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第一幕、リオが天使になった日
19、オリヴィアとリオが声を重ねた時に起こること
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「じゃあ合格ですか!?」
「待ちなさい」
手のひらを向けて止められてしまった。
「合格かどうか決めるのは私ではなく音楽院の教師と院長だ。だがこれまで私が連れて行った子供が不合格だったことは一度もない」
彼は自慢げに胸を張って、また私を見下ろした。
「お嬢さん、今いくつです?」
「十一です」
「それなら声はまだ変化するでしょう。だが今の段階では、君の声はアルトの音色です。ソロで歌えるだけではいけない。聖歌隊でもオペラの合唱でも内声を歌わねばならない難しいパートだからな」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
「リオネッロくんとのデュエットを聴こう。それで判断します」
すぐにリオが私の横に駆け寄ってきた。
「オリヴィアの歌、練習のときより迫力があってすごく良かった!」
私自身、リオと練習しているときとはまるで違う感覚で歌っていた。本来祈りの歌は、主のためにのみ歌えばよいのかも知れない。だがルイジおじさんとジャンが聴いているというプレッシャーが、私の歌に力を与えた。聴き手がいるという喜びを、私は初めて味わった。
リオが私の隣に立ち、最初の音をやわらかくハミングする。それに合わせて私も三度下の音をハミングで合わせたとき、締め切った部屋の中からまた、かすれた悲鳴が聞こえた。
ジャンがびくっと肩を震わせあばら家を仰ぎ見るが、私もリオも、もちろんルイジおじさんも知らん顔してやり過ごす。不審そうに首をひねったジャンが私たちのほうへ向き直ったのを合図に、リオが歌い始めた。
「キリエ・エレイソン――」
透ける日差しにリオの歌声が溶けてゆく。彼の声が彼方へ消え去る前に、私は三度下で同じフレーズを歌い始める。
「キリエ・エレイソン――」
リオが同じテキストで次のフレーズを歌い、二人の声が重なり合う。心地よい響きが小さな波のように絶え間なく、私の鼓膜を撫でていく。リオと自分の声が一つになる喜びに、私は満たされていた。
気付けば家の中で続いていたアンナの悲鳴は静かになっていた。
「雌豚も聞き入っているようだな」
何か勘付いたのか、ジャンが皮肉めいた口調でルイジおじさんに耳打ちした。おじさんは無表情のまま重々しくうなずいただけ。
最初のフーガが一旦終息すると、次のフレーズは私から始まる。
「クリステ・エレイソン――」
私が歌いだすとすぐにリオが三度上のフレーズで追いかけてくる。
「クリステ・エレイソン――」
先へ進む私に追いすがり覆いかぶさるように、彼の歌声は自由自在に羽ばたく。私は彼の下でそれを支えながら、抱きとめ包み込むように歌った。音と音が結びつき、二人の魂が溶け合ってゆく。
私たちはいつの間にか向かい合い、視線を絡ませて最後のフレーズを一緒に歌った。
「エレイソン――」
音が消え、緊張がほどけると、ルイジおじさんが大きな手で盛大に拍手をしてくれた。
私とリオはまた目を合わせて、ほほ笑み合った。互いの顔に浮かんでいるのはやり切った満足感だ。
ジャンの方は今まで息を止めていたのか、ふっと小さく息を吐いた。
「お嬢さん、名前は何と言ったかな?」
「オリヴィアです」
「ではこれからはオリヴィエーロだ。いいね?」
意味が分からず私はポカンとする。
「さきほどルイジ氏とも話したことだが――」
ジャンはちらりとルイジおじさんを振り返った。おじさんが了承を示すようにしっかりとうなずくと、ジャンはぺらぺらとしゃべりだした。
「私はこの村から二人の少年歌手を連れてゆく。十歳のリオネッロと十一歳のオリヴィエーロだ」
私の歌、ジャンに認められたってこと!?
息を呑む私を置いてけぼりにして、ジャンは言葉を続けた。
「リオネッロは不幸にも豚と衝突する事故に見舞われ、オリヴィエーロは高いところに実ったイチジクを取ろうと木に登ったが、誤って落ちてしまった」
なんだか私、食いしん坊みたいじゃない?
不満を口にする間もなく、ジャンの口は回り続ける。
「憐れな少年たちには歌手になる未来しか残されていない。慈悲深いジャンバッティスタ・フィオレンツァは彼らをナポリまで連れて行き、音楽院で引き取ってくれるよう嘆願することにした」
やったー! 私もナポリの音楽院に行けるんだ!
私とリオは見つめ合い、抱き合った。
ジャンは私たちをちらりと一瞥しただけで、同じ口調で付け足した。
「なおこれは慈善活動であり、金銭は発生しない」
「え?」
私は驚いてルイジおじさんを振り返る。おじさんは淡々と告げた。
「アンナが受け取った金はジャンバッティスタ氏に返した」
「でもそれはリオが犠牲になった分なんだから――」
「銅貨一枚もいらんから娘の願いを叶えてくれるよう頼んだのさ」
私はルイジおじさんへの感謝でいっぱいになった。
「そんな―― 私のために、ありがとう」
「気にするな。ジャンバッティスタに金を返すためにあれの部屋に入ったが、相当ため込んでおった。今までわしは革製品を作って売るばかりで金銭管理はあれに任せていたからな」
やはりこの家は極貧なんかじゃなかったのだ。だが悪魔に心を蝕まれたアンナおばさんは多少お金があっても永遠に、不足感に悩まされる呪いにかかっていたのか。
「でも」
と声を上げたのはリオだった。
「ジャンおじさんはどこかから、僕たち二人分のお金を受け取るんでしょ?」
かわいらしく首をかしげるが、おそらくこれは大人向けのパフォーマンスだ。
「うるさいですよ、リオネッロくん。それとこれとは話が別です」
苦笑を浮かべながら、ジャンは私を見据えた。
「私は二人が不幸な少年だと信じている。当然、音楽院側にも私が信じていることを伝える」
万一、私の性別がバレたときもこの男は知らぬ存ぜぬで通すわけか。上等だ。
私はニッコリと笑って見せた。
「ええ、どうぞ。ボクは決して尻尾を出すような真似はしないから」
ジャンと私が無言の圧力で互いを制し合っていると、傾いたドアがきしんだ音を立ててゆっくりと開いた。
「あんた、あたしの部屋にこんなたくさんありがたいメダルが落ちてたんだよ」
両手のひらに聖なるメダルを乗せて出てきたのは、やつれ果てたアンナおばさんだった。
─ * ─
オリヴィアもついにナポリの音楽院へ紹介してもらえることに。
アンナおばさんが聖なるメダルに触れているだと!?
次回、アンナ回です(誰も嬉しくない!?)
「待ちなさい」
手のひらを向けて止められてしまった。
「合格かどうか決めるのは私ではなく音楽院の教師と院長だ。だがこれまで私が連れて行った子供が不合格だったことは一度もない」
彼は自慢げに胸を張って、また私を見下ろした。
「お嬢さん、今いくつです?」
「十一です」
「それなら声はまだ変化するでしょう。だが今の段階では、君の声はアルトの音色です。ソロで歌えるだけではいけない。聖歌隊でもオペラの合唱でも内声を歌わねばならない難しいパートだからな」
私はごくりと唾を飲み込んだ。
「リオネッロくんとのデュエットを聴こう。それで判断します」
すぐにリオが私の横に駆け寄ってきた。
「オリヴィアの歌、練習のときより迫力があってすごく良かった!」
私自身、リオと練習しているときとはまるで違う感覚で歌っていた。本来祈りの歌は、主のためにのみ歌えばよいのかも知れない。だがルイジおじさんとジャンが聴いているというプレッシャーが、私の歌に力を与えた。聴き手がいるという喜びを、私は初めて味わった。
リオが私の隣に立ち、最初の音をやわらかくハミングする。それに合わせて私も三度下の音をハミングで合わせたとき、締め切った部屋の中からまた、かすれた悲鳴が聞こえた。
ジャンがびくっと肩を震わせあばら家を仰ぎ見るが、私もリオも、もちろんルイジおじさんも知らん顔してやり過ごす。不審そうに首をひねったジャンが私たちのほうへ向き直ったのを合図に、リオが歌い始めた。
「キリエ・エレイソン――」
透ける日差しにリオの歌声が溶けてゆく。彼の声が彼方へ消え去る前に、私は三度下で同じフレーズを歌い始める。
「キリエ・エレイソン――」
リオが同じテキストで次のフレーズを歌い、二人の声が重なり合う。心地よい響きが小さな波のように絶え間なく、私の鼓膜を撫でていく。リオと自分の声が一つになる喜びに、私は満たされていた。
気付けば家の中で続いていたアンナの悲鳴は静かになっていた。
「雌豚も聞き入っているようだな」
何か勘付いたのか、ジャンが皮肉めいた口調でルイジおじさんに耳打ちした。おじさんは無表情のまま重々しくうなずいただけ。
最初のフーガが一旦終息すると、次のフレーズは私から始まる。
「クリステ・エレイソン――」
私が歌いだすとすぐにリオが三度上のフレーズで追いかけてくる。
「クリステ・エレイソン――」
先へ進む私に追いすがり覆いかぶさるように、彼の歌声は自由自在に羽ばたく。私は彼の下でそれを支えながら、抱きとめ包み込むように歌った。音と音が結びつき、二人の魂が溶け合ってゆく。
私たちはいつの間にか向かい合い、視線を絡ませて最後のフレーズを一緒に歌った。
「エレイソン――」
音が消え、緊張がほどけると、ルイジおじさんが大きな手で盛大に拍手をしてくれた。
私とリオはまた目を合わせて、ほほ笑み合った。互いの顔に浮かんでいるのはやり切った満足感だ。
ジャンの方は今まで息を止めていたのか、ふっと小さく息を吐いた。
「お嬢さん、名前は何と言ったかな?」
「オリヴィアです」
「ではこれからはオリヴィエーロだ。いいね?」
意味が分からず私はポカンとする。
「さきほどルイジ氏とも話したことだが――」
ジャンはちらりとルイジおじさんを振り返った。おじさんが了承を示すようにしっかりとうなずくと、ジャンはぺらぺらとしゃべりだした。
「私はこの村から二人の少年歌手を連れてゆく。十歳のリオネッロと十一歳のオリヴィエーロだ」
私の歌、ジャンに認められたってこと!?
息を呑む私を置いてけぼりにして、ジャンは言葉を続けた。
「リオネッロは不幸にも豚と衝突する事故に見舞われ、オリヴィエーロは高いところに実ったイチジクを取ろうと木に登ったが、誤って落ちてしまった」
なんだか私、食いしん坊みたいじゃない?
不満を口にする間もなく、ジャンの口は回り続ける。
「憐れな少年たちには歌手になる未来しか残されていない。慈悲深いジャンバッティスタ・フィオレンツァは彼らをナポリまで連れて行き、音楽院で引き取ってくれるよう嘆願することにした」
やったー! 私もナポリの音楽院に行けるんだ!
私とリオは見つめ合い、抱き合った。
ジャンは私たちをちらりと一瞥しただけで、同じ口調で付け足した。
「なおこれは慈善活動であり、金銭は発生しない」
「え?」
私は驚いてルイジおじさんを振り返る。おじさんは淡々と告げた。
「アンナが受け取った金はジャンバッティスタ氏に返した」
「でもそれはリオが犠牲になった分なんだから――」
「銅貨一枚もいらんから娘の願いを叶えてくれるよう頼んだのさ」
私はルイジおじさんへの感謝でいっぱいになった。
「そんな―― 私のために、ありがとう」
「気にするな。ジャンバッティスタに金を返すためにあれの部屋に入ったが、相当ため込んでおった。今までわしは革製品を作って売るばかりで金銭管理はあれに任せていたからな」
やはりこの家は極貧なんかじゃなかったのだ。だが悪魔に心を蝕まれたアンナおばさんは多少お金があっても永遠に、不足感に悩まされる呪いにかかっていたのか。
「でも」
と声を上げたのはリオだった。
「ジャンおじさんはどこかから、僕たち二人分のお金を受け取るんでしょ?」
かわいらしく首をかしげるが、おそらくこれは大人向けのパフォーマンスだ。
「うるさいですよ、リオネッロくん。それとこれとは話が別です」
苦笑を浮かべながら、ジャンは私を見据えた。
「私は二人が不幸な少年だと信じている。当然、音楽院側にも私が信じていることを伝える」
万一、私の性別がバレたときもこの男は知らぬ存ぜぬで通すわけか。上等だ。
私はニッコリと笑って見せた。
「ええ、どうぞ。ボクは決して尻尾を出すような真似はしないから」
ジャンと私が無言の圧力で互いを制し合っていると、傾いたドアがきしんだ音を立ててゆっくりと開いた。
「あんた、あたしの部屋にこんなたくさんありがたいメダルが落ちてたんだよ」
両手のひらに聖なるメダルを乗せて出てきたのは、やつれ果てたアンナおばさんだった。
─ * ─
オリヴィアもついにナポリの音楽院へ紹介してもらえることに。
アンナおばさんが聖なるメダルに触れているだと!?
次回、アンナ回です(誰も嬉しくない!?)
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