美味しいパンをあなたと

夏木 蒼

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パンストライキ

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 俺の母親はパンを決して口にしない。目の前にどれだけ美味しそうなパンがあっても絕対に食べないし、なんならパンという単語を口にするのも嫌がる。パン屋には寄り付かないし、スーパーのパンコーナーが見えると大回りして避ける。
 
 この母のパンストライキ(と俺は呼んでいる)は彼女の夫、つまりは俺の父親がパン屋に務める女と不倫して家を出て行った日から、ずっと続いている。
 そして母と共に暮らす俺もパンストライキに巻き込まれ、何年もパンを口にしていなかった。
 パンを見ては母が泣くものだから、こっそり食べるのもなんだか後ろめたい。だから最後にパンを食べたのは多分幼稚園の頃。小学生になる前に、父親はパン屋の愛人と手を取り合って出て行ってしまったから。

 パンを食べなくても困ることはないでしょ、と母は苦虫を噛み潰したような顏で言う。そりゃ、パンじゃなくてご飯でも栄養は摂れるし、パンがなくて死ぬほど困った、なんてことはない。
 けれども。
 やっぱり10年以上パンを食べてないと、猛烈にパンが食べたくなったりする時がある。というか毎日パンが食べたくて仕方がない。高校に入ってからは給食がないせいでパンを食べるやつも多いし、もうそうなると頭の中はパンでいっぱいだ。

 
 ――だから、あの日曲がり角でぶつかった女の子よりも、あの子が咥えていたパンの方が気になってしまうのも、仕方ないことだと思うのだ。
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