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九、宵都
29、銀の騎士はひとり邪神に挑む
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さくらんぼうをたらふくごちそうになって、日が落ちる頃、パールは表通りを歩いて家に帰ってきた。帳場にスイリュウがあぐらをかいて店番をしている。彼はこの家の居候となっていた。
「ただいまぁ」
お客さんがいないので、店の表から家に上がり、畳の後ろの唐紙を開けると、土間の方で米をといでいた母ちゃんが怖い顔で振り向いた。
「夕方の店番は任すって言っただろう」
「いいじゃん、スイリュウいるから」
「良くないよ」
急に小声になる。
「あんな怖い顔で通りをにらまれちゃあ、子供なんざ怖くて入ってこらんないじゃないか」
成程、客がいなかったのはそのせいか、と思う。
「夕飯買って来な、今日はむさし屋さんが全品三割引だって」
むさし屋とは、家の近くの惣菜屋さんだ。
お母ちゃんから鍋と財布を渡され家を出るとき、パールはわざわざ店の方を通った。相変わらず帳場でにらみを利かせているスイリュウの横をすり抜けざま、そっと耳打ちする。
「あんたが来てくれて、私は心強いよ」
スイリュウは財布につけた招き猫をみつけて、
「これ、あんたみたいだ」
と、指先ではじいた。鈴が鳴る。
上目遣いに少し笑ったように見えたスイリュウがかわいくて、パールは安心してしまった。
大丈夫、そんな馬鹿なことしないよね。
自分に言い聞かせるようにして表へ出る。暮れなずむ空の下、町屋の並んだ通りはにぎやかだ。歩くたび、財布につけた招き猫がちろりんちろりんと鈴を鳴らした。
だがパールの思いを裏切るようにそれは起こった。
パールは喧噪で目を覚ます。ここ数日の習慣で、目を開けると布団に寝ていることと、布団が畳の上に敷いてあることを確認してしまう。まだ野宿の感覚が体に残っていた。
だが今日は何かが違った。ただならぬ緊張感が、ロージャ様が襲ってきたあの夜を彷彿とさせる。
まだ、夜中じゃん……
身を起こすととなりの布団に母ちゃんの姿がない。ぼんやりしていると唐紙が開いて、板の間からすでに寝間着を着替えた母ちゃんが顔を出した。
「スイリュウさんがいなくなったよ」
硬い声に、パールの眠気は吹き飛んだ。
うそ、なんで。
「今父ちゃんが町の人たちと探しに行ってる。母ちゃんも行って来るよ。どうやらひとりでロージャ様に戦い挑みに行ったらしいね」
「私も――」
行く、と皆まで言わぬうちに、
「だめだよ、お前はそこで寝てな。どうせろくなこと考えてないんだから。お前の看病なんて仕事増やされちゃたまらないよ」
全くその通りだった。パールは町の人たちと共にスイリュウを説得する気など毛頭ない、ぜひ応戦、と意気込んでいたのだ。
母ちゃんが路地へ姿を消すと、パールは不安でいっぱいになり、布団にもぐっていられなくなった。起き出して行灯に灯をともす。店の陳列棚や勘定台が、見慣れぬ黒い影となってゆらぎ、不安に気味悪さをそえた。
やっぱり、手柄立てようとした。
予想できていたのに、スイリュウの心の動きに気付かぬ自分ではなかったのに、止められなかったのが悔しい。そして何より――
無事戻ってきたらぶん殴ってやる。
パールは唇をかんだ。
それから心配になる。一日目にロージャ様が奇襲攻撃を仕掛けてきた夜、スイリュウの具合は悪くなかったし、自分だって良く戦った。だが、ロージャ様は強かった。
それなのにひとりで行くなんて――
また不安が頭をもたげ、パールは自分のひざの上でスイリュウがまぶたを閉じたときの恐怖を思い出してしまった。じっとしていると黒い不安に押しつぶされそうになる。パールは立ち上がって着替え始めた。
最後に帯を結び終わるとまた、夜の中にひとり取り残されたような心持ちになる。遠くから届く喧噪が、孤独をいっそうかき立てた。
無事でいて、スイリュウ。早く来て、太陽神様。
神棚に向かって手を合わせたあとで、帳場の手提げ金庫の後ろをあさる。ここはパールの秘密の隠し場所だ。ひっぱり出してきたのは紙に包まれた何か。そっと開くと薄明かりの中でもあざやかにひきたつ青い髪が、細く切った和紙で束ねられている。これをみつめていると、わけもなく、くすぐったいのか嬉しいのかわくわくしてくる。両親にみつかっても友達にみつかっても、しぬ程恥ずかしいので、小さい頃からお気に入りのこの場所に隠したのだ。
パールはそれを再び紙に包むと懐にしまい、とうとう我慢できずに外へ出た。
風に乗って流れてくる喧噪を頼りに、西の方へ走り出した。
「ただいまぁ」
お客さんがいないので、店の表から家に上がり、畳の後ろの唐紙を開けると、土間の方で米をといでいた母ちゃんが怖い顔で振り向いた。
「夕方の店番は任すって言っただろう」
「いいじゃん、スイリュウいるから」
「良くないよ」
急に小声になる。
「あんな怖い顔で通りをにらまれちゃあ、子供なんざ怖くて入ってこらんないじゃないか」
成程、客がいなかったのはそのせいか、と思う。
「夕飯買って来な、今日はむさし屋さんが全品三割引だって」
むさし屋とは、家の近くの惣菜屋さんだ。
お母ちゃんから鍋と財布を渡され家を出るとき、パールはわざわざ店の方を通った。相変わらず帳場でにらみを利かせているスイリュウの横をすり抜けざま、そっと耳打ちする。
「あんたが来てくれて、私は心強いよ」
スイリュウは財布につけた招き猫をみつけて、
「これ、あんたみたいだ」
と、指先ではじいた。鈴が鳴る。
上目遣いに少し笑ったように見えたスイリュウがかわいくて、パールは安心してしまった。
大丈夫、そんな馬鹿なことしないよね。
自分に言い聞かせるようにして表へ出る。暮れなずむ空の下、町屋の並んだ通りはにぎやかだ。歩くたび、財布につけた招き猫がちろりんちろりんと鈴を鳴らした。
だがパールの思いを裏切るようにそれは起こった。
パールは喧噪で目を覚ます。ここ数日の習慣で、目を開けると布団に寝ていることと、布団が畳の上に敷いてあることを確認してしまう。まだ野宿の感覚が体に残っていた。
だが今日は何かが違った。ただならぬ緊張感が、ロージャ様が襲ってきたあの夜を彷彿とさせる。
まだ、夜中じゃん……
身を起こすととなりの布団に母ちゃんの姿がない。ぼんやりしていると唐紙が開いて、板の間からすでに寝間着を着替えた母ちゃんが顔を出した。
「スイリュウさんがいなくなったよ」
硬い声に、パールの眠気は吹き飛んだ。
うそ、なんで。
「今父ちゃんが町の人たちと探しに行ってる。母ちゃんも行って来るよ。どうやらひとりでロージャ様に戦い挑みに行ったらしいね」
「私も――」
行く、と皆まで言わぬうちに、
「だめだよ、お前はそこで寝てな。どうせろくなこと考えてないんだから。お前の看病なんて仕事増やされちゃたまらないよ」
全くその通りだった。パールは町の人たちと共にスイリュウを説得する気など毛頭ない、ぜひ応戦、と意気込んでいたのだ。
母ちゃんが路地へ姿を消すと、パールは不安でいっぱいになり、布団にもぐっていられなくなった。起き出して行灯に灯をともす。店の陳列棚や勘定台が、見慣れぬ黒い影となってゆらぎ、不安に気味悪さをそえた。
やっぱり、手柄立てようとした。
予想できていたのに、スイリュウの心の動きに気付かぬ自分ではなかったのに、止められなかったのが悔しい。そして何より――
無事戻ってきたらぶん殴ってやる。
パールは唇をかんだ。
それから心配になる。一日目にロージャ様が奇襲攻撃を仕掛けてきた夜、スイリュウの具合は悪くなかったし、自分だって良く戦った。だが、ロージャ様は強かった。
それなのにひとりで行くなんて――
また不安が頭をもたげ、パールは自分のひざの上でスイリュウがまぶたを閉じたときの恐怖を思い出してしまった。じっとしていると黒い不安に押しつぶされそうになる。パールは立ち上がって着替え始めた。
最後に帯を結び終わるとまた、夜の中にひとり取り残されたような心持ちになる。遠くから届く喧噪が、孤独をいっそうかき立てた。
無事でいて、スイリュウ。早く来て、太陽神様。
神棚に向かって手を合わせたあとで、帳場の手提げ金庫の後ろをあさる。ここはパールの秘密の隠し場所だ。ひっぱり出してきたのは紙に包まれた何か。そっと開くと薄明かりの中でもあざやかにひきたつ青い髪が、細く切った和紙で束ねられている。これをみつめていると、わけもなく、くすぐったいのか嬉しいのかわくわくしてくる。両親にみつかっても友達にみつかっても、しぬ程恥ずかしいので、小さい頃からお気に入りのこの場所に隠したのだ。
パールはそれを再び紙に包むと懐にしまい、とうとう我慢できずに外へ出た。
風に乗って流れてくる喧噪を頼りに、西の方へ走り出した。
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