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Ⅱ、道中ザコが襲い来る

29、天使の歌声は魔物をしずめ、魔法学園の生徒たちを興奮させる

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「雑魚ばっかだけど、放っておくわけにもいかなそうね。街道まで出てきて帝都へ行く道をふさがれたら困るわ」

 学生たちの一団には近付かず馬車を見下ろすレモ、学園の奴らと関わり合いになりたくないんだろう。

「仕方ねえな」

 俺は竪琴を取り出すと軽く調弦した。倒すのではなく鎮めるのなら、歌声魅了シンギングチャームのもっとも得意とするところ。

「やったー! 歌ってくれるのね!」

 不機嫌だったレモの顔に笑顔が戻った。

「ふふっ、あんたがそうやって喜んでくれると、俺も歌いがいがあるよ」

「森全体にジュキの声を届けるわ」

 レモは胸の前で印を結ぶと、目を伏せて静かに呪文を唱えた。

聞け、風の精センティ・シルフィード、麗しきうた、汝がたなごころにて遥かなる地まで運びたまえ」

 竪琴を鳴らしながら見下ろすと、レモの師匠らしきおっさんが、生徒たちを守りつつメタルスライムを駆逐しているところだ。数は少ないが、マジックソードを使う生徒もいるし、俺が歌っているあいだくらい持ちこたえるだろう。――レモは彼らを守りたくはないみてぇだからな。

拡響遠流風ポルタソンロンターノ

 レモの風魔法が森全体に広がってゆく。俺は空中に浮かんだまま、魔物たちのために子守唄を歌った。

 ずっと昔、母さんが俺のベッドに腰かけて歌ってくれたあの旋律。母さんの手のひらが、優しく俺のひたいをなでてくれた――

「――お眠りなさい、いとおしい子よ。
 夜は大きな黒い布、あなたをやさしく包み込む――」

 いつもよりやわらかい声を出すように意識する。自然に歌うと俺の声質は、ピンと張った弦のように芯のある音色なのだ。でも今日は、鋭い音を出さないよう丁寧に息を流す。声量が犠牲になってしまうが、そこはレモの魔法で補ってもらえるからありがたい。

「――お休みなさい、大切な子よ。
 朝にはまたの光が、あなたをやさしく包み込む――」

 紡ぎ出した旋律は、輝く一本の糸のように森の彼方へ伸び行き、淡くくすんだ空との境界線へ消えてゆく。

 本来この曲に伴奏なんてないから、竪琴パートは俺の編曲だ。ポロロンと最後の和音を奏でると、瘴気の森が静まり返っていることに気が付いた。

「素晴らしいわ、ジュキ」

 レモのまなざしも、聖母のように優しさに満ちている。

「ありがとう。馬車に戻ろう」

 俺は竪琴を左手に抱えたまま、右腕でレモを抱き寄せた。

 馬車のほう――つまり街道近くの浅い森には魔法学園の生徒たちがいる。

「奏楽の天使がこちらへいらっしゃるわー!」

「天使様の歌、感動しましたわ!」

 女子生徒はまだいいとして、

「天使ちゃん、サインくれーっ!」

 野太い声まで響き渡る。一体なんなんだ…… だが俺の腕の中のレモを見上げた一人が、

「あの猫耳の子、レモネッラさんにそっくりじゃない?」

「あらやだ! あの気の強そうな目つき、不満そうな口もと―― 間違いないわ!」

「猫耳のカチューシャなんか付けちゃって、あんな趣味だったかしら?」

 確かにキャラじゃないよな。そこは俺も同意する。

「私はわけあって変装してるの!」

 空から大声を出すレモ。

「やっぱり本人ですわ!」

「あんなかわいらしい銀髪の乙女と抱き合っちゃって、レモネッラさんのくせに!」

「そうよそうよ! ガサツで有名なレモネッラさんのくせに生意気ですわ!」

聞け、風の精センティ・シルフィード――」

 腕の中でレモが呪文を唱え始めて、俺は慌てた。

「お、おいレモ! あの子たちに攻撃するなよ!?」

「だ、だってぇぇ! 悔しいんだもん!」

 駄々をこねる姿がかわいい。

「何が悔しいの? ほっときゃいいじゃん。今のあんたには俺がいるんだから」

 一瞬、レモの頬に唇を近づける。

「チュッ☆ なんちゃって」

「ちょっ……ジュキ、天使っていうか小悪魔――」

 真っ赤になって何か言いかけたレモの声をかき消すように、

「きぃやぁぁぁっ!!」

 下から黄色い悲鳴が聞こえた。

「大変! 美少女のキスシーン見ちゃった!」

 うるせーなーと思っていたら――

「ゆ、百合だ…… 尊い……」

 男の声まで聞こえる。

「うわぁお前鼻血出すなよ!」

 感動している男子生徒の横に立っていた青年が飛びすさった。

 モンスター襲撃以上の大騒ぎになってしまった。そそくさと馬車に戻りつつ振り返ると、明らかにレモの師匠が苦笑している。――あのおっさんは俺の正体、知ってんのかな? レモが手紙でどこまで伝えているのか分からない。

 前の馬車が動き出し、俺たちの御者も馬を進める。

「それではユリア様、お元気でー!」

 窓の外からハーピーのファルカさんが、居眠りしているユリアに声をかけ、

「うわっ、おっ!?」

 目覚めたユリアに、

「ユリア様、アタイのオリハルコン貨、こいつが奪ったんです!」

「何言いだすんだ! この嘘つきめ!」

 まだケンカしている狐女とイタチ男を街道に残して、俺たちは帝都前最後の宿場町に向かって走り出した。

「そうそうユリア、これ拾ったから返しておくわね」

 獣人族三人とロック鳥の姿が見えなくなると、レモがポケットからコインを出した。

「えっ!? オリハルコン貨!?」

 さすがのユリアもびっくりしている。

「さっき森に落ちてたの拾ったの」

 にっこりするレモ。犯人はあんたかよ……。狐もイタチもご愁傷様。

 あきれ顔の俺には気付かないふりして、レモはいつもの口調で、

「師匠と魔法学園御一行様も私たちと同じ街に泊まるはずよ。宿は一緒にならないようにしなくっちゃ」

「ああ、そうだな」

 俺もこれには賛同した。魔法学園の令嬢たちのいかにも女子らしいノリ、俺も苦手だもん。レモみたいにさっぱりした女の子なら普通にしゃべれるんだけど。 



 そしてその夜。俺たちはまた、ベッドルームが二つある特別室に泊まっていた。

 トントン

 扉をたたく音に、一応侍女という設定になっているレモが立ち上がり、猫耳のカチューシャをつけてドアを開けた。

 廊下に立っていたホテルマンが、

「失礼いたします。教え子だったユリア・ルーピ伯爵令嬢様にお会いしたいと、元帝国騎士団魔術顧問セラフィーニ殿がいらっしゃっています」

「……師匠」

 レモが小さくつぶやいた。

「やぁどうもどうも」

 ホテルマンのうしろから軽い調子で現れたのは、紺色の長髪をうしろで一つに束ねた背の高い男。これが現代の賢者と呼ばれるアンドレア・セラフィーニ――


 ─ * ─


次話、何度も名前だけ出ていた師匠がようやく登場です。
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