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番外『怠惰』のつくりかた

兄弟ふたりで

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 パチパチと、何かが弾けるような音と、壊れたような笑い声。木や肉の焼ける匂いがする。
 あと、皮膚が焼けるように熱い。手も、足も、指先から燃え爛れて、生きながら火葬されているみたいだと思った。
 あまりにもうるさくて、臭くて、熱いので目が覚める。
 炎の中にいた。
 そこら中に火柱が立ち上って、火の粉が飛び回っていた。足元には死体が転がっていた。男が2人、女が1人。顔を寄せずとも、死んでいると分かるような有様だった。
 僕の服は血と煤で汚れていて、手も、握りしめていたナイフも真っ赤だったので、ああ、僕が殺したのだと分かった。
 視線を右に。
 ひび割れた鏡に、満月が映っていた。ついでに、仰け反り、涙を流しながら笑う僕が映っていた。
「───────っ、」
 僕はただただ笑っていた。火傷した喉で、呼吸すら碌にできないまま、壊れたみたいに。
 気付いても、うるさい笑い声はずっと止まらない。
 達成感か充足感か、虚しさか。何故自分が笑っているのかもよく分からないまま、轟々と燃え盛る火に全身を呑まれた。

 ***

 パチパチと、何かが弾けるような音がする。肉が焼ける匂いと、皮膚が焼け爛れるような熱さ。
 あまりにもうるさくて、臭くて、熱くいので目が覚める。

「……火」

 蒼い炎が、鬼火のように室内を飛び回っている。炎を追って視線を巡らせれば、見知った青年と視線がかちあう。
 そして初めて出会った時のように、青年──マコトは机の上で足を組んで、「え、なに」と目を剥く。顔の右半分だけが炎に照らされた笑顔は、どこか薄気味悪いものだった。

「もう起きたの?おはよう」
「……何を、してるんだ」

 思ったよりも低い声が出て、自分でも驚く。
 けれど無理もないと思う。
 男が2人、女が1人。
 ────顔を寄せずとも、死んでいると分かる状態だった。
 顔の造形すらわからない。半分肉塊のようになったそれらが転がる床は、赤黒く汚れている。
 思わず目を逸らし、うずくまる。宙吊りになったような心地のまま「何してるんだ……」ともう一度呻くと、マコトは、きょと、と目を見開いた。

「再現だよ」

 そう断じて、窓の外を一瞥する。従うように窓を見ると、なるほど、確かに綺麗な満月が出ていた。
 炎に、月。今の位置どり。確かに、その通りだと──再現だと思った。
 これではまるで、あの夜の焼き増しだ。

「……二人きりじゃない事を除けば」

 言えばマコトは、こて、と首を傾げる。
 歳不相応に幼い所作で、心底わけがわからないとでも言いたげに。単純に気味が悪いと思った。

「いたよ」
「……なに」
「だからあの夜も、もう1人居たじゃん。死んでたけどね。……視覚阻害魔術を使ってたから、見えなかっただけだろ?」

 思い出すのは、血塗れの服を着たマコトと、一瞬足下へと向けられた視線。
 背中を冷や汗が伝うみたいだった。無いはずの脊髄を、氷柱でなぞられたような恐怖。

「……な、んで」

 だとしたら何故、あの夜、僕は──否、マコトは。
 ────『再現だよ、俺がこうなったときの』
 ──── 『再現してみればビンゴ。身体の主も引き寄せられたわけだし』
 ────『炎と満月、そして当事者以外の人間の死。『来訪者』に選ばれるためには一定の条件があるのではないかと考えています』
 脳内にフラッシュバックする言葉。
 彼は『来訪者』を解放する事など、微塵も考えていなかった。ただ魂の仕組みを明かし、都合良く操る方法を確立したかっただけだ。
 だから他の『来訪者』たちから話を聞き出した。
 そんな仮説に眩暈がする。
 炎。満月。そして当事者以外の人間の死。
 即ち、生贄。
 だとしたら、僕が死に、僕らが繋がったあの晩。
 そして、僕を地獄から呼び戻したあの晩。
 ────今までに彼は、一体『誰を』何人手に掛けてきたのだろうか。

「お前の蘇生は実の所、半分失敗してた。肉体が残ってるとは言え、死んで時間が経ちすぎてた。魂だけの生成りだ」
「……きみは」
「だから、調整が必要だった。今度こそおまえを完全に──」
「いらない。そんなの、いらない……!」

 僕の叫び声に、窓ガラスがガタガタと揺れる。
 彼は僕を復活させるために、あの夜誰かを殺したのだと言う。そして今夜も、同じ事を繰り返したと言っている。それが僕のためになると、本気で信じているからだ。

「僕は生き延びたくなんてない、僕はこのまま死んでも構わなかった!」
「でも、お前を苦しめる人間はちゃんと全員殺すよ。何をそんなに怯える必要があるの?」
「君こそなんでわからない。誰かを殺してまで手に入れる生に、僕は価値を感じないって言ってるんだ」
「………………」
「なあ、君。マコト、教えてくれよ。いつか僕は聞いたよな。『未練はないのか』って。君はないと言った。それは────」

 頭を抱えながら、まとまらない思考を吐き出す。
 僕はどうしたら良い。彼は何を抱えていて、僕は彼に何をしてやれる。

「本当だよ」

 影が差す。足音すらなく、霧みたいに僕の眼前に佇んで。

「あの世界に未練なんてないよ」

 膝を折り、相貌を覗き込んでくる。
 僕の顔なのに、僕じゃないみたいだ。優しげに眦を撓ませて、「ああいや」とマコトは唸った。

「一つあるな。義母だけをこの手で始末できなかったこと」
「…………ああ、」
「でも、全てを終わらせた。みんな殺した。兄も、その嫁子も……ああ、実の父親も」

 一瞬マコトが、あの藤色の目をした青年と重なって見えた。夢の中で見た青年だ。
『火事に巻き込まれて死んだ』と彼は言った。確かに嘘ではないが、実の所それは、完全な真実でもない。
 イガタマコトは、焼身自殺を図ったのだ。自らから『ヨウ兄』を奪った、万物を鏖殺した後で。
 あの業火の中血濡れで笑っていた彼は、確かに、『イガタマコト』に違いないのだ。

「初めてじゃなかったからね。今度は、涙すら出なかったよ」

 ぞ、と。嫌な寒気が背筋を走り抜ける。
『今度は』と言ったのだろうか。目を逸らし続けていた惨状に、いやでも視線が吸い寄せられる。
 暗闇に目が慣れたのだろうか。
 今度は細部までよく見える。
 血に汚れた、燻んだ光沢の金髪。最早そこに、あの日の彼の面影は無い。
 肉塊に埋もれるように横たわる、黒いリボン。誕生日に僕が彼女に贈った物だ。
 ああ、もう一つは。血溜まりに横たわる懐中時計。
 僕はずっと、この時計に相応しい、彼の方のような人間になるのが夢だった。

「お前を苦しめる人間は全員殺すって言った」

 そんな声が不協和音のように響いて、脳を揺らす。
 好きではなかったけど。
 一度は裏切られたけど。
 愛してはくれなかったけど。
 僕は彼らに、死んでほしいわけではなかった。
 どこからどこまでが父で、使用人の彼女で、ギネヴィアなのだろう。わからない。

「父…………さ、」

 ぐちゃぐちゃに潰れ、混ざり合った肉塊に、焦燥のまま手を伸ばす。
 それを遮るように、マコトの靴が血溜まりの中を踏み付けた。「ちゃんとしんでるよ」なんて無機質な声に、僕はマコトを見た。
 どんな顔でそれを言っているのだろうと思った。
 結局、マコトは面白みも何もなく、声の通りに無機質な表情をしているだけだった。

「…………何が目的だ」

 顔を覆う。もう何も見たくなかった。

「何がしたいんだよ、おまえ。人の家族勝手に殺して、わざわざ死んだ人間連れ戻して。……なぁ、『復讐』はもう、終わったんだろ?」
「『復讐』?」
「一回殺すだけじゃ──── 自分の家族だけじゃ、満足できなかったのか?怒りが治らなかったか。……ああ、見上げた執念だ。イカレてるよ、おまえ」
「っく、」

 くぐもった声は、堪らないとでも言いたげなものだった。

「は、は、は、は、は、は、は」

 歪な笑み聲は、尋常なものでは無かった。歪で、危うくて。常軌を逸した人間のそれだった。

「モーガン、違う。違うよ。俺は復讐なんて小難しい事をしたかったわけじゃない。俺の家族はもう殺した。復讐なんて終わった話だ」
「……」
「ずっと言ってるだろ?俺は、お前に生きていてほしいだけだって」
「っ、触るな!」

 冷たい指先が、頬に伸ばされる。かと思えば、そのまま抱き寄せられて。
 甘い花の香りと、頬をくすぐる、柔らかな髪の感触。
 一瞬見えた表情があまりにも嬉しそうなものだったから、掴み掛けた僅かな違和感を見逃してしまう。

「愛してるよ。実際に過ごした時間はほんの少しだけど、俺はずっとお前が大好きだった」
「けなげで、かわいそうで、かわいいモーガン。お前の日記を読んでから、ずっと悲しい気持ちだった。俺なら、お前にそんな寂しい思いはさせないのにって。……なのに何でお前は死んでしまったんだろう。なんで俺たちは、一緒に生きられないんだろう」
「でも、これからはずっと一緒だ。兄弟2人だけで、ずっと一緒に生きていこう」

 目を見開く。
 堪らず、マコトを突き飛ばす。そして、自らが『他人を突き飛ばせる』という事実に絶望する。
 ああ、やはり。僕は────

「…………っ、」

 視線を右に。
 ひび割れた姿見に写る僕は、敬愛なる『兄様』の姿をしていた。
 脳裏に蘇る、『ネコ』の死骸。こいつにとって兄様は、あの畜生の死骸と大差無い物だったらしい。

「ああ、」

 視界がグラつく。
 腹の底から、ドロドロと黒いものが湧き上がってくるのを感じる。これは、怒りではない。憎悪でもない。そんな、生易しい物ではない。
 これは、殺意だ。
 眼前の仇を、巨悪を、何としてでも縊り殺さねばならないという衝動。魂の叫びだった。

「──────────殺す………!」

 何かが弾けるような音がする。
 破砕音と共に、窓ガラスが割れる。端から照明が破裂する。風を切るような音。僕の怒気と一緒に押し出された本が、マコト目掛けて飛んでいく。

「これは贈り物だ。だから今度こそやり遂げる。神様が、やり直す機会をくれたんだから」

 そう呟くマコトは、ただ真っ直ぐに、自らの中の激情だけを見つめているようだった。
 僕の叫びなど、子牙にも掛けていない。
 ガラス片も、本も。悉くが、見えない壁に阻まれたようにマコトの鼻先で静止した。

「おれが間に合っていれば、ヨウ兄は自殺なんてしなくて済んだ。おれが早くこうしていれば──あいつらを、殺していれば」

 静かな叫びと共に漏れ出した気は、酷く不気味で、暴力的で、深層的な恐怖を煽る物だ。
 この男の気分一つで、人が大勢死んだり、国が一つ滅んだり。そう言ったレベルの厄災を起こす事ができるんじゃ無いのか。そんな気すらした。

「…………………僕はお前の兄じゃない」
「はは────、」

 終始彷徨っていた焦点が、ぴたりと僕に定まるのが分かった。光を一切反射しない翠眼が、見開かれる。嗜虐的な笑みが口端に浮かぶ。
 自分で声を上げておきながら、咄嗟に頭に浮かんだのは、『見つかった』という一言で。
 緩慢な動作で、しなやかな右手がこちらに伸ばされる。
 ぴん、と。
 空気が張り詰め、異様な緊張感が空間を支配した。

「知ってるよ」

 指を鳴らす。
 暗転。
 一瞬にして世界から音が消える。
 天井が下に、床が上に。かと思えば、左壁が頭上に、右壁が足元に。
 景色が目紛しい速度で駆け抜けて。途中で、自らが後方に吹っ飛ばされているのだと気付く。
 一瞬だった。
 轟音と脳を揺らす衝撃が響く。
 先刻いた場所とは反対側の壁に叩きつけられて、気付いたら床に張り付いていた。
 立ち上がろうとするも、鈍痛が走るばかりで全く身体が動かない。
 骨が折れたか。何処かしらのスジが切れたか。
 ……恐らく、両方だろう。
 何が起きたのかもわからないまま、僕は相貌を擡げた。

「ごめん、でもお前が悪いんだよ」

 先刻まで遠くに佇んでいた男は、瞬きする間に眼前に迫っていた。

「兄上の身体で本気で抵抗されたら、流石にちょっと抑えるのきちぃから」
「お前が、兄様を兄と呼ぶな──!」
「叫ぶな動くな。傷がひらくぞ」

 唇が震える。自分に今、折れる骨も切れるスジも存在する事実があまりにも悍ましい。膝を折り、這いつくばる僕を覗き込むように腰を下ろす。
 頑是ない子供をあやすような言動は、全く以て場違いと言う他ない。長くて白い指が、僕の頬を擦ってこびり付いた汚れを拭った。

「お前が大事なんだ」
「殺す」
「大丈夫。今は辛くても、いつかきっと俺に感謝する事になるよ」
「絶対殺してやる」
「それは困る。だって俺は、お前と一緒に生きたいんだから」

 恍惚に満ちた表情は、初恋の叶った少女のように蕩けた物で。それは少なくとも、今し方半殺しにした人間に向ける表情ではなかった。
 気味が悪くて仕方がない。屈辱に耐えられない。兄の──家族の命を奪った男に、命を握られているなんて。
 舌を噛み切って死のうとしたけれど、唇を押し割って這入って来た指に、すぐに阻まれる。

「爵位を継承したばかりで、『兄様』だけじゃ大変だろ?だめだよ、兄弟は助け合って生きていかなきゃ」

 木の葉でも掴むように僕の舌を弄んで、諭すように言う。「それに」と、僕の身体を抱き寄せる力は、先刻からは想像もつかないくらいの強さだった。死に体の僕にお前を突き飛ばすだけの力など残っているはずも無いのに。

「何度死んでも、おれはお前を連れ戻すよ。何度でも人を殺す」
 ────絶対に、逃がさない。

 耳を撫でた生温い声に、涙が溢れてくる。
 生きていても死んでいても、やっぱり僕は変わらない。何も変えられず、誰にも見えない。惨めで、惨めで仕方がなかった。
 涙が伝った後の頬の熱さは、久しぶりの物だった。
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