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文化祭2日目 もういいかい

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暗くてかび臭い部屋の隅で、膝を抱えて縮こまるしかない自分。
 そして何より、散々唾を吐きかけてきた相手に助けられ、縋るしかできない自分が、ただただみじめだった。
 普段は気にならない、腕時計の秒針の音がやけに大きく響き渡っている。
 ろくな音も光もない。外界から切り離されてた空間に、ひとり取り残されたみたいだった。
 体内に燻っては広がろうとする熱を、ただひたすらに一つ一つ消していく。終わりの見えない孤独と苦痛に、気がおかしくなりそうで。
 縋るみたいに、肩に掛かったジャケットを引き寄せる。柑橘類のような爽やかな香りは、幾分か体温を下げてくれるようだった。
────ガタン。
 前触れもなく響いた音に、肩が揺れる。
 相貌を擡げると同時に、また、ガタンと扉が揺れる。誰かが扉に手を掛けている。
 
「…………橘?」
 そして、震える唇は、独りでにそんな言葉を紡いでいた。
 ろくに回らない頭のまま、ただ、「はやく孤独から解放されたい」という願望だけが先走って。
 大抵の場合、こういった希望的観測の末の行動は、良い方向に転ばない。
 例にもれず、扉の向こうの空気が、一瞬だけ凍り付いたようだった。
 脳裏を駆け抜けるのは、「間違えた」なんていう一文字。
「────ひろと?」
 同時だった。
 鉄の扉一枚隔ててもわかる。むせかえるような桃のような香りが、冷えた温度を一瞬で塗りつぶしていく。
 最悪だ。最悪だった。
 己の愚かさに、吐き気がする。取るべき行動は明らかだったのに、一時の感情を優先した。一時の心細さに負けて、自分の存在を悟らせてしまったのだ。
 「俺が来るまで絶対に開けるな」と。散々そう言い含めらえていたのに。
 否、それよりも、こいつがここに居るとして、猫田は?亀山は?
 そんな思考や後悔すら、甘やかな酩酊感に攫われては覚束なくなって。
 気持ち悪いような、気持ちいいような。
「ひろと」
「────っ、ぁ……」
 それが己の口からでた声だとは、とても信じたくなかった。
 けれど尾骶骨をに走った甘い痺れに、俺の腰は完全に砕けていた。
 必死に理性をつなぎとめようとする頭に反して、身体のほうは、本能を前にどこまでも無力で。ジャケットを搔き寄せても、熱は一向に引く気配がない。
 はく、と。口が開閉する。 
 いもむしみたいに床に這いつくばって、逃げる事はおろか、立ち上がることすらできない。 
「ひろとぉ」
 カリカリ、カリカリと扉を引っ搔く音がする。
「いるんでしょぉ、返事してよ」
 思考も身体も、全部が溶けて、混ざり合って、どろどろの液体になって。
「ひろと~」
 もう、黙ってほしかった。耳を塞ぐべきか、呼吸を塞ぐべきかすらわからない。もう、なにもわからなかった。
「ひろと、ひろとひろとひろとひろとひろとひろと~」
 精神の皮膜を、丁寧に、ていねいに剝がされているみたいだった。
フェロモンを滲ませた声で名前を呼ばれる度に、全身の細胞が、歓喜にあわだつようで。
「────あけて?」
「ぁ────」
 自らの瞳孔が、収縮するのがわかった。
 頭の奥で何かがプツリと切れる。理性だとか自我だとか、人としての矜持が、根こそぎ奪われたことだけが確かで。
 あは、と。
 次にそれらを取り戻したのは、そんな、うわついた笑み声を聞いたときだった。
「ひろと、見つけたぁ」
 気付けば、扉が開いていた。 
 ややおいて、気付く。開けたのは俺だ。
 床に座り込んだまま、おぼつかない視界で相貌を擡げる。
 逆光で表情こそ伺えないが、そのシルエットは見知った物だった。混沌とした思考。言葉の代わりに、半開きの口端から、つうと唾液が垂れた。
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