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代替器蒐集編

最後に笑うのは

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「ダユー神父。そのペンダントをこちらに渡してください」
「…………は」
目を剥くも、グリードと視線が合うことは無い。グリードはただ真っ直ぐに、老人を見据えるだけだった。
「貴様、一体何を────!」
身を乗り出した男たちが、不可視の手に抑えつけられるようにソファに倒れる。その口は縫い付けられたみたいに、一文字に引き結ばれていた。
「失敬。今から調停委員の私が、相続人とお話をするので。ご清聴いただけると」
慇懃な口調とは裏腹に、男たちに一瞥もくれることはない。
弧を描いた双眸は、真っ直ぐに神父だけを見据えている。
「一応、言い分がるなら聞くけど?」
その視線を受けながら、あくまでフランクに問う老人。だが、その所作は隣の少女を守る物に変わりなかった。
グリードはグリードで、「やだなぁ」と。間延びした声音で、相貌を傾げる。
「言い分も何も。この話が決まった時点で、約束していただろう、伯父貴。探し物を見つけたら、頂戴って」
「そんな口約束で、ワシが言う事聞くと思ったの?本気?」
「うん。勿論」
微笑んだまま、グリードが指を鳴らす。
同時に、老人の首には索状痕のような赤い痕が浮かび上がる。
「あ」と漏れ出た声に、夜空みたいな色をした瞳がこちらを一瞥して。
その視線の先。
俺の小指にも、同様の赤い痕が浮かび上がっていた。焼けるように熱を持ち始めたそれに、嫌な汗が滲む。
履行魔法。
あの神父は、すでに生殺与奪の権を彼に奪われていた。グリードとの『約束』に同意した時点で。
とにもかくにも、今俺がするべきことは、この修羅場における、自分の身の振り方を考えることだった。
 グリードとの目的は一致している。けれども、やり方は。……やり方は、本当にこれしか無かったのだろうか。
「選んでね」
狼狽する俺を他所に、グリードは緩やかにしなやかな右手を差し出していた。
「そのガラクタをこちらに渡すか、そのまま首とおさらばするか」
悠然と微笑むグリードを見て、老人は虚空へと視線を投げる。ぐる、と宙を眺めて、カサついた指で顎を擦って。
「やだね」
パーにした手の親指を、鼻下に添える。「ピッピロピー」という煽りに、グリードの相貌から笑みが削げ落ちる。
「私は本気だよ、伯父貴」
「なーにが本気だ。遺言が消滅したんだから、問答無用でブッ殺して奪えば良い」
「…………」
「それをしないのは?」
「何が言いたいのかな」
「日和ってるんじゃない、グリードくんは」
水を打ったような静寂。
「く、」と。小さく響いたのは、込み上げるような笑声だった。
込み上げるように笑って、声を上げながら、耐えられないと言ったように腰を折る。薄気味悪い光景だった。少なくとも、一緒になって笑う気にはなれない。
不発弾でも前にしたような心地で、男の狂気的な挙動を見守って。
やがて相貌を擡げた男は、目元を拭いながら「私はそんなに優しい人間じゃあないよ」と言った。
「随分とおめでたい────いや、幸せな頭をしているみたいで」
表情に反して、その声は感情の抜け落ちたような虚無に濡れていた。
やがて真っ新になった相貌からは、ただひたひたと、重く、静かな怒りが滲んでいて。
「────っ、」
誰かが息を呑む音がする。
おもむろに捲り上げられた、シャツの下。
そこには、火傷のような赤い痣が広がっていたから。それは俺や神父の痣と同じようで、全く違う物だった。毒々しく赤みを増すそれは、俺達のそれとは比にならないような呪いの強さだった。
「この置き土産さえ無ければ、あなたなんてとっくの昔に殺しています」
「…………アヴァリスか」
「ああ、アヴァリスめ。あいつはひどい。自分が死んだあと、私があんたを殺しに行くのではないかと。あれは死の間際まで、あんたのことを心配していたよ。目の前にいるのは私なのに。妬けるよねぇ。全くもって、ひどい男だ」
「……………」
「だが、私のことをよくわかっている」
先刻までの、態とらしいまでの軽薄さはすでに消え失せていた。静かな表情のまま顎を引くダユー神父に、グリードは笑みを深める。
「私はこの世界が大嫌いだ。王家は勿論。孤児院も、この森も。彼の死の上に成り立つ幸福全てを、私は許さない」
淡々と吐き出される呪詛は、重く、冷たい。
やけに酸素の薄い部屋の中で、誰も彼もが息を殺していた。
見つかったら、殺される。誰が言ったでもない。それでも、それがこの空間における共通認識に違いなかった。
「ああ、そう」
低い温度のまま、グリードが唸る。
「この履行魔法がある限り、私はあなたを殺せない」
「…………」
「だから、こうする」
見開かれた碧眼が、神父の背後────シャーリーへと向けられる。
昏い海底のような双眸が、うっそりと弧を描いて。
「まさか────」
「────ぁ、」
俺の悲鳴と一緒に、掠れたうめき声が上がった。
平生は伏し目がちのブラウンの瞳は、苦痛に見開かれている。赤い痣の浮き出た喉を、ちいさな手で掻きむしる。
「シャーリーにも頼んでおいたんだよ。『探し物を持ってきて』と」
「グリード!」
「あはは。やっといい表情になったね、伯父貴」
緊張感の増す空間の中で、俺の脳裏を占めるのは当惑と、疑問符だった。だって、シャーリーはグリードの言葉に頷くことはなかった。彼女は決して、契約に同意してはいなかったはず。
「ああ、言ってなかったことが一つ」
俺の考えを見透かしたように、グリードが和やかな口調のまま言う。部屋の隅を駆け抜けた、小さな鼠を一所作で引き寄せて。
「ある程度魔力量を上回っていれば、履行魔法の行使に合意は必要ない」
「…………!」
「例えば、ほら」
言いながら、自らの右手へ視線を移す。グリードの右手では、長い尻尾を掴まれたドブネズミが、振り子みたいにユラユラ揺れていた。
「『この先お前は、この部屋に踏み入ってはならない』。────さあ、抵抗するならキイキイ鳴け」
尻尾を揺らせば、鼠がキイと悲鳴を上げる。
「良い子だ」
パン、と。
軽い破裂音と共に、鮮やかな血潮が飛び散った。
血に汚れる俺とは対象的に、グリードは真っ新なまま微笑んでいる。彼の鼻先で静止した血が、命を失ったようにぼたぼたと床を揺らして。
「制約があると勘違いしてくれる方が、何かと都合がいいのだよね。私の場合」
くすくす笑う男に対して、部屋の中の温度はどんどん下がっていく。
やがてすうと開いた双眸は、気だるげなまま、再び少女を捉えていた。
少女を見ながら、「次はお前だ」と。温度の低い瞳が、確かにそう言っていた。
「…………やめろ」
気付けば、そんな言葉が口を付いて出ていた。
きろ、と。
ガラス玉みたいな目が、ここにきて初めて俺に焦点を結ぶ。恐怖と後悔が押し寄せるも、俺の頭からは、止まるなんて選択肢はとっくに消え失せていた。
「こんなの、間違ってる」
…………グリードは確かに、「履行魔法を克服するための手段は用意している」と言った。そしてその言葉に嘘はなく、俺はこれを上回る解を考え付くことが出来なかった。事実だ。
けれど、あんまりではないか。理解はできる。けれども、感情的な部分がその事実を拒絶する。
『解決策』が、年端のいかない少女を締め上げることで、具体的な解決策がないからと言って、この状況を甘んじて受け入れる?
 そんな、馬鹿な話があってたまるか。
 だって、
「あんただって、こんな事したくないはずでしょう」
 グリードは、最初からシャーリーを人質に取ることはしなかった。それはきっと、彼自身に「脅しで済めば良い」という希望的観測があったからだ。
「神父の事だって、シャーリーの事だって。本当は嫌いじゃないはずで────」
「うん、そうだよ」
同時だった。
右手に走った熱に、歯を食いしばる。熱した金属で、指の先ごと切り落とされるような。そんな感覚に、立ってすらいられなくなって、片膝をついた。
「確かに私は、少なからずシャーリーをかわいいと思っている」
「…………っ、」
「あの老害の事も──まあ、少なくとも善人だとは思っているよ。アヴァリスの恩人でもあるわけだし」
悠然と佇んだまま。這いつくばる俺を見下ろしながら、グリードは囁いた。
「だが、それがどうした?」
冷ややかな声だった。それこそ、脊髄を氷柱でなぞられたのではないか。そんな錯覚を覚えるほどに。
「私にとって大事なのは、彼との約束だけだ。私は『強欲』であり続けなければならない。そのためならば私は、手段を択ばない。全てを些事として切り捨てる」
それは、覚悟だった。
愛する者も、自分の感情も。全てを切り捨て踏みつけてでも、たった一つの、尊い約束を果たす。その並外れた信念こそが、彼を『強欲』たらしめるのだと理解する。
───── 「大抵の物事は、最善には進まない。ほとんどの場合、私たちは選択を迫られることになる」
「だからね。どれだけ憂鬱なテーマであっても、私たちは向き合い、迷い続けなければならない」
 彼の言葉が、脳内を反芻する。
 その通りだった。彼にとっての『最善』に物事は動かなかった。
 だから、彼は選んだ。
「……君はどうだ?」
そして、こちらに問いかける。
今まさに俺の思考にある目的──狩野の姿を透かしながら。グリードはただ、俺の答えを待っていた。
「お、れは」
これを見過ごして、目的を果たしたとして。
「…………おれは、狩野が、一番大事で」
────果たして俺は、胸を張って狩野と向き合えるのか。
答えは出ていた。
左腕を振り抜いて、グリードの右頬をぶん殴っていた。
「それとこれとは話が別だろうが!」
ぐるん、と仰反る小綺麗な相貌。
蹌踉めいて、据わった目でこちらを見下ろして。口端から垂れた血を拭いながら、「ああ、そうか」と唸る。
「……万年水晶を握り込んだまま。成る程、どうりで痛いわけだ」
「ブツブツ喋ってんじゃねえぞ、陰湿野郎」
「言うじゃぁないか。……だが、それが君の答えか」
言葉通り、左手に万年水晶を握りしめたままグリードを睨め付ける。気迫だけは一丁前に睨み合うも、膨張する魔力の圧に、最早立っているのもやっとだった。
右手が痛む。
冷ややかな視線のまま、男が白い指をこちらに伸ばして。
「もう、良い」
そんな言葉に、グリードの肩が僅かに揺れる。温度の無い視線が、声の主──ダユー神父へと向けられる。
「もう、分かったから」
言いながら、懐から取り出したのは古臭いペンダントだった。それを冷ややかに見つめながら、グリードは右目を細める。
「……『わかった』とは?ダユー神父」
「持っていけって言ってんの。ペンダントでも何でも」
「あはは、ここにきて怖気付いたか。初めからそうしていれば良い物を」
薄笑いを浮かべたまま、悠然と歩を進める。皺だらけの手から抜き取ったペンダントを、蛍光灯に透かしながら「けれど」と言葉を継いだ。
「今度は間違えなかった」
「…………」
「『良い父親』になれて良かったね、伯父貴」
「ああ」
皮肉めいた嘲笑を漏らし、戦利品を懐に仕舞う。
「お前が、2度友人を殺さずに済んで良かった」
そんな言葉に、虚を突かれたように目を見開いて。グリードは、微笑んだまま老人の首を締め上げた。
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