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第一幕、リオが天使になった日

09、恋が花開く瞬間

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「僕は君の弟なんかじゃない」

 リオの無情な言葉が深々しんしんと私の心に突き刺さった。

「僕は――君と離れ離れになる前に悔いが残るのは嫌だから言うけれど、オリヴィアに出会った日、一目惚れしちゃったんだ」

 え?

 半年前のリオの言葉がよみがえる。すっごく美人、などと言われた私はあのとき、本気だか冗談だか分からずに戸惑った。でもあのときリオは、私に特別な感情を抱いてくれたの? 

「だから僕、少しでも自分を素敵に見せたくて、いつも明るく振舞ってたでしょ」

 思えばリオは私より年下なのに、いつも前向きで優しくて完璧な男の子だった。

「無理、させてた?」

 顔を上げると、リオの真摯な瞳が私を射た。

「無理なんかしてない。でも僕は、オリヴィアを守りたかったんだ」 

 リオの強いまなざしは一筋の陽光のように、私の心に差し込んできた。その瞬間、日差しを受けたつぼみが花開くように、青かった木の実が熟すように、私の中でも何かがはじけた。

「リオ。私、リオとずっと一緒にいたい」

「僕もだよ」

 耳元でささやく彼の吐息が、私の耳たぶを甘くくすぐる。

 リオに抱きしめられて、私は特別な高揚感に包まれた。リオの体温を感じられることが幸せで、彼と触れ合っているところが熱くて、今までに感じたことのない喜びが湧き上がってきた。

 同時に心の奥底で、決して娼婦になどなるまいと、強い拒絶が頭をもたげた。

 今までの私はただぼんやりと、娼婦って男性と変なことするんでしょ、などと思っていた。子供の私には理解できない、気持ち悪い大人の世界が広がっているんだと外側から眺めていた。

 だが今日、私はリオに触れられたい自分を知ってしまった。そして彼以外の男には決して触れさせまいと誓う自分に気付いてしまった。

 なぜなら私は、リオのものだから。

 でもそんなこと恥ずかしくて口に出せない。ついさっきまでリオはなんでも話せる家族だったのに、私はさなぎが蝶になるみたいに、全く違う自分に変わってしまったんだ。

 ふとリオの腕がゆるんだ途端、私は彼にすがった。

「だめ、私を離さないで」 

「またそんなかわいいこと言って」

 低い声でささやく彼にドキッとする。でも彼の声がこれ以上低くはならないのかと思うと、えぐられたような痛みに襲われた。

 彼が歩むはずだったまともな人生を、私は奪ってしまったんだ。彼は私のために自分の将来を投げ捨てたんだから。

 それならこれからの人生、私は死ぬまでリオの隣にいて彼を守ろう。

 切ない決意に身を焦がし、私はリオを上目遣いに見つめた。

「だめだよ、オリヴィア。僕以外の男にそんな顔見せたら」

 どこで覚えたのか、彼の両親がしていたのか、リオは私の頬を指先でつついた。

 私はついクスッと笑って、

「リオってとんでもない九歳児ね」

「僕、もう十歳ですけど?」

「あれ? いつの間にか歳とってた」

 私たちは顔を見合わせ、笑いあった。

「私、ずっとリオに抱きしめられていたいの」

「その言葉、僕がこんな体になる前に聞きたかったよ」

 リオの悲しげな声に、私は何も言えなくなる。痛みをこらえて息を止める。だけどリオの痛みはこんなものじゃないって知っている。

「僕は君を束縛するつもりはないんだ。オリヴィアには幸せになってほしい」

「どういう意味?」

「僕の恋は叶う前に終わったんだよ」

 何を言っているんだ、この人は!

「私、嫌だよ。リオ以外の人なんか好きにならない!」

「オリヴィア、僕は生涯結婚もできないし、男らしい大人の男に成長することもないんだよ」

 彼は教えさとすように言った。

 教会は彼らに結婚を禁じていた。生殖能力を失った者は、誰かと肌を重ねるぬくもりさえ許されないのだ。

「私、結婚なんて興味ないもん」

 子供のころから深い考えもなく、大人になったら母さんのようになるのかなと思っていた。でも流行り病で家族を失った日から、私にまともな幸せなんて望むべくもない。

「私はただリオと生きていきたいだけ」

 私はリオに正面から向き合い、彼の華奢な肩に腕を絡めた。

「リオは自分を犠牲にして私を守ってくれた。リオほど男らしい男なんていないから」

「ああ、オリヴィア。僕の大切なオリヴィア」

 リオは力強く私を抱きしめてくれる。この場所を誰にも渡さない。

「だけど僕はナポリに旅立たなくちゃいけないんだ」

「知ってる」

 私は爪をかみながら、虚空をにらんだ。

「なんとしても私はリオから離れたくない。それなら邪魔者を消すしかないよね」

 その言葉は私の口から出たのだろうか?



(新約聖書『マタイによる福音書』第二十二章より一部抜粋)



─ * ─



なんだかオリヴィアの様子がおかしい……?
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