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人気者

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 白く塗装されたパネルに覆われた室内に、計算しつくされた照明の配置。勝ち取ったこの教室は、家庭科室も近ければ日当たりも良い。そして明日は、この時期にしては稀な快晴。
 当日は日の当たり具合も相まって、オリエンタルな内装の雰囲気を引き立たせてくれることだろう。
 鑑賞のような物を抱きつつ、腕時計へと視線を落とす。
 時刻は19時を回ろうとしていた。
 「おおい」と声を上げれば、俄かに室内が静まり返る。視線が集まったのを確認して、横髪を耳にかける。
「最終チェックは俺が済ませておく。各自好きなタイミングで帰ってくれ」
 俺の呼びかけに、雑然とした教室内からはまばらな返事が返ってくる。
最終日ともなると、35人中31人と、クラスのほぼ全員が準備に参加していた。
工具やら備品やらを詰め込んだ箱に手を掛ければ、「俺左側持つ~」と声が飛んでくる。原だった。
「ほらほら、右持って、右」
「一人で持てる」
「見た目より重いよ、これ」
 胸を逸らせては、ムン!と力こぶを強調してくる。ダボダボのシャツに隠れて、こぶが出来ているのすら見えない。ただやる気だけが全身から滲み出ているので、渋々箱の右下に手を掛けた。
 確かに多少なりとも重くはあるが、男二人で持つような重量ではないと思った。
「口実」
 鼻腔を擽った甘い香り。導かれるみたいに視線を上げれば、はにかむように微笑んだ原と視線がかち合う。絨毯のみたいな睫毛の下から、濡れた琥珀色の瞳がこちらを見上げていて。
「最近忙しそうで、全然博人と話せてなかったし」
 囁くような声音は、悪戯がばれた子供みたいだと思った。呆れはするも、悪い気はしない。溜息を吐いて、足並みを合わせた。
「綿井と飴村、お前の衣装は特に張り切って作ってたぞ」
「揉みくちゃにされたあれ、採寸だったんだ…………」
「あと真戸。彼がお前のこと欲しがってたぞ、調味料開発班に」
「ええ?あの真戸くんが?」
「ああ、暗算が速いって。引く手あまただな。人気者だ」
「あんざん……」
 綿井と飴村はβ。そして真戸に至っては、αだった。
 他のクラスに比べて、うちは異なるバース性の生徒達がフラットな関係を築けている。
 Ⅱ型である原は、分け隔てなく自然体に振る舞うだけで、クラスの潤滑剤となり得る。現に、今日までにここまで人数が集まったのも、原の求心力が故なのだろうと思った。
「…………最後まで来なかったね。愛宕くん」
 多少の例外は存在するが。
「…………」
 愛宕の部停は、あの後すぐに解かれた。
 愛宕は何か言いたげにこちらを見てきたが、結局言葉を交わすことも、準備に参加することもなかった。
「何度か話そうとはしてみたんだけど。ごめんね、博人」
「なんでお前が謝るんだ。お前がそこまでする義理はそもそも無いんだし────手は尽くしたんだ。お前も、俺も」 
「…………」
 箱を下ろしながら、肩口で汗を拭う。
 しゅんと項垂れる原は、稀に見る落ち込みようで。わけもなく通学で出会うダックスフンドを思い出して、胸が痛んだ。
「早く戻るぞ。大分、遅くなった」
 結果、話題を逸らすしかない自らのコミュニケーション能力の脆弱性を恨みながら、原の袖口を引っ張る。
「博人…………!」
 感極まったような声が背後から漏れきて、呆れと一緒に安堵が胸中に滲む。何がそんなに嬉しいのかは分からないが、元気を取り戻してくれたのなら何よりだ。
 薄暗い廊下を早足に引き返しながら、「あと」と言葉を続ける。
「今日は先帰っててくれ」
「なんでぇ。夜道は危ないよぉ?」
「9歳の女の子じゃないんだぞ、俺は。…………最終チェックがあるから、俺はもう少し残らなきゃだろ」
「あー…………」
 妙な間に、背後の青年を振り返る。何だその反応。
 だが、振り帰って見えたその相貌には、どこかそわそわとした喜色のような色が滲んでいた。
「やっぱ一緒に帰ろう」
「お前なぁ」
「俺だけ先帰るの、気まずいじゃん」
 だからどういう事だ、と。
 言葉にする前に、白くて細い指先に視線を誘導される。
 指された先。暗い廊下に、四角く切り取ったような明かりが漏れ出ていた。
「は…………」
「あ、委員長。遅すぎてオソになるとこだったし」
「オソはカワウソの別名ね。……衣装、納得いかないとこあってさ。持って帰って直してよさげ?」
 教室の扉から、ヒョコヒョコと顏を覗かせたのは、ふわふわなインテリギャル二人だった。
「綿井!飴村!なんで残ってる。いま何時だと────」
「ピが迎えに来るから無問題だし。つか、ウチらだけ怒られんの意味わからん」
 プリプリ膨れる綿井の脇から、教室内を覗き込む。そして、その光景に仰け反った。
 全員いる。本当に全員いる。全然誰も帰ってない。
「…………帰れって言ったよな?」
 呆然と呟けば、ずっしりと左肩に重圧が加わる。デジャヴを覚えながら胡乱な目を向ければ、俺の肩にもたれかかったまま、猫田がニンマリと不敵な笑みを浮かべた。
「最終チェック、だろ?」
「だからそれは俺がやると────」
「ええ?委員長は俺以上に冷蔵庫事情に詳しいわけ?この資材管理班主任の俺より?」
「…………リストを見ればわかる」
「タマネギ、トマト、キュウリにヘーゼルナッツ!冷蔵庫の中身言えるかな?俺はいえるけどね!」
 材料の品目とその数を暗唱し始めた猫田に、頭痛が酷くなったようで。
 わざとらしく肩を揉んでくる手を、ぺちんと叩き落とす。
「うちはもう帰るからね。許可取ったらすぐ帰るつもりだったし」
 綿井のヤジが飛んでくる。
「えー?衣装の確認だけは絶対全部自分がやるって言ってたのは?」
 すかさず茶々を入れてきた飴村と、「余計な事言わんでよろし!」と引っかき合いを始める。
「委員長。ヨーグルトソースのレモン汁の分量に微調整を加えたいのだけれど。第39刷目の配布レシピを明日までに人数分用意することは可能かな。可能だね。可能じゃなければおかしい。原稿はここにあるから、今すぐ印刷室に────」
「それは俺がやっとくよぉ」
紙束に訳の分からない計算式を書きなぐりながら捲し立てる真戸を、亀山が隣からが困り顔で窘めて。
未だ呆然と立ち尽くす俺の横顔を、視界の端で猫田がニヤつきながら覗き込んできた。
「皆でやった方が早いだろ?」
おちゃらけた態度とは打って変わって、優し気な────子供に言い聞かせるような声音で諭される。
はく、と口が開閉する。
考えが纏まらない。自分が何を言いたいのかが、全く分からなかった。
胸がじんと熱く痛んで、わけもなく何かに縋りつきたくなるような。初めての感覚を、どう処理して良いのか分からない。
「…………ありがとう」
結果、消え入りそうな声で俯いた俺を、原が肘で小突いてくる。
「人気者だね」なんて。
「やかましい」と返した声は、情けない事に震えていた。
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