上 下
96 / 191
Ⅳ、聖剣アリルミナス

36、聖剣の英雄として讃えられる

しおりを挟む
 俺は聖剣を振るい、蜘蛛の前脚を払った。

「ぐ、ぐおぉぉぉ!」

 毒蜘蛛は初めて苦痛の声を上げた。

「痛みが戻って来た…… なんだ、その剣は!?」

「これは聖剣アリルミナス。シーサーペントによれば、この剣で斬られた傷は、いくら不死身のあんたでも治せないって話だ」

「くっ、確かに私の前脚が戻らぬ――」

 蜘蛛は半ばから千切れた前脚と、地面に落ちた黒い脚を見比べた。

「死が――恐ろしい。なぜだ? 魔物だったころ、私に恐怖などという感情はなかった。いや、あっても認識しなかった。ラピースラ・アッズーリめ、私に不純物を混ぜやがって!」

 巨大な蜘蛛がうしろ足で高く跳ねた。悲鳴を上げる野次馬の上を軽々と飛び越える。

「逃がすかっ!」

 俺は背中の翼を伸ばし舞い上がると、蜘蛛を追った。

 地上でユリアが戦斧バトルアックスを振り回す。

「おっきな蜘蛛さん、こっち来ちゃだめーっ!」

 島の人々を守っているようだ。ちょうど着地点にいたユリアの戦斧バトルアックスにぶつかって、弾き飛ばされた蜘蛛が広場中央の雨水井戸に激突する。ぐしゃっと恐ろしい音が聞こえたが、すぐに再生するだろう。

「あんたはラピースラ・アッズーリに翻弄ほんろうされたあわれなモンスターだ。もう二度と人を食わないと約束する気はないか?」

 俺は動けなくなった蜘蛛の前に浮かんで、最後の望みに賭けて尋ねた。彼は加害者だが同時に被害者でもある。先祖返りした姿で生まれた俺は、故郷の村で悪ガキたちにいじめられてきた異端者だから、どうしても同情してしまう。

 だが石の井戸に刺さったまま、毒蜘蛛は嘲笑した。

「グハハハハ! 私は愚かな人間どもを滅ぼしたいと願っているのだぞ?」 

「それは本当にあんたの気持ちなのか?」

「笑わせるな! 私にはどれが自分の考えかなど分からん! 魔石を埋め込まれたそのときから私の中には負の感情が生まれ、ラーニョ・バルバロの脳を食って初めて、それが憎しみや苦しみと呼べるものだと知ったのだ!」

 魔石が媒介になって、深海の大岩に縛り付けられてる魔神アビーゾの意識に染められてるとかじゃないよな?

「私には、自分が誰だかすら分からん!」

 大蜘蛛は吠えると、口から炎を吐いた!

氷雨ひさめよ、ほむらを包みてめっしたまえ!」

 俺の精霊力を内包した水がすべての炎を消し去った。おびえた見物人は広場から道の方へ下がっている。

「氷の壁よ!」

 彼らに被害が及ばないよう、俺は広場を透明な氷でおおった。

「他人を守る余裕があるとは生意気なガキめ!」

 蜘蛛が大量の糸を放つが、

っ!」

 首元とベルトの裏につけた聖石に力を流すと不可視の結界が発生し、蜘蛛糸はその表面をすべってくたっと地面に落ちた。続いて毒針が襲い来るが、

「激流よ、全てを押し流せ!」

 俺にはかすりもしない。かわりに大蜘蛛が水をかぶってずぶ濡れになった。

てつけ」

「う……ぐ……」

 毒と火を吐く口も、糸の出る穴も凍りついて、毒蜘蛛はおとなしくなった。

「あんたを救えなかったこと、申し訳なく思うよ」

 俺は透き通った刀身を、毒蜘蛛の頭の上に構えた。

 人間の憎しみに染められてしまった哀しい魔物に俺ができるのは、引導を渡してやることしかないのか。すべてを終わりにしてやるのが、こいつのためなのかな――

「さようなら、ラーニョ・バルバロ伯爵。そして名もなき巨大毒蜘蛛グランスパイダー――」

 俺は聖剣アリルミナスを振り下ろした。水の如く透き通った刃が大蜘蛛の頭に触れたと思った瞬間、あたり一面が聖剣の放つ銀色の光に染まった。

 巨大な蜘蛛の形が溶け消えてゆく。炭のように崩れ落ち、微細な黒い粒子が風に運ばれ空の彼方へ飛んでゆく。

 ――竜人の若者よ。ラピースラ・アッズーリにもてあそばれたこの体から、我が魂を解き放ってくれたこと、感謝するぞ――

 青空へ散ってゆく黒い霧を見上げる俺の耳に、確かにバルバロ伯爵の声が聞こえた。それは彼自身の言葉だったのか、それとも実験に使われた幾多の魔物たちの思いだったのか、俺には分からない。

「あんたの魂が、異界の神々のもとで幸せになれることを祈っているよ。かつては聖魔法教会の信仰者だったバルバロ伯爵は、そう信じていたはずだから――」

 俺の足元には二つ、真っ黒になった魔石が転がっていた。

「まあ我々の教義にあるように、生まれ変わってこられても困りますしね。ハハハ!」

 礼拝堂の扉が開いて、精霊教会の司祭が出てきた。その手には、精緻な銀細工のほどこされた鞘を持っている。

「礼拝堂奥の宝物庫から探してきました、聖剣アリルミナスと一緒にヴァーリエ大聖堂から託された鞘です。本当に聖剣を振るい不死身の魔物を倒すとは――聖剣の真の使い手たるあなたが、この鞘も持つべきです」

「ありがとう」

 俺は放心状態で鞘を受け取ると聖剣を収めた。あつらえたようにぴったりだった。広場に張った氷の結界を解除した途端、

「不死身のモンスターが討伐されたぞーっ!」

「オレ達の街は救われたんだ!」

「英雄の誕生だ!!」

 島の住人がわっと押し寄せてくる。

「さすが私のジュキだわ! 圧倒的な勝利だったわね!!」

 走り寄って来たレモが俺をぎゅっと抱きしめた。

「ジュキくん、すっごーい! めちゃくちゃ強いのーっ!」

 ユリアがぴょんぴょんと俺のまわりを飛び跳ねる。

「ジュキエーレ殿、我が領地を救ってくれたこと、まことに感謝する」

 前伯爵は薄い白髪におおわれた頭を下げてくれた。

「すげーな、一切攻撃受けずに倒してたじゃないか!」

「聖剣一振りで決着ついちまったぜ」

「聖剣の英雄の戦いっぷりを間近に見られるなんて感動だ!!」

 街の人々も口々に騒いでいるが、俺は晴れやかな気持ちになんてなれなかった。会話のできる相手の命を消したことが、心に重くのしかかっていた。

「なんで俺がこんなことしなくちゃいけないんだ」

 抱きしめてくれているレモにだけ聞こえる声でつぶやいた。

「きみにしかできないことだからよ」

 レモは即答した。さらに強く俺を抱きしめ、励ますように背中をたたいた。

「不死身の魔物へ変えられてしまった彼を救うなんて、ジュキにしか成し遂げられないわ」

「俺はあいつを救ったのか?」

「私にはそう見えたけど?」

 レモは少し身体を離すと両手で優しく俺の二の腕を抱いたまま、まっすぐ見つめた。

「ジュキは最期、彼が安堵していたの感じなかった?」

「…………感謝するって言われた」

 俺は伏し目がちに、ぽつんと答えた。

「でしょ?」

 レモは大輪の花が咲くように明るく笑うと、俺の頬に唇を押し当てた。

 まわりの奴らがからかうのも気にせず、俺はレモを抱きしめた。大好きな彼女が笑ってくれるなら、俺はきっと大丈夫。

「ああっ、危ないからこの魔石には触れないで!」

 司祭の慌てた声で俺は我に返った。

「すさまじい瘴気を感じます。入念に儀式をおこなって浄化しないと――」

「あら、そんな必要ないわ」

 レモが事もなげに言い放つ。片腕で俺を抱きしめたまま、高速で呪文を唱えると、

清浄聖光ルーチェプリフィカ!」

 聖魔法を放った。白い光が漆黒の魔石に収束してゆく。

「おお! 魔石の色が変わったぞ!」

「英雄の恋人は最強の聖女か!」

 人々が興味津々のぞきこむあいだに、魔石は美しい水色に戻っていた。

「ジュキエーレ殿、褒美として受け取ってほしいものがあるのじゃが――」

 前伯爵が俺の様子をうかがうように話しかけてきた。





----------------------





島を救った褒美とは?
聖剣もらったし他に何があるんだろう? と思った方、しおりをはさんでお待ちください!

ちなみに次回、なつかしのイーヴォが再登場ですよっ('ω')ノ
しおりを挟む

処理中です...