰にも負けられないって思ってた。でも違うの。今は権力も妖力も腕力もいらない、私は、自分の弱さを認められる強さ、誰かを信じられる強さ、それから―― 他人ひとも自分も――みんなを愛せる強さが欲しい」

「それは、俺を―― 神にはあるまじき弱虫だと言っているのか? ふざけるなぁぁっ!」

 体をのけぞらせ、両の拳に力を込めたとき、ロージャの体は龍のごとき巨大な蛇へと変わりゆく。人々の悲鳴が交錯する中パールは見た。町を焼いていた遠くの炎が、風にあおられたようにひと方向へ揺れたあと、あとかたもなく消えてしまったのを。

 悲鳴は歓喜にとってかわられる。

「太陽神様だ!」

「来て下さった!」

「マーガレット様の祈りが届いたのじゃ!」

 月の光を浴びて夜空に現れたのは、この上もなく美しい女神だった。解かばひざに届かんばかりの髪で高髷を結い、その端を長く後ろに垂らしている。花冠を飾り、もとどりには金のかんざしをさし、上衣の上に袖無を着ている。幾枚も重ねた透き通る衣はゆったりとしていて、打紐うちひもで飾られ、長い裾は天の川のごとく夜空になびいていた。

「母上……」

 ロージャの口元からかすれ声が押し出される。太陽神は無言のまま、空をすべるように蛇の姿のままのロージャに近付くと、その鎌首に両手を回し、裂けた口の横に頬を寄せた。肩に羽織ったうすぎぬが夜風に揺れる。

 見上げる妖怪たちが唖然としている前で、太陽神は静かに口を開かれた。

「ロージャ、おまえは母の大切な子。良い子じゃ、共に帰ろう」

 御声みこえりんとひびき、かろやかな鈴ののよう。

 強大な蛇に化けたロージャは月をかくし空をふさぐ程、太陽神の華奢な姿は大蛇の金のまなこに飲み込まれそうにちいさい。だが頬にそっと触れられて、どくろを巻いた体は身震いするように夜空にとけた。人の姿に戻ったロージャは頬にそえられた母の白い手を握る。その途端、よろい盔《かぶき》も右手に握ったげきも水にとけゆく墨のように消え失せた。

 今日の衣は別布でふちどられた袖裾以外は純白、銅盔をかぶるためかいつもは無造作に束ねただけの髪も、頭の上で丸くまとめている。少し高い位置に浮かぶ太陽神を戸惑うようなまなざしで見上げるロージャは、邪神と呼ばれた神ではなかった。

「帰りましょう」

 太陽神はロージャの手を取る。

 パールは思った。ロージャ様のように強い神様でさえ、誰かに守られている。偉大なる太陽神とて、御子様たちに支えられているのだろう。世の中は皆つながっていて、誰かに守られ、だから誰かを守ることができる。

 私は夢という野望を追ううちに、そんな大切なことを忘れてたんだ……。いつも当たり前のように支えてくれる人がいたからここまで来られたのに。

 いくら個人主義を語っても理論は空回るばかり、神も妖怪も人も――生き物は皆、弱いものだからだ。

 大切な人を守りたい。形あるものもないものも、みんなを守りたい、だからそのために少しだけ強さが欲しい。

 二神は空の彼方へ消えていった。

 パールはいつまでも月の向こうを見上げている。

「助かった!」

 誰かが安堵のため息をもらすと自然拍手が湧き起こった。

「さすがは太陽神様じゃ」

「ロージャ様をあんなにあっさり連れ帰ってしまわれた」

 家は無事かと走り出す人、抱き合って喜びあう人、祝いの酒盛りの計画など立てだす人、明るいざわめきに囲まれて、パールたちの周りにも人が集まり出す。

 やがてヒノリュウがやってくると、今夜はたいした活躍もしなかったはずなのに、女の子たちは彼の周りに集まってゆく。

 その横で「おめぇのこと誤解してたみてぇだ」と、スイリュウの肩をたたく妖怪の若者たちの姿を見て、パールはほっとする。

 せめてスイリュウひとりくらいは守れるようになりたいな。

 心の中でつぶやいたとき、ぽん、と背中をたたかれた。

「パールちゃん、でかした! よっ、次期族長!」

 九尾狐ここのおきつね族のルリちゃんがいたずらっぽい笑みを浮かべている。

「そんなたいしたことしたわけじゃないよ」

「あれ~、どうしたの、らしくないじゃん。謙遜なんかしちゃって」

 妖怪の国に、再び笑顔が戻ってきた。
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