上 下
19 / 41
六、銀の騎士

19、ふたり並んで歩こう

しおりを挟む
 少しでも早く妖怪の国へ行きつくために馬上でとるつもりで用意した昼食を、馬を失ったふたりは休演中の野外劇場の最後列で食べることにした。

 窪地の斜面に並ぶ石段ははるか下まで続き、それの尽きるところが半円形の舞台となっている。舞台のうしろには、石造りの建物が重厚な構えを見せ、窪地をふさいでいる。その等間隔に建てられた白い石柱は、大理石の観客席によく映り、最上階からのながめは壮観だった。

「ごめんね」

 ぽつんとつぶやいたパールの横顔に、並んで座るスイリュウは少し驚いたように目をやった。

「馬、逃がしちゃって」

 だがその言葉に、彼はまたむっとする。革袋から取り出したチーズを割ってパールに手渡す。それにかじりついたパールは、

「なにこれ」

 と、手に持った残りをまじまじと見た。

「山羊のチーズだそうだ。嫌なら俺が食う」

「やだよ。私食べるってば」

 それから子供が売り歩いていたパンを取り出し、うち一つをパールに渡す。

 食べ終わるころ、先程から始終黙ったままのスイリュウにたまりかねて、パールは口を開いた。

「ねえ、まだ怒ってる?」

「いや。あんたには腹など立ててないさ」

 その声がやはり、昨夜より愛想がない。

「私にはってことはなに、馬に怒ってるの? ダイジャに怒ってるの? あ、さっきなんか言われてたけどもしかしてそれ?」

「いや。ただ自分の愚かさが嫌になってるだけだよ」

「なにそれ」

 スイリュウは何も答えずに立ち上がると、革袋を背負った。

「行くか」

 パールもしぶしぶ後に続く。スイリュウの背中をながめながら、本当に話したくないのか、本当は話したいのかを見極めようとする。

 だが、一人で考えたい問題に首を突っ込まれれば、うっとうしいばかり、無視された方がいいだろう。誰かに話したい問題にせよ、言うべきときくらい自分で判断する、やはり何も言わずにおくべきだろう、そう考えて、結局パールは何も言わなかった。それがパールにはやさしさのつもりだった。

 町はずれに近付くにつれ、重厚な石造りの建物は今にも崩れ落ちそうな傾いた家屋へ、石畳の道は砂ぼこりの舞い上がるせまい路地へと取って代わられてゆく。

「あんたは国の者たちのために、こんな危険をおかしているのか?」

 野外劇場を後にしてからずっと黙り込んでいたスイリュウが唐突に口を開いた。

「うん。――て言いたいとこなんだけど、実はそんな真摯な理由じゃないんだな。私、族長になりたいの」

「族長?」

「うん。ねこまんま族の族長。妖怪の国自体をべるのはジュオー様だけど、一族ごとにそれぞれまとめる人がいるの。それが族長。前の族長が次の族長を指名したり、みんなで選んだり、いざこざが起きたときはジュオー様が調停に入って次の族長を指名されたりもする。それはその一族ごとによっても違うし、現在の族長さんによっても色々違う。今ねこまんま族の族長をやってんのは、メノウさんっていう私の友達の父ちゃんなんだけど、彼はねこまんま族のみんなやほかの部族の人たち、それからジュオー様も含めたいろんな人たちの意見をいれて、次期族長候補を任命するつもりでいるの。だから族長になりたい者は妖怪の国中の人たちに認められるようなすごいことをしなくちゃいけないと思ったんだ、私は。だから、ヒノリュウ様を呼んでくるってゆー大役に立候補したの」

 ふふ、とスイリュウが笑った。

「なぁに?」

 と、不審な目を向けるパールの前で体をのけぞらし、はははと大声をあげる。

 うらさびしい路地裏に響くその声は、不気味であり同時にむなしくもあった。

「安心したよ。結局みな、己の野望を叶えたいだけなのさ」

「そんなふうに言わないでよ」

 パールはむっとした。
 
「金の騎士ってたたえられるお兄さんに嫉妬して、つぶそうなんてたくらんでるあんたと違って、私には族長になるっていうおっきな夢があるんだからね。族長になって、ねこまんま族の人たちがもっと幸せになれるようにするんだよ!」

 パールは胸にぽっかりと黒い穴が開いたような気がした。

 いいんだよ、私はみんなのために族長になるんでしょ!

 言い聞かせてみてはじめて、自分がなぜ族長になりたいのか、族長になって何をするのか、ほとんど考えていないことに気がついた。

 人の国へ行くのが、皆のためではなく族長になるためだということに、罪悪感を感じていた。だが族長になるのは何の為なのか。

 「みんなのため」でないことだけは確かだった。

 パールは族長になりたいと思い始めた幼い頃を思い出す。都で大火事が起きたとき、人々をまとめて避難させる族長さんたちがかっこよかった、自分で何もかも決めるのが好きだった、人に指図するのが好きだった、自分は皆より頭がいいと思っていた…… それらのどこに、族長になる理由が潜んでいるというのだろう。

 メノウさんやコハクさんはどうして族長になったのかな。私みたいに自分から望んだのかな。訊いてみなきゃ。

「そう思いたければそう思っていればいい」

 スイリュウの冷たい声に、パールは我に返る。自分の内面を見透かされたようで憎らしい横顔を見上げながら、

 私の迷いを悟られるわけにはいかねぇ。こいつぁあなんとかぎゃふんと言わせてやんなきゃあ。

 と、闘志を燃やす。

「あのねえ、あんたのような剣一本の野蛮な人間には、私のような人道的立場はどうせ理解出来ないんだよ」

「そうかもな。『お兄さんに嫉妬してつぶそうなんてたくらんでる』俺にはな」

 相手が怒りもしなければ悔しがりもしないので、パールはなおさら面白くない。

「ふん。何いきがってんだよ」

 別方向から攻撃すると、

「いきがってやいないさ。ただ思いたいように思ってくれ、と言っているだけだ」

 あれ……?

 パールはちょっと首をかしげた。

 思いたいように思えとは、族長になりたい理由についてではなく、スイリュウ自身のことだったらしい。

 せまい道の両側には、内側に倒れ込むように小さな家々が建ち並んでいる。もとは白かったであろう石壁も灰色に変わり、上から青や黄の塗料を塗った家も多い。だがそれは斜めになった木の扉をいっそう古びて見せ、色がはがれ落ちた壁は灰色よりなお哀愁をかきたてる。

  猫が一匹、路地を横切っていった。

「そんなふうに他人ひとを突き放さないでよ」

 スイリュウは何も言わない。

 パールには、昨夜の彼が別人のように思われた。

「そんな悪い奴じゃないと思ったのにな」

 前を歩くスイリュウには聞こえぬよう小声でつぶやく。

「それをあんたに言われる筋合いはない」

 げっ! 聞こえてた。

「なんだよ。名誉だけのために私を救ったくせに」

 スイリュウが足を止め振り向いた。パールはまたたたかれてはたまらぬと、思わず身構える。

「なんだ、俺が怖いのか」

 自分を見下ろす瞳を、パールはやはり冷たいと思った。

「怖かないけど、たたかれるのは嫌だ」

 パールも精一杯、怖い目をしているつもりだ。

 じっと見下ろす視線を、ふいにスイリュウははずした。

「ぶったことは悪かった」

「え……」

 パールは戸惑う。
 
「何あんた、謝ってんの」

 口をとがらしてから、これでは私の方が悪役だ、と思いなおす。

「私も―― あんたが昨夜はせっかく……ええっと―― まあ今日は逃げたりして。ああ―― 別にだまそうとしたわけじゃあ……」

「もういい」

 スイリュウはふいと前に向き直った。足早に歩き出したそのあとを追い、風のからむマントをつかむ。右を見上げ、何か言おうとするが、言葉がうまくでてこない。左手でうるさそうに顔を覆ったスイリュウをのぞきこむと、彼はなかばまぶたを落として、うつむいているようにも見えた。

 パールは胸に痛みを感じる。

 人の心にも気付けないようで、私本当に族長になれるんだろうか……

「ごめんね」

 ぽつりとつぶやくと、スイリュウはまた、少し驚いたような顔で振り返った。

「あんたのこと信じられなくて。裏切るようなまねして」

 スイリュウは静かに首を振る。青い髪が、肩の上で揺れた。そして、昨日の言葉をもう一度繰り返した。

「妖怪の国まで俺を案内してくれるか?」

「うん!」

 パールは大きくうなずく。スイリュウはうつむくような仕草でそっとうなずいた。ゆっくりと腰の剣を抜くと、刃の曇りは水墨画に描かれた雲のように、たちまち霧散していった。神籍にあるものを斬ったゆえだろう。

 目を丸くしているパールの前で、彼は頭の後ろで無造作に髪をつかみあげ、刃をうなじにあてると顔を上向け右手をはねあげた。左手に残った青い絹糸の束を、パールに向かってつきだす。

 きょとんと見返すパールに、

「礼金の替わりだ。昨夜、綺麗だと言ってくれたろう?」

「うん……」

 パールはくすぐったいような気持ちでそれを受け取る。

 雲間から太陽が再び顔を出すと、光の帯は路地裏のすみずみまで差し込んできた。金色の光の中で、ほこりがちらちらと舞っている。

 スイリュウと並んで歩いてゆくと、家の前の階段に腰掛けて、男の子が果物をかじっている。更にゆくと、荷馬車にさまざまな香辛料を積んだ若い母親とその娘に会った。

 それは異国の情景ではあったが、なつかしい妖怪の国の路地裏を彷彿とさせた。店は通りに面しているが、家族が使う木戸は汚いけれどあたたかい、こんな路地に向かってひらく。表通りのはす向かいにある魚屋さんで買ってきたさんまをあの路地で、七輪を使って、うちわでぱたぱたあおぎながら焼けば、香ばしくてやたらと食欲をさそう煙が、秋の空へとのぼってゆくのだ。

 ああ…… さんま食いてぇ。

 パールの胸に熱い望郷の念が湧き起こった。それは胸を刺すような痛みではなく、泣き出しそうなほどあたたかくて、同時に胸躍るような感覚だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

普通じゃない世界

鳥柄ささみ
児童書・童話
リュウ、ヒナ、ヨシは同じクラスの仲良し3人組。 ヤンチャで運動神経がいいリュウに、優等生ぶってるけどおてんばなところもあるヒナ、そして成績優秀だけど運動苦手なヨシ。 もうすぐ1学期も終わるかというある日、とある噂を聞いたとヒナが教えてくれる。 その噂とは、神社の裏手にある水たまりには年中氷が張っていて、そこから異世界に行けるというもの。 それぞれ好奇心のままその氷の上に乗ると、突然氷が割れて3人は異世界へ真っ逆さまに落ちてしまったのだった。 ※カクヨムにも掲載中

異世界シンデレラ ~呪われし血と灰の子 王国の予言~

bekichi
児童書・童話
エルドール王国は暗黒の魔法に覆われ、人々は恐怖に怯えていた。この絶望の中、古の予言が語られる。「呪われし血を引く者」と「灰から生まれし者」が王国の運命を左右するという。マリアンナは自分がその呪われた血を引く者であることを悟り、シンデレラは「灰から」という言葉に導かれる形で運命が動き出す兆しを見る。二人はそれぞれの運命に向き合い、暗黒を砕く冒険に足を踏み出していた。運命の夜明けが彼女たちを待っている。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

声優召喚!

白川ちさと
児童書・童話
 星崎夢乃はいま売り出し中の、女性声優。  仕事があるって言うのに、妖精のエルメラによって精霊たちが暴れる異世界に召喚されてしまった。しかも十二歳の姿に若返っている。  ユメノは精霊使いの巫女として、暴れる精霊を鎮めることに。――それには声に魂を込めることが重要。声優である彼女には精霊使いの素質が十二分にあった。次々に精霊たちを使役していくユメノ。しかし、彼女にとっては仕事が一番。アニメもない異世界にいるわけにはいかない。  ユメノは元の世界に帰るため、精霊の四人の王ウンディーネ、シルフ、サラマンダー、ノームに会いに妖精エルメラと旅に出る。

月神山の不気味な洋館

ひろみ透夏
児童書・童話
初めての夜は不気味な洋館で?! 満月の夜、級友サトミの家の裏庭上空でおこる怪現象を見せられたケンヂは、正体を確かめようと登った木の上で奇妙な物体と遭遇。足を踏み外し落下してしまう……。  話は昼間にさかのぼる。 両親が泊まりがけの旅行へ出かけた日、ケンヂは友人から『旅行中の両親が深夜に帰ってきて、あの世に連れて行く』という怪談を聞かされる。 その日の放課後、ふだん男子と会話などしない、おとなしい性格の級友サトミから、とつぜん話があると呼び出されたケンヂ。その話とは『今夜、私のうちに泊りにきて』という、とんでもない要求だった。

がらくた屋 ふしぎ堂のヒミツ

三柴 ヲト
児童書・童話
『がらくた屋ふしぎ堂』  ――それは、ちょっと変わった不思議なお店。  おもちゃ、駄菓子、古本、文房具、骨董品……。子どもが気になるものはなんでもそろっていて、店主であるミチばあちゃんが不在の時は、太った変な招き猫〝にゃすけ〟が代わりに商品を案内してくれる。  ミチばあちゃんの孫である小学6年生の風間吏斗(かざまりと)は、わくわく探しのため毎日のように『ふしぎ堂』へ通う。  お店に並んだ商品の中には、普通のがらくたに混じって『神商品(アイテム)』と呼ばれるレアなお宝もたくさん隠されていて、悪戯好きのリトはクラスメイトの男友達・ルカを巻き込んで、神商品を使ってはおかしな事件を起こしたり、逆にみんなの困りごとを解決したり、毎日を刺激的に楽しく過ごす。  そんなある日のこと、リトとルカのクラスメイトであるお金持ちのお嬢様アンが行方不明になるという騒ぎが起こる。  彼女の足取りを追うリトは、やがてふしぎ堂の裏庭にある『蔵』に隠された〝ヒミツの扉〟に辿り着くのだが、扉の向こう側には『異世界』や過去未来の『時空を超えた世界』が広がっていて――⁉︎  いたずら好きのリト、心優しい少年ルカ、いじっぱりなお嬢様アンの三人組が織りなす、事件、ふしぎ、夢、冒険、恋、わくわく、どきどきが全部詰まった、少年少女向けの現代和風ファンタジー。

猫っぽいよね?美鈴君

ハルアキ
児童書・童話
うちのクラスの美鈴君は、猫っぽい。 でも、本当にちょっと猫だったなんて…?!

【奨励賞】おとぎの店の白雪姫

ゆちば
児童書・童話
【第15回絵本・児童書大賞 奨励賞】 母親を亡くした小学生、白雪ましろは、おとぎ商店街でレストランを経営する叔父、白雪凛悟(りんごおじさん)に引き取られる。 ぎこちない二人の生活が始まるが、ひょんなことからりんごおじさんのお店――ファミリーレストラン《りんごの木》のお手伝いをすることになったましろ。パティシエ高校生、最速のパート主婦、そしてイケメンだけど料理脳のりんごおじさんと共に、一癖も二癖もあるお客さんをおもてなし! そしてめくるめく日常の中で、ましろはりんごおじさんとの『家族』の形を見出していく――。 小さな白雪姫が『家族』のために奔走する、おいしいほっこり物語。はじまりはじまり! 他のサイトにも掲載しています。 表紙イラストは今市阿寒様です。 絵本児童書大賞で奨励賞をいただきました。

処理中です...