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番外『怠惰』のつくりかた

特殊疾患病棟

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「頭の悪い女の子だったね」

 マコトはそう言って、書斎から持ってきた本をバラバラと捲った。前々から思っていたが、その本の読み方はどうなんだ。ちゃんと頭に入っているのかと聞きたくなる。

「…………どの女の子だ」

 今日面会した中で、女性は2人いた筈だ。そのどちらにもマコトはフレンドリーに接していたが、心の中ではそんなふうに見下していたのか。

「最後の子」
「フォーキンズ……イトウサオリの事か」
「そう、その子」
「そうか?誰かに責められるほど頭が悪いとは」
「人の悪意と悪性を測れないってのは、1番の欠陥だ。アタマのネジが足りてないって事だよ」

 本から目線を上げもせずに言う。米神を2度弾くその所作からは、あの少女への心からの侮蔑が見てとれた。珍しいと思った。この男が、他人にこうもあからさまな悪意を向けるのを僕は初めて見た。

「噛み砕いて話してくれ。僕みたいな凡才にもわかるように」
「なに、お前そんな卑屈な奴だった?鬱陶しいんだけど」

 半笑いで言いながら、本を閉じる。一瞬だけこちらを向いた翠眼は、酷く乾いているようだった。

「自分達が突き回してた人間が目の前で死んだって、奴らはそんなの1年もあれば忘れる。後悔なんてしないし、傷になんてならない」
「…………彼女にどうしろと言いたいんだ」
「殺すべきだった」

 は、と。引き攣った声が漏れる。一般常識でも説くような口調だった。あまりにも淡白に落とされた「殺す」なんで言葉に、理解が追いつかない。その間にも、マコトは4冊目の本へと手を伸ばしていた。いつだってこいつの頭は、絶えず滑らかに回る。

「自分を虐げていた奴らを確実に殺して、それから飛び降りるべきだった。死という選択をするのなら」

 彼の側で動き続けるペンは、1人でに羊皮紙へと何かを書き綴り続けている。対象を視認しない状態での魔術の行使は、高等技術だ。
 本当に。彼はあの部屋で会った『来訪者』たちとは、根本から違うのだと思った。

「…………僕は彼女が愚かだとは思わないけどな」
「え、なに。もっと大きい声で言ってくんない?」
「いや、良い。忘れてくれ。それより君、」
「手短に済ませてね。俺いま見ての通り集中してるから」

 自分から話しかけてきたくせに、随分な言いようである。憤慨しながらも、僕は逡巡する。気になることがあったが、これは尋ね方を選ぶべき問題だと思った。

「君も死んだのか?」

 信頼関係の構築には、時には潔いコミュニケーションが必要だ。

「前々から思ってたけど、お前はデリカシーってモンが無いよね」
「初対面で陰毛呼ばわりしてきた奴が何か言ってるな……」
「あー、もう良いよ。そう、俺も死んだんだよ。火事に巻き込まれてね。これで満足か?」

 ……こいつも焼死なのか。
 思わぬ偶然に仰け反りつつ、4人の言動を回想する。今日あった彼らは、数十人余り存在する『来訪者』のほんの一部に過ぎないが。他の患者も皆、何かに苦しみ、そして一度は命を落とした人間達なのだろうか。

「君も、辛い目にあったんだろう」
「昼間の続き?あのね、そもそも人は誰だってそれなりに辛い思いをしてるし、苦労もしてる。表に出さないだけで。お前の苦しみを軽んじるつもりはないけど、俺のそれは特別扱いしなくて良い」
「…………そうも行かない」
「その心は」
「君が特別だから」

 ……あの時のコイツの努力は、少なくとも僕の心を確かに救った。
 ペンが止まる。ついでに本を捲る手も。
 目を皿みたいに見開いて、口をぱくぱくと開閉した。ヤツらしからぬ間抜けな姿に、なんだかこちらも気恥ずかしくなって目を伏せた。
「僕を地獄から呼び戻したのは君なんだから」と言えば、「それもそうだ」と少し間を置いて言葉が返ってくる。なんだその間は。言いたいことがあれば言ったらどうなんだ。
 咳払いをすれば、マコトはまた読書を再開する。「それで」と、いつも通りに気怠げな声を上げた。

「なんだっけ。俺なに言おうとしてたんだっけ」
「知るかよ……」
「お前が余計な事聞いてくるから忘れちゃっただろうが。……ああ、そうそう」

 どこの世界に、「頭の悪い女の子だったね」から始まって良い会話があるのだ。半目のまま顎を引けば、マコトはつんと下唇を突き出した。

「無作為抽出に耐えられるような母数じゃなかったけど、一応男女交々、国籍交々の対象を選んだ」
「あの患者達は、君が選んだのか」
「そう。それでわかった事はいくつかあるけど、共通してた傾向は、ハートと頭が弱いって事。……そう、えーと。あそこに入ってたのはそう言う……頭が悪くて、参っちまった人たちばかりだったよねって」
「おい、仮にも同じ境遇の人間にその言いようは……」
「同じじゃない。俺は適応した。彼女らは適応できなかった」
「なにが言いたい」

 こいつは普段は辺幅を飾らぬ物言いのくせに、たまに変に回りくどい喋り方をする。それはきっと、彼が今片手間に会話をしているのだけが理由ではないのだろう。

「つまり、俺みたいなのはもっといっぱい居るんじゃないかって話だ」
「『来訪者』は君だけじゃない。前々からわかってた事だろ」
「違う、俺は今『適応者』と『非適応者』の区別で話をしてる」
「隠れた適応者がまだ潜伏してるって事か?」
「ひとつ、心当たりがある」

 パタン、と本を閉じる音がする。4冊目から数えていないが、それは何冊目だろうか。積まれた本の山を数えながら、「心当たり」と復唱する。

「来週、ギネヴィア様に会いにいくぞ」
「ふーん」

 脳内にある数字が一瞬で吹き飛んだ。


 ***



 血管が透けるほど透き通った肌に、滑らかな金髪。薄い肩と細い体躯は、儚げで、こちらの庇護欲を煽るような風態をしている。そんな、どこの令嬢よりも美しい青年は、柔和な笑みを浮かべる。
 温室に植えられた花々と相まって、その美しさは一枚絵のようだった。

「ロード・モーガン。貴方から誘って下さるとは、光栄です」
「ぜひモーガンとお呼びください。……僕の方こそ、あのような粗相をした後にお声掛けしてしまって」
「お気になさらないでください。ちょうど僕も、ロード……いえ、モーガン様とお話したいと思っていましたから」

 甘いテノールに、眩暈がする。
 ギネヴィア・マロリー。
 公爵家の長男、アルトゥール・ル・フェイの心を射止めた才子。その美貌と高い魔術の素質はさることながら、皆の心を掴んだのはそのサクセスストーリーである。
 平民の出でありながら、魔術の素質を見込まれてこの学園に入学。出自の理由で周りに謗られ倦厭されるも、研鑽を続け王家に続く権力者、アルトゥールの目に留まるに至る。後の身辺調査により、名家の血を引くことが判明。アルトゥールの婚約者の枠に正式に収まり、学園内の世論は二分される事となる。
 様々な意見が入り乱れるが、少なくとも嫌悪や妬みの対象だった彼は、一瞬にしてこの学園の羨望の的となったのだ。
 そして僕は、この男が軽くトラウマレベルで駄目だった。この男を前にすると1発で意識が飛びそうになる。紅茶の香りも相まって気分は最悪だが、それでも僕はこの会合を見届けなければならない。

「…………ときに、ユーチェスター公爵夫人」

 他愛のない世間話に花を咲かせていた2人の間に、転調が訪れる。切り出したのは、マコトだった。

「いやだな。公爵夫人はお辞めください。僕はまだ…」
「ああ、『まだ』でしたね。ですが、それも来月までです。来月兄上が爵位を継げば、貴方は公爵夫人だ」
「…………」
「ご不満ですか。では」

 弧を描いていた翠眼が、すう、と開く。真っ白なカフェテーブルに肘を突き、指を組み。

「僕は貴方の事をどうお呼びすべきでしょうか」
「……以前のように、ギネヴィアとお呼びください」
「いえ。僕が知りたいのは、あなたの本当の名です」
「…………なにを」
「『来訪者』と言えばわかりますか」

 ここに来て初めて、ギネヴィアの相貌から笑みが消える。色を失ったその顔は、まるで亡者のようだと思った。

「……精神疾患の患者様の呼称ですね。けれど何故それを僕に」
「僕がそうだからです」
「な、」

 僕とギネヴィアの声が重なる。あまりにも突拍子の無い切り口は、彼以外の人間の思考を止める。口も聞けない僕らを他所に、マコトは上機嫌のままティーポットを傾ける。螺旋を描いて注がれた紅茶が、空中に止まり、踊るように蠢いた。
『鋳型朱』
 意味の理解出来ない幾何学だ。だが、それが彼の名なのだろうと思った。

「これで、イガタマコトと読みます。あなたの名は?」
「モーガン様、お戯れが過ぎますよ」
「ぜひイガタとお呼びください。……おや、美しいお顔が引き攣っておられます」
「…………」
「大した忍耐だ。では、これからの話は精神疾患者の妄言として聞き流してください」

 口角を上げれば、マコトのティーカップに紅茶が収まった。カップを傾け、豪快に飲み干す。無遠慮に上下する喉仏からは、男が、完全に『モーガン・ル・フェイ』としての仮面を脱ぎ去った事が見てとれた。
 釣られたようにカップに唇を付けるギネヴィアに、マコトの眦が下がる。

「お味は如何ですか」
「……とても、美味しいです」
「本当?おかしいな、舌が痺れたりは」

 けたたましい音が響く。
 ギネヴィアが、ティーカップをひっくり返した音だった。その不穏な言葉は元より、べ、と突き出されたマコトの舌が問題だ。
 詠唱のみで魔術を行使するのが、上級者。詠唱すら無しに魔術を行使するのが、ほんの一握りの天才達だ。大抵の魔術は、こういった紋を描いて行使される。
 つまり舌に刻まれた菱形の紋様。それは、彼がこれまでになんらかの魔術を行使した事を表す。
 彼の場合恐らく一握りの天才に分類される人間なので、本来は紋様など必要ない。ゆえに、本当に、ギネヴィアに視覚的なプレッシャーを与えるためだけに、彼はそれを刻んだのだろう。
 単純に性格が悪いと思った。
 だがその意味を一瞬で察し、警戒するのは、さすが才子ギネヴィアと言ったところだろうか。

「俺は舌が痺れてきましたけどね」
「な、にを……」
「口に入れた側から転移させたので、舌だけですけど。手品みたいでしょう」

 その言葉がとどめだったのか、とうとうギネヴィアは庭園に嘔吐する。今のところ耐毒や解毒の魔術は存在しないので、仕方無いと言えば仕方ない。最適解だ。ただわかっていても、美しい男の嘔吐姿は、あまりにもアンバランスで見苦しかった。

「……なんてね」

 いつの間にやらすっかりと表情の削げ落ちていた相貌に、稚気めいた笑みが浮かぶ。

「ほんのユーモアです。失礼いたしました」

 言いながら立ち上がり、「へ」と素っ頓狂な声を上げるギネヴィアに、手を差し出した。

「けれど『モーガンが、親友である人間を毒殺するはずがない』」
「…………」
「そう仰って下さったのはあなたでしょう?」
「……勿論、信じていますよ。あれに貴方様は無関係であると」
「ええ、俺──否、モーガンくんは、あくまで渡された盆を貴方と分けただけだ」

 耳を塞ぎたくなるような応酬に、もう一度死にたい気分になる。だがもう一度死ねるわけも無いので、僕は行く末を見届ける他ないのだ。その紅茶を僕にも分けて欲しいと思った。妙に喉が乾く。
 ……半年と2ヶ月前。つまり僕が自殺を図った日。
 学園で開かれたパーティで、僕は付き人に差し出された茶と菓子をそのままギネヴィアと分けた。
 ところで先刻、彼の出自の判明と婚約が世論を二分したと述べた。
 具体的には、婚約を許容する人間とそうで無い人間が居たのだ。後者は政治的要因、思想的要因さまざまな言い分があるが、行き着く結論は大方一致している。どうにかしてこの婚約を台無しにしてやろう。ぶっちゃけ、ギネヴィアを殺してしまおう。
 本題に戻ろう。つまりその紅茶を僕に手渡した使用人は、ギネヴィア暗殺派だったわけで。僕はまんまと、彼に毒入りの紅茶を差し出してしまったのだ。ギネヴィアは一命を取り留めたが、これは社交界を揺るがす大事件となった。
 そしてこの大事件は、2つの点に於いて僕を絶望させた。
 1点目は、僕の学園生活の終焉を理解してしまった事。
 これまでは、妾の子とは言え、公爵家の僕に表立って危害を加える者は居なかった。けれども『次期公爵夫人の暗殺を企てた』と言う大義名分があれば、それも変わるだろう。僕が無関係であると云う言い分は表向き通ったが、それを心から信じる者は居ない。大抵の者は、僕が首謀者であると考えるだろう。公爵家の息子とは言え、妾の子なのだ。父兄の愛を得られなかった弟が、嫉妬故に兄嫁の暗殺を企てる。陳腐ではあるが筋の通った筋書きだ。
 2点目は、その使用人が、僕の唯一の心の支えだった事。
 騙された事よりも何よりも心にクるのは、毒の盛られた紅茶を、僕が飲む可能性が考慮されてないわけが無いって事。考慮された上で、彼女は僕に何も知らせずに毒入り紅茶を手渡した。僕の毒死は、彼女にとって些事だったわけだ。なんというか、僕は彼女の事を親友だと思っていたけど、向こうは違ったみたい。
 長くなったけど。とにかくこの2点に絶望して、僕はその日自殺した。
 そして心優しいギネヴィア様は、そんな僕にも心配の言葉を向けてくれた聖人なのだ。『モーガン様が、親友である人間を毒殺するはずがない』なんて。
 けど正直。再三言うけど、僕は一方的に、ギネヴィアが反吐が出るほどに苦手だ。

「けれど、おかしいですね」

 反吐りそうになっている僕の横で、マコトは呑気に紅茶を勧めながら笑う。

「半年前毒を盛られた時、貴方は非常に落ち着いた対応だったようではないですか。さすがは才子ギネヴィア様」
「…………」
「倒れながらも狼狽えず、嘔吐もせず」
「何を仰りたいのでしょうか」

 ギネヴィアの相貌には、壮絶な笑みが浮かぶ。それは今までの柔和な物とは違い、凄みを持った──こちらを黙らせるためのものだった。

「ぶっちゃけあなた、毒が入っていたのをご存じだったのでは?」
「ぶっちゃ……なにを……」
「とは言え、頭のおかしい僕の妄想だけで、聖人ギネヴィア様を問い詰めるわけにもいかない」

 目を剥くギネヴィアを尻目に、マコトは大仰な所作で脚を組み直す。全身から慇懃無礼が滲み出ている。もう完全に、イガタマコトの動きだった。

「と言う事で先日、屋敷に拘留していた無法者と、俺は『お話』しました」

 この流れでの無法者とは、言うまでもなく僕に毒を渡した彼女だろう。「モーガン様に強要された」と言い張っているため、処刑もできず地下室に拘禁中だった筈。彼の言う『お話』が、ニュアンス通りの生易しい物ではない事は理解に難くない。

「毒物は、一介の使用人には手に入らないような希少な物。ごく一部の──マロリー家の領地にのみ分布する野草から得られるものでした。だからこそ、普段からそれを食用として利用していた貴方は、命までは失わずに済んだ」
「まさか、家の者が……」
「あくまで家が勝手にやった事だと。演技がお上手でいらっしゃる。ですが御安心を。オタクの『家の者』からも、しっかりお話を伺いました」
「……!そんな事が」

 ギネヴィアの顔から、笑みが消える。青褪め、そして、蒼白に。ゆらと立ち上がったその所作は、とても彼が正常な精神状態にあるとは思えなかった。

「おや、まだ途中ですよ。何処に行かれるのです」
「……アルトゥール様の元に」
「兄上の元に?なぜ」
「胸が痛いです。けれど僕は、全てを彼の方に報告しなければならない」
「全てとは?」
「全てです。あなたが僕の家族を辱めた事。そして、あなたが『来訪者』である事。療養の必要があります」

 幽鬼のような足取りで、温室の出口へと向かうギネヴィア。その後ろ姿を眺めながら、「ええ」と、マコトは間伸びした声を上げた。

「でも、兄上はこの事を既に存じていますよ」
「………………なにを」

 驚いたのは僕も同じである。
 彼は今なんと言っただろうか。

「だから、兄上は全て存じていると言ったんです。俺が『来訪者』であることを」
「………………」
「出会って初日に看破されました。『モーガンは私のことを「兄様」と呼ぶんだよ』とか適当言っていたけれど、彼は来訪者を見分ける何らかの別手段を持っています。まあ大方目星は────」
「そ、んな虚言を……」
「でしたらどうぞ、兄上にご報告してください。『うん、知ってたよ』の一言で終わるでしょうが」

 やおらカップを机に置き、胡乱な動作で立ち上がる。マコトが一歩間を詰めるごとに、ギネヴィアが一歩後退る。

「だから当然、あなたの事も知っている。『来訪者』だと」

 貼り付けたような笑みのまま、手を翳す。扉の鍵が閉まる音がした。

「知ったうえで────否、知っているからこそ、あなたを選んだ」
「…………………」

 押しても引いてもビクともしない扉に、ギネヴィアはとうとう座り込む。それを跨ぐように見下ろしながら、マコトはにこやかに口を開く。僕の身体に違い無いんだが、あまりにもあんまりな絵面で目を背けたくなってしまう。

「そもそも何故俺が、ほぼ接点の無いあなたを『来訪者』だと考えたのか。それは兄上が貴方に興味を持ったからに他ならない」
「兄上が『来訪者』の治療もとい研究に、多額の寄付を行っているのはご存知でしたか。あれはそう言う性質なんです。『来訪者』の探求に取り憑かれてる。ここの世界の人間に興味がない」
「エイリアンに夢中なオカルト研究家です」

 最後の方は本格的に意味が分からなくて仕方がないとして。その他は、言語としては解せるのに噛み砕く事ができない。
 ……兄が『来訪者』を看破する事ができる?『来訪者』に取り憑かれている?
 ありえない、と。感情で否定しようとしても、記憶は勝手に点と線を繋いでいく。
 あの日、あの時。僕が生き返ってのはじめての登校。無様にも兄上との謁見でぶっ倒れたあの日。
 兄がこちらを見たのは、気の所為では無かったのだろうか。

「そんな筈はない!」

 ヒステリックな叫び声に、意識を引き戻す。ギネヴィアの絶叫だった。

「アルトゥール様は、僕を……僕を本当に愛してくださっていて……『来訪者』なんて関係無く、僕自身を!」
「いいえ、ただの知的好奇心です」
「そんなわけない、だってシナリオは……!」
「あなたの家人とのお話の許可を得た時、兄は言いました。『有事の際の対応は一任する』と」

 それはつまり、「ギネヴィアの処遇は一任する」と云う意味である。マロリー家……ギネヴィアの実家の縁者の調査を申請した時点で、その可能性は当然考慮に入れているはずだからだ。

「高い知能を持った少年のような男です。彼が篤実に見えたとしたら、偶然正義が彼に近い位置にあっただけだ。あれに愛だとか倫理だとかは一切無いのですから」
「………そんな、筈は」
「新しい玩具を見つけたら、古い玩具への関心は薄れる。幸いにも俺は、『おもしれー男』の称号を頂きました」
「…………」
「え、伝わりますよね、分かりますよね、『おもしれー男』」

 僕にはさっぱり分からないが、ギネヴィアはブルブルと肩を震わせている。効いているらしい。 

「認められるわけないだろ、こんなシナリオ……!」

 大爆発だ。ちょっと効きすぎではなかろうか。

「冗談じゃない。碌でもない人生で、碌でもない死に方して。ようやっとツキが回って……『ギネヴィア』に転生できたのに。こんなシナリオじゃなかった、こんなシナリオ……認められるわけがない」
「……その、さっきから『シナリオ』って何?知らない言葉で喋らないで貰えますか」
「うるさい、うるさい……!大体お前がシナリオ通りさっさと毒を盛れば、僕があんな手回しをする必要も無かった。『モーガン』は誰にも愛されず、同情されず、僕とアルトゥール様との架け橋にならなきゃいけなかったのに。それなのに周囲の生徒を懐柔し、あまつさえ、彼の方の寵愛まで受けてのうのうと生き延びて……お前が、お前のような妾の子が────!」
「…………………」
「お前は、大人しく死ななきゃならなかったんだよ」

 マコトにぶつけられる言葉の一つ一つが、臓腑を逆撫でしてくるようだった。
 理解できない異国の言語で、ひたすら罵られているようだと思った。
 2人は同郷らしいので、通訳を頼めない物だろうか。なんて、割と本気で考えながらマコトを見て。

「ひゅ、」

 喉が鳴る。息が変なところに突っかかる。
 色の無い表情だった。何度か見た表情だ。けれど、その目は──自らの胸倉を掴み上げるギネヴィアを見下ろす目は、初めて見る種類のものだった。
 冷たいのに、乾いている。無感情なのに、怒っている。得体が知れない。ひたひたと漏れ出す冷気に、肌が粟立つようだった。

「なんで、もう少しだったのに」

 もう黙ってほしいと思った。何故この状況で口を開けるのかと。だって、このままでは、僕まで殺されてしまう。

「もう少しで、もう少しで幸せが────、」
「…………」
「…………やっと、守ってくれる人を見つけたのに」

 ほとんど嗚咽のように漏らされた声に、目を見開く。そうだ。あまりの逞しさに失念していたが、彼が本当に『来訪者』であるなら、少なからず心を病むに足る、壮絶な経験している筈なのだ。

「取り引きをしましょう、ギネヴィア様」
「…………取引?」

 ギネヴィアが、弾かれたように顔を上げる。怯えと不信。負の感情に濡れた泣き顔に、マコトはただ微笑み返す。僕は足が竦むような感覚がまだ抜けない。

「条件を飲んで頂ければ、今の事は一切他言しません。調査結果も握り潰しますし、兄上との交際にも口を挟みません」
「……………」

 出来すぎた条件は、逆に恐ろしく気味が悪い。
 同じ心地なのだろう。目を見開き、強張った表情で立ち竦むギネヴィア。その頬を、涙だか汗だかわからない液体が伝う。

「…………断った場合は」

 掠れた声で零された問いに、マコトはうっそりと微笑む。我ながら天使のような笑顔だと思ったが、僕はそれが悪魔の笑みでしかないことを知っている。

「特殊疾患病棟で療養しましょう」
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