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変なΩのおねだり

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 平日は学祭準備の合間に準備をして、てんてこ舞い。休日こそは休みたいものだが、生憎、今は中間考査真っ只中だ。勉強の合間に勉強をしなければならない。
「ねえ~、博人博人博人ひろとぉ。休憩しようよ、コニャン始まるしぃ」
 加えて、この逆ちいかわみてぇな男に巻き付かれながらというハンデ付き。十分おきに、休憩しよう何だのととにかくうるさい。平生ならばこれ幸いと、リビングで見てこいと自室から追い出していたところだが。
「だめだ」
 今回ばかりはそうもいかない。
「なんでぇ!」
 わっ!と泣き出した原の顔面に、システム英単語を押し付ける。
 床を這いずりながら俺の腰に縋りついていたそいつは、情けない悲鳴を上げて仰け反った。
「お前が準備に参加しなければ、α連中の出席率が著しく下がる」
「むぇ」
 そう、中間考査が終われば、赤点点補習が始まる。特に、英語の補習は学祭の準備期間と丸被り。赤点…………四十点以下を取ると、補習で学祭準備に参加できない。ここで原を失うことになってしまえば、ただでさえ低いα連中の出席率がゼロになることは目に見えているのだ。 
定期的な勉強会の開催と、各教科の要点をまとめた虎の巻を配布することで、β連中の出席率はひとまず確保できているが。動機の清濁に関わらず、人手は人手だ。ここにきて人員が欠けることは避けたい。
「とにかく、お前は英語だ。範囲内の英単語とイディオムを頭に叩き込め。それで二十点は確保できるから」
「おえええ」
 原は、理系科目に至っては卓越したセンスを持っているが、とにかく文系科目が壊滅的だった。仮にもⅡ型なのだから、結果を出すだけの地力は持っているはずなのだ。
「お前に足りないのは、やる気と時間だ!その脳ミソのスペックなら、単語帳眺めてるだけで頭に入るだろ!」
「む、無理ぃ、無理ィ!俺昔から英語見ると気絶しちゃ……ぐぅ……」
「ね、寝るな!」
「い、痛い!シス単の角でポカポカしないで!てか俺だって、頑張て満点取ったし!」
 考査はオンライン受験なので、終了後にすぐ自分の正答率が分かる。そして既に終了している科目は、数学、日本史、世界史、化学基礎。
「どうせ数学と化学基礎だろ」
「う」
「国語の正答率言ってみろ」
「いちおー21%だったよ。受かってるかはわかんないけど……ぎゅむ」
「普通に落ちてるんだよ……」
 40点合格だっつってんだろ。なんでワンチャン見出せてるんだ。
 原の惚けっぷりに眩暈を覚えつつ、無駄にもちもちした頬を鷲掴む。ただでさえ最近は常に薄っすら体調が悪いのに、これ以上頭痛の種を増やさないでほしい。
「ちゅーかさぁ」
 不満の滲んだ声音に、視線を落とす。
 垂れた双眸を精いっぱいと言った様子で吊り上げては、こちらを胡乱に見上げていた。
「それってさあ、博人が助かるだけで、俺になーんも得がないよねぇ?」
「お前は赤点を取らずに済む」
「シス単開くくらいなら、赤点のがマシ!」
「な……!学祭が成功すれば、今後のキャリアだって…………」
「ひろとに一生養ってもらうからいいもーん!キャリアとか!どーでもいいもーん!」
「人を勝手に人生設計に組み込むな!こ、これだから…………」
 …………これだからオ、Ωは!
 究極の寄生根性におののきつつ後頭部を掻く。「何が望みだ」と問えば、桜色の唇がツンと尖った。得だなんだと言っておきながら、何も考えてないのかよ。
 呆れつつ自分の課題に視線を落とせば、上躯を起こしては背後から相貌を肩口に埋めてくる。
「…………ピン」
 ぽつ、と落とされた言葉に、ペンを持つ手が止まる。
「博人のピン、ちょーだいよ」
 相も変わらず、間延びした喋り方だった。けれども何故か俺は、その声音に唾を嚥下していて。
「…………なんのために?」
 絞り出した声は、存外硬い物だった。未だテキストに向けたままの視線が数式を上滑りする。代わりに、直ぐ隣からこちらを覗き込んでくるアンバーに、わけもなく汗が滲んだ。
…………どの学校にも、独特の文化は存在する。
 そして我が校におけるそれが、『ピン交換』であった。
文字通り、将来的に番関係になることを誓いあった二人が、ピンを交換するのだ。独特の風土──αとΩの多さから、当校には昔から痴情のもつれが絶えない。
 そこでとある先人αは、視覚的なけん制として、想いあったΩに、自らの家紋があしらわれたピンを贈った。その儀式は急速に校内に広がり、根付き、今日まで残り続けているわけであるが。
 言わずもがな、現在におけるピン交換とは、ロマンティックな契りというよりも、ステータスであったり、自らの優位性の誇示という意味合いの方が大きい。なので名門出身のαが、途切れる事のない激しいアプローチにほとほと辟易している光景は珍しくもない。
 だからこそ、名家の端くれとはいえβでしかない俺のピンを欲しがる意味が分からない。見たところ、言った本人は満更でもなさそうだし。
「なんで俺」
 もう一度尋ねれば、瞬き程度の沈黙が落ちる。
「十七人」
「へ」
 答える代わりに、原はすっくと立ちあがる。
 そしておもむろに直立で跳ね始めて。マサイの戦士みたいだった。
 すると、出てくる出てくる。金色や銀色の金属が、ポロポロ零れてはジャラジャラ床の上を跳ねた。小銭か何かかと思ったら、全部ピンだった。
「ね?」
「『ね?』じゃないが」
「ちょっと手に負えないかも!」
 ΩⅡ型としての性か、原充という博愛主義者の性か。それらが、αたちからのアプローチの賜物であることは容易に想像がつく。特にほにゃららマジックだなんだと、イベントごとにかこつけては何かと恋愛をしたがるのが高校生という生き物であって。
「たすけて…………」
 ついに顔を覆ってしまった原に、「だ、大富豪じゃないか…………」と、すごくピントのずれたコメントを残すことしか出来ない。憐れがすぎる。
「ひろとぉ…………」
「ぐう……」
 膝を折っては、また縋るように絡みついてくる。こちらを見つめるアンバーは、うるうると潤んでいた。
 実際問題、βである俺のピンを付けることが一番平和的な解決方法なのだろう。ある程度の虫除けにはなるだろうし、なによりあのΩⅡ型が特定のαを作ったとなると、最悪人が死ぬ。比喩とかではなく。
原充とは、そんな────一種の聖域のような男であった。
 良心がキリキリ痛む。
「無理だ…………」
 それでも俺は、原の救助要請に応じる事が出来なかった。
────ひろとくん、ひろとくん。
────おれたち、番になろうね。
 遠く反芻する声を聞きながら、視線を伏せて。
「…………俺はそもそも、ピンを持っていないし」
「…………」
「これからも、持つ予定はないし」
 付け加えるような声音には、どこか、弁明じみた響きが伴っていた。
 だれに、何を言い訳しているのかは分からないけれど。顔を思い出せないその少年を、脳内から追い出した。
「ふふ」
「む、なに笑って…………ぶにに!」
 笑み声を漏らした男を振り返れば、骨ばったひとさし指が、頬に突き刺さった。
 かすかに上気した頬に、そのまま溶けてしまいそうなほどに緩んだ表情。
 先刻までの悲壮感など、欠片も感じさせない。嬉しくてたまらないと言った様子で笑う男に、少しだけ仰け反った。どんな感情なんだ、それは。
「原」
「もちもち~~」
「こねくり回すな。それより原おまえ…………」
「なあに?」
 甘い声で小首を傾げた男に、口を開閉させる。
「…………香水変えた?」
 そんな言葉に、原はなぜかまた笑みを深めて俺の頬を引き延ばした。
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