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六、銀の騎士

15、助けに来たのは銀の騎士

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 次の朝、パールはかたんという音で目を覚ました。金属が石にあたったようなかすかな音だ。ぼんやりと目を開け体を起こす。そして反射的に窓の方を振り向いた。

 窓の向こう、早朝の淡い空を背に、十七、八の青い髪の男がのぞいている。

 私の祈りが届いたの……? お月様が届けてくれたの……?

 パールは息を呑む。

 でもヒノリュウ様じゃない、この男――

 彼と、目が合う。鉄格子越しに。

「助かりたいか?」

 訊かないでも分かることを訊く。だがパールは驚きと興奮と喜びで、怒ることさえ忘れていた。

「もちろん」

 答えた声が震えている。

 男は左手でロープをつかんだまま腰からすらりと剣を抜いた。無造作に構え――

 刃が閃く。斜めに十字を切った。

 かんかんと二回、ガラスを打ったような澄んだ響きだけが耳に残った。

「その鉄格子をはずせ」

 呆然としているパールに彼はてきぱきと指示をくだす。

「え……」

「早く」

 いら立つ声に押されるように、パールは鉄格子に手をかけた。その両手に力を込めようとした瞬間、あまりにあっさりとそれは窓枠からはずれた。パールは拍子抜けしてたたらを踏む。

「逃げるぞ」

 剣を腰に戻して右手を差し出す。
 
 パールがその手をにぎろうとしたとき、彼はすっと手を引っ込めてしまった。

「えっ……」

 小さく声をあげるパールに、男は尋ねた。

「俺を妖怪の国まで案内してくれるか?」

「なんで? あんた私を助けに来てくれたんじゃないの?」

「もちろんその通りだ。名誉だけのためにな」

「ひどい奴」

 パールは心の底からにらみつけた。自分が族長になるためだけにここまでやってきたことなど忘れて。

「私は国に金の騎士ヒノリュウ様をお招きする約束なの。国のみんなとの。あんたは見たところかなりの剣士みたいだけど、いくら何でもヒノリュウ様にはかなうまい。妖怪の国に同行することは構わないけど、私とヒノリュウ様の邪魔になんないようにしてね」

 男は唇をかんだままじっと黙っていた。

 その沈黙の長さにパールは不安になる。

 こんな悪態つくの、助けてもらってからにすりゃあ良かった……

 眉根を寄せてうつむいていた男がふいにおもてを上げる。

 冷たい眼……

 パールは自分を真剣に見つめる青い瞳に眉をひそめた。

「俺では不足か?」

「だって、ヒノリュウ様を連れて帰るのが私の役目だもん」

「それじゃあ助けられないな」

 突き放すように言って、再びロープにすがり下りようとする。
 
「ああ、それから言っておくがな」

 思い出したように、

「この塔から抜け出せても無事人の国にたどり着けるなんて思うなよ。あんたはこのスイリュウを敵にまわしたんだからな」

 不適な笑みを浮かべ下りてゆく。

 嘘、行っちゃうの?

 パールはスイリュウの様子をじっと観察する。これは演出で、すぐに戻って来てくれるのではないかと。だが彼は淡々とロープをたぐって自分から遠ざかるばかりだ。

「待って!」

 たまりかねて叫んだ声に、スイリュウは体一つ分ほど下りたところで顔を上向けた。

「なんだ? 未練があるのか?」

「うん、ある、ありまくる」

 スイリュウの目に楽しそうな光がちらついた。銀糸で刺繍を施したマントが風にはためく。

 パールは苦いものを飲み込んだ。

「私をここから出して。ちゃんとあんたを妖怪の国に連れてくから」

 結局私には、荷の重すぎる仕事だったんだ。

 悔しくて悔しくて、パールは涙をこぼしそうになる。だがこんな憎らしい男の前では絶対涙など見せたくない。

 スイリュウは一つうなずいてロープを再びのぼってくると、

「その荷物、必要なら肩にでもかつげ」

 パールは後ろに転がしてあった風呂敷包みを首に結わえつけ、スイリュウの手を握った。彼は片腕で、窓枠にしゃがみこんだパールを抱きとめると、するするとロープを下りてゆく。

 パールは足もとを見下ろして短い悲鳴を上げた。驚くほど高かった。いつも女の子なのに、と叱られている木登りにも、盆踊りのときあがらせてもらったやぐらにも、とうてい及ばぬほど地面は遠い。

 それから上を見上げて、パールはまた息を呑んだ。ロープの先は小さな鍵型の金具を、積まれた石の割れ目に引っかけてあるだけだった。

 お願い、早く下について。

 パールはスイリュウの、見慣れぬ服にしがみついた。

「ついたぞ。いつまで震えている」

 わらじの下に固い地面を確かに感じて、パールはやっと息をつく。

 外に…… 出られた―― こんな簡単に出られちゃった!

 辺りをきょろきょろ見回す。スイリュウの背丈の二倍はありそうな石塀に、塀の外に生い茂る木々が枝をあずけている。石塀の向こうはうっそうとした林だ。毎日毎日眺めていた。

 スイリュウは握っていたロープを一度大きく跳ね上げて、塔の最上階に引っかけた金具をはずす。それはすとんと彼の手の中に落ちてくる。

「こっちだ」

 長いロープを肩にかけた革袋に押し込んで、スイリュウは足早に古城の裏手に回った。そのあとを駆け足で追い、パールはさびた鉄門の向こうに、美しい毛並みの見事な白馬を見つけた。背に置かれた鞍も華麗ではないが重厚でかなりよいもののようだ。

 スイリュウは勢いをつけて跳躍し、門に両手をかけると、腕の力だけで体を持ち上げ飛び越えた。パールは助走をつけてひらりと舞い上がる。妖力を使わずに跳び越えられる高さとしてはこれが限界だ。

 だが先に地面におり立っていたスイリュウの上にもろに着地してしまった。

「うわぁっ、大失敗」

「何するんだあんたは」

 振り返ったスイリュウが服を払いながら怖い目をする。

「やーごめんごめん。人の着地点に突っ立ってると危ないよ」

 きょとん、と見上げるパールに威信を傷つけられたような顔で、鞍に両手を置きあぶみに片足をかける。

 騎乗したスイリュウは、パールを手伝って馬上にあげ自分の背中にしがみつかせると、しゃんとした姿勢で手綱を取った。

「ゆくぞ。ダイジャたちが目を覚まさぬ昼のうちに出来るだけ遠くに逃げるからな」

「ダイジャ?」

「そうだ。街の者はそう呼んでいた。ナヒーシャの城の二人のダイジャってな」

 静かに坂を下り、後ろに見えるナヒーシャの城が小さくなると、馬は森の中を駆けだした。ぱかぽ、ぱかぽ、と景気のいい足音を立てて風を切れば、森の緑がどんどん左右に分かれてゆく。坂道を疾走するその思いがけない早さにまた怖くなって、パールはスイリュウの背中にしがみついた。

「逃げるってどこに?」

 白馬はやがて丘の木々から出る。

 日干し粘土を積んだ塀や民家の白い壁の向こうに、バザールのテントが見える。

「妖怪の国に決まっているだろうが」

「だめだよ。あんたを妖怪の国に連れてゆくとは約束したけど、私が人の国へ行くのをあきらめたとは言ってないよ」

 スイリュウは前方を見据えたまま何も言わない。変わらぬ早さで馬を東に向かわせる。

「ちょっと、聞いてるの? 人の国へ寄ったっていいでしょ?」

「急いでいるんだろう? 聞くところによれば妖怪の国は邪神ロージャのもとで四苦八苦しているそうじゃないか」

「四苦八苦なんてしてないもん」

 パールは祖国を侮辱されたような気になる。

「窮地に立たされているから金の騎士を呼ぼうとしたんじゃないのか」

「マーガレット様が呼んで欲しいってったから呼ぼうとしたんだ」

「それならなるべく早く着いた方がいいじゃないか」

 白馬は朝早い街を駆け抜けてゆく。店を開けるその奥から売り物のパンを焼く香ばしいにおいが漂ってきて、パールは苦しげに腹に手を当てた。

「でも私はマーガレット様やジュオー様や国のみんなと、ヒノリュウ様を連れてくるって約束したんだ」

「うるさい」

 低く短くつぶやいたその声に、有無を言わさぬ気迫があって、パールは思わず口をつぐんだ。

 どうしよう……

 乾いた風に吹かれながら、パールの心は重い。

 一瞬前までは塔から出られさえすれば何もいらないとまで思っていたのに現金なもので、皆の役に立てないことよりも役目が果たせないことが自尊心を傷付けた。

 いくらこいつが強くったって、ヒノリュウ様じゃなきゃだめなんだ。人の国まで行ってヒノリュウ様を連れて帰ることに意味があったんだ。それじゃなきゃ族長になれない。

 結局はそれだった。ねこまんま族の皆に、妖怪の国の皆に、真珠の子はすごい、と思わせたい。族長にふさわしい、ぜひ次期ねこまんま族族長は真珠の子パールに、との声を巻き起こしたい。

 馬の腹を蹴って先をせくスイリュウの後ろで、パールは悶々もんもんと考えあぐねていた。
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