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三、狭間国、其一

07、来訪者

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 彼女に会ったのは、日暮れ時だった。

 大きな夕日が真正面から、通りをゆくパールとクリスタを照らしている。左手にはテントを張った屋台が並び、右手の石段を下りれば大河がのったりとよどんでいる。パールはこれほど幅の広い川を見たことがなかった。

 人々は川におり、沐浴もくよくしたり布を水にさらしたりしている。

 薄紫の布をかけた女性が水から上がる。裸足のまま石段をのぼり足を止めた。通りのはしにたたずんだまま、どこへゆくでもなく行き交う人々をながめている。

 自然、パールたちはすれ違うことになる。

 行き過ぎようとしたとき、

「もし」

 と、声をかけられた。

「はい」

 と、パールは振り返る。

 一瞬、何かたとえようもない違和感が走った。

 だがそれはすぐに消えてしまった。

 何がおかしいのか確かめようとして、パールはその女性をあおぎ見る。

 耳が恐竜の翼のような見慣れぬ形をしていた。原色の衣装の下から固いウロコで覆われた緑の尾ものぞいている。こんな妖怪は見たことがないから、これが話に聞く人間ひととの「あいのこ」なのかもしれないと思う。

 彼女は色がやけに白かった。この辺りの人間ひとは皆、浅黒い肌を持っているというのに。

 眉間に黒水晶が光る。この土地の女性は皆、額にきれいな物を光らせていたが、黒水晶は初めてだった。

 そして、薄紫の布から落ちる髪が真っ白だった。

 だが違和感の理由はそんなことではない。

 眉をひそめるパールに女性は、ほほ笑みかける。

「どちらへ行かれるのですか」

 人の国へ――と言いかけて、パールは口をつぐんだ。いつもなら優しそうなねーちゃん、と喜ぶはずのクリスタが、パールのそでを握ったまま身を固くしている。

「西へ」

 とだけ答えた。

「ご一緒しても構わないでしょうか」

 おっとりと聞いてくる。

「構います」

 パールははねつけた。

「あの…… わたくしこの辺りには不慣れなもので――」  

「私だって不慣れです。旅先案内を頼みたいならこの土地の人になさい、私じゃどうせ、なんも分かりゃしませんよ」

 一方的に言い放ち、パールはクリスタの手を引き先へずんずん先へ歩いてゆく。

「あの……」

 と後ろで声がしたきり、彼女の気配は途絶えた。パールは振り返らない。かなり歩いてから一軒の宿屋の前で立ち止まった。

 暗い入り口に掲げられた看板に、「マージャールの宿」と古びた字が読みとれる。入り口の両側、白い壁にはきらびやかな装飾品をたくさん身につけた女神が、向かい合うように描かれている。

「なんだったんだろうね、今の」

 振り返った川沿いの通りに、すでに彼女の姿はない。

「分かんない。でもすごくやな感じがした」

「分かってたよ。あんたの様子がおかしいから断ったんだ」

「なんだ。地かと思ってた」

 パールは無言で、クリスタの三角の耳を引っ張った。

「あだだだだ」

「今夜はここに泊まるよ」

「放せってば! 自分で歩く」

 二人は夕日に照らされて、小さな宿の中に吸い込まれていった。 

  宿の前に人影が現れた。

 突如として往来おうらいの真ん中に現れたそれは、まぎれもなく先ほどのあの女性だった。



「えええっ! おんなじ部屋に泊まるのぉ~~~? やだやだやだぁぁ」

 駄々をこねているのはパールの方だ。クリスタは物知り顔で腰に両手を当てている。

「金がねぇっつったのはおめぇだろ?」

「そぉだけど一緒の部屋なんて嫌ぁ」

「なんでぃ、オレがさっき象に乗りたいっつったらさんざん金がもったいねぇの、路銀が尽きるだのってわめいてたじゃんかよ」

 旅費は全てジュオー様が出してくれる。

「オレばっかりに我慢させるんでねぇ」

 十の子供は親父の口調そっくりに少女をさとして受付に向かった。

「二人部屋ひとつ頼んます」

 パールはすみで、まだむつくれている。

 本当にガキだな、あいつ。気ぃ滅入る。

「二階だって」

 鍵を指に引っかけ戻ってきたクリスタをにらみつけた。



 夕飯は屋台ですませて二人は床についた。

 宿のどこにも風呂がなかった。ミッダワーラーの人々は朝、川で水浴びをするだけで、湯船につかる習慣がなかったのだ。

 それを宿の人から教えられたとき、すでに戸外は夜風が涼しくとうてい水浴びなど出来なかった。

 パールはしぶしぶ、首から上を水につけるにとどめた。ミッダワーラーの夜は昼に比べて意外に涼しく、クリスタのように頭から水をひっかぶる勇気はさすがになかったからだ。



 うっすらと開けた目に、窓の外の月が映った。寝返りを打つと、となりのベッドに身を起こす人影がある。

「クリスタ……?」

「何か―― いる」

 緊迫した声が返ってきた。

 パールもベッドの上に起きあがる。

「何かって?」

 クリスタは答えない。

 ぴんと張りつめた空気にただならぬものを感じ、パールは思わずごくりと喉を鳴らした。

 そろそろと掛け布団から這い出して、ベッドの足もとに丸めてあった着物を肩にかける。

 クリスタはじっと部屋の入り口を見つめている。その視線を追ったパールの目が、扉に釘付けとなる。

 暗い部屋の中、古びた木の扉に、白いもやがかかっている。それは徐々じょじょに形をなし、やがて一匹の白蛇の頭となった。釣り上がった赤い眼と眼の間に、黒水晶がはまっている。

「邪神ロージャの手の者だ!」

 叫ぶやいやな、パールはクリスタのベッドを飛び越え、白蛇とクリスタの間に仁王立ちになった。

 白蛇は扉をすり抜けるように、その馬鹿でかい全長をあらわにした。

「はぁっ!」

 パールは気を吐く。

 白蛇は一瞬ひるむ。が、すぐさま赤い眼に邪悪な光を取り戻し、宙を駆け上がる。

 ちっ、とパールが舌打ちした。

 天井からじっと見下ろす巨大な白蛇を、負けじとにらみ返す。

「どこへ行くんだい」

 ふいに女の声が降ってきた。

「あんたは―― やはり夕暮れ時のあの女か」

 発せられる気が同じだ。

「どこへ行くんだい」

「なぜ言わなくちゃならない。あんたはロージャ様の使いだろ、どうせ。なんでロージャ様はそんなことを知りたがるんだ」

 パールがハッタリをかけると、白蛇は目を大きく見開いたまま口をつぐんでしまった。正確にはロージャの創った低格の神の使いだったが、あまり利口でない相手に、パールはいい気になる。

「なぜ正体がバレたんだって顔してるね。そりゃ分かるさ、あんたは蛇の姿をしてるんだもの。ロージャ様も蛇に化けられる。第一白蛇と言やぁ昔から、神の使いと決まってらぁ」

 白蛇が動いた。

「あ!」

 瞬時の早さで、白蛇の太い胴体はクリスタの細い首に巻き付いていた。

「たっ、助け……パール……!」

 パールは気付かれぬよう、足の爪に引っかけて風呂敷包みを引き寄せた。中の荷を床の上に押し転がす。

「どこへ行くんだい」

 みたび、白蛇が問う。クリスタの首を大きな体で抱えたまま。

「人質取ろうってのかい? さすがやることが汚いね、邪神の手先だけあって」

「パール、パール!」

 皮肉な笑みに口の端をゆがめるパールの耳に、弱々しい叫びが届く。

 今助ける!

 パールは何も言わず、唇をかんだ。
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