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七、帰路

24、邪神、みたびあらわる

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 その夜も押しつぶされるような緊張で、パールは浅い眠りを破られた。

 急いで寝袋を這い出すと、となりの寝袋の中でスイリュウは規則正しい寝息をたてているようだ。熱があるせいで眠りが深いのだろう。

「何しに来たの?」

 パールは静かに、夜空に浮かぶ男を見上げた。
 
「昨日の恨みを晴らしに来たんなら帰って。あなたを怒らせた私が悪かったから」

「今日はやけに殊勝しゅしょうじゃないか」

 あの憎たらしい声が降ってきた。

 事実、パールには病身のスイリュウをかばってロージャの攻撃を防ぐほどの自信はない。

「ごめんなさい、愚かなわたくしをお許し下さい。偉大なる闇の神様」

 冷たい地面に額をこすりつけると、夜空からは嘲笑が響いた。

「ははは。いいぞ、確かにお前らは愚か者だ。だがなあ、俺はそんなことで帰ったりはしねえ。弱いもんいじめほど面しれぇもんはないからな」

 くそっ、どこまでも性格歪んでる奴……

 思わず頭に血がのぼるが、パールは何とか怒りが爆発するのを押さえた。

 こんなガキみてぇな奴に本気になんかなってやるもんか。

 今日は何とかして、いかずちを落とさずに帰ってもらいたい。パールは素早く頭を回転させた。

狭間はざまの国は太陽神様の治められる地。そこで私のようなかよわい妖怪に手を上げてることが分かったら、神籍を剥奪はくだつされるよ」

 神籍から除名されれば、神としての力を失い天に住むこともあたわず、地上に落とされることとなる。

「けっ。須弥山しゅみせんに眠ってるばばあに何が知れるってんだよ」

 眠っているわけではないが、太陽神が須弥山しゅみせんから出られることは滅多にない。須弥山しゅみせんが狭間の国に最も近いため、狭間の国は太陽神の守護するところとなる。

「魂が浮かんでったりしない限り、俺の悪さがばれることはねえ。死なねぇくらいに遊んでやるよ」

 悪役然とした台詞を吐く男神おがみの声に、パールはちいさな焦りを読みとった。

 だがロージャはそれを打ち消すように高らかに笑い、蛇の姿へと形を変える。

 まずい……

 パールは次の作戦に移った。

「今日もお日様に当たりたいの?」

「馬鹿か、お前は。まだまだ日は昇らん。今日は時間を選んでやってきたんだ」

 パールは静かにロージャを見上げたままだ。
 
「ロージャ様、昨日の朝日が本物とお思いか?」

「何!?」

 蛇の姿でロージャはうめいた。しばしパールをじっとみつめていたが、大きく息を吸い込んだ。
 
「この俺をだます奴は――」

「きゃっ」

 パールは思わず、後ろに横たわるスイリュウをかばうようにして身を伏せた。

「あんた――」

 いつの間にやら目を覚ましたスイリュウが何か言いかけたとき、突きあげるような爆音と共にまぶしすぎる光が近くの木に落雷した。続いて幹がまっぷたつに割れる。

「心配ない」

 パールは言い聞かせるようにスイリュウの肩をたたいた。

「もし俺をだまそうというなら、あの木のようになるぞ」

 根本近くまで裂け、燃えあがる潅木かんぼくをあごで示す。紅い炎は夜の中で、魔物の舌のように妖しくゆらめいた。

「おまえのような小さい妖怪ごときに日があやつれるものか。下手な口車にはのらんぞ」

 だがパールは眉ひとつ動かさない。

「あやつったんじゃない。私がつくったんだ」

「はっ。まさか」

 笑い飛ばしたその声に、先程よりなお濃く焦燥の色がにじみ出る。

「なぜ私のような子供が、こんな重大な任務を任されたと思われる」

 ロージャは沈黙したまま、真実を見極めようと、広い夜の中にたたずむ小さな影をじっと見つめる。

「ロージャ様――」

 パールは片ひざついて、ゆるく握った右手の上に左手を重ね、こうべを垂れる。

「何度も神にあだなすような妖術を使えば、神罰によりこの身が滅ぶやもしれませぬ。昨夜は我が妖術によりロージャ様をだます結果となり、それが悔やまれ、たった今、その種明かしをさせて頂きました。もうわたくしはあのような術を使いたくはありませぬ。どうぞお引き取り願えませぬか」

 慣れぬ敬語で一生懸命礼を尽くすと、思惑通りロージャは気をよくした。

「ほぉう。そうだな、では俺の問いに答えてもらおうか」

 ロージャが再び人の形に戻ったので、パールは心底ほっとした。

「お前は西に行ったな? ダイジャたちはそのわけを何度もお前に問うたはずだ」

 パールは片ひざついて下を向いたまま、唇をかんだ。

 ヒノリュウ様の名を出せば、ロージャの攻撃は彼にも及ぶだろう。そうしたら、決して妖怪の国には来てもらえないかもしれない…… 最悪の場合には、来られなくなってしまうかも――

「言っておくが偽りなど申したら、その身が焼けこげるぞ……?」

 着物の裾を引かれて振り向くと、スイリュウが寝袋から体を半分出して見上げている。

「言え」

 パールの戸惑いを見かしたように、

「俺でさえダイジャをくだした。あいつならロージャにでさえ太刀打ちできるだろう」

 その口調がこれほど自信に満ちていなかったら、パールは決してヒノリュウの名を口にはしなかっただろう。スイリュウの声には、いつものような嫉妬や狡猾こうかつさなど微塵みじんもなく、パールに兄の力を信用させるに充分だった。

 パールはスイリュウにうなずくと、再び顔を上向けた。

「私は、人の国の金の騎士、ヒノリュウ様に助けを求めにゆきました」

 明確な言葉で旅の理由を聞かされたスイリュウの顔に、かすかに苦しみが浮かんだ。それはやがて淋しげなものへと変わる。

「金の騎士か。面白い」

 満足げにつぶやいたロージャの姿は、夜空の闇へとけてゆく。

 ロージャ様がだまされやすい上、知りたがりやでよかった……

 ため息ついて振り向くと、スイリュウが腰から上を寝袋から出したまま、もう寝息をたてている。パールは慌てて小梅の着物を掛けてから、その肩を揺さぶった。

 重たそうにあげたまぶたの下から、スイリュウは熱でうるんだ瞳をパールに向けた。

「ちゃんと入って。明日小さな町に着いたら医者に診てもらおうね」

「平気だ……」

 かすれた声も、ろれつが怪しい。

 片方の目にかかった青い髪をそっとのけてやる。ふれるところ全てが異様に熱い。

「全然平気じゃない。これ以上悪くなられたら、ほんと胸くそ悪いったらない」

「あんたが俺の寝袋奪ったんだもんな」

 嫌味っぽい笑い方も弱々しく映って、パールはやりきれない。

「あんたが人の着物、素直に受け取んないから」

「そんなことあったかな」

 スイリュウは寝袋の中にもぐりこんだ。

「もう明日からは野宿なんてやめようね。ロージャ様出るし」

「宿屋に泊まれば出ないってもんなのか?」

 寝袋の中からくぐもった声が届く。

「まさか旅籠はたご焼き討ちなんて派手な真似、太陽神様の治められる狭間の国じゃあ出来ないはずだよ。私がさっきたっぷり脅しておいたし。少なくとも野宿よか安全に決まってらあって―― スイリュウ……?」

 規則正しく上下するとなりの寝袋に目をやって、パールは少しだけほほ笑んだ。

 もう寝てらあ。

「おやすみ」

 大きく枝を広げた木の下で、パールは静かにつぶやいた。

 炎の消えたあとには、草地に一本、焼けこげた黒い幹が残されていた。
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