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プロローグ

バグと分岐ミス

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 俺の一日は、オッペケ山のウサギっぽいモンスターを乱獲することから始まる。ウサギに殺されかけながらも得た成果を、ショップで換金。クマっぽいモンスターやドラゴンっぽいモンスターもいるが、俺のような端役が挑もうものなら即死である。狩野ならそいつらと容易く渡り合えるのだが、何度も前述したとおり、あいつは生命体を傷つけることに致命的に向かない精神構造をしている。加えて、これ以上の負担をかけたくない。死の記憶がない俺と違い、あいつは、「死」がいかに恐ろしい物なのかを知っているのである。
干物のような振る舞いをしてはいるが、「いつ二度目の死を迎えてもおかしくない」という極限状態に立ち続ける精神的負担は、相当な物のはず。
そういうわけで、俺は今日も、ケーキ代程度のあぶく銭を握って、一限目の魔法薬学の講義へと向かう。狩野は魔法薬学を取っていないので別行動である。
「おはよう、ゴリ」
「今日の天気は、土砂降りの大雨!」
マブを模したNPCと小粋な会話を交わしつつ、着席。『ゴリ』は先日のモヤシとはまた違うマブで、オタクとは思えないほどの根明だった。推し声優の結婚発表にも泣き笑いで祝福の拍手を送っていたし、間違えても、フードコートの返却口にあるお婆さんの食い残しちゃんぽんを食べて生き永らえるようなこすい真似はしない。もやしとは違うのだ。
ゴリに心を浄化してもらいつつ、三つ前の席に座っている男の背を眺める。エンヴィだった。
こいつは大概陰湿な性質をしているので、魔法薬学をとる。
魔法薬学とかいう陰湿な講義を取ったのは、エンヴィの監視の為である。
作者として全容を把握しているつもりではあるが、これまでにいくつかのバグ的な要素が散見されているも事実。こいつが億が一にも想定外の行動を起こして、狩野に危害を加えられると堪らないわけで。必要以上に、罪源者と関わってほしくないというのが本音だった。
今日も今日とて、平らな背中は面白みもなく微動だにしない。攻略もいよいよ最終フェースに入ったところなので、より監視を強めていたが、杞憂に終わってくれ──
「……っ、」
 き、と。
 ヴァイオレットの瞳がこちらに向けられる。そしてそれは確かに、俺を捉えていて。
 スクリーンの向こう側の俳優が、こちらに向けて語り掛けてきたような。そんな不気味さ。目をこすって、口を開閉させて。
 鮮明になった視界では、やはり薄い背中が等間隔に上下しているだけだった。
「偶然……、振り返っただけだよな……?」
 呟く声は、皆が席を立つ音に掻き消される。魔法薬学は、前半が座学、後半が調剤室に移動しての実習となっている。
独自の単位が刻まれたビーカーっぽい器具や、アルコールランプっぽい物を使いながら、薬を調合していく。本日は、「飲むと獣臭い体臭になる薬」の調合である。透明薬やら軟膏やら実用性の高い物を調合するためには免許がいる。ゆえにこの講義で扱われるのは、専ら「本当に必要か?」という用途のものばかりである。
その中で言えば、討伐にも使えそうで、加えて調合の基礎も網羅できる本日の講義は非常に有意義な物と言えるだろう。
そんなことを考えながら、赤い木の実をナイフの柄で潰していく。
「悪い、ヘドロトカゲの尻尾とってきてくんね」
「ああ……」
俺が直々に配置したNPC以外の生徒は、どういう原理か、普通にしゃべるし動く。かくいう班員も、例外ではなく。
 丁度作業もひと段落したところなので、ナイフを置き、背後の棚から尻尾を取り出す。尻尾は確か細切れにするはずなので、ナイフを持ち直して。
ふと、調合中の魔法薬が目に入る。
先刻までは緑色だったそれが、美しいシャンパンゴールドに変色している。脳内の教科書を捲るも、当該魔法薬の製作工程でこの色が見られることは無いはず。
「なぁ、」
班員に声をかけながら、相貌を擡げて。
「──え」
引き攣った笑みのまま、相貌が強張る。先刻まで各々の作業をしていたはずの班員が、皆こちらを見ていたから。否、班員だけではなくて、この教室にいる全員が、こちらを見ている。
色のない無表情で、ただじっと。真っ白なマネキンにでも、囲まれたような。そんな異様な雰囲気に、耳元で警鐘が鳴り響く。
そして同時に、俺の視線は異常発色を起こす薬品に吸い寄せられていた。
 ────やられた。
眼前が真っ白に染まる。教科書で頭部を庇いながら飛び退いた俺の体を、熱線と爆風が貫き吞み込んだ。


 魔法薬学の教科書には、防御術式が刻まれている。調合中の事故は、珍しくもない事だから。
 そういうわけで、咄嗟の教科書ガードが功を奏したのか、どうにか俺は丸焦げにされずに済んだわけであるが。
 退院してからというものの、俺は、頻繁に命の危険に晒されるようになった。
ときには討伐で想定外の高難易度モンスターが出現し、ツルっと丸のみされかけたり、知らない生徒からすれ違いざまに階段から突き落とされかけたり。
そして、今日も今日とて毒入りケーキで生死の堺を彷徨いながら、俺は確信する。
これは、「エンヴィ孤立誘導イベント」である。
エンヴィ孤立誘導イベント。それは、ゲーム内でエンヴィとの好感度が一定以上に達した際に起こるイベント。ざっくり言うと、エンヴィが主人公を孤立させるために、主人公に好意的に関わった人間を排除していくという物。狩野の友達は今のところ俺一人なので、俺が集中砲火を浴びているのだろう。好意的に嫉妬の罪源者の本領発揮というかんじであるが、このイベントは、パーフェクトコミュニケーションルートでは起きないイベントのはず。
 顕著になり始めたシナリオとの乖離に、言いようのない不安を覚えるが。
「えん……えん…………圭一、死なないで、圭一ぃ…………」
 今はこの乾物メンタル男を、どうにかしなければならない。
 俺の腰に巻き付きながら、「圭一圭一」と泣き続ける狩野。起き抜けからこの調子なので、ろくに身動きも取れやしない。
「離せ、狩野。重いんだよ」
「い、いやだぁ!外に行ったらまた死にかけちゃうよぉ!」
「ちょっと水汲みにいくだけだから!」
「いやだーー!」
 今や膂力までもがシンプルゴリラと化した狩野を振り払う事は出来ない。ブンブンと首を振る狩野を引き摺りながら、ようやっとドアノブに手をかけて。
「…………」
 ガチャリ、と。独りでに施錠される扉。
──無詠唱魔法。
 嫌な汗が、頬を伝う。
 ドアノブから、下半身に巻き付いてくる青年へと胡乱な視線を向ける。俯いたままで表情こそ見えないものの、腰に回されたしなやかな腕が、さらに強く締まった。
「…………狩野」
「圭一は、なにか隠してる」
「なにも、」
なにもかくしていない、なんて言葉は続かない。金色の双眸と、目が合ったから。
長くて細い前髪の隙間から、鉱物みたいな瞳がこちらを見ている。薄く隈の浮かんだ目元を、僅かに震わせて。ゆっくりと腰を上げて自立した男は、俺を見下ろす形になる。わけもなく気圧されて後ずさると、扉の硬い感触が背に触れた。前々から思っていたが、こいつ素材としてはなかなか冷たい顔付きをしている。
「爆発も、階段から落ちたのも、モンスターに襲われかけたのも。全部、事故や偶然じゃないよね」
 そして、このタイプの美人の真顔は怖い。狩野らしからぬ迫力に圧されて俯く。が、咎めるように相貌の真横に腕が伸びて来る。何だこの、誰も望んでない壁ドン。
「全部俺の不注意だよ」
「じゃあなおさら、この部屋から出すわけにはいかない。危なっかしいもの」
「バカ言え。まだ攻略だって──」
「そんなの、圭一が死んだらなんの意味もない」
 狩野が声を荒げたのは、これが初めてだった。俺の表情に目を見開いて、繕うように引き攣った笑みを浮かべる。
「ね、だって外は危ないよ。今の圭一は危ない。死んだらどうなるか分からないじゃん。だからせめて、疲れが無くなるまでずっとこの部屋に居よう?」
 まくし立てるような口調には狼狽が滲んでいて、狩野が俺の事を大切に思ってくれているのが伝わって来る。だが生憎と、攻略が済まない限り事態が好転することは無いのだ。
 少しだけ考えて、俺は「じゃあ」といった。
「仮に、俺のこれに理由があったとして。それでお前はどうするつもりなんだよ」
「そ、れはわからないけど」
 金色の双眸が、うろうろと彷徨う。そして、次にこちらを射抜いた視線は、既視感のある寒気を覚えるもので。
「おれはその原因を、許すことができない」
 その言葉に、今の状況を秘匿しておくことが決定した。
 狩野がエンヴィを敵視してしまうと、攻略が滞る。あと一歩というところまできて振り出しに戻るのは嫌だし。
「…………お前はもっと、怒っても良い」
「……なにさ、急に」
「もう気付いているんだろ、俺は正常だ。正常なまま、この世界を作った」
「だから、何を、」
「悪意の有無がなんだって言うんだ。お前が傷ついた原因は、誰がなんと言おうと俺にある」
 最初からずっと、納得がいかなかった。俺が初めて出会ったとき、狩野は泣きながら「どうしておれがこんな目に」と言った。「殺して」とも。狩野は本気だった。それほどまでに、危うい精神状態だった。
 その状態で、眼前に事の元凶が現れたとして。
 「赦す」と云う選択を出来る人間が、この世界にどれだけいるだろうか。  
 少なくとも、俺には無理だ。
「お前が俺を許せても、俺は俺が赦せない」
 だから、少しだけ安堵していた。
俺は何らかの罰を受けるべきだというしこりが、いつも頭の片隅にあった。そしてこいつの為に傷つけば──俺が、こいつの受けてきた苦しみの一部でも理解することが出来たのなら。
 それが、贖罪になる気がしていた。
「お前には関係のない話だ」
 そう、これは徹頭徹尾、俺の内面だけの問題だ。
「…………お前は余計なことを考えなくていいんだよ」
 傷ついたような表情をする狩野に、胸のあたりが痛む。だが、ここで退けば、終わりだ。何もかも。
「…………どうしてそんな酷いこと言うの」
「自分のことだけ考えてろ」
「いやだ」
「おまえこそ何で、そこまで俺にかまう」
「そんなの──」
 言葉を呑む。言葉を吞んだ狩野の表情には、狼狽と苛立ちが滲んでいた。
「──そんなの、おまえのことが大好きだからに決まってるだろ」
「は、」
 大好き。大好きって何だ。
 言葉の意味も理解できず、ただ立ち尽くす。足元を見て、狩野を見る。狩野の相貌は、茹で上がったように赤く上気していた。
「狩野──」
「…………おれ、ごめん。頭冷やしてくる。あと、水も汲んでくる」
 逸らされる視線。
 「おい」なんて言葉を置き去りに、狩野は俺を押しのけるようにして退室した。
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