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Ⅲ、二人の皇子

38、第一皇子が描く理想の帝国に、亜人族の未来はない

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「ユリア! 逃げろって言ったのに!」

「ジュキくん、作戦その三はわたしが必要でしょ?」

 ばらすな。

「それに、こんな差別主義者が次の皇帝なんてあり得ない! 帝国の未来はわたしが守るんだ!」

 巨大な戦斧バトルアックスを構えて、怒りのこもったまなざしで皇子を見上げた。

 対する皇子は、ユリアに噛まれて破れた服から、見たくもない白いケツをさらしながら、

「畜生もどきに何かできるとでも?」

 嫌味ったらしく尋ねた。

「わたしはルーピ伯爵家に生まれた者として、獣人族の暮らしを守る義務がある!」

 いつもトロンとしているユリアの目に、強い意志が宿っていた。

 皇子はいったんユリアに任せて、俺はラピースラの相手をしよう。レモには聖魔法に集中してもらいたい。

 ラピースラは邪悪なうめき声を上げながら瘴気を吐く。

「クハァァァ……!」

 なんて不気味なやつ…… 黒くよどんだ瘴気は、俺が精霊力で生み出した氷を、次第に溶かしてゆくのだ。

「聖なる水よ、かの者包みて凍てつきたまえ!」

「きぃぃぃっ!」

 狂気の叫び声を上げて、ラピースラが藍色の髪を振り乱して水を払う。

 だがその隙に――

「聖剣よ、邪悪なる魂を断ち切れ!」

 俺が斬りつけたのと、

聖還無滅輝燦ロヴィーナシャイン!!」

 レモが特大浄化魔法を放ったのは同時だった。白い光が空間を満たす瞬間、ラピースラがカッと目をひらいた。

「――まずい……!」

 小さくつぶやくと同時に、その身体から力が抜ける。カクンとひざを折ったかと思うと、そのまま絨毯に倒れ伏した。ラピースラの宿っていたその身体は、見る見るうちに干からびていく。

「なんだよこれ……」

 俺は思わずつぶやいた。

「なっ!?」

 皇子が驚きの声を上げ、ユリアに背を向け駆け寄ってくる。

「どんどん老いてゆくではないか――」

「今までラピースラの魔力で若さを保っていたんだろ……」

 ミイラと化した死体から目をそらして、俺はかすれた声で答えた。

「いや、これまでもこの女は何度も幽体離脱だとか怪しいことを言って、この身体から抜け出ていたのだ」

 気味悪そうに見下ろす皇子の唇が震えている。

 俺は振り返って、うしろからのぞきこむレモと目を合わせた。俺たちは目くばせしただけで何も言わなかった。

 結界代わりに俺の精霊力をまとっているレモも、たのだろう。ラピースラの乗り移った身体から力が抜ける直前、その口から黒いかすみが浮かび上がり、空間でかき消えたのを。

 ――逃げやがった……!

 俺はグッと奥歯をかんで、心の中で舌打ちした。

「クックックッ……」

 何がおかしいのか、皇子が片手で額を押さえて笑い出した。俺は聖剣を、ユリアは戦斧バトルアックスを構えたまま、皇子に視線を定めて次の言葉を待つ。

「あっけなかったな。気味の悪い巫女シャーマンよ。聖剣に生気を吸い取られたのか、聖魔法で浄化されたのかは知らぬが」

 皇子はラピースラが死んだと信じ込んでいるようだ。実際は聖剣と聖魔法を前に、肉体を捨てて逃げたのだろう。ロベリアの魂は食い尽くされ、その身体もとうの昔に滅びていたのだ。

「皇子、もういいだろう? 俺たちが敵対する理由なんてないはずだ」

 俺が聖剣を鞘にしまおうとすると、皇子は高貴なで立ちに似合わぬ大口を開けて笑い出した。

「アッハッハ! 正気か!? 聖剣の騎士は甘ちゃんだなあ。僕がお前を生かして返すわけないじゃないか」

「なんでだよ……」

 皇子は俺につるぎの切っ先を向けた。

「将来、必ず邪魔になるからさ」

「俺、あんたの邪魔なんかしないよ?」

 間違っても皇帝の座なんかねらわねえ。

「ジュキ、彼はこのアカデミーで魔物の大軍を作るつもりなのよ」

 レモが静かな怒りのこもった声で淡々と解説し始めた。

「そいつらを操って、亜人領に仕掛けるんでしょ」

 そういえばこの皇子、さっきそんなこと言ってたっけ。ショックすぎて記憶から消してたよ……

「でもジュキなら、どんなモンスターが押しかけて来たって倒してしまうわ」

「そういうことだ。魔力量で人族を上回る亜人どもは、我々にとって脅威でしかないからな」

「そんな―― 俺たち、人族を攻めたりしないじゃん……」

 泣き出したいのをこらえる俺を、皇子は愉快そうに見下ろす。

「今はな。だが歴史をさかのぼれば、亜人どもが人族地域に攻め入って、我々が支配を受けた時代もあった。僕は未来に憂いを残したくないのさ」

「憂いですって?」

 レモが真っ向から対立する。

「あなたはただ恐れに従っているだけ。理想を描けないあなたには、この帝国を導く資格はないわ」

 その言葉に皇子の眉がぴくりと跳ね上がった。激怒するかと思いきや、彼は怒りを抑えた声で反論した。

「愚かな公爵令嬢よ、僕の理想は人族の繁栄さ。将来のリスクを取り除くために今、魔石救世アカデミーに投資しているのだ」

 いつの間にか俺のとなりに立っていたレモが、俺の手をぎゅっとにぎった。

「私の理想は人族だの亜人族だの関係なく、みんなが幸せに暮らす帝国よ。あなたのおじい様はそれを実現したわ」

「異端の国の公女に、帝国中枢のまつりごとを語る資格はない」

  皇子は勝ち誇ったように宣言すると、パチンと指を鳴らした。

「第二の器を持て!」

 大声で命じた相手は、またあの操られたような一般会員だろうか?

「器って――」

 レモが息を呑む。

「まさかあなたたち、ロベリア叔母様の次に乗り移る人間を用意していたってこと!?」

 なるほど、さすがレモ、頭がよく回る。

「異端の聖女よ、安心したまえ」

 皇子はいきどおるレモに、あざけりの視線を向けた。

「あれは、お前たち異端の国の貴族女性にしか取りけないそうだ」

 聖ラピースラ王国の貴族は、ラピースラの姉たちの血を引いているからだろう。

「ほかの人間でも自我を奪ってやれば乗り移れるようだが、弱い者に取りいても意味がないからな」

 皇子の言葉に、廊下をガラガラと転がる車輪の音が重なる。近付いてきたその重い音が、部屋の前でぴたりと止まった。両開きの扉を押し開けたのは、額に魔石を埋め込まれた一般会員たち。それを見たとき俺は、ハッとした。

「あの額の魔石―― 彼らから意思を奪うためだったのか!?」

 瞳に何も映さない一般会員たちが、布のかかった大きな箱のようなものを運びながら、ぞろぞろと入ってきた。

 皇子は彼らを満足げに見回しながら、

「まあ当初の目的からは外れてしまったが、この技術は使えるものではあった」

 こいつは臣民を家畜か何かだとでも思っているのか!?

「グ、グオォォォォ……」

 黒い布がかぶせられたおりの中から、くぐもったうなり声が聞こえてきた。


 ─ * ─


クズ皇子が呼び寄せたものは・・・? 次話に続く!
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