外側のスミレ

夏木 蒼

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「ワン、ツー、スリー、フォー」
 涼の掛け声とスティックを叩く音で、曲が始まる。
 難解なギターリフを軽々と弾きこなし、ユリは歌い始めた。
 私は彼女の歌を邪魔しないように、それでいて存在が消えない程度にキーボードを弾く。走らないように、涼のドラムに神経を集中させる。

 梅雨明けの7月半ば、私たちはスタジオを借りて練習に励んでいた。
 弾いている間は良い。他のことを考えなくて済む。と言うよりも、私の実力じゃ他のことを考えている暇はない。
 軽い気持ちで入ったバンドサークルだったが、活動はなかなか本格的なものだった。本格的、と言ってもプロから見れば鼻で笑うようなものなのだろうけれど。
 平日は3時間個人練習、土日はスタジオで合わせ。8月に行われる文化祭に向けて、毎日のように練習していた。
 バンドのメンバーは私とユリと涼と、ベースの根岸先輩。私以外の3人はみんなバンド経験者だった。
 クラシックピアノが弾けるだけの私は、曲についていくだけでも必死だった。足を引っ張らないようにしないと。ただそれだけを考えて、必死に譜面を追う。

「ストップ」
 根岸先輩の声で演奏が止まる。無意識に呼吸が浅くなっていたらしく、私は大きく息を吐いた。
「涼、Bメロのキックが走るから気をつけて。マルはAメロ途中のリフもっと聞かせて」
 根岸先輩は短い顎髭を撫でながら、的確に指示を出す。彼はびっくりするほどベースが上手い。噂ではプロに習っていたらしい。そんな人がなぜ私たちなんかとバンドを組んだのか、私はいつも不思議だった。
「ユリはそうだな、『し』とか『い』の発音をもっとはっきりすれば良くなると思う。あとギターに気を取られすぎずに」
 はい、とユリは笑顔で答えた。私はちらりと横目で涼を見る。一瞬目が合って、涼はほんの少し悲しそうな顔をした。
「よし、もう一回Aから」
 根岸先輩の一言で、涼がさっとドラムに向き直りカウントを始める。
 さっきの涼の顔はどういう感情なんだろう。その疑問は頭の片隅に追いやって、私は鍵盤に指を置いた。

『駅前のマック。後で来て』
 練習を終え、ユリと帰る途中にそんなメッセージが来た。言うまでもなく涼からだ。スタジオを出てすぐに涼はどこかへ行ってしまった。マックに行ったのか、でも何故マック? と思いつつ『了解』と返事をする。
「つかれたーあ」
 ユリは隣で伸びをしながら歩いている。夕日に照らされて、彼女の小さい顔はオレンジ色に染まっていた。お疲れ、と笑って私も伸びをする。
「こんなにずっと歌ってるの、カラオケでもやったことないよ」
 のど飴を一つ口に入れて、ユリはぼやいた。どうぞ、と私にも1つ飴を渡す。
「根岸先輩、優しいけど結構スパルタだよね」
 私ものど飴をポケットにしまい、腕をさすりながら相槌を打った。ずっと弾き続けていたせいか、腕がだるい。
「ほんとにね、もうちょっと休みたーい」
「なんだってー?」
 練習で聴き慣れた声と共に、ユリの頭に楽譜がぱすんと乗せられる。振り向くと、根岸先輩がニヤリと笑って立っていた。
「やだ、聞こえてました?」
「聞こえてるよ、まったく。文化祭近いんだから、休みたいなんて言ってる暇ありませーん」
 ひひっと少年のように笑いながら、根岸先輩はぽんぽんと楽譜でユリの頭を軽く叩いた。何するんですか、とユリはぽかぽか先輩を叩き返す。根岸先輩も数少ない、ユリが話せる男子のようだ。
 私は空気になったように、そっと存在を消す。ユリと私の間に男子が来ると、男子はみんなユリとしか話さない。私を空気扱いしないのは涼だけだ。
 ユリと先輩の少し後ろを歩きながら、2人を観察する。根岸先輩は肩より長い髪を後ろで結んでおり、耳には3つほどピアス穴が開いている。なんだか女慣れしてそう、というのが第一印象だった。
 ベースを背負った先輩と、ギターを背負ったユリを見てふと、兄妹みたいだと思う。2人ともモテそうだ。
 そう思ってから涼のことが頭をよぎる。彼は先輩とユリをどう思っているのだろう。
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