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第02話、皇女と侍女の変身

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 翌朝――

「おはようございます、ルシール様」

 朝早く、私はニーナの元気な声に起こされた。沈んでいる私の気持ちを察して、さりげなく元気づけようと明るく振る舞ってくれる彼女のやさしさに、胸の奥が熱くなる。

「今日は婚礼の儀、大忙しですよ!」

「そうね。このベッド大きすぎるからブランケットが重くて、よく眠れなかったわ」

 私は兄が使っていた天蓋付きの大きなベッドの上に身を起こした。もちろんリネン類は、昨晩すべて新しいものに変えてもらった。

「ほんと、お部屋もむだに広いですからねぇ」

 と、広間のような寝室を見回すニーナ。

「こんな広い部屋に侍女があなた一人なんて」

 母が生きていたころは複数の侍女が私の身の回りを世話してくれたものだ。まあ実際ニーナ一人で充分なのだが、屋敷内での私の地位をおとしめるために父が采配したというのが気に入らない。

「そういえば兄の侍従たちは?」

 ずらずらと引き連れていたのを思い出した私に、ニーナの表情が少しかげった。

「いまも寝たきりの皇太子さまに付き添っているそうです」

「ああ、魔術医だけではなかったのね」

「はい、お体を拭いて差し上げたり、お召し物を変えるなど――って、陛下はルシール様になにも話されないのですね!」

 うつむいていたニーナは、我慢できないと言わんばかりにこぶしをにぎりしめた。

「まあまあ怒らないでちょうだい、ニーナ」

「私は悲しんでいるんです!」

「ありがとう。私がブリューム自治領への侵攻に反対したのがいけなかったのよ」

「陛下がルシール様をまつりごとから遠ざけているのは存じ上げております。でも今回のことはルシール様に直接関係があるのに……」

「五年前、母を亡くしてから父は変わってしまったの」

 私がよほど悲嘆にくれた様子だったのだろう。ニーナはハッとして、笑顔を作った。

「本日のお召し物はこちらです!」

 と男物の服を差し出した。それは――贅沢にレースをあしらったシャツ、繊細な刺繍をほどこしたベスト、あざやかなコバルトグリーンの長上着ジュストコールに同じ布で織られたキュロットだった。

「ルシール様のオリーブグリーンの瞳によく似合うと思いますわ」

 ニーナが私の気持ちを上げようとしてくれる。

 私はレースのシャツに腕を通しながら、

「ニーナ、あなたも男装しなければいけないんでしょう?」

「そ、そうなんです。私、ルシール様みたいに背が高くないから、きっと似合わないですよ……」

「そんなことないわ。ぽっちゃりしてるからかわいい侍従になると思うわよ」

「ぽっちゃり!? ひどいです……」

 あ、しまった。ほめたつもりで落ち込ませてしまった。

「でもルシール様の言う通りです。私、胸がきつくって…… ルシール様みたいにほっそりしてないから」

 んんん? 胸がほっそりって――言い返された?

 私は気付かなかったことにして、

「えーっとじゃあ、あなたのことは人前ではニーノと呼ぶわね」

「えぇ~、私マクシミリアンにしてもらおうって昨晩から考えていましたのに……」

 偽名のアイディア練ってるとかノリノリじゃないの!

「マクシミリアンて…… そんな本名とかけらもかぶらない名前、ぱっと出てこないでしょ!」

「ニーノって…… ダサイ」

「全国のニーノさんにあやまりなさい」

 などと言いながら、私はニーナに手伝ってもらって男性の衣服を身に着けた。仕上げにヒールの靴を履く。バックルには豪華にも小粒のダイヤがいくつも並んでいる。

 ニーナが私の長いブルネットの髪をうしろで一つにまとめて三つ編みにしてくれた。

「完成です、ルシール様―― いえ、セザリオ様と呼ばねばなりませんね」

 姿見の中には、一瞥しただけでは兄にしか見えない美青年が立っていた。

 だが象牙のようになめらかな肌は明らかに兄より美しく、長いまつ毛に縁どられたオリーブグリーンの瞳は色こそ兄と同じものの、やさしげなまなざしは似ても似つかない。形の良い鼻は共通しているが、さくらんぼ色の唇はあでやかな魅力をかもしだす。兄と同じ色のブルネットの髪は、しかしずっとつややかで高貴な印象を引き立てている。

「お美しいです、セザリオ様」

 ニーナがうっとりとながめている。私は小さくため息をついて、

「伸びすぎた身長が役に立つとはね」

 と、自分の手足をながめた。すらりと伸びた四肢は健康的な青年そのものだ。

「ちゃんと兄に見えるかしら?」

「もちろん。だれも見分けられないでしょう」

 ニーナはしっかりとうなずいた。「ご家族以外は皇太子殿下のお顔をジロジロとご覧になったりしませんもの」

 確かに父以外は皆、平身低頭している。

 ニーナはポンと手を打って、

「思い出しました! 何か見覚えがあると思ったら、肖像画の皇太子殿下ですわ!」

「ああ、あの美化された絵ね」

 兄お気に入りの肖像画家は、王族や貴族を美化して描くのがお得意だった。時には、本人と共通しているのは目と髪の色だけ、なんてことも。

「ルシール様とセザリオ様はお姿こそそっくりですが、お人柄は正反対ですね」

 ニーナの言う通りだった。好戦的な性格の兄がまつりごとに参加するようになって、帝国内の平和はさらに失われていった。

「このまま目覚めないでいてくれればいいのに」

「え?」

「いえ、なんでもないわ。さあ、次はニーナ――いえ、ニーノくんの番よ。私が髪を結ってあげるわ」

「光栄です、ルシ――セザリオ様!」

「お互い慣れないと大変ね!」

 私たちは笑いあった。

 着替え終わったニーナの明るいオレンジブラウンの髪をうしろで一つにまとめ、布のリボンを巻きつける。

「できたわ! やっぱりかわいいじゃない」

「そうですかぁ?」

 姿見の中で丸顔の少年が恥じらっている。茶色い瞳をくるくるさせて、子犬のような愛くるしさだ。

「侍従というより小姓ね」

 クスクスと笑う私に、ニーナは不満そうに口をとがらせた。

「ルシール様は美青年になったのに。ずるいです……」



(18世紀は男性もヒールのある靴を履いていた)
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