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番外『怠惰』のつくりかた

本編が更新できないので

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パチパチと、何かが弾けるような音と、壊れたような笑い声。木と肉が燃えるような匂いもする。
それでいて、皮膚が焼けるように熱い。手も、足も、指先から燃え爛れて、生きながら火葬されているみたいだと思った。
あまりにも熱くて、臭くて、うるさいので目が覚める。
炎の中にいた。
そこら中に火柱が立ち上って、火の粉が飛び回っていた。足元には死体が転がっていた。男が3人、女が1人。顔を寄せずとも、死んでいると分かるような有様だった。
僕の服は血と煤で汚れていて、手も、握りしめていたナイフも真っ赤だったので、ああ、僕が殺したのだと分かった。
視線を右に。
ひび割れた鏡に、満月が映っていた。ついでに、仰け反り、涙を流しながら笑う僕が映っていた。 

「───────っ、」

僕はただただ笑っていた。火傷した喉で、呼吸すら碌にできないまま、壊れたみたいに。
気付いても、うるさい笑い声はずっと止まらない。
達成感か充足感か、虚しさか。なぜ自分が笑っているのかもよく分からないまま、轟々と燃え盛る火に全身を呑まれた。

***

青色の炎が、暗闇を溶かしながら部屋の中を彷徨う。その炎を追って巡らせた視線は、文机に腰掛ける青年とかち合って。
「え、なに」と、青年──僕の顔をしたソイツは目を剥き、太々しく足を組み直した。

「……あー、わかるわかる。しょうがないよな。こんな陰毛みたいな天パに生まれちゃったら、俺も死にたくなるもん」
「初対面でけっこう凄いこと言う……」

先に断っておくと、僕は自分の髪質を儚んで死を願ったわけではないし、そもそも僕の天パは人並みだ。陰毛とか言われるほどのものではない。断じてだ。
青い顔で詰め寄れば、『僕』はまた、こちらを心底馬鹿にしたような表情で鼻を鳴らす。こんな憎たらしい表情できたのか、僕。自分の良くない方面へのポテンシャルに慄きつつ、この惨状に至った経緯を回想する。
色々あって諸々に耐えられずメンタルブレイクし、自殺を図った半日前。目が覚めたら、身体を乗っ取られていました。
回想終わり。
そんなこんなで、自殺に失敗(?)し、中途半端な幽霊状態で現世を彷徨ってる僕。僕の身体に入っている誰かさんも、言動から推測するに、望んで僕の身体を乗っ取ったわけではなさそうだけど。

「繝「繝シ繝峨l縺」縺ゥ」
「今なんと?」
「俺の名前」
「いや、それ以前の問題くさくてだな」

心底気持ちの悪い音を口から発した『僕』に、思わず目を見張る。聞き覚えのない言語だ。古代ルーンか、未開の呪文か。身構えれば、やや於いて、ああ、と合点の行ったように目を見開き、「イガタマコト」と発音した。

「イガタマコト」
「今度は聞き取れた?」
「ああ……」
「気抜くと出ちゃうからダメだねこりゃ」

尚も鼻につく所作で肩をすくめるイガタマコト。
言語については一通り学んだが、先刻の発音は聞いたことが無い。

「……僕の名は、」
「あー、そう言うの良いわ。お前の名前は故あって知ってる。な、クルクルモーガンくん」
「クルクルは余計だ。どれだけ天パが嫌なんだ」

なんだか本当に頭が痛くなってしまって、窓の外を眺める。
月がきれいだ。

「というか、君。その格好?」

こめかみを揉みほぐし、改めてまじまじとイガタマコトを観察する。リフレッシュ後は視界が開けて、新たな景色が見えてくる物である。
そう言うわけでイガタマコトを見つめてわかった事は、彼の服が汚れている事。白のブラウスの袖や裾に、点々と赤い染みが散っている。
何というか、こう、とても事件の香りがします。

「再現」

僕の視線追うように、自分の袖を持ち上げるイガタマコト。
パチンと指を鳴らせば、次の瞬間には彼の服は真っ新な新品になっていたし、ついでに青い炎も消える。代わりに室内灯の温かな明かりが空間を照らした。
何か重要な証拠隠滅現場を目撃してしまった気がするが、自分の指先のように魔術を使う男だと思った。一連の動作を、こうも簡単にやってのけるのは至難の業である。僕らは普通、紋様や呪文と言う段階を踏んで魔術を行使するからだ。
彼の魔道士としての才能に慄きつつ、僕は、「再現?」と復唱する。

「そう、俺がこうなったときの」
「……?」

首を傾げるも、答えはない。
ちらと足元へと向けられた視線は、ただただ虚空を眺めている。

「とにかく、再現してみればビンゴ。俺をこんな目に合わせたかもしれない身体の主も引き寄せられたわけだし」
「……君が、僕を呼び戻したのか?」
「そうだよ。いや、人為的な自然発火に死者蘇生。何でもありなんだ、ここ。ハリーポッターとか居るの?」
「なに……針医歩っ太……?いや、というか死者蘇生は禁呪だぞ……」
「そうなの?次からは気をつけるね」

いや、この場合ワンアウト処刑コースだ。次とかは無い、決して。
魂や生命などの神秘に干渉する魔術。人の尊厳を侵しかねない魔術。この2つは総じて禁呪である。
これはイロハを学ぶより前に、誰もが叩き込まれる常識である。その点に於いて、イガタマコトは幼児以下という事になる。
加えて、先刻の意味不明な発話。
その場合あの魔術の習熟度に説明がつかない気がするが、これだけ材料が揃っているのだから、外れ値的な要素は除外する。
この信じがたい現状を踏まえて俺は、昔同期に聞いた話を思い出していた。

「『来訪者』?」
「異世界に飛ばされてみたってやつぽくて……って、なに?俺がよそ物だって言いたいわけ?それはそうだけどもうちょっと言葉を選んでくれても……」
「違う、違う!」

今度はあちらが目を丸くする番だった。ドブっぽい翠色の目が見開かれる様は、実に良い眺めだ。僕の顔だけど。

「…………レアケースではあるが、君みたいな症例は稀に確認されてる」
「あー……なに、俺みたいなのが、他にも居るってこと?」
「そうだ」
「まじで?半年くらいこっちいるけど、一度も聞かなかったよそんな話」
「まて」
「つか症例って。こっちではそう言う扱いなの、俺みたいな奴っ」
「まて、今なんて」

いま凄く衝撃の事実を口にしなかったか。

***

どうやら僕が死んでから起きるまでに、半年の月日が経っていたらしい。おったまげだ。
その間にこのスーパーエキセントリック男が何かしでかしてやいないかと不安だったが。意外にも、イガタマコトはこの半年間大人しく過ごしていたと言う。書斎に籠り、書物を漁る日々。たまに使用人や親族と会話を交わすだけで、屋敷から出ず、学校も休学していたとか。
もしかするとこの男、出力装置が絶望的に壊れているだけで、意外とまともな人間なのかもしれない。
きっとこれは、コミュニケーション不足が産んだ悲しき怪物に過ぎないのだ。

「イガタマコト」
「ヒヤリハットみたいなイントネーションで呼ばないで」
「ヒヤ……なに?」
「マコトで良いよ。それかイガタ」

そこで切るのか。少し考えて、「マコト」と呼ぶ。マコトは特に返事をするでもなく、「で、何のよう」と制服の襟を正した。
復学して初めての学園は、居心地が悪い。マコト以外の生徒には僕は見えていないようだから、本当にこちらの気持ちの問題でしかないのだけれど。

「休学してたのは、僕を待ってたからなのか?」
「まさか」

マコトは、口を開かないまま答える。フクワジュツと言うらしいが、どのような人生を歩めば、そんな不気味な技能を会得する機会に巡り合うのか。

「そもそもお前が戻るって確信も無かったからね。1年この世界について学んだら、どうにしろ復学するつもりだった」
「勤勉なやつだ」
「そう?1年でも足りないくらいでしょ。その点に於いては、戻ってきてくれて助かったよ。手間が省けた」
「…………随分とタフなんだな」
「えー、そう?」
「ああ。君みたいなのは、発症して数ヶ月で心を病むか発狂するかのどちらかだ」

『来訪者』
稀に現れる、精神疾患者……とされている人間たちだ。共通して見られる症状としては、記憶喪失、意識の混濁、妄想、支離滅裂な言動。彼らは皆、自らが『この世界とは全く違う様相の世界から来た来訪者である』と言う妄想に取り憑かれている。
…………と、僕もつい最近までは彼らを精神病患者扱いしていたが。自分が今立たされている現状を鑑みると、一概に個人の問題であると片付けるのは難しくなってくる。
この『来訪者』の言い分を真実であると仮定すると、どうやら異世界転移とは、単純な渡航とは訳が違うようだから。
『来訪者』が社会に適応するのには、最低でも数年はかかるとされている。無理はない。何なら常識は元より、言語すらも危うくなると言うのだ。その点において、この男の適応力は異質な物に見えた。

「『来訪者』が自力で環境に適応して、魔術を使いこなすなんて、それこそ異例だよ。本すら読めない人らが殆どなのに」
「流石にシャンポリオンは来なかったか」
「なんだ、それ」
「お前こそ、随分と熱心に生きてたようだけど」
「は?なにを……って、おまえ勝手に!」

鞄から取り出された手帳に、血の気が引いていく。反射的に手を伸ばせば、案の指先がすり抜けた。僕の醜態に、澄まし顔で手帳をチラつかせていたマコトがニヤリと笑う。「『おまえ』ェ?」と愉快そうに復唱する表情は、完全に悪戯を思い付いた子供のそれだった。

「感謝してるんだぜ。俺が不安に震え、胸が張り裂けそうな孤独に苛まれていた時。寄り添ってくれたのはいつだってこの日記帳だけだった。これがなければ、俺の胸は今頃裂けてただろうなぁ。こう、縦にパックリと」
「今から引き裂いてやろうか!」
「『1月28日。今日も父上への謁見は叶わなかった。僕は兄上には遠く及ばない。精進あるのみだ。手始めにまずモチモチツリーナッツのソテーを食べられるように──』」
「音読するな!」
「『1月29日。あれは食べ物ではない。あのような醜態を晒すようでは、到底兄上には及ばない。あんな、あん、吐瀉物をぶち──』」
「ギイィィィイ!」

僕の顔面は、蒼白から赤に染まっている事だろう。腹立たしいことに、こいつにしか見えないのだが。乾いた笑み声を漏らしながら、マコトは僕の顔で楽しそうに笑う。かと思えば、笑みを消し、神妙な表情のまま恭しく首を振る。
伏せられた長い睫毛が、白い肌と深緑色の瞳に物鬱げな影を落とす。
……そういう表情をする僕は、何というか、こう、とても絵になる。
自分で言うのも何だが、僕は容姿だけは整っていたから。どうやらマコトは、僕よりも僕の身体の使い方を心得ているようだった。表情の作り方が抜群に上手い。側から見ると完全に、憧れの君である。

「ああ、俺の癒し。愛しの手帳の君。それがまさか──」

一連の百面相があまりにも極端で白々しいものだから、思わず呆気に取られてしまう。

「────まさかこんな、拗らせ陰毛ヘアーの野郎だなんて……」
「お前も全く同じ髪質をしているからな?」
「まさか!本当の俺はサラサラストレートヘアーだよ。性根は髪質に出るんだ。だからこそ俺はお前が哀れで、哀れで……」

よよ、と涙を流すマコト。本当に。本当にどうして、僕の拳はこいつに触れる事すらできない。殴り倒してやる。
周りの目などもお構いなしに、学園の廊下で睨み合う僕たち。
僕の姿は見えないはずだから、周りの人間から見れば、『自分から黒歴史を暴露し、百面相する恥晒しのプー太郎』である。略してジャップ。願わくばこのまま地獄へ送ってくれ。

「おや、モーガン」

同時だった。
その声に、自然と背筋が伸びる。空気がピンと張り詰めたような気がしたのは、気のせいでは無いのだろう。

「…………っ、」

モーガンとは僕の名だ。そしてこうも僕の事をこうも気安く呼ぶのも、この学園で1人だけ。

「兄……様」

俺の実兄にして、ユーチェスター公爵が長男、アルトゥールである。

***

叡智と慈愛を閉じ込めた若葉色の瞳には、透徹した光が宿っている。細く、柔らかい黄金色の髪は、彼の栄光を象徴する様に眩しく、この場の全ての人間の羨望を一心に集める。均整の取れた美しさと、浮世離れした求心力。
絵に描いたような明君を前に、途端に自分の居場所がわからなくなってしまったような心地になる。

「兄様……」
「おや、ご機嫌ようロード・ユーチェスター。お会いできて光栄です」

僕の声に被せるようなマコトの声に、自らの言葉が届かない事を悟る。あまりに滑稽なのに、あまりに虚しい。浅ましい自己矛盾に吐き気がする。

「ロードはやめてくれ。兄弟なんだから、そんなに畏まらなくても良いのに」
「では、兄上」
「…………」

恭しく腰を折るマコトに、兄様は僅かに目を見開く。少し考えるように視線を巡らせて───、

「………っ、」

思わず、息を呑む。一瞬、一瞬であるが。
あの翠眼が、しっかりと僕を捕らえたように思えたからだ。
指先が震える。足が竦んで、とっくに途絶えたはずの呼吸が上手くできない。
そんなノロマを他所に、兄様はマコトを見ながら、俗っぽい所作で首を傾げた。

「療養はもう良いのかい。ネヴィも君のことを心配していたよ」
「はい、お陰様で。ネヴィ……ギネヴィア様にもどうか宜しくお伝え下さい」

廊下が──正確には、聴衆が俄に騒めくのが分かった。
当たり前である。建前とは言え、僕が──あの、モーガンがその名を口にしたのだから。
今すぐ背を向け、ここから立ち去りたい心地だった。
マコトが、約半年間『僕』について学んで来たと言うのは本当らしい。爵号はおろか、僕と兄様の立場までしっかりと理解しているようだったから。
だからこそ、度し難い。
それら全てを理解しながらなお、公衆の面前で、このように振る舞うこの男の悪辣さが。

『復学するだけでも驚愕だと言うのに』
『まさか、その口でネヴィ様の名を口にするとは』
『厚顔無恥とはこの事か』

──────妾の子が。

意図して遮断してきた周りの声が、一斉に押し寄せてくるようだった。姿が見えないのを良い事に、無様に膝を折り、相貌を伏せ、目と耳を塞ぐ。
何も見たくないし、聞きたくもなかった。

「ギャァッ!」

霞む視界の端で、青い炎が揺れる。
顔をもたげれば、男子生徒が、燃える頭を抑えてのたうち回るのが見えた。僕を『妾の子』と罵った彼だ。男子生徒に慌てて駆け寄るマコト。神妙な顔をしているが、僕にはわかる。あれは十中八九アイツの仕業である。

「ああ、ミスター・ドゥナツ!マッチ棒みたいで中々愉快……いや、大変だ!このままでは君の頭が陰毛のようになってしまう!今すぐこの僕手製の水を!」

さらに大きくなる炎と悲鳴。
…………マジでやめろ。
目眩だけでなく、頭痛までしてきた。真っ黒に染まった視界に、男だか女だか分からない悲鳴だけが、耳に届き続けていた。
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