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沼田 安夫
6.その”想い"の正体は
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「──畏まりました、では16時にみちるさんでのご予約承りましたので、一時間前に一度こちらへ確認の電話をお願い致します」
静かに受話器を置いた沼田は、小さく溜息をついた。
サクラと小さな諍の後、彼女自身が勤務していると知った風俗店に働き始めて、早3ヶ月となる。
正直、楽な仕事ではないな、というのが真っ先に思いつく感想だった。
客への応対は勿論ながら、勤務する嬢の世話など、気苦労が絶えない。
その上、職場では否が応にもサクラと顔を合わせることとなる。
それが何よりも気まずく、底知れぬ思いが湧き上がることに、沼田はストレスを感じていた。
(給料に飛びついてみたはいいが、何だかなぁ……)
沼田は、また知れず溜息をついていた。
「おう、安夫!休憩行ってきていいぞ」
パーテーションをくぐりながら、店長である中山竜也は沼田の肩を叩いた。
それとなく首肯しながら、沼田は裏にある事務所へと足を向けた。
中山とすれ違うようにパーテーションをくぐると、事務所から出てきたサクラと鉢合わせ、思わず顔を背けた。
そそくさと事務所へ入る瞬間、横目で盗み見たサクラの表情は、疲労か落胆か、兎にも角にも暗いということは沼田にも理解ができた。
果たして真意を読み取ることは叶わないまま、それすらも徒労に思えた沼田は、パイプ椅子に深く腰掛けると、すべての気力をなくしたかのようにだらりと両手をおろし、目を瞑った。
(俺は、一体何をしているのだろう……)
階上から微かに聞こえる嬌声と、排水溝を走る水音が、少しずつ沼田の耳から離れていき、気付けば沼田は、その まま深い眠りに落ちていった。
「良いことなんて、生きてなきゃ見つからないよ」
(そうだな、そうなんだと思う)
「ヤっさんね、ヤっさん」
(気安く略すなよ。でも、その呼び方、俺は好きだ)
「ここのオススメは、裏メニューなんだけど、蟹チャーハンの天津が美味しいんだよー」
(確かに美味かったな。少し量多めだったけど)
「ヤっさんはさぁ、私のこと」
「好きだ」
口をついて出た一言に驚きながら、自身が夢を見ていたという事実にも驚き、事象の整理ができないまま、えも言 えぬ恥ずかしさが込み上げた沼田は思わず周りを見渡した。
正味10分ほどしか眠ってはいなかったらしい。
ポケットからくしゃくしゃに潰れた煙草を取り出し、一服したところで、先程から心拍数が落ち着かない。
沼田は、心地よくも心を毟るような夢を反駁しながら、小さな溜め息をついた。
(好き、なんて。どの口が言ってやがるんだ……)
煙草の先に灯る赤を見つめていただけなのに、沼田の頬には一筋、涙の跡が光った。
「お先失礼します」
「おう、安夫いつもごくろうさん。また明日も頼むよ」
深夜1時過ぎ、勤務を終えた沼田は、締め作業に立ち会う中山に声をかけ、店を出た。
秋を過ぎ、間もなく冬が来るのであろう。
吹く風に小さな棘が混ざり始めていることを、肌で感じていた。
一点の曇のない夜空から、小さな星々が瞬いている。
沼田には少し、その光が眩しく煩わしく感じられた。
いま見えている星も、今この瞬間にはなくなっているのかもしれない。そう思うと余計、いい気持ちにはなれなか った。
今日も帰れば家にはサクラがいる。
誰かに抱かれた、俺には手の届かないサクラがいる。
きっと誰よりも近くにいるはずなのに、けして触れることを許されないかのような、聖域。沼田にとってサクラは 最早そこまでの存在に近かった。
家に帰りたくない、ふと、そんな思いが頭をよぎる。
気付けば沼田は、終電を終え暗く佇む駅の改札前で立ち尽くしていた。
(何をしているんだ俺は)
独り言ちたが、帰る気にもなれなかった。
駅を背に、沼田は走り出した。
あてもなく、何処か辿り着くまで。
頬をつたう涙が乾くよりも早く、流れ続けるのをとめる術などなく、只々溢れていった。
──泣き虫
ふと、サクラの声が聞こえた気がした。
静かに受話器を置いた沼田は、小さく溜息をついた。
サクラと小さな諍の後、彼女自身が勤務していると知った風俗店に働き始めて、早3ヶ月となる。
正直、楽な仕事ではないな、というのが真っ先に思いつく感想だった。
客への応対は勿論ながら、勤務する嬢の世話など、気苦労が絶えない。
その上、職場では否が応にもサクラと顔を合わせることとなる。
それが何よりも気まずく、底知れぬ思いが湧き上がることに、沼田はストレスを感じていた。
(給料に飛びついてみたはいいが、何だかなぁ……)
沼田は、また知れず溜息をついていた。
「おう、安夫!休憩行ってきていいぞ」
パーテーションをくぐりながら、店長である中山竜也は沼田の肩を叩いた。
それとなく首肯しながら、沼田は裏にある事務所へと足を向けた。
中山とすれ違うようにパーテーションをくぐると、事務所から出てきたサクラと鉢合わせ、思わず顔を背けた。
そそくさと事務所へ入る瞬間、横目で盗み見たサクラの表情は、疲労か落胆か、兎にも角にも暗いということは沼田にも理解ができた。
果たして真意を読み取ることは叶わないまま、それすらも徒労に思えた沼田は、パイプ椅子に深く腰掛けると、すべての気力をなくしたかのようにだらりと両手をおろし、目を瞑った。
(俺は、一体何をしているのだろう……)
階上から微かに聞こえる嬌声と、排水溝を走る水音が、少しずつ沼田の耳から離れていき、気付けば沼田は、その まま深い眠りに落ちていった。
「良いことなんて、生きてなきゃ見つからないよ」
(そうだな、そうなんだと思う)
「ヤっさんね、ヤっさん」
(気安く略すなよ。でも、その呼び方、俺は好きだ)
「ここのオススメは、裏メニューなんだけど、蟹チャーハンの天津が美味しいんだよー」
(確かに美味かったな。少し量多めだったけど)
「ヤっさんはさぁ、私のこと」
「好きだ」
口をついて出た一言に驚きながら、自身が夢を見ていたという事実にも驚き、事象の整理ができないまま、えも言 えぬ恥ずかしさが込み上げた沼田は思わず周りを見渡した。
正味10分ほどしか眠ってはいなかったらしい。
ポケットからくしゃくしゃに潰れた煙草を取り出し、一服したところで、先程から心拍数が落ち着かない。
沼田は、心地よくも心を毟るような夢を反駁しながら、小さな溜め息をついた。
(好き、なんて。どの口が言ってやがるんだ……)
煙草の先に灯る赤を見つめていただけなのに、沼田の頬には一筋、涙の跡が光った。
「お先失礼します」
「おう、安夫いつもごくろうさん。また明日も頼むよ」
深夜1時過ぎ、勤務を終えた沼田は、締め作業に立ち会う中山に声をかけ、店を出た。
秋を過ぎ、間もなく冬が来るのであろう。
吹く風に小さな棘が混ざり始めていることを、肌で感じていた。
一点の曇のない夜空から、小さな星々が瞬いている。
沼田には少し、その光が眩しく煩わしく感じられた。
いま見えている星も、今この瞬間にはなくなっているのかもしれない。そう思うと余計、いい気持ちにはなれなか った。
今日も帰れば家にはサクラがいる。
誰かに抱かれた、俺には手の届かないサクラがいる。
きっと誰よりも近くにいるはずなのに、けして触れることを許されないかのような、聖域。沼田にとってサクラは 最早そこまでの存在に近かった。
家に帰りたくない、ふと、そんな思いが頭をよぎる。
気付けば沼田は、終電を終え暗く佇む駅の改札前で立ち尽くしていた。
(何をしているんだ俺は)
独り言ちたが、帰る気にもなれなかった。
駅を背に、沼田は走り出した。
あてもなく、何処か辿り着くまで。
頬をつたう涙が乾くよりも早く、流れ続けるのをとめる術などなく、只々溢れていった。
──泣き虫
ふと、サクラの声が聞こえた気がした。
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