上 下
1 / 44
プロローグ

恐怖!猟奇のカニバ男!

しおりを挟む
 ガタンゴトン。
 規則的な振動で目を覚ます。
 寝覚めは最悪だった。酷い夢を見た。心なしか頭も痛い。
 唸りながら目を瞬かせれば、幾分か視界も晴れてくる。どうやら俺は列車に乗っているようだった。
 がらんどうの車内には、色とりどりの花々が敷き詰められて、花畑みたいになっていた。けれども人っ子一人もいないものだから、俺以外の乗客全員が花に変わってしまったような、ホラーな想像をしてしまう。
 ただ全開の窓から、絶えず花束が投げ込まれているので、そんなはずはないと分かってはいるのだけど。
 視界の端をポイポイと過ぎる、黄色やら白やらのカラフルな花弁。それを横目に上躯を起こせば、図ったように電車が減速する。やがて止まった車内には、「終点~~」と言う男の陰気なアナウンスが流れた。
 はて、環状線に終点とはこれいかに。困った、田端駅まで来てしまったのか。
 後頭部を掻きながら車内からホームへと降り立って。
 …………これ、山手線じゃねえな。
 理解した瞬間、俺は膝から崩れ落ちていた。

***

 皆様は一部界隈を席巻した、『魔道学園』と言うタイトルをご存知だろうか。あえて注釈を加えるならば、一部界隈とは腐女子界隈であり、それはBLゲームである。
 舞台は、魔法が存在する世界の魔法学校。
 主人公♂となったプレイヤーは、編入生として自身の魔法の腕(プレイヤーレベル)を上げつつ、学園で出会うメインキャラクターたちとの親睦を深めることとなる。
 キャラクターの好感度が1人でも上限に達するとゲームクリアだが、これまで選んできた選択肢や自身のプレイヤーレベルによって、結末が分岐する。
 エンディングは全45種。
 重厚な分岐シナリオに、魅力的なキャラクター。全てが同人ゲームとは思えぬほどの高水準であると専らの評判だった。

 そして、列車を降りた先は、そのゲームの世界だった。
 歴戦のオタク俺の脳裏に、『トラ転』の一文字が過ぎる。けれども困ったことに、自分の死どころかここにくる直前の記憶まで、全くと言っていいほどに思い出せない。
 困った。困ったけれども、当初俺は事態をそこまで深刻に見ていなかった。
 理由はいくつかある。
 ひとつは、身体的特徴も、自認も、俺の知る俺だったから。
 色素の薄い直毛に、眠そうな目。かろうじて成人男性の平均身長に滑り込んだだけの、棒切れみたいな貧相な体躯。
 パッケージから中身まで浅葱圭一。鏡を覗けば常に見知った顔がいるのは、かなり心強い。
 そして何より、俺はオタクであった。
 取り返しのつかない腐男子である。そんな俺にとって、この世界はかなりパラダイスだった。理想の美丈夫達のイチャイチャを間近で拝むことができる。プラマイで言ったらギリギリプラに傾くくらいだった。

 けれども。
「えん…えん……許して……もうゆるして……」
 けれどもである。
「もう身体中痛いよう……血の気が多すぎるよう……どうしておれがこんな目に……」
 濡羽色の細い髪に、泣き黒子が特徴的な二重幅の広い瞳。アンバーの瞳が瞬くたびに、睫毛をしならせては涙が零れ落ちる。
 三角座りでさめざめと泣く青年に、俺の心はいたたまれなさでミシミシ音を立てていた。
「なんか……ごめんね……」
 おもむろに肩に手を置いた俺に、青年は邪気のない目で首を傾げた。

 先刻述べた通り、『魔導学園』とはシナリオキャラ造形、全てにおいて高い評価を得ている。
 しかし、このゲームの本懐であるとは言い難い。
 このゲームの一番の売りとは、『内容の過激さ』だった。
 監禁調教洗脳凌辱死亡は序の口、カニバリズムやら石化、無理心中、近親相姦に寝取りもなんでもござれな性癖闇鍋。登場人物の精神が、余すことなく病んでいる。案の定レビュー欄には、『右足が吹っ飛んだ』から始まり、『呪いあれ』で終わる、地雷を踏んでしまった被害者たちの呪詛が並んだ。
 けれどもその振り切れた内容が、性癖が拗れたオタクやらゲーマーに刺さった。ちょっと引くくらい刺さった。
 結果、『魔導学園』は、若干の炎を帯びながら界隈の名作ゲームに名を連ねた。

 では、例えば、どうだろう。俺がモブとしてではなく、主人公として生まれ変わってしまっていたならば。
 そんなん、確実に2日で首くくる。
 このゲームの主人公はそれだけの非道い目に合う。
 故に、眼前の──この、『主人公』になってしまった青年とは、今日までよく耐え抜いたと賞賛されて然るべきだろう。
 
 半泣きで医務室に転がり込んできた青年は、俺こと医務室の妖精が差し出したココアをすすりながら、ぽつぽつと言葉を継いだ。
 元々は俺と同じ世界に生きていた事。東京生まれ東京育ち、25歳にして東京に没す。死んで目覚めるとこの世界におり、それから約2カ月間、やたら顔の良い同性に追い回されては酷い目にあってきた。
 そして俺は、この青年が襲われる様を、大喜びで鑑賞する側の人間だった。
 麗しい男同士の絡みは願ってもないことだが、それは、『人様に迷惑をかけない』という大前提があってこそだ。人の権利を侵しながら啜るBLなぞ、美味くも何とも無いのだ。
 罪悪感にマ゛ュ…!と顏をゆがめる俺の隣で、青年はココアをチビチビ飲みながら、「おいしい!おいしい!」と泣いていた。
「人に手渡された物には、もれなく異物が混入していたから………」
 かわいそうがすぎる。
「あなたは、なんだか信頼できる方ですね」
「え、えへえへ、そう?」
「ええ、何というか、平凡な顔をしていて………」
「………」
 無理もない。この世界における美形とはもれなく異常者である。
 とはいえ普通に腹が立ったので、青年の為に沸かしたおかわりココアを一気に飲み干してやる。悲しそうな顔をする青年。溜飲が下がった。
 青年の足首に巻いた包帯の上から、治癒魔法の紋を刻みながら、「もしかしたら」と切り出す。
「少しなら君の役に立てるかもしれない。ええと──」
「狩野。狩野幸人(かのう ゆきと)」
「そう、狩野くん」
「?それって──」
 首を傾げた青年──狩野は、不意に言葉を呑む。 
 言葉を呑み、その代わりに、ヒュ、と喉から不自然な音を鳴らした。
 その相貌は蒼白で、肩を抱いたかと思えは、ついに小刻みに震え始めてしまって。
明らかに尋常ではない様子に、さすがの俺も心配になって来る。
「来る」
「か、狩野くん?」
 刹那。
 ぬっと伸びてきた大きな掌が、俺の口を塞ぐ。およそ人間離れした力で俺を押さえつけながら、狩野は唇を震わせた。
「……だめだ、喋ったら」
「?」
「見つかっちゃう!見つかって、引き摺られて!また、食べられちゃう!」
 上擦った声は、心底怯えていた。どうか落ち着いて、あなたの声が一番大きいよ、とか言える雰囲気ではないので、言われるがまま息を殺す。
 静まり返った医務室を、張りつめた沈黙が支配する。掛け時計の秒針の音が、やけに大きく響き渡っていて。
「ユキト~」
 そんな間延びした声が、廊下の向こうから聞こえて来る。悠然と等間隔に近づいてくる足音に、蒼白の相貌が、石膏像みたいに硬直する。
 そのままひび割れてしまいそうなほどの絶望感が、ひしひしと伝わってくる。
「ユキト~どこ~~」
「出ておいでよ~怖くないからさぁ~」
「もう齧ったりしないからさぁ~悪かったってば~~もうほんと、全面的に俺が悪………」
「………………………いや、ユキトがおいしそうなのも悪くない?」
 流れ変わったな。
 間延びした声音は、近づいて来るごとに雲行きが怪しくなっていく。声音から識別することはできないが、その言葉の内容から、俺は男の正体を確信していた。
 人に齧りつくとかいう異常行動。流れるような他責思考。
「ぼ、『暴食のグラトニー』だ!」
「『暴食のグラトニー』!?」
 俺の叫びを復唱する狩野。「何それリングネーム!?」という困惑の声を無視して、俺は真っ直ぐに教員机へと向かう。
「な、なにしてるの?!………わー!勝手に開けちゃダメだよぅ!」
無造作に引き出しを開け始めた俺の奇行に、狩野は仰け反った。
「あれぇ~こっちからユキトのにおいがするよォ~~ここかな~?」
 そして、どこかヒステリックな男の声。聞きつけてくるのではなく、においを嗅ぎつけてくるあたりが非常に気持ち悪い。
 ドアを開け閉めするような、バタン!という音が立て続けに響く。どうやら教室の扉を、片端から開閉して行っているらしい。
 狩野は、最早いつ吐いてもおかしくない顔色のまま、手で口を覆っていた。
 迫る足音。
 徐々に大きくなってくるヒステリックな声。
 せかされるように1段目の引き出しを漁って。目当ての物を見つけると同時に、俺は安堵の息を漏らしていた。
「先刻も言った通り、君の助けになれるかもしれない」
 縮こまったまま「ほんとうに……?」零した表情には、懐疑と縋るような期待が滲んでいて。
 俺はわけもなく、膝をついて「本当にごめんなさい」と言いたくなった。代わりに「ああ」と短い返事をして、狩野を振り返る。
「俺の言葉に、君が従ってくれるのなら」
「……あなたは、一体」
 特徴的な赤いパッケージを掲げて見せた俺に、琥珀色の双眸が散瞳するのが分かった。

「俺は、このゲームの製作者だ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

スラムから成り上がった弟に恋人になってくれと迫られています

匿名希望ショタ
BL
【エリート弟×自己肯定感の低い兄】 「恋人になって欲しい」 十七年前に才能があり国一番の学園へと行った弟がいる。 その弟の枷になるまいと自分の生活がどれだけ貧相なものだとしてもお金だけを送り続けていた凡人以下兄の俺。 そんな俺が立派になった弟に恋人になって欲しいと迫られる。だけど俺はスラムにずっといてこんな醜いし...

美形でヤンデレなケモミミ男に求婚されて困ってる話

月夜の晩に
BL
ペットショップで買ったキツネが大人になったら美形ヤンデレケモミミ男になってしまい・・?

過保護な不良に狙われた俺

ぽぽ
BL
強面不良×平凡 異能力者が集まる学園に通う平凡な俺が何故か校内一悪評高い獄堂啓吾に呼び出され「付き合え」と壁ドンされた。 頼む、俺に拒否権を下さい!! ━━━━━━━━━━━━━━━ 王道学園に近い世界観です。

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

頭の上に現れた数字が平凡な俺で抜いた数って冗談ですよね?

いぶぷろふぇ
BL
 ある日突然頭の上に謎の数字が見えるようになったごくごく普通の高校生、佐藤栄司。何やら規則性があるらしい数字だが、その意味は分からないまま。  ところが、数字が頭上にある事にも慣れたある日、クラス替えによって隣の席になった学年一のイケメン白田慶は数字に何やら心当たりがあるようで……?   頭上の数字を発端に、普通のはずの高校生がヤンデレ達の愛に巻き込まれていく!? 「白田君!? っていうか、和真も!? 慎吾まで!? ちょ、やめて! そんな目で見つめてこないで!」 美形ヤンデレ攻め×平凡受け ※この作品は以前ぷらいべったーに載せた作品を改題・改稿したものです ※物語は高校生から始まりますが、主人公が成人する後半まで性描写はありません

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

5人の幼馴染と俺

まいど
BL
目を覚ますと軟禁されていた。5人のヤンデレに囲われる平凡の話。一番病んでいるのは誰なのか。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

処理中です...