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05、第二王子ローラン、シェリル嬢を救うべく奔走する

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 僕は少しだけ若い姿で王宮の自室に立っていた。暦を確認すると、ちょうど一週間前がシェリル嬢のお祖母様の葬儀だった。

「すでにモニカ女史は解雇されているな」

 目を閉じるとまぶたの裏に、先ほどまでこの手にあった日記帳の内容が、右上に記されていた日付と共にありありとよみがえる。

「僕の記憶力がこれほど役に立つとは。まずはおかしな教育係に対処しなくちゃ」

 三歳若いとはいえ、兄はすでに父上の政務を手伝い忙しくしていた。彼と話せるのは王家の家族が集まる夕食時しかない。それも食べている間はおしゃべりするなと言われているから、食後のひと時がチャンスだった。

「侍従の一人が出入りの仕立て屋から聞いたそうですが、シェリル嬢の優秀な教育係が辞めてしまわれたそうですね」

 僕の言葉に、壁際に控えていた母上の侍女頭――ノヴェッリ伯爵未亡人がぴくりと眉を跳ね上げたのに気付いた。王族の会話に口をはさむわけには行かず黙っているが、あとで聞かなくちゃ。と思っていると――

「それってモニカ女史のことかしら?」

 母上が振り返ってノヴェッリ伯爵未亡人に尋ねた。

 フィオリーニ公爵家を解雇されたモニカ女史は、なんとノヴェッリ伯爵家令嬢の教育係に再就職していた。優秀なモニカ女史の噂は社交界にも流れていて、多くの貴族が我が娘の教育係に雇いたいと手ぐすね引いて待っていたところ、どういうわけか契約が終わったというのだ。

(公爵邸のお金をくすねたなんて話、どこにも出てこないじゃないか)

 シェリル嬢の両親が彼女をだますために使った方便だったのだろう。

「モニカ女史はシェリル様の教育係を続けられないことを大変嘆いておいででした」

 食卓に乗った大きな燭台のロウソクが、ノヴェッリ伯爵未亡人の横顔に暗鬱な陰を落とした。その表情からモニカ女史の落胆ぶりが伝わってくるようだ。

「僕、怖い夢を見たんですけど、公爵家が新しく雇った教育係がとてもおかしな人なんです!」

 侍従から聞いた話とするには限界があるので、予知夢を見たことにする僕。ずいぶん厳しいこじつけにも関わらず、僕を信頼しきっている兄は相好を崩した。

「ローラン、お前は過去を記憶するだけじゃなく、未来のことまで分かるようになったのか? 水晶玉でものぞいて様子を見ておこうか」

 さて翌朝、礼拝堂ですれ違った兄は顔色を変えていた。

「大変だ。私の婚約者が狂わされてしまう! 水晶玉でのぞいたら、新しい教育係とシェリルが笑い方の練習をしていたんだ。こうやって」

 兄が手の甲を頬に添えて悪役令嬢の高笑いスタイルを真似たので、僕は吹き出しそうになるのを必死でこらえた。顔面蒼白な兄は、いたって真剣なのだ。

 モニカ女史の教育を継続して受けさせたい王家の意向という理由で、シェリル嬢は一日おきにノヴェッリ伯爵未亡人の邸宅へ馬車で通うことになった。

「そろそろシェリルのデビュタントの日だ。美しく成長しているだろうなあ」

 ある日の夕食後、嬉しそうな兄を横目に見ながら僕はまた動かなくちゃと思っていた。暦を見ながら時機をうかがって、

「兄上、怒らずに聞いてください。また変な夢をみてしまったのです。シェリル嬢がデビュタントで虎柄のドレスを――」

「虎!?」
 
 唖然とする兄には申し訳ないが、話を続けさせていただく。

「はい。フィオリーニ公爵家ご用達の仕立て屋が、せっせと縫っているところです」

 咆哮を上げる虎の首が生き生きと刺繍されたドレスは、公爵家に納入される前に王家の執事によって差し押さえられた。ついでに宝石商が大量に受注したネックレスやブレスレットも。

「フィオリーニ公爵は財政が厳しいと申しておったのに、娘のデビュタントにあんな趣味の悪いドレスや宝石を買い付けるなんて、何を考えているんだ!」

 兄は夕食のパンを片手で握りつぶし、母上に眉をひそめられた。

 兄上と父上が話し合った結果、シェリル嬢はとりあえずデビュタントまで、ノヴェッリ伯爵未亡人のお屋敷に仮住まいすることとなった。祖母を亡くした心の傷が癒えるよう、祖母との暮らしを思い出す公爵邸を離れていただくという、やや無理のある理由が考えだされた。

 舞踏会当日―― 兄のエスコートであらわれたシェリル嬢は見違えるほど美しく成長していた。いや、もともと綺麗な顔立ちをしていたのは知っている。だが僕の記憶の中の彼女は、痩せぎすで目の下にくまを作って、趣味の悪いドレスに身を包み高笑いをあげていたのだ。

「まあ見て。ベルナルド殿下の婚約者、シェリル様よ」
「わあ、なんてお美しい」
 令嬢たちのうわさ話が聞こえたフィオリーニ公爵夫妻、喜ぶべき場面なのに無表情だ。

「ベルナルド殿下とお似合いね!」
 なんて声も聞こえてくる。弟として誇らしい気持ちと―― なんだろう、このチクリと胸に刺さる痛みは……。

「ローラン、次はお前がシェリルと踊りなさい」

 兄にうながされ、僕はシェリル嬢をダンスに誘った。

「喜んで」

 後ろ足を引いて、ふわりと挨拶するシェリル嬢が可憐で愛らしい。ふっくらとした頬には血色もよみがえって、薔薇色に染まっている。

 彼女の細い腰に手を添えると、白い胸元からかぐわしい匂いが立ちのぼってきた。つややかな黒髪の上でシャンデリアの光が舞い、品の良い小さなイヤリングがきらりとまたたいて彼女の美しさを引き立てた。

 僕の腕の中でステップを踏む彼女は兄の婚約者。そう、僕が敬愛する兄の妻となる人なのだ。

 デビュタントを終えてもシェリル嬢は実家に帰りたがらなかった。しかし両親の悪口を言うべきではないと考えているのだろう。

「今日は少し熱っぽくて馬車旅に耐えられません……」

 などと言って帰宅を引き延ばすだけ。僕には彼女の気持ちが痛いほど分かった。

 絶対に誰にも言わないという約束で、ノヴェッリ伯爵未亡人の娘さんがシェリル嬢から両親の悪行を聞き出した。恐ろしいことに彼女は両親から日常的に折檻を受けていたのだ。日記には一度だけ、公爵からステッキでぶたれたと書いてあったけれど、繰り返されていたなんて――

 誰にも言わないなんて約束ほど当てにならないものはない。ノヴェッリ伯爵令嬢の訴えにより、シェリル嬢の身柄は王宮敷地内の離宮に移された。未来の王太子妃をいつまでもノヴェッリ伯爵邸に住まわせておくのは、伯爵家の負担になるからだ。

 というわけで僕は、何かと理由をつけては未来の義姉に会いに行った。大丈夫、義理の弟として親交を深めているだけだから。

「ローラン殿下にはいつもお優しくして頂いて、どうお礼を申し上げればよろしいのでしょう」

 少しだけ頬を紅潮させて、シェリル嬢はうつむいた。なぜか僕とはなかなか目をあわせてくださらない。彼女の美しい緑の瞳を、まっすぐ見つめたいのに。

 事件はオペラのシーズンに起こった。
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