132 / 191
Ⅱ、道中ザコが襲い来る
29、天使の歌声は魔物をしずめ、魔法学園の生徒たちを興奮させる
しおりを挟む
「雑魚ばっかだけど、放っておくわけにもいかなそうね。街道まで出てきて帝都へ行く道をふさがれたら困るわ」
学生たちの一団には近付かず馬車を見下ろすレモ、学園の奴らと関わり合いになりたくないんだろう。
「仕方ねえな」
俺は竪琴を取り出すと軽く調弦した。倒すのではなく鎮めるのなら、歌声魅了のもっとも得意とするところ。
「やったー! 歌ってくれるのね!」
不機嫌だったレモの顔に笑顔が戻った。
「ふふっ、あんたがそうやって喜んでくれると、俺も歌いがいがあるよ」
「森全体にジュキの声を届けるわ」
レモは胸の前で印を結ぶと、目を伏せて静かに呪文を唱えた。
「聞け、風の精、麗しき詩、汝が掌にて遥かなる地まで運びたまえ」
竪琴を鳴らしながら見下ろすと、レモの師匠らしきおっさんが、生徒たちを守りつつメタルスライムを駆逐しているところだ。数は少ないが、マジックソードを使う生徒もいるし、俺が歌っているあいだくらい持ちこたえるだろう。――レモは彼らを守りたくはないみてぇだからな。
「拡響遠流風」
レモの風魔法が森全体に広がってゆく。俺は空中に浮かんだまま、魔物たちのために子守唄を歌った。
ずっと昔、母さんが俺のベッドに腰かけて歌ってくれたあの旋律。母さんの手のひらが、優しく俺のひたいをなでてくれた――
「――お眠りなさい、いとおしい子よ。
夜は大きな黒い布、あなたをやさしく包み込む――」
いつもよりやわらかい声を出すように意識する。自然に歌うと俺の声質は、ピンと張った弦のように芯のある音色なのだ。でも今日は、鋭い音を出さないよう丁寧に息を流す。声量が犠牲になってしまうが、そこはレモの魔法で補ってもらえるからありがたい。
「――お休みなさい、大切な子よ。
朝にはまた陽の光が、あなたをやさしく包み込む――」
紡ぎ出した旋律は、輝く一本の糸のように森の彼方へ伸び行き、淡くくすんだ空との境界線へ消えてゆく。
本来この曲に伴奏なんてないから、竪琴パートは俺の編曲だ。ポロロンと最後の和音を奏でると、瘴気の森が静まり返っていることに気が付いた。
「素晴らしいわ、ジュキ」
レモのまなざしも、聖母のように優しさに満ちている。
「ありがとう。馬車に戻ろう」
俺は竪琴を左手に抱えたまま、右腕でレモを抱き寄せた。
馬車のほう――つまり街道近くの浅い森には魔法学園の生徒たちがいる。
「奏楽の天使がこちらへいらっしゃるわー!」
「天使様の歌、感動しましたわ!」
女子生徒はまだいいとして、
「天使ちゃん、サインくれーっ!」
野太い声まで響き渡る。一体なんなんだ…… だが俺の腕の中のレモを見上げた一人が、
「あの猫耳の子、レモネッラさんにそっくりじゃない?」
「あらやだ! あの気の強そうな目つき、不満そうな口もと―― 間違いないわ!」
「猫耳のカチューシャなんか付けちゃって、あんな趣味だったかしら?」
確かにキャラじゃないよな。そこは俺も同意する。
「私はわけあって変装してるの!」
空から大声を出すレモ。
「やっぱり本人ですわ!」
「あんなかわいらしい銀髪の乙女と抱き合っちゃって、レモネッラさんのくせに!」
「そうよそうよ! ガサツで有名なレモネッラさんのくせに生意気ですわ!」
「聞け、風の精――」
腕の中でレモが呪文を唱え始めて、俺は慌てた。
「お、おいレモ! あの子たちに攻撃するなよ!?」
「だ、だってぇぇ! 悔しいんだもん!」
駄々をこねる姿がかわいい。
「何が悔しいの? ほっときゃいいじゃん。今のあんたには俺がいるんだから」
一瞬、レモの頬に唇を近づける。
「チュッ☆ なんちゃって」
「ちょっ……ジュキ、天使っていうか小悪魔――」
真っ赤になって何か言いかけたレモの声をかき消すように、
「きぃやぁぁぁっ!!」
下から黄色い悲鳴が聞こえた。
「大変! 美少女のキスシーン見ちゃった!」
うるせーなーと思っていたら――
「ゆ、百合だ…… 尊い……」
男の声まで聞こえる。
「うわぁお前鼻血出すなよ!」
感動している男子生徒の横に立っていた青年が飛びすさった。
モンスター襲撃以上の大騒ぎになってしまった。そそくさと馬車に戻りつつ振り返ると、明らかにレモの師匠が苦笑している。――あのおっさんは俺の正体、知ってんのかな? レモが手紙でどこまで伝えているのか分からない。
前の馬車が動き出し、俺たちの御者も馬を進める。
「それではユリア様、お元気でー!」
窓の外からハーピーのファルカさんが、居眠りしているユリアに声をかけ、
「うわっ、おっ!?」
目覚めたユリアに、
「ユリア様、アタイのオリハルコン貨、こいつが奪ったんです!」
「何言いだすんだ! この嘘つきめ!」
まだケンカしている狐女とイタチ男を街道に残して、俺たちは帝都前最後の宿場町に向かって走り出した。
「そうそうユリア、これ拾ったから返しておくわね」
獣人族三人とロック鳥の姿が見えなくなると、レモがポケットからコインを出した。
「えっ!? オリハルコン貨!?」
さすがのユリアもびっくりしている。
「さっき森に落ちてたの拾ったの」
にっこりするレモ。犯人はあんたかよ……。狐もイタチもご愁傷様。
あきれ顔の俺には気付かないふりして、レモはいつもの口調で、
「師匠と魔法学園御一行様も私たちと同じ街に泊まるはずよ。宿は一緒にならないようにしなくっちゃ」
「ああ、そうだな」
俺もこれには賛同した。魔法学園の令嬢たちのいかにも女子らしいノリ、俺も苦手だもん。レモみたいにさっぱりした女の子なら普通にしゃべれるんだけど。
そしてその夜。俺たちはまた、ベッドルームが二つある特別室に泊まっていた。
トントン
扉をたたく音に、一応侍女という設定になっているレモが立ち上がり、猫耳のカチューシャをつけてドアを開けた。
廊下に立っていたホテルマンが、
「失礼いたします。教え子だったユリア・ルーピ伯爵令嬢様にお会いしたいと、元帝国騎士団魔術顧問セラフィーニ殿がいらっしゃっています」
「……師匠」
レモが小さくつぶやいた。
「やぁどうもどうも」
ホテルマンのうしろから軽い調子で現れたのは、紺色の長髪をうしろで一つに束ねた背の高い男。これが現代の賢者と呼ばれるアンドレア・セラフィーニ――
─ * ─
次話、何度も名前だけ出ていた師匠がようやく登場です。
学生たちの一団には近付かず馬車を見下ろすレモ、学園の奴らと関わり合いになりたくないんだろう。
「仕方ねえな」
俺は竪琴を取り出すと軽く調弦した。倒すのではなく鎮めるのなら、歌声魅了のもっとも得意とするところ。
「やったー! 歌ってくれるのね!」
不機嫌だったレモの顔に笑顔が戻った。
「ふふっ、あんたがそうやって喜んでくれると、俺も歌いがいがあるよ」
「森全体にジュキの声を届けるわ」
レモは胸の前で印を結ぶと、目を伏せて静かに呪文を唱えた。
「聞け、風の精、麗しき詩、汝が掌にて遥かなる地まで運びたまえ」
竪琴を鳴らしながら見下ろすと、レモの師匠らしきおっさんが、生徒たちを守りつつメタルスライムを駆逐しているところだ。数は少ないが、マジックソードを使う生徒もいるし、俺が歌っているあいだくらい持ちこたえるだろう。――レモは彼らを守りたくはないみてぇだからな。
「拡響遠流風」
レモの風魔法が森全体に広がってゆく。俺は空中に浮かんだまま、魔物たちのために子守唄を歌った。
ずっと昔、母さんが俺のベッドに腰かけて歌ってくれたあの旋律。母さんの手のひらが、優しく俺のひたいをなでてくれた――
「――お眠りなさい、いとおしい子よ。
夜は大きな黒い布、あなたをやさしく包み込む――」
いつもよりやわらかい声を出すように意識する。自然に歌うと俺の声質は、ピンと張った弦のように芯のある音色なのだ。でも今日は、鋭い音を出さないよう丁寧に息を流す。声量が犠牲になってしまうが、そこはレモの魔法で補ってもらえるからありがたい。
「――お休みなさい、大切な子よ。
朝にはまた陽の光が、あなたをやさしく包み込む――」
紡ぎ出した旋律は、輝く一本の糸のように森の彼方へ伸び行き、淡くくすんだ空との境界線へ消えてゆく。
本来この曲に伴奏なんてないから、竪琴パートは俺の編曲だ。ポロロンと最後の和音を奏でると、瘴気の森が静まり返っていることに気が付いた。
「素晴らしいわ、ジュキ」
レモのまなざしも、聖母のように優しさに満ちている。
「ありがとう。馬車に戻ろう」
俺は竪琴を左手に抱えたまま、右腕でレモを抱き寄せた。
馬車のほう――つまり街道近くの浅い森には魔法学園の生徒たちがいる。
「奏楽の天使がこちらへいらっしゃるわー!」
「天使様の歌、感動しましたわ!」
女子生徒はまだいいとして、
「天使ちゃん、サインくれーっ!」
野太い声まで響き渡る。一体なんなんだ…… だが俺の腕の中のレモを見上げた一人が、
「あの猫耳の子、レモネッラさんにそっくりじゃない?」
「あらやだ! あの気の強そうな目つき、不満そうな口もと―― 間違いないわ!」
「猫耳のカチューシャなんか付けちゃって、あんな趣味だったかしら?」
確かにキャラじゃないよな。そこは俺も同意する。
「私はわけあって変装してるの!」
空から大声を出すレモ。
「やっぱり本人ですわ!」
「あんなかわいらしい銀髪の乙女と抱き合っちゃって、レモネッラさんのくせに!」
「そうよそうよ! ガサツで有名なレモネッラさんのくせに生意気ですわ!」
「聞け、風の精――」
腕の中でレモが呪文を唱え始めて、俺は慌てた。
「お、おいレモ! あの子たちに攻撃するなよ!?」
「だ、だってぇぇ! 悔しいんだもん!」
駄々をこねる姿がかわいい。
「何が悔しいの? ほっときゃいいじゃん。今のあんたには俺がいるんだから」
一瞬、レモの頬に唇を近づける。
「チュッ☆ なんちゃって」
「ちょっ……ジュキ、天使っていうか小悪魔――」
真っ赤になって何か言いかけたレモの声をかき消すように、
「きぃやぁぁぁっ!!」
下から黄色い悲鳴が聞こえた。
「大変! 美少女のキスシーン見ちゃった!」
うるせーなーと思っていたら――
「ゆ、百合だ…… 尊い……」
男の声まで聞こえる。
「うわぁお前鼻血出すなよ!」
感動している男子生徒の横に立っていた青年が飛びすさった。
モンスター襲撃以上の大騒ぎになってしまった。そそくさと馬車に戻りつつ振り返ると、明らかにレモの師匠が苦笑している。――あのおっさんは俺の正体、知ってんのかな? レモが手紙でどこまで伝えているのか分からない。
前の馬車が動き出し、俺たちの御者も馬を進める。
「それではユリア様、お元気でー!」
窓の外からハーピーのファルカさんが、居眠りしているユリアに声をかけ、
「うわっ、おっ!?」
目覚めたユリアに、
「ユリア様、アタイのオリハルコン貨、こいつが奪ったんです!」
「何言いだすんだ! この嘘つきめ!」
まだケンカしている狐女とイタチ男を街道に残して、俺たちは帝都前最後の宿場町に向かって走り出した。
「そうそうユリア、これ拾ったから返しておくわね」
獣人族三人とロック鳥の姿が見えなくなると、レモがポケットからコインを出した。
「えっ!? オリハルコン貨!?」
さすがのユリアもびっくりしている。
「さっき森に落ちてたの拾ったの」
にっこりするレモ。犯人はあんたかよ……。狐もイタチもご愁傷様。
あきれ顔の俺には気付かないふりして、レモはいつもの口調で、
「師匠と魔法学園御一行様も私たちと同じ街に泊まるはずよ。宿は一緒にならないようにしなくっちゃ」
「ああ、そうだな」
俺もこれには賛同した。魔法学園の令嬢たちのいかにも女子らしいノリ、俺も苦手だもん。レモみたいにさっぱりした女の子なら普通にしゃべれるんだけど。
そしてその夜。俺たちはまた、ベッドルームが二つある特別室に泊まっていた。
トントン
扉をたたく音に、一応侍女という設定になっているレモが立ち上がり、猫耳のカチューシャをつけてドアを開けた。
廊下に立っていたホテルマンが、
「失礼いたします。教え子だったユリア・ルーピ伯爵令嬢様にお会いしたいと、元帝国騎士団魔術顧問セラフィーニ殿がいらっしゃっています」
「……師匠」
レモが小さくつぶやいた。
「やぁどうもどうも」
ホテルマンのうしろから軽い調子で現れたのは、紺色の長髪をうしろで一つに束ねた背の高い男。これが現代の賢者と呼ばれるアンドレア・セラフィーニ――
─ * ─
次話、何度も名前だけ出ていた師匠がようやく登場です。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,313
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる