11 / 14
第11話、王太子殿下の入学
しおりを挟む
それから時は流れ、ついにエリック王太子殿下が貴族学園に入学される年となった。
ついひと月前、私は二十五歳の姿で彼に別れを告げたばかりだった。もう二度と「リイ」としては会えないと――。
落ち着かない思いで片手を耳もとに運び、そっとイヤリングをなでる。私の五回目の人生は今日で決まるも同然だ。彼の幸せな未来のためにも、どうか――
「王太子殿下のお着きだぞ!」
貴族の子息が声をあげる。みんなの視線が集まる中、大きな校門の前に金箔でかざられた豪奢な馬車が到着した。家来が紋章のついた扉をひらくと、中からハニーブラウンのやわらかい髪をそよ風に吹かれながら美しく成長したエリック王太子が姿をあらわした。
「殿下、おはようございます!」
「これからエリック殿下と同じ空間で学べるなんて、幸せですわ!」
私が入学したとき以上の盛り上がりかた。
「みなさんも殿下のところへ行っていいのよ」
うずうずしている取り巻きたちに声をかけたとき、エリックが何気なくこちらを振り返った。
「――リイ……」
離れていても彼の唇がそう動いたのが分かった。
「リイ! 僕のリイが現実にいる!」
彼は喜びあふれんばかりの声でさけぶと、お付きの者だけでなく学園の学生たちまではねのけてこちらへ走ってきた。
「初めて会ったときの姿のままだ!」
「ようやくお会いできましたわね、エリック殿下」
あふれ出す涙をこらえて、私はそれだけ言うのが精いっぱいだった。
「きみのこの手が、まだ小さかった僕の髪をなでたんだよね」
彼は私の白い手をとり、その甲にやさしく口づけしてくれた。ほほ笑む私をうれしそうに見つめる瞳は、月光のように美しく輝いている。
周囲の学生たちは当然ながらポカンとしたまま私たちのやり取りをながめていた。私は気にせず優雅な姿勢を保ったまま、片手でそっと濃紫《こむらさき》の髪を耳にかける。
「あっ、そのイヤリング――」
エリックは息をのんだ。不思議なものを見たように目を見開いて、それから驚いたように笑った。
「きみは本当にリイなんだね。この十年間は僕の妄想なんかじゃなかったんだ」
「はい、殿下。神様があなたを想う私の魂を救って下さって、この十年間あなたの元へ通わせてくださったのですわ」
私は真摯なまなざしでエリックをみつめる。――って、悪役令嬢としてつちかった演技力を使うのも、そろそろ終わりにしなくてはね。
「愛しているよ、リイ。きみが婚約者だなんて僕は世界一の幸せ者だ」
彼は私をひしと抱きしめた。私は彼の背中に回した手で、ハニーブラウンの髪をやさしくなでた。手のひらに伝わってくる彼の体温は、初めて出会った夜と変わらない。
「――あったかい……」
私は思わずつぶやいていた。
エリックが入学してくるひと月前の夜、私は意を決して別れを告げた。ただその理由は、私がリーザエッテ嬢の魂の中に戻るから、というもの。
「もうこの姿では会えませんの、エリック殿下。でも私がリーザエッテ嬢の中に戻れば、二人で過ごした時間の記憶は彼女が引き継ぎます」
これから学園で毎日のようにエリックと顔を合わせるのに、リイとリーザエッテの二重生活を続けるのは無理がある。会話の内容とか、うっかりごっちゃにしちゃいそうですもの……
十三歳のエリックはもう取り乱して泣きだすようなことはなかった。
「いつかきみがそんなことを言いだすんじゃないかってずっと思っていたよ。リイは孤独な僕が作り出した空想の友達なんだから」
「いえ、殿下――」
私は彼の言葉を否定しようとして、口をつぐんだ。納得してくれているのだ。蒸し返すのはかえって残酷というもの。
エリックは猫足のテーブルに頬杖をついたまま、静かなまなざしで窓の外に並ぶ庭園の木々を見下ろしていた。
「心理学の本で読んだよ。イマジナリーフレンドは大人になる前に消えるって――」
それから何か思い出したのか、
「そうだ、きみに渡したいものがあったんだ!」
と言って立ち上がり、本棚に隠してあったらしい小箱を持ってきた。
「これ、きみへのプレゼントだ」
照れているのか、私の目を見もせずに小箱をあけた。そこにはとろけるようにつややかなドロップパールのイヤリングが繊細な輝きを放っていた。
「まぁ、きれい!」
「これ『月のしずく』っていう名前で売っていたんだ。城下におりたとき買っておいたんだけど、きみは誕生日すら教えてくれないから渡すときがなかったんだよ」
嘘をつくのも嫌だけれど、かと言ってリーザエッテの誕生日を言うわけにもいかなかったのだ。
「つけてみてもよろしくって?」
「もちろん! きっと似合うよ」
私が壁にかけた鏡の前でイヤリングをつけていると、満足そうなエリックがうしろに立って、
「リイは覚えていないかもしれないけれど、むかしきみが僕の瞳の色を好きだって言ってくれたことがあったんだ」
「覚えていますわ。満月のように輝いてきれいだと申し上げたこと」
「ふふっ、それ」
エリックはくすぐったそうに笑って、
「だから『月のしずく』って名前が気に入ったんだ。それをつけて、いつまでも僕のことを覚えていてね」
「すぐに会えますわよ」
「えっ」
驚いた顔をするエリックに二の句をつがせず、
「どうかしら? 似合いまして?」
「うん、いつもに増して美しいよ!」
純粋なほめ言葉に私は自分の頬が紅潮するのを感じた。
----------------------------
(天然真珠しかなかった時代、パールはダイヤモンド以上に高価だったそうです!)
次回『公爵令嬢リーザエッテ、王太子に溺愛される』です。
恋愛小説大賞に参加中です。ぜひのぞいてみてください!
『君を愛することはないと言われた侯爵令嬢が猫ちゃんを拾ったら~義母と義妹の策略でいわれなき冤罪に苦しむ私が幸せな王太子妃になるまで~』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/802191018/891717449
完結済み。猫ちゃんが好きな方にもおすすめです!
ついひと月前、私は二十五歳の姿で彼に別れを告げたばかりだった。もう二度と「リイ」としては会えないと――。
落ち着かない思いで片手を耳もとに運び、そっとイヤリングをなでる。私の五回目の人生は今日で決まるも同然だ。彼の幸せな未来のためにも、どうか――
「王太子殿下のお着きだぞ!」
貴族の子息が声をあげる。みんなの視線が集まる中、大きな校門の前に金箔でかざられた豪奢な馬車が到着した。家来が紋章のついた扉をひらくと、中からハニーブラウンのやわらかい髪をそよ風に吹かれながら美しく成長したエリック王太子が姿をあらわした。
「殿下、おはようございます!」
「これからエリック殿下と同じ空間で学べるなんて、幸せですわ!」
私が入学したとき以上の盛り上がりかた。
「みなさんも殿下のところへ行っていいのよ」
うずうずしている取り巻きたちに声をかけたとき、エリックが何気なくこちらを振り返った。
「――リイ……」
離れていても彼の唇がそう動いたのが分かった。
「リイ! 僕のリイが現実にいる!」
彼は喜びあふれんばかりの声でさけぶと、お付きの者だけでなく学園の学生たちまではねのけてこちらへ走ってきた。
「初めて会ったときの姿のままだ!」
「ようやくお会いできましたわね、エリック殿下」
あふれ出す涙をこらえて、私はそれだけ言うのが精いっぱいだった。
「きみのこの手が、まだ小さかった僕の髪をなでたんだよね」
彼は私の白い手をとり、その甲にやさしく口づけしてくれた。ほほ笑む私をうれしそうに見つめる瞳は、月光のように美しく輝いている。
周囲の学生たちは当然ながらポカンとしたまま私たちのやり取りをながめていた。私は気にせず優雅な姿勢を保ったまま、片手でそっと濃紫《こむらさき》の髪を耳にかける。
「あっ、そのイヤリング――」
エリックは息をのんだ。不思議なものを見たように目を見開いて、それから驚いたように笑った。
「きみは本当にリイなんだね。この十年間は僕の妄想なんかじゃなかったんだ」
「はい、殿下。神様があなたを想う私の魂を救って下さって、この十年間あなたの元へ通わせてくださったのですわ」
私は真摯なまなざしでエリックをみつめる。――って、悪役令嬢としてつちかった演技力を使うのも、そろそろ終わりにしなくてはね。
「愛しているよ、リイ。きみが婚約者だなんて僕は世界一の幸せ者だ」
彼は私をひしと抱きしめた。私は彼の背中に回した手で、ハニーブラウンの髪をやさしくなでた。手のひらに伝わってくる彼の体温は、初めて出会った夜と変わらない。
「――あったかい……」
私は思わずつぶやいていた。
エリックが入学してくるひと月前の夜、私は意を決して別れを告げた。ただその理由は、私がリーザエッテ嬢の魂の中に戻るから、というもの。
「もうこの姿では会えませんの、エリック殿下。でも私がリーザエッテ嬢の中に戻れば、二人で過ごした時間の記憶は彼女が引き継ぎます」
これから学園で毎日のようにエリックと顔を合わせるのに、リイとリーザエッテの二重生活を続けるのは無理がある。会話の内容とか、うっかりごっちゃにしちゃいそうですもの……
十三歳のエリックはもう取り乱して泣きだすようなことはなかった。
「いつかきみがそんなことを言いだすんじゃないかってずっと思っていたよ。リイは孤独な僕が作り出した空想の友達なんだから」
「いえ、殿下――」
私は彼の言葉を否定しようとして、口をつぐんだ。納得してくれているのだ。蒸し返すのはかえって残酷というもの。
エリックは猫足のテーブルに頬杖をついたまま、静かなまなざしで窓の外に並ぶ庭園の木々を見下ろしていた。
「心理学の本で読んだよ。イマジナリーフレンドは大人になる前に消えるって――」
それから何か思い出したのか、
「そうだ、きみに渡したいものがあったんだ!」
と言って立ち上がり、本棚に隠してあったらしい小箱を持ってきた。
「これ、きみへのプレゼントだ」
照れているのか、私の目を見もせずに小箱をあけた。そこにはとろけるようにつややかなドロップパールのイヤリングが繊細な輝きを放っていた。
「まぁ、きれい!」
「これ『月のしずく』っていう名前で売っていたんだ。城下におりたとき買っておいたんだけど、きみは誕生日すら教えてくれないから渡すときがなかったんだよ」
嘘をつくのも嫌だけれど、かと言ってリーザエッテの誕生日を言うわけにもいかなかったのだ。
「つけてみてもよろしくって?」
「もちろん! きっと似合うよ」
私が壁にかけた鏡の前でイヤリングをつけていると、満足そうなエリックがうしろに立って、
「リイは覚えていないかもしれないけれど、むかしきみが僕の瞳の色を好きだって言ってくれたことがあったんだ」
「覚えていますわ。満月のように輝いてきれいだと申し上げたこと」
「ふふっ、それ」
エリックはくすぐったそうに笑って、
「だから『月のしずく』って名前が気に入ったんだ。それをつけて、いつまでも僕のことを覚えていてね」
「すぐに会えますわよ」
「えっ」
驚いた顔をするエリックに二の句をつがせず、
「どうかしら? 似合いまして?」
「うん、いつもに増して美しいよ!」
純粋なほめ言葉に私は自分の頬が紅潮するのを感じた。
----------------------------
(天然真珠しかなかった時代、パールはダイヤモンド以上に高価だったそうです!)
次回『公爵令嬢リーザエッテ、王太子に溺愛される』です。
恋愛小説大賞に参加中です。ぜひのぞいてみてください!
『君を愛することはないと言われた侯爵令嬢が猫ちゃんを拾ったら~義母と義妹の策略でいわれなき冤罪に苦しむ私が幸せな王太子妃になるまで~』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/802191018/891717449
完結済み。猫ちゃんが好きな方にもおすすめです!
11
お気に入りに追加
150
あなたにおすすめの小説
転生した悪役令嬢はシナリオ通りに王子に婚約破棄されることを望む
双葉葵
恋愛
悪役令嬢メリッサ・ローランドは、卒業式のパーティで断罪され追放されることを望んでいる。
幼い頃から見てきた王子が此方を見てくれないということは“運命”であり決して変えられない“シナリオ”通りである。
定刻を過ぎても予定通り迎えに来ない王子に一人でパーティに参加して、訪れる断罪の時を待っていたけれど。険しい顔をして現れた婚約者の様子が何やら変で困惑する。【こんなの“シナリオ”になかったわ】
【隣にいるはずの“ローズ”(ヒロイン)はどこなの?】
*以前、『小説家になろう』であげていたものの再掲になります。
〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です
hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。
夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。
自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。
すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。
訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。
円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・
しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・
はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?
悪役令嬢になる前に、王子と婚約解消するはずが!
餡子
恋愛
恋愛小説の世界に悪役令嬢として転生してしまい、ヒーローである第五王子の婚約者になってしまった。
なんとかして円満に婚約解消するはずが、解消出来ないまま明日から物語が始まってしまいそう!
このままじゃ悪役令嬢まっしぐら!?
王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない
エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい
最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。
でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。
王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません
黒木メイ
恋愛
日本人だった頃の記憶があるクロエ。
でも、この世界が乙女ゲームに似た世界だとは知らなかった。
知ったのはヒロインらしき人物が落とした『攻略ノート』のおかげ。
学園も卒業して、ヒロインは王太子エンドを無事に迎えたはずなんだけど……何故か今になってヒロインが私の婚約者に近づいてきた。
いったい、何を考えているの?!
仕方ない。現実を見せてあげましょう。
と、いうわけでクロエは婚約者であるダニエルに告げた。
「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」
突然告げられたクロエ至上主義なダニエルは顔面蒼白。
普段使わない頭を使ってクロエに戻ってきてもらう為に奮闘する。
※わりと見切り発車です。すみません。
※小説家になろう様にも掲載。(7/21異世界転生恋愛日間1位)
転生悪役令嬢は冒険者になればいいと気が付いた
よーこ
恋愛
物心ついた頃から前世の記憶持ちの悪役令嬢ベルティーア。
国の第一王子との婚約式の時、ここが乙女ゲームの世界だと気が付いた。
自分はメイン攻略対象にくっつく悪役令嬢キャラだった。
はい、詰んだ。
将来は貴族籍を剥奪されて国外追放決定です。
よし、だったら魔法があるこのファンタジーな世界を満喫しよう。
国外に追放されたら冒険者になって生きるぞヒャッホー!
悪役令嬢はざまぁされるその役を放棄したい
みゅー
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生していたルビーは、このままだとずっと好きだった王太子殿下に自分が捨てられ、乙女ゲームの主人公に“ざまぁ”されることに気づき、深い悲しみに襲われながらもなんとかそれを乗り越えようとするお話。
切ない話が書きたくて書きました。
転生したら推しに捨てられる婚約者でした、それでも推しの幸せを祈りますのスピンオフです。
【完結】その令嬢は号泣しただけ~泣き虫令嬢に悪役は無理でした~
春風由実
恋愛
お城の庭園で大泣きしてしまった十二歳の私。
かつての記憶を取り戻し、自分が物語の序盤で早々に退場する悪しき公爵令嬢であることを思い出します。
私は目立たず密やかに穏やかに、そして出来るだけ長く生きたいのです。
それにこんなに泣き虫だから、王太子殿下の婚約者だなんて重たい役目は無理、無理、無理。
だから早々に逃げ出そうと決めていたのに。
どうして目の前にこの方が座っているのでしょうか?
※本編十七話、番外編四話の短いお話です。
※こちらはさっと完結します。(2022.11.8完結)
※カクヨムにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる