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七、帰路

22、邪神の胸中

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 先程の震えはおさまり、パールは自分でも不審なほど落ち着いていた。スイリュウの肩を抱き、再び九字を切る。腕に触れたその肩が異様に熱いと気付いたとき、後ろで無念の叫びがあがった。

 来るはずのものが来なかった。パールは安堵と共に、不敵にも残念と感じた。力を示すことが出来なかった。

 スイリュウが目を細めている。

 パールが振り向いた先で、邪神ロージャは蛇の姿のまま夜明けの空にかき消え、遠くにそびえる山の向こうから金色の朝日が顔を出していた。

「消えた……」

 空を見上げたままぽつりとつぶやいたスイリュウに、

「闇の神ロージャ様は、本来いんをつかさどる神様だからね。夜や冬を支配するんだ。だから朝には出てこられない」

 パールは言葉を切り、土の上にぼんやりと座っているスイリュウをのぞき込んだ。その額に、おもむろに手を当てる。

「熱い」

 自分の額にも触れ、

「スイリュウ、あんた熱あるんじゃない?」

 スイリュウは気まずそうに視線をそらした。

「声もなんか変だよ。子供でもないのに風邪なんかひかないでよ。昨日寒かったんじゃないの? 私が着物貸したげるってったのに断るから。それから戦ってるときに私だけ逃げろなんて言わないでね。妖力強いし、はっきり言って、私腕には自信があるから」

「でもあんたにもしものことがあったら、俺の武勲もすべておさらばだ」

「とかいって自分が死んじゃったら元も子もないでしょ」

 スイリュウは立ち上がり、先程投じた剣を拾いにゆく。

「あいつは一応神なんだろ? 本当に人や妖怪を殺すのか?」

「分かんない。今まで殺された人の話は聞かないから、ただ私たちを困らせて面白がってるだけだと思う。でもロージャ様は怒ると際限ない。てめぇを見失ってやがる。だから怖いんだ」

「そうか。そんな厄介な神様を、妖怪たちはなぜ怒らせてしまったんだ? 供物くもつが少なかったっていうのは――」

「そう――」

 パールは弟神のニャクジャ様よりロージャ様に捧げる供物くもつが数年ごしで少なかったことを話した。

「ロージャ様に捧げる作物を担当しているのは、九尾狐ここのおきつね族の人たちが主に住む、都のすぐ西に広がる農村地帯なんだ。一方、ニャクジャ様担当は、妖怪の国の東北の方。近頃都周辺はどうも気候がかんばしくなくってね……。それなのに東北では米がわんさとれるもんだから、捧げる作物の量に差が出ちゃって、前から評判の良くなかったロージャ様は、自分がないがしろにされたと思ってらっしゃるんだよ」

 二人は荷物をまとめて、あまり暑くならないうちに出発することにした。

「ニャクジャ様というのはどんな神様なんだ?」

 パンをかじりながらスイリュウが尋ねる。朝食はまた、スイリュウの買いだめた硬いパンと水だった。パールはもう、文句を言う気も起きない。

「一言で言うなら穏和な神様。どんなことがあってもほほ笑んでいらっしゃる」

 光の神マーガレットのように、ロージャ神に腹を立てその処遇に悩むこともない。全てを許すといえば聞こえはいいが、妖怪たちには理解しがたく、妖怪の国に下りてくることも少ない、三柱の神のうちもっとも遠い神様だった。

「やはりな」

「何? やっぱりって」

「ロージャは確かに怒っている。その怒りは妖怪たちに向けられているが、本当はあんたたちに怒っているんじゃない。自分自身に怒っているんだ。ニャクジャ様の方が、妖怪たちに慕われているんだろう?」

 スイリュウの後ろでパールは首をかしげた。

「慕われてるってわけじゃないけど、まあ少なくともロージャ様みたいに嫌われてはないよ。慕われてるってえなら、光の神マーガレット様はみんな大好きだよ。やさしくて正しくて清らかで。ロージャ様ニャクジャ様の姉神様なんだけど」

「そんな二人に囲まれて、ロージャは息苦しいんじゃないか? 多分妖怪たちに好かれるようふるまえる二人に嫉妬しているんだろう」

「そんなら私たちにやさしくすればいいのに」

 パールは水筒の水をぐいとあおった。

「一人で生きてきたと自負している奴には、自分で作った壁を壊すのはそう簡単なことじゃあない。何年も憎まれ役を続けてりゃあ、周りもそういう目で見ているしな」

「だからロージャ様は子供なんだよ。そんなの勇気がないだけじゃん。いくら雷が落とせたってさ」

「弱い自分を自覚しているから、力をふりかざすのさ」

「そんなことくらいでしか、やさしいマーガレット様に勝てないからね。マーガレット様はロージャ様にだってやさしいんだ」

 スイリュウははたと口を閉ざした。

 昨日と変わらぬ草地を射す日差しは、次第に強くなる。

 うつむいていたスイリュウが、再び口を開いた。

「ロージャは二人の良く出来た姉弟神きょうだいがみに囲まれて、二人のようになれない自分に忸怩じくじたる思いを抱いているはずだ。多分、彼は自分が嫌いだよ」

 あの自信に満ちあふれた神様が……?

 だがロージャの攻撃は、躍起になったようで、自信ある人に見られるような余裕がなかった。

「変なの」

 パールは町の年寄りから聞かされた神話を思い出す。

 まだ人や妖怪がこの地に生まれる前、九つの宝玉で出来た心臓を持つ太陽神は、男神おがみと交わることなく御子をもうけた。その子は九つの宝玉のひとつ、紅玉で出来た心臓を持って生まれ、今の人の国を治めることとなる。それから太陽神は二つめの心臓、青玉を三つに砕いて三柱の神を創り、今の妖怪の国を治めさせる。だから今の太陽神はその胸に、こんごん、瑠璃、玻璃はり硨磲しゃこ赤珠しゃくしゅ、瑪瑙の七つの宝玉を持つという。

「太陽神様が三柱の神をお創りになったのは、陰陽をつかさどる二柱の神、それと陰と陽の交替をなめらかに行うための神っていうふうに、三人の神様が必要だったからでしょ。だからロージャ様にはロージャ様にしか出来ないことがあるんだよ。それなのに他の二柱の神をうらやんて自分を否定するのはおかしいよ」

「そうかな。二人が持つ力の方がずっと価値あるものだとしても……?」

「太陽神様は、ひとつの宝玉を三分割して三柱の神々をお創りになったっていうよ。だから持つものの価値が違うわけないじゃん」

 なんでそんなにロージャ様に肩入れするの? と尋ねようとして、パールは別のことを言った。

「人でも同じだと思う。神様は理由あってひとつひとつの生き物を創ってるんだから、価値ない人間も特別な人間もいないはずだよ。ただ持って生まれたものを活かせるかでしょ。大切なのは、嫌いな部分があっても、自分から逃げないことだよ」

 もしかしたら、強がって本音を出せない私も、ひとつの私なんじゃないか……?

 パールはまたひとつ、新しい自分に気がついた。

 だったら、素直に涙見せる子をまねすることは、自分を否定することになるのかなぁ。
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